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最近のアニメや声優、Magicに対する個人的な鬱憤を晴らすためのメモ程度のブログ。
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 コンテがあおきえいかよ! 第6話! いやぁ……胃の腑がえぐられるような凄まじいお話だった。原作の時点でこんなとんでもない閉塞感と絶望感を与えるシナリオだったっけ……。いかに俺が漫画という媒体を適当に読んでるかってことがわかる経験だった。いや、ちょっと、助けて。

 今作で描こうとしているのは「好きになるとはどういうことなのか」という実に面倒臭いテーマ。そんなもん簡単に説明できるはずもないのだが、1つの試案として導入されたのが、「人を好きになるなんて感覚が分からない」とのたまう侑である。そんな侑が相対するのは、これまた厄介の塊のような人間、燈子。この二人のわがまま勝手な恋暴走が、あの手この手で容赦無く叩きつけられてくる。誰の、どんな恋愛だって、必ず他者を巻き込むものである。それが恋愛という感情の究極の面倒臭さだ。相手が存在して、そこにこれまでの自己との折り合いをどのよう見出していくか。それこそが思春期の恋愛であり、成長である。そして、まだまだ青臭い女子高生2人は、そんな成長の痛みに戸惑い、もがき苦しむのである。

 まずは侑の言い分から。サブタイトルは「言葉は閉じ込めて」。すっかり燈子との関係も定着したと思い込み、奇妙な安定を感じていた侑だったが、劇の脚本を巡る一件でそれが大きく揺さぶられる。その尖兵となった最大の脅威は泣く子も黙る副会長、佐伯沙耶香。すでに燈子が尋常ならざる状態(恋愛?)に突入していることは感じ取っている沙耶香。彼女はそんな燈子の安寧を守るため、ノイズとなる侑に直接圧をかけに来た。別に排除を望むわけではない。はっきりと彼女が燈子と侑の関係に気づいたかどうかも定かではない。しかし、少なくとも現時点で侑が「燈子にとってプラスにならないこと」を考えているかもしれないというくらいは察知できる。「甘く見るな」とドスを効かせる沙耶香。ここでわざわざ画面の構図が90度回転し、沙耶香が文字通りに「マウントを取った」ことがよくわかるようになっている。その一言が、侑の心臓を握りつぶす。「貴様ごときが燈子の何を分かっているというのか。知った風な口をきくな若造」と、人生の先輩ははっきり恫喝してきているのである。侑も聡い娘であるから、その意味するところはすぐに察知し、自分に足りないものを補うための調査に赴く。果たしてそこまでが沙耶香の狙い通りであるかを考える余裕はないだろう。

 明かされる燈子と姉の関係性。現在の燈子を形作っているのは間違いなく姉の幻影であり、そのことが、これまで侑が見て来たいびつな燈子を生み出していたのだと判明する。自分の知らない燈子がまだ存在していたこと、そして、それが「自分の望む燈子像ではないこと」に、侑は反発を覚える。他人のために背伸びをし、望まぬ仮面すらまとう燈子の姿は、侑には理解が及ばぬ「歪み」にしか見えないのである。だからこそ侑は、わざわざ二人きりで話す機会を作り、「そんな姿を見せるな」と訴える。

 ここで、侑の抱えていた自己矛盾がはっきりと形を成す。侑自身は気づいていないが、「好きになりたい」という感情は「好き」と区別し難いものである。自分はすでに、燈子のことを特別だと感じている。この人なら好きになれる、この人しか好きになれない。その感情は、すでに恋愛の範疇であろう。しかし、未だ漠然と「自分は好きが分からないはずだ」と信じる侑にとって、その感情は恋愛ではないのである。「自分の知らない部分を隠し持っていた燈子」「自分以外の誰かのために何かを演じ続ける燈子」。それを解放したいと望むのは、あくまで燈子自身を呪縛から救い、正常な状態に戻すため。決して、「自分がそんな燈子を好きじゃないから」などという自己中心的な欲求から出た想いではない。侑の欺瞞はそんな理屈を訴える。あくまでも、「言葉は閉じ込めて」。

 しかし、そんな侑のエゴを叩き伏せるように、燈子は真実を突きつける。「自分を演じている」という状態は、間違いなく自分で選択した自分。それを侑に否定される謂れなどなく、これまでの人生全てを否定されるようなもの。その感情を一言で表すならば、「死んでも言われたくない」である。侑のことは好きだ。それは間違いない。しかし、そのことと「自分が侑の思い通りになること」は話が違う。好きという感情も大切だが、もし今の自分が侑の望む姿と違うとしても、貫かねばならないものはある。相容れぬのならば、その時は侑を諦めるしかない。燈子の人生にはその覚悟がある。

 二人の見たい未来がずれた。いわば初めての痴話喧嘩。夕焼けに染まる川べりのシーンからは、画面の構図が徹底して「断絶」と「対峙」を描き続けている。燈子の頭の後ろにカメラを置いてぐるりと回したシーンが象徴的だが、侑の言葉を聞いたところから、燈子の貫くべき信念(侑の望みとは相対する人生)がはっきりと示される。二人を寸断するのは橋脚であり、水流であり、夕日に生み出された光と陰である。まだらに淀んだ景色の中、「たそ彼」の曖昧な感情が二人を惑わせる。ここに来てついに、侑は思い知らされるのだ。自分が勝手に想像していた「好き」という感情がなんと安易なものだったのかと。自分が持ちたいと思っていた「好き」。燈子が自分に対して持っていると想定していた「好き」。そのどちらも、現実でははるかに複雑で、一筋縄ではいかぬものだったのだ。自分が「好きになりたいと思っている」燈子が断絶の向こうへと渡ってしまう。そのことに焦って、侑は初めて、他者に対して必死になった。初志を曲げてでも、引き止めずにはいられなかった。ここまでして他者を望むその欲求を、「恋愛」といわずして、一体なんと呼べばいいというのか。

 こうして侑が一歩進んだことによって、とりあえず、二人の「断絶と対峙」は終りを告げる。緊迫感溢れる構図がようやく終わり、手を繋いで帰るカットからはこれまで通りの「並立」に戻った。これで一安心かと思いきや……今度は燈子の方の欺瞞と倒錯が浮き彫りになる。

 彼女の人生は、姉の現し身を望まれるものだった。幼い頃からそれを正しいこととして、さらには自分の望みとして実現させて来た燈子。しかし、そんな他者とのありようが、果たして正常なものなのかどうか、燈子自身も分からなくなっているのかもしれない。「こんな風な君が好き」という感情は、「そうじゃなくなったら好きじゃなくなるということ」だと欺瞞を説く燈子。侑に惚れ込んだのも、彼女が自分のことを「こんな風」ではなくただありのままで見てくれるからだという。しかし、彼女は気づいている。少しずつ侑が変質し、距離が着実に縮んでいるということを。この先、侑は「どんな自分」を好きになってしまうか分からない。もし侑が自分を好きだと言い始めたら、それを受け止められるかわからない。今の「何も望まれない」状態が一番良いと信じるからこそ、燈子は必死に「私のことを好きにならないで」と念じている。

 しかし、彼女は気づいているのだろうか。「自分のことを好きにならない、そんな侑が好き」という感情も、自分が唾棄した「好き」の形であるということに。「もし、侑が私のことを好きになったら、私は侑を好きでいられるのか」。どこまで行っても、ただひたすら想いはエゴへと帰結する。だからこそ彼女は、現状を維持し続けるために、「言葉で閉じ込める」。侑が今の侑であり続けてくれれば、自分もそのままでいられるのだ。なんとも歪で、なんとも身勝手な2人の想いの形。恋は盲目とはよくいうが、さて、恋に至らぬこの想いは、一体何が見えているのやら。

 それにしても、それにしてもである。蛇足を承知で相変わらず書かせてもらうが……美菜子……すげぇ……。「死んでも言われたくない」の一言の落とし方で、過呼吸になるかと思った。これまで描かれて来た燈子の人物像は、どこか弱さとか柔らかさを持った声だったわけだが、ここに来てステージが1つ上がった燈子の場合、そんな弱さを残しながら、それでも一歩も後ろには下がらないという圧倒的な意思の裏付けが垣間見える。このキャラクターの重さ、どこまで支えられるかが役者の本懐だよなぁ……。凄まじかったです。

 

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