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最近のアニメや声優、Magicに対する個人的な鬱憤を晴らすためのメモ程度のブログ。
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 観てきました。現時点でも色々と視聴したい映画の選択肢はあるのだけど、とりあえず上映本数が多くて時間調整がしやすかったこの作品から。散々いろんな映画の前に予告を流されまくったので、「これって映画によくある、クライマックスとかいいシーンは全部観ちゃってるから本番でそんなに盛り上がらないパターンでは……」って心配してたんだけど、流石にそんなことなかったね。うむうむ、良い作品だったと思いますよ。個人的には(もうあんまり詳細は覚えてないけど)「ここさけ」よりも第一印象が良かった気がしますね。「あのはな」とは単純に比較できないんで判断できないけど。視聴中にボロボロ泣くなんてことは特に無い映画なんだけど、今回はそうして露骨に「泣かせ」の方向に切り込んでおらず、じわっと観ていて満たされるような、そんな不思議な映画になっています。なお、念のために警告しておくと、「無駄に歳を重ねたけど何者にもなれないお前たち」には余計なところでザクザク刺さって致命傷になる可能性があるので気をつけましょう。だいたい青春の痛みとかを書いてる作品っておっさんに優しくないんや……。この映画を観て死にたくなるような大人にはなっちゃダメだぞ。おじさんとの約束だ(おじさんは爆裂四散して死ぬ)。ちくしょう、岡田麿里の奴め……。

 

 

<以下、一応ネタバレ注意的なやつ>

 




 

 さて、「手触りが良かった」とは書いたものの、何がどう良かったのかを具体的に記述するのが難しい作品。これが「超絶作画でアクションがドーン!」とか「萌えのてんこ盛りでエンドレスで心拍数上がりまくり!」とかならいかにも劇場作品らしくて話が早いのだが、今作にはそうした分かりやすく刺激的なセールスポイントは乏しい。まぁ、「ここさけ」の時点で分かっちゃいることだが、あくまで劇場作品として作られている目的は、「尺がそういう時間にぴったり来るし、シリーズアニメとは違った方向性で1本の完成品を提出したいから」というのが最大の要因だろう。100分で見せられるドラマとしては、今作は非常にまとまっており、かなり手堅い印象。

 そう、「観やすい」っていうのはやっぱりこのスタッフの武器の1つだと思うのよね。最近の劇場作品と比較すると、例えば「HELLO WORLD」もそうだし「天気の子」なんて最たるものだろうが、劇場の大スクリーンが前提になるのでとにかく画面に現れるオブジェクトの量が増加し、情報量が増し増しである。その詰め込んだ「贅沢さ」が劇場版の売りと言われればそうに違いないのだが、やっぱり観ている方はかなりの労働をしいられるんですよね。ことに1回1回金払って長時間拘束される劇場作品の場合、「もう一回観ないと要素を拾いきれない!」というのは嬉しくもあり、悩ましくもある方向性。まぁ、新海誠とか今敏みたいなクリエイターって、「情報量が多い」という情報自体を盛り込もうとして作品をデザインするので、そうした情報の海に溺れることそのものを快楽につなげている傾向はあるんだけど。

 その点、生粋の「アニメ監督」として立脚する長井さんの演出方向は分かりやすい。そして脚本の岡田麿里の作劇はそれにも増して分かりやすい。まぁ、単純に私がこの人たちの演出方向に慣れて、それゆえに理解しやすいだけという可能性もあるが……、本当に、1つ1つの画面で打ち出される「画」の見せ方が親切というか、シンプルというか。1つの要素に焦点を絞り込んで「さぁ、この画面で視聴者に見せたいのはこの要素だから、ちゃんとそこに注目してくださいね」っていうのがトントンとつながっていく。もともと情報の捨象こそがアニメの本質だと私は考えているので、このある意味「当たり前」の作劇はとても目に馴染むし脳にしみるのである。もちろんそれは作劇をサボるってことじゃなく、描くべきものを絞り込んでいるからこそ、その見せ方で「楽ができない」ということでもある。例えば「このシーンでは目玉スターズのほくろが見えない描かれ方だったけど、こっちは見えるでしょ? そういうことだよ」とか、「今あか姉の話をしてるついでに、手元のメトロノームを止めたよ。その意味を考えてね」とか。とにかく画面に乗っている情報を丁寧に拾っていけばシーンごとに「見え」が深まっていくので、視聴者側の感覚として「気持ちいい」という印象になるのだろう。

 種々ある演出の中で個人的になんだか妙にツボったのが、「キャラクターが走り出す時に、何故か一回止まる」という作劇である。そこだけ狙いがはっきりと見えなかったのがちょい悔しいが、かなり数が多かったのでおそらく相当意図的にやっている。劇場アニメの花形シーンの1つに「主人公が爆走」っていうのがあると思うのだが、今作でも少年少女が走る走る。いや、最終的に飛ぶんだけど、ぶっちゃけあの飛ぶシーンは個人的には不要だった気もするんだよね。「天気の子」と被るし、あそこだけ「ファンタジーレベル」が桁違いにあがるからなんか浮くし……まぁ、「映画的に分かりやすいクライマックスを」ってんで用意されてたんだろうが、しんのが壁をぶち破った時点で既にカタルシスは得られていたので、あそこはちょい鼻につく部分ではあった。綺麗なのは間違いないんだけどね。……違う、その話じゃなくて「走る前に止まる」の話だ。覚えているシーンだけでも、「雨の中を駆け出そうとしたあおいがしんのに呼び止められて一回止まる」(「泣いてねーし、雨だし!」)、「フライングあおいたちを追いかけようとした慎之介が写真を拾うために引き返す」、そして一番印象的だったのは「あか姉に心にもないことを叫んだあおいが家から飛び出す」シーンで、ここではバーン!と家を飛び出す展開が普通だと思うのだが、玄関を出た直後に、ちゃんと靴を履き直すために一度かがみこんでかかとをいじるのである。このあたりのワンテンポずらした「走る前の逡巡」みたいなものが多数描かれていたのは、今作における「出ていくの? 怖いの?」という冒険への恐れみたいなものが現れてる部分なのかなぁ、とかぼんやり考えてみたり。

 やはり長井監督の心情芝居というのは本当に丁寧で、その他にも細かく動作の「溜め」を見せる演出で様々な感情を滲ませてくれるのがいちいち染みる。あと、すげぇ即物的な話で申し訳ないが、今回は「ここさけ」なんかに比べると作中のキャラの善人度が高く、岡田麿里脚本特有の「理不尽なしわ寄せ」要素が少ない。つまり全編通してあまり暗澹たる気持ちにならずにまっすぐに「空の青さ」を考えることが可能になっており、精神衛生上もかなり晴れがましい作品になっていると言える(めんまに近いポジションのしんのが消える時に何一つ悲壮感がなかったことなんかからもう作品の狙っている方向性がうかがえるだろう)。もちろん「ここさけ」の延々沈み込むような画面の暗さにも意味があるのだから良い悪いの問題ではないのだが、今作の持つ徹底した「救われる」物語はヒーリング効果も大きかったですね。いや、おっちゃんは傷つけられたけどな。まぁ、こればっかりは「大人が正論言っただけで傷つかないでください」と言われたらそれまでである。社会って、怖いじゃん。岡田麿里の描く鬱屈ってやたらと共感できるものが多いせいで、そこからの脱却を描かれるとなんともかんとも……。

 否、今回描かれるのは「脱却」だけではない。ぶっちゃけ、そこんところが今作を観ていく上で一番悩ましい部分ではあるのだが、個人的に「どう処理したらええねん」とズブズブ沈んでいったのが、今作におけるあか姉の存在である。というか、今作はあか姉の世界を描いた物語なのである。一見すると主人公はあおいのように思えるし、奇妙な設定を与えられた慎之介だってキーパーソンには違いないが、結局この2人がグルグルと世界を駆け回っていたのは、その中心にあか姉がいたせいだ。彼女があおいの世界を作り、彼女が慎之介に行動原理を与えた。周りの誰もが皆あか姉のことを考え、彼女の人生の結末を追うために物語は進んでいく。作中で、あか姉はほとんど心中を顕にしない。作品のカメラがあか姉の目線に降りてくることはない。あくまでも慎之介から見た「人生を賭ける意味を持つもの」としてのあかねや、あおいから見た「圧倒的正しさを体現する」あかねが映し出されるだけ。それはつまり、この世界に置いて神の視座にあかねがいるということ。彼女が何をやっても善になり、彼女が否定されることもない。パンフレットのインタビュー記事で、スタッフは「最初は秩父を出るか出ないかでの物語だったんですが、散々お世話になった秩父を出ていくための田舎扱いするのは失礼だと思い直し、出て行かずに『地元もいいよ』っていう描写も残したんです」という趣旨のことが書かれていたが、視聴者目線からすれば、基本的に8:2くらいで秩父はクソ田舎である。あおいと慎之介という表に出てくるキャラが再三そう言っているのだから、少なくとも視聴中は「秩父を出て都会で一旗揚げる克己の物語やな……」と思っている。しかし、最終的にあおいは夢を翻して進学を選び、慎之介も無事にあかねと結婚することになる。まさにエンディングで描かれたのは「地元はいいな」の方向性。いや、でも冷静に考えろ、これって「秩父もいいな」じゃなくて「あか姉っていいな」だろ。結局、「神のお膝元である秩父」が良かったんだろう。田舎に残ることの意味を持ち上げようとしたら、うっかり1キャラクターが神になってしまっているのはなんとも珍妙な構図である。

 いやいや、私は別にこれが悪い事だと言ってるわけじゃないんだ。そうして奇妙な運命をどんどん放り込まれたおかげであか姉は神となり、そのキャラクターに充分な旨味と滋味が生まれた。そして、突然下世話な物言いに聞こえるかもしれないが、今作の女の子たちは誰もかれも、すこぶる魅力的で可愛いのである。というか、個人的に今作の一番いいところを挙げろと言われたら、多分「女の子が本当に切実なくらいに生きてて可愛い」というだろう。あか姉が突き抜けてしまったこともそうだが、その恩恵も相まって、やはりあおいは良いキャラになった。岡田麿里的方法論で構築された「イデア的女子高生」ではあるはずなのだが、なんだか細かい部分での所作や物言いにやたらと肉感というか、「生きてる感」がある。なんとなく口汚い物言いなんかは現代女子高生のイメージを補強するものであろうし、大元に「あか姉を解放するためにとにかく自分は家を出るんだ」という青臭い信念がありながらも、それを妨げる様々なちっちゃい悩みもかかえ持つ。それは女子高生としてはごくごく当たり前の状態であり、彼女が悩めば悩むほど、そしてイキればイキるほど、彼女の誠実な人柄が溢れ出てくるかのようである。

 そして、なんか知らんけど衣装の配置が絶妙で、……はっきり言えばエロい。これはあおいだけに限ったことではないが、特にあおいの場合は自宅でだらけている時の緩みきった部屋着なんかも2〜3種類登場し、そのどれもが「あー、確かに部屋だとこういうかっこでダラダラしてるよねぇ……」っていう妙な実体感があるのだ。憧れのおねーちゃんのパンツを見せられていたツグくんが性癖を曲げずにまっすぐな青少年に育ってくれることを祈るばかりである。そして、こうした肉感のある女子高生が、時にまっすぐな恋をし、時におねーちゃんとダイレクトにいちゃいちゃする。くそぅ、この距離の近さはたまったもんじゃねぇや……しまいにゃ同級生の「またゆる」大滝さんまでどんどん可愛くなっていくからな。みんなで雪見だいふくを食べたいだけの人生だった。

 だいぶ感想が迷走してるけど、とりあえず今作の良さは「とにかくシンプルで見やすいテーマ設定と描写」「それをまっすぐやろうとしたらちゃんとエロくて可愛い女子高生が描けた」という結論。もちろん劇場作品だから映像部分にも不満はないしね。なんか、やたらと背景とかの自然物の描写に気合が入っていたのは秩父愛からくるものだったのだろうか。こんだけ克明に描かれたら聖地巡礼もしやすいやろなぁ。

 そうそう、最後にキャストの話。だいたい「芸能人キャストとかどうなのよ」的なことをブツブツいうことが多い私ですが、今作にはほぼ不満がない。一応あか姉については発声が気になるところがあったので改善の余地はあるが、それでもまぁ、あれだけ濃いあか姉のキャラが成立してたんだから文句をいうほどでもないだろう。そして特筆すべきはあおい役の若山詩音。ぶっちゃけ「上手い」と言っていいレベルだと思います。冒頭部分では「ショートヘアでギタリストのイキり気味女子高生ならCVは佐倉綾音で良かったのでは?」とか思考停止した印象からスタートしたのだが、その後話が進んでいくと、もういろんなところであおいの可愛らしさが刺さる刺さる。これはMVP級のお見事な仕事だと思います。

 つまり、ここまでの感想を最終的に総合すると、「とにかくあらゆる方向からあおいちゃんは完璧な女子高生だった」になる。多分、映画の感想としては甚だ問題があるが、しょうがないのだ、人間だもの。

 

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