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最近のアニメや声優、Magicに対する個人的な鬱憤を晴らすためのメモ程度のブログ。
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 旬を迎えた活きのいい百合は、身もしまって脂ものり、大層美味なものである。そんな滋味溢れる旬の活き百合を、採算度外視でたっぷりと鍋の中に入れ、たっぷりの水だけで煮込んでいく。油が浮き、アクが出るが、それを手作業で取り除く。水が少なくなったらまた水を加えてとにかく煮込む。繰り返すこと数日間。種々のエキスにあふれたそのスープは最初は混濁しているが、少しずつ色を失い、いつしか透明になり、さらには無色になる。それでも丹念に不純物を取り除き、ただひたすらに百合のエキスだけを抽出し続ける。ワタと呼ばれる部分も含まれているため、そこにはたっぷりの旨味と、ほのかな苦味を伴う。しかし、それこそが純粋で混じりっけの無い、百合の真髄なのである。そうして作られたのが、この映画です。

 

 

 あああああああああああああああ!!!! ヤバいヤバいヤバいヤバいヤバいヤバいヤバいヤバいヤバいヤバいヤバいィィィ! ふざけるなよ! 思ってるうちはまだしも、それを映像にしたらッ! 戦争だろうがッ! 何を考えているんだ山田尚子ッ!! とんでもねぇもんを作ってくれたな! こんなもん、一度薫陶を受けた人間に摂取させたらアナフィラキシーで死ぬにきまってるやろ! 映像の暴力や! シナリオの暴力や! もう、見てる間ずっと刃牙にちゃぶ台ひっくり返された勇次郎みたいな顔してたわ! ダメ、これは世に出しちゃダメ。

 

 (ここからは少し冷静を装って書きますが)とにかくヤベェものが出てきました。もう、完全に語彙を喪失しているし、この作品の持つ鬼気を表現する言葉は一切持ち合わせていないので感想としても何の役にも立たない文書になってしまうのだが、こればかりはしょうがない。私が言葉を費やして説明できるようなものであるなら、それはまだ想像の枠内ということなのだから。だが、この作品はそんな領域に無い。マジで「作ったらあかんやつ」だと思った。それくらいに、一撃が重すぎる。

 

 

  <この辺りから一応ネタバレ(?)OKにするので未視聴の方は注意>

 




 

 

 まず、最初にとんでもなく個人的なことから書いておくのだけど、今回の文章ではメインの2人のことを何の迷いもなく「みぞれと希美」と書くことができる。本当にどうでもいいことだと思うのだが、実は「ユーフォ」2期の感想の時点で、私は希美のことは「希美」と記述していたのだが、みぞれのことは「鎧塚」としか書いていなかった。別に意図したものではないのだが、多分私の中で、彼女の人となりが最後まで理解できず、下の名前で呼べるほどの共感がなかったのだ。ユーフォ2期は素晴らしい作品なのは間違いないが、本編の感想でも書いていた通り、2年生編は落とし所がやや微妙だったので、そこだけは心残りであった。しかし、今作の完成を持って、鎧塚みぞれの人格は完成した。彼女の全てがここにあり、彼女は「みぞれ」になった。

 さらに、散々悪ふざけした後に訂正するのもナニだが、個人的には今作は「百合」の範疇に入るのかどうかがやや微妙なラインだとも思っている。ぶっちゃけ製作者本人が「みぞれと希美には末長く添い遂げて欲しい」とか言ってるんだから百合以外の何物でも無いのだが、個人的に考える百合的テーマ性とは若干ずれている気がするのだ。おそらく、中心となる感情が「情愛」なのかどうかが微妙だからだろう。彼女たちの青臭い感情がここまで鋭く、その全てを叩きつけるようなものになっているのは、おそらく2人とも自分の持っている感情にまだ名前をつけられていないためだ。描かれなかった「未来」に何が起こるかはわからないが、彼女たちの感情は、最終的に「情愛」には至らないのではないか、というのが私の見解である。故に、本作は最終的には「百合作品」とは言い難く、あくまで「青春の痛みと友情の物語」である。

 

 まぁ、そんなこたぁ言葉遊びなのでどうでもいいのだが……。しかし、この2人が主人公の新作が作られますよ、という情報だけを聞いて、こんな作品になると思ったファンはどれくらいいただろうか。せっかくアニメ2期で仲直りをして幸せな進級を迎えた2人なのだからそのまま楽しく部活をやり、そのまま金賞でも何でもゲットして卒業する素敵な話でも誰も文句は無かったと思うのだが、やはり、アニメ2期では顔が見えてこなかった鎧塚みぞれという人物を描くためには、そんなお為ごかしのドラマで片付けるわけにはいかなかった。彼女はあまりに深い因縁を抱えてしまった希美に対して、はっきりと決着をつける必要があったのだ。今回のお話が描かれたことで、みぞれは進路を決めただけでなく、人間としての存在感を得るに至ったのである。

 本作の見どころはぶっちゃけ「全部」なので解体作業は徒労でしかないのだが、個人的にどうしても無視できないポイントだけを何とか手短に(出来るだけ、出来るだけ)まとめていきたい。まず、骨子となるドラマ部分が本当に辛くて、ひどくて、アツくて、尊い。ものすごく平板に書いてしまえば「才能の塊であるみぞれに対し、主導権を握っていると思われていた希美はいつのまにか嫉妬を抱くようになり、思いのすれ違いからギクシャクするよ」という話。これだけを見れば陳腐であるし、こうした醜い感情を乗り越えるお話という括りなら、奇しくも直近に現れていた「よりもい」のめぐっちゃん・キマリの物語にも繋がる部分がある。みぞれたちが「よりもい」の2人と決定的に違っているのは、みぞれの方が盲信とも言える一方的な信頼と愛情を希美に対して寄せていたということである。これによって感情を押し付けられた希美が精神的に窮して二人の関係が破綻するも、最終的には「リズと青い鳥」のお話にかこつけて無事にみぞれが独り立ちできるようになりましたね、めでたしめでたし、というお話である。

 このような見方ももちろん間違いではないが、本作の構造的な技巧はそんな単純なものでは無い。最大の焦点となるのは、やはり「最終的に、二人は決して互いをわかり合ってはいない」というあまりにも現実に即したリアルな着地点であろう。結局、希美はみぞれという人間を理解するには至っていないし、そんな希美の葛藤を、みぞれが全て受け止めたわけでも無い(受け止める意味もない)。しかし2人は、高校3年生ができる最大限の努力でもって、互いの良好な関係を今後も続けていくための融和策を見出すに至った。そこには完璧な相互理解があるわけではなく、互いの身勝手を許すだけの「大人としての余裕」が生まれたというだけの話である。こんなにもダイレクトで、切実すぎる成長譚はなかなかお目にかかれない。

 こうした融和と「青い鳥」とのリンクも実に巧妙で、一見するとリズがみぞれ、鳥が希美であるように見えるのに、見方によってはこれが逆転するという趣向が物語のカタルシスとうまく結びついている。序盤〜中盤にかけて、相変わらず野放図な振る舞いを続ける希美の姿を見て「ホントひでぇ奴だよな」という感情が募っていく。次第に嫉妬を明確にし、みぞれが手を振ったのに無視をし始め、大好きのハグを拒否したあたりで、「こいつッ、最低やな!」という義憤ばかりが沸き起こりそうになるところなのだが、そこから一気に二人の関係性を示すツールがひっくり返り、それまで溜まりに溜まっていた希美のドロドロとした感情の濁流が、一気に押し寄せてくるのである。そんな希美に気づいたみぞれ。そんな自分を叩きつけられた希美。2人が新たな世界を開き、勇気を持って「次の世界」へと足を踏み出す決心に至るクライマックスの演奏シーンは「ユーフォ」で培った「演奏での語り」が最高の形で結実したとんでもないシーンになっており、とにかくあらゆる感情が怒涛のように押し寄せて止まらない。自分の未来を切り開くというみぞれの決心、結果的に背中を押す形になった希美への感謝、それを受けて自分のあまりの弱さに愕然とした希美、それでも親友の成長を見せられたことへの隠せぬ喜び、そして、飛び立つ「青い鳥」を見送る寂しさ。何故、人と人との繋がりにはこんなにもたくさんの想いがあるのだろう。

 こうした感情を紡いでいく作劇はすべて山田尚子監督本人のコンテによるものだが、本当に偏執的な画作りが貫かれており、2人の感情劇だけを生み出すためにほとんどカメラワークで動きを作る部分がないのが恐ろしい。どこまでも静的に、徹底してその所作に現れる感情だけを切り取っている。緊張感を保ち続けるハイカロリーなコンテワークの中から個人的にたまらなかったポイントを1つだけあげるとするなら、今作はとにかく「足踏み」に注目してもらいたいというところ。何しろ、冒頭は2人が校門で合流して音楽室に入るまでの「移動」だけで10分近く費やすというとんでもない構成になっている。女子高生2人ができる行動なんて、そりゃ「歩く」と「話す」(あと「演奏する」)くらいわけで、徹底してその「歩く」に意味を乗せまくっている。冒頭の登校シーンなら、みぞれは黙って希美の後に続き、その歩調、足音の響きまでを完全に重ね合わせている。希美のしゃんと伸びた背筋と対比的なちょっとうつむきがちなみぞれの姿勢にも要注目。そこから後半に移ると、2人の「歩み」はそれぞれに違う音を奏で始めるようになり、象徴的なシーンでは図書室で左右に歩みが分かれるカットがあるし、最後に下校するときには前後の関係性こそ変わらないものの、模式的にはみぞれが「上」で希美が「下」。2人の関係に上下などあるはずもないのだが、これまでのみぞれとは全く異なる精神性を表示するものになっている。そしてラストシーン、ハッピーアイスクリームを契機に、ほんとのほんとの最後のパートで二人の足が向いている方向は、全く揃っていないのである。「お互いに違うことがわかる」というこのエンディングの持つ含意は、強烈に本作のテーマ性を裏打ちしているもののように思われる。

 他にも映像部分では細かいキャラクターデザインの違いなんかも注目したいけど……これ、書いてると本当にキリがなくなるな。何しろ「ユーフォ」とのデザイン性の違いから考え始めなきゃいけないわけで……まぁ、その辺は多分みんな似たような感想になるから端折っていいかな。個人的にはこっちのバージョンの中川先輩が好きかもしれない。大正義すぎる中川先輩と、神正義すぎる優子。胃が空っぽの状態で摂取すると確実に有害なレベルのみぞれ×希美の関係性を緩和するために摂取できる中×吉の甘いこと甘いこと。多分この2人でスピンオフ作ったらそれはそれでとんでもない作品になるやろな。あとは印象的だったのは事あるごとにズームが寄っていた希美の「眼」の部分かな。アニメではなかなかそういう部分には筆を割かないのだが、彼女の眼は「眼球が丸い」ということをはっきりと意識させるように、横から見ると立体感がある。どこか虚ろな印象だったみぞれの視線との対比がはっきり出ている部分だろう。

 他にも音響部分が凄まじいっていう話もしなきゃいけないんですけど……。とりあえず代表して、クライマックスになった演奏シーンの希美の息遣いのところだけでも。あれはヤバい。なんでそんなところにまで音響で調整が入るんだ。こだわりが臨場感につながるので過呼吸を引き起こしそうなくらいに感情が溢れ出してきてヤバい。

 他にももっともっとたくさんあるんですよ、元祖コミュ障キング高坂麗奈さんとコミュ障将軍みぞれさんの直接対決シーンの「高坂ァ!」感とか、そのあとにみぞれが思わず口にした「特別なんだ」っていう言葉の意味とか、これまでのシリーズを見てきたことによるご褒美というか、暴力というか。こんなもん見せられて、終了後にすぐに立ち上がれるわけがないんだ。

 

 

 とりあえず現時点ではこれくらいにしておきます。もう一回観に行ったら下手したらもう一回何か書くかもしれん。

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