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最近のアニメや声優、Magicに対する個人的な鬱憤を晴らすためのメモ程度のブログ。
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 ようやく観てきました。随分時間がかかってしまったことに関しては、表向きの理由は「割と忙しかった」とか「鬼滅フィーバーで劇場に入りづらかった」とか、色々とあることはあるんですが、ぶっちゃけ怖かったからです。それこそ「コロナが怖い」という身も蓋もない理由もあるので劇場が充分空いてから行こうと思っていたのは事実なんですが、それ以上に怖かったというのが、未だに、自分が京アニという会社について心の整理がついていないことが一番怖かったからです。

 「いい加減に立ち直れてるだろ」とは思われそうだし、実際、当時に比べればショックも薄れているのは事実なんでしょうけど、わたしゃ本当に心が弱い人間なのです。それこそ、まだまともに作品を観る自信が無いくらいには(せっかく買った「誓いのフィナーレ」のBDもまだ観られてません)。作品とそれ以外の事情は切り分けて観なきゃいけない、と思えば思うほどに余計なことを考えてしまうようになり、いざ作品を観た時に、作品の良し悪しを値踏みしようとする自分を、どう受け止めていいのかも分からない。我ながらややこしい奴だとは思うんですが、こればかりは生まれ持った性分だから仕方がない。正直言えば、こうして視聴後に文章をアウトプットし始めている現時点においても、まだ気持ちに整理がつけられるとは思ってない。でも、そこからでも少しずつ、立ち直って行かなければいけないという意識はある。新しい時代を見なければいけないという意識がある。だからこそ、ようやくの視聴と相成ったわけです。

 

<一応ネタバレ注意といえば注意>

 




 さて、今作については、ちょっと前に「外伝」も劇場公開され、そのクオリティの高さを不動のものであることを見せつけていた。ただ、思い返してみれば今作がテレビシリーズで放送を開始した時、私は「京アニ作品の中ではそこまででもない方」というジャッジを下していた。映像部分については文句の言いようもないものだったので不満点は主に脚本部分にあり、「キャラの心情が見えない」「ご都合主義のわかりやすいお涙頂戴である」と批判もしていた。風向きが変わったのはテレビシリーズ中盤以降であり、オムニバスで紡がれる1つ1つの「手紙」の物語の中に、ぐっとくるものが出てくるようになった。ラストで再び戦場に戻っちゃったヴァイオレットを見て「なんやねんそれ」ってんでまた肩透かしはくらったものの、物語の総体としては「これはこれで悪くなかったな」と割と満足できたし、そこからワンステップ重ねた「外伝」は素直に満足できる作品になっており、「ベタでもお約束でも、やはり描き方次第でいくらでも魅せられるものだ」と襟を正した次第である。

 そして今作。当然のことながら「泣かせる話」になっているのは間違いないわけで、こちらとしてもある程度の心構えをしながら、悪い言い方をすれば身構えながらの視聴になる。その上で、結果的には泣いて出てくるのである。やはり、着実に土台を積み重ねて作られた物語には厚みがある。

 奇妙な話だが、プロット自体はそこまで込み入った作品ではなく、本当に筋だけを追うような作りなら、140分という時間が3/4か、下手したら2/3くらいの時間でもまとめられるような内容である。メインとなる物語の筋は2つのパーツからなるが、それぞれのお話をサクサク刻めば、ユリスパートが1話分、ヴァイオレットのクライマックスが2話分で90分くらいだろうか。おそらく、そうした描き方も不可能ではなかったはず。だが、もちろん今作にはそんな選択は無く、それだけの物語に140分を費やすことで完成する作品である。わかりづらい比喩を用いるなら、薄い毛布を何枚も何枚も重ねてかけられるような、そんな作品。1つ1つの時間を追えばそれは大きな変化でもなく、心動くものではなかったはずが、いつしかそれが分厚い層となり、息も詰まるような重さでのしかかってくる。

 加えて、本作は京アニが誇る圧倒的美術作品の展示という意味もあり、とにかく1つ1つの画面を静止画で見せるような「鑑賞」の時間を費やす。船が蹴立てる波頭、雨に濡れる髪の毛、入り乱れた感情に歪む口元の皺の1本にまで、とにかく全霊で持って「画」を叩きつけてくる。スルッと流してくれれば目の前を通り過ぎるだけだったかもしれないそうした要素が、いつも以上にゆっくりと、執拗な時間の流れの中で次々と重ねられ、いつしか視聴者は身動きのできない感情の沼地へと沈められる。なるほど、この作劇は間違いなく京アニである。

 そうした「重さ」は絵の力であり、画の力であるが、これだけのメロドラマはわずかでも気恥ずかしさや後ろめたさが見えれば興が覚めてしまう恐れもあった。実際、私は割と序盤に少佐の生存がほぼ確定した時点で、「今作で少佐が生きているのは、あかんのちゃうか?」と相変わらずヒネた考えでちょっと眉間に皺が寄った。少佐との面会に踏み切れない社長の様子を見て「お前、そこはさっさとドアを蹴破ってでも二人を合わせないとダメやろ」とイライラもした。しかし、そうした懐疑も次第に霧散していく。それぞれのキャラクターの心情は、時を経て理解が及ぶものになっていくのである。ことに主人公・ヴァイオレットの持つ感情はとにかく強烈で、長い歴史を紡いだ立派なメインヒロインとして、数々のシーンを鮮やかに彩った。

 個人的に外せないシーンを3つあげさせてもらうと、1つは少佐の生存を聞いた時の驚きと歓喜の入り混じった、前にのめってしまう姿勢。大きな声を出すでもない、ただ天に祈りが届いたことへの忘我である。そして、いざ会いに行こうと決まった時の、何をしていいか分からなくてテンパっちゃう様子。「恥ずかしくないですか」って、もう、どうしたらいいんだこの子。そして問答無用のベストは、やはり海での再会シーン。言葉が出てこないヴァイオレットは「しょう、わた」とただひたすら言葉にならない言葉を漏らし続ける。台詞でもなんでもない、ただの感情の垂れ流し。その表情は、感情を失った武器としての彼女など一切思い出せなくなる、純然たる人間性の発露。そして終いには、彼女は動かない自分の足を鉄製の義手で必死に叩き始めるのである。きっと震えが止まらないのだろう。きっと思う通りに動かないのだろう。そんな自分の「身体」を、冷たく硬い「義手」でもって抑えて動かそうとする様子が、どうしようもないくらいに彼女の人生を体現するのである。

 ストーリー運びにしても、「手紙」と「電話」というわかりやすい2つのパーツの構造が鮮やかであった。ヴァイオレットの仕事は「手紙」であり、今作ではやはり最も印象的なツールとして機能する。しかし、ユリスパートでは意外なことに最後に頼った道具は「電話」。これは別に手紙の存在を否定するものではなく、ヴァイオレットを含む彼女たちの世界が、立ち止まらずに未来へと歩を進めていることの表れである。もちろん、その後には未来の情景を描いたデイジーのパートも用意されているし、クライマックスで少佐にとどめを刺したものも手紙。時代を超えても、きちんと手紙には役割があり、かけがえのないものであることを示す。この「手紙」→「電話」→「手紙」というツールの収束のさせ方は非常に理知的だ。最初は単なる傍観者としての役割だと思っていたデイジーのパートが、そうして歴史を刻んだヴァイオレットの人生をこの上なく崇高なものであると賛美する構造は、押し付けがましくもなく、自然なハッピーエンドを見せてくれるのである。

 作品とそれ以外は分けて考える、ということは百も承知であるし、これは私のような弱い人間の独りよがりな結論ではあるが、こうして過去のものにも大切な意味を持たせ、その上で先を目指して歩いていくという姿勢に、なんらかのメッセージを感じてしまうのである。そういう見方が、あっても良いと思うのだ。

 

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