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最近のアニメや声優、Magicに対する個人的な鬱憤を晴らすためのメモ程度のブログ。
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 ひとつの決着、最終話。アニメの最終回ってものは、何とも言えない寂寥感に襲われることもあるんですが、これの場合はなんだか全身の力が抜けるような、得も言われぬ達成感がありましたね。「終わった」ということが実感出来ることが、プラスに感じられるのは良いことです。

 全てに決着がついたわけではない。しかしそれは、これがゼロに至る物語であるため。次の世代、次の希望に向けた一時的な収束というのが、この作品の最初から決定されていたゴールである。おかげで、たとえば琴峰綺礼は次なる旅路への一歩を進めただけであるし、アインツベルンの血族には一切の救いの手はさしのべられていないだろう。セイバーの悲しみは癒えず、遠坂凜の悲願は芽生えたばかり。そして次なる世代の象徴たる衛宮士郎も、ようやくその夢を心に刻んだところ。まだ、何も始まっちゃいない。

 しかし、間違いなく「終わったのだ」ということが実感出来るのである。聖杯が退場し、全てをゆだねる願望機を失ったことにより、少なくとも衛宮切嗣の物語は完全に終幕した。士郎に対して「正義の味方を名乗るのは期限付きだ」と語ったことからも、彼の全ての夢は、文字通り夢のままで潰えてしまったことが分かる。物語の主人公としては何とも消化不良なようにも思えるが、切嗣の持つ「正義」は、既に完膚無きまでに破壊されてしまっている。彼は生きてこそいるが、既に主人公たる権限も、正義たる権限も失ってしまったのだ。そして、彼の持ち続けた歪んだ「正義」は、心ならずも「息子」に受け継がれることになるのである。後世の衛宮士郎の物語を知っている人間からすると、一度砕かれた「正義」が今一度奮い立った結果、またしても「衛宮」が逃れえぬ悲劇に身を落とすことになるのは何とも痛ましいことであるが、少なくとも、現時点において、切嗣の正義は「終わった」状態で動くことはない。それはある意味、幸せな結末と言えるのかもしれない。

 参加したマスターたちの中では一番希望が残されたウェイバーの新たな旅立ちが描かれ、更に、真逆の冥府に突き落とされた雁夜の結末も容赦無くしらされた。当然のことながら、聖杯戦争に参加した人間たちの人生は、冬木の大災害を境に大きく変化していくのは確実である。そして、新たな一歩を踏み出す中に、あの琴峰綺礼もいる。淀んだ聖杯によって生きながらえた「邪悪」は、ある意味ただ一人、何一つ変わらず、変えられずに次のステージに歩を進めた人間といえる。新たな目標を掲げ、次なる世代を見据えて凜に遠坂の家督を継がせるに至った。既に「愉悦」については自己理解が進んでいるようだが、彼が時臣を殺害したアゾット剣を実の娘に託すという何とも悪逆な行為に及んだのも、特に意味など無く、単に面白半分だったのだろうか。

 全ては「始まり」へ、という構造は、最終話となった今回で徹底的にこだわって描かれており、これまでずっとサブタイトルで時を刻んできたカウンターがついに0に至ったこともそうであるし、うちひしがれるセイバーが嗚咽しくずおれるのと同時に、彼女が次代で再び顕現するステージとなる衛宮家の倉庫の改修が描写されたのもその一環。また、最後に流れる「オープニング」テーマが「To the beginning」であるというのも実に示唆的である。

 こうしてひとつの「終わり」として見ていると、やはり一番やるせないのはセイバーの結末だ。様々な英雄達によって振り回され、揺さぶられた1人の女性の物語は、ここでは「悲劇」として幕を閉じている。何一つ願いを果たせなかったセイバーは、現世で最も信頼を寄せていたアイリの残した唯一の証であるはずの聖杯を自ら断ち切るという、どうしようもない幕切れを強要された。後に残されたのは、切嗣との確執、ランスロットとの遺恨。セイバー自身は「自分が王であるべきではなかった」と悔悟しかしておらず、ランスロットが最後に残した言葉の一部しか受け止められていない。彼女は本当に「正しく」「王である」はずの人生を歩んできたというのに、最も誇るべき本人がそのことを全て悔いているという、本当に救いようのない状態。彼女の時代を超えた戦いは次の物語で決着を迎えることになるので、ここでは致し方ないこととはいえ、何ともやるせない結末であった。最後に彼女にさした光明、衛宮士郎という新たなマスターとの物語は、改めて彼女を応援しながら見守りたいものである。

 色々と見どころが多く、まだまだ「終わった」と言うのに時間がかかりそうなお話ではあったが、何一つ思い残すこともないのも事実だ。ひとまずは、長きに渡ってこの見事な作品を作り続けてきたスタッフの方々にお疲れ様と。

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 続けてまだまだクライマックス、第24話。その荘厳さ、華々しさが際だった23話に比べると、こちらは何とも理屈っぽいお話。だが、その幕開けを飾る2つの戦いは、もうこれでこの作品も終わるのか、というちょっとした寂しさも吹き飛ばす、実に愉快なものであった。

 切嗣と綺礼、よくみりゃ実に似ている2人の男。その対決は、これまでの英霊達の派手なバトルと比べれば地味な格闘戦のはずなのだが、お互いに自分の手の内と相手の力量を読み切った上で、全然違う2つの思惑、2つの人格がぶつかり合う様子がエキサイティング。正直、一体何がどう転がって決着がついたのかはよく分からん部分もあるのだが、ここまで来てそれを言うのも野暮ってもんだろう。最強戦力と最強戦力がぶつかったら、とにかく何かすごいことが起こるのである。アホな感想だが、そういや「刀語」の右衛門左衛門対七花の時もそんな感想だった気がする(奇しくも片方の中の人が一緒だったりする)。

 そして、23話から跨いで展開されたセイバーVSバーサーカーの因縁の対決は、ここで描かれた3局の戦いの中では一番見ていて面白いもの。バーサーカーの無茶な能力設定は正直あんまり活かせてない気もしたのだが、多分、マスターである雁夜さんがあんな状態になってたせいで限界が来てたんだろう。相変わらずの豆腐メンタルのセイバーが正体を見てショックを受けていたにも関わらず、最終的には真っ向勝負の剣対剣で敗れる結果に。それでも、途中でのいきなりマシンガンな展開とか、セイバーが近くにある車をひっくり返して盾にして突っ込むシーンなんかは「もう何でもありや!」というけれん味たっぷりの壮絶バトル。ようやくセイバーがセイバーらしい活躍を見せたのだから、相手方を務めたバーサーカーも満足したのではなかろうか。まぁ、マスターは人知れずひっそりと死んじゃったけど……。

 2つの戦いが終わり、聖杯は動き出した。その禍々しい正体はあくまでもアイリの姿を取り、更に精神世界で切嗣に「答え」を提供する段になると、今度は切嗣自身の声を使った。衛宮切嗣という男の理想がいかに歪んだものであるか、そして、それをかなえる聖杯が、いかに歪んだ存在であるか。いざ手に入れてみたところで幻滅するなんてことは何かの賞品にはよくあることなのかもしれないが、あまりに純粋に夢を見すぎていただけに、切嗣の失望は想像することも出来ない。どこまでも冷徹に振る舞っていたはずの男が、結局最後には一番の理想論者だったというのは、何とも皮肉の効いたオチである。

 聖杯によって提示された答え(というか解決案?)とその説明は、やはり何度聞いてもどこか馬鹿げていて、子供の考えた理想論をそのまま形にしたような、なんだかこの作品の空気に不釣り合いな印象を抱く。今回の船の例えだって、答えるのも馬鹿馬鹿しい部分もあるし、何か理不尽なことを言われたような状態になっていたが、どちらにしたって詭弁は詭弁。水掛け論をしているだけのこと。今更そんなことを言われたって、単なる言いがかりじゃないか、と思える程度のお話。しかし、結局そんな幼稚な話になるのも、切嗣の持っていた「理想」が幼稚だったことの裏返しでしかない。絶対に正しい正義なんてものがあるわけ無い。そんなことに目をつぶって見ないふりをしていたら、そりゃぁいびつな結果にもなろうというもの。

 ただ、それでも切嗣がかろうじて保てた矜恃は、土壇場に至ってもその幼稚な「願望」を捨てきらず、守ったことだろう。秤の針を振れさせないためにはどうしたらいいか。答えは簡単で、そこにものを載せなければいいだけの話。そんな答えに切嗣を導き、甘い夢でもって片をつけようとした聖杯の意志。そこに現れたイリヤとアイリを、切嗣は涙ながらにその手にかけた。どれだけ夢が打ち砕かれても、そこに残ったのは切嗣の意志だったようである。「素手で首を絞めて殺害する」という構図が以前の雁夜の行為と綺麗にオーバーラップするわけだが、あちらは完全に激情に任せての行為で、錯乱の果てに前後の脈絡が繋がらず、一番「自分がやってはいけないこと」をやった結果。切嗣の場合は、最後の最後まで「自分がしなければならないこと」をやった結果。そう考えれば、まだ切嗣の夢の方が救いはあったのか。

 最後に残されたのは、既にマスターたちの意志を完全に離れた2人のサーヴァント。相変わらず自由気侭なアーチャーに迫られる、拠り所の無いセイバー。バーサーカー戦で彼女は身体に傷を負ったが、より深刻なのは、彼女の生涯を否定する形で現れたかつての臣下・盟友の存在。かつて聖杯問答でライダーに諭された彼女の「未熟さ」は、結局聖杯を眼前にしたこの時まで影を落とし続けたのだ。

 聖杯にすがるしかないサーヴァントと、聖杯に打ちのめされたマスター。どこまでも相容れずに来た2人の関係は、結局どうしようもない形で終わりを告げる。最初からゴールとしての「zero」が見えていた物語なのだから驚くべきことではないのだが、やはり一連の事件の積み重ねの果てにたどり着いたのがこの有様なのかと思うと、なんともやるせないものである。次回は宴の始末。どんな余韻が後に残ることになるやら。

 最後にやっぱり蛇足なんだけど……なんか、最近アイリの中の人が惨殺されることが多い気がするんだけど、大丈夫かな。首締められた時の声とか、マジで怖いんだよ。声優さんって、大変だなぁ(すごく今更)。

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 これぞ王道、第23話。ライダーの最期、その散り様は、最後の最後まで「王」の名にふさわしいものとなった。2話連続放送となった今回、はっきり言ってヘヴィー過ぎるが、何とか勢いで書いていきたい。

 まず1本目となる23話は、既に予想済み、というか答えは分かりきっていたライダーVSアーチャーの決着。2人とも雄々しき「王」には違いないが、全ての要素を取っ払って純粋な「武力」で比べた時、そこには差があることは明らかだった。そういう意味でこのエピソードには一切の番狂わせ無しに、やらなければいけないシナリオを片付けただけなのだが、それでもこれだけのもの。言葉も無い。

 ウェイバーとライダーの別れの一幕は、全てはウェイバーの胸の内に収束することになったわけだが、そこに至るまでの1つ1つが、全てライダーの道行きを示すために用意された花道だ。最後の一策を打ち砕かれたライダーがウェイバーを臣として全てを伝えるシーンは涙無しではみられない男の子の物語。最後にさりげなく、これまでの「坊主」ではなく、ちゃんと「ウェイバー」と名前を呼んでくれたのは、臣とはいうものの、全てを伝えきった無二の「友」への最大級の敬意の表れだろう。

 ライダーの威厳が際だてば際だつほど、その最期には悲壮感もある。武器を破られ、愛馬を裂かれて地に伏す。英霊として顕現した「征服王」は、「王」としての威厳をそがれ、「ライダー」という名を奪われ、最後には自らの足でひたすらに駆ける。そこに残っているのはただ1つ「イスカンダル」という夢に生きた男の足跡だけ。ギルガメッシュも、かの男の生き様には礼をつくし、残されたたった1つの証拠たる「臣」にだけは背中を向けた。

 終わってみれば、ただ1つ弱いものが強いものに敗れたという結果が残っているだけではあるのだが、2人の王の忌憚のない対峙は、どちらにとっても最高の、生き様を示す大舞台となった。もう、このエピソードを見た後に残されるのはそれだけである。

 当然蛇足であるが、引き込まれつつも楽しかったのは、ライダーの独特の雄叫び声。なんと表記していいのか分からないがカタカナで書くと「ララララ」になるんだろうか。ああいう発生でr音を響かせて、しかもそれが滑稽でなくて勇ましさに繋がるっていうのは、多分初めて聞いた。大塚明夫もライダーという男を演りたいだけ演じきって満足したことだろう。

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 終わりに向かおう、第22話。ラストスパートにあたり、全てのキャラクターたちまでもが終わりを感じている世界。たどり着くのは誰の未来か。

 凄絶なサブタイトルだが、今回はこれまでの数話に比べれば表立った動きは多くなく、毎話毎話死人が出ていた流れも、聖杯の器たるアイリが事切れたことで1つの結末を迎えたようにみえる。切嗣・綺礼・ウェイバーがそれぞれ最期の決戦へと襟を正し、与えられた決戦の場へと向かう、それだけのエピソードではある。しかし、3局の決意を描くその中心には、「願望」という大きなテーマが与えられている。

 「野望」「願望」というテーマを与えられるとき、最もはっきりしているのは当然衛宮切嗣である。不遇な生い立ちと救いようのない人生観によって、彼の内面は既に野望で充ち満ちている。そのために父親を殺し、ナタリアを殺し、道具として舞弥を殺した。そして今回、間接的にとはいえアイリをも失い、彼は心通わぬサーバントのみを連れて、また孤高の世界に残されることになる。そのような苦境に陥れられてなお、彼には満たすべき野望がある。そのことについては、彼は1つたりとも迷ったりしない。最後の最後までその志を折らずにいるマスターを見て、セイバーは何を感じたのだろうか。

 そんな切嗣の対極として描かれたのが、自身をして「空虚である」と言わしめる琴峰綺礼。英雄王に与えられた彼なりの「愉悦」であるところの探求心でもって、彼はようやく、アイリを通じ切嗣の深奥へとコンタクトを取ることに成功する。どれほどの願望を抱えた男なのかと思った興味対象である衛宮切嗣の目標は、なんと「世界平和」であるという。全く理解の及ばぬその妄言を前に、彼の空っぽだった内面には少しずつ淀んだものがたまっていく。これまでの人生において自己を持たず、空虚であり続けた寒々しい己が人生と、愛に溢れ少しずつ完成されていた器としての切嗣。その結末が、願望を持たぬ空っぽの自分と、訳の分からない願望を抱く妄言家。こんな結末を、誰が理解したいだろう。歪んだ現実を前にして、彼を満たす「願望」は、この現状において、自分の空しさを際だたせる異端の存在である切嗣に「復讐」を果たすこと。初めて生まれた「願望」を持って、彼はようやく、自らの意志で人の命を奪うことになった。時臣を殺めた際に持ち合わせていた「打算」ではなく、今回アイリを手にかけたのは、「いらだち」という純粋な感情である。次第に満ち始めた綺礼の「願望」は、相変わらず切嗣の対極にある、小さな小さな、本当にくだらないものである。

 そして、そんな両極にある歪んだ2つの「願望」の間で、ついに「願望」を失ってしまったのが、ウェイバーである。元々、彼が聖杯戦争に飛び込んだ理由は、本当につまらない自尊心・自意識によるものだった。しかし、青臭いプライドは征服王との日常で少しずつ解き放たれ、気付けば彼の元の「願望」は既に失われていたのだろう。そして今回、彼のささやかな魔術は、一般人である養父にまで打ち破られていたことが判明する。心優しい老人は、ウェイバーの事情を尋ねることもせず、奇妙な来客として彼を歓迎することを選んでくれた。その心遣いはウェイバーにとってはありがたくも辛いものである。一体どれほど自分が脆弱な存在であるかを、痛感させられる結果になったのだ。また、収束しつつある命懸けの戦いを前に、老人は「命よりも大切なものなどありはしない」と諭す。意地で始めただけの聖杯戦争。確かにその先に、ウェイバーは命を賭してまで何を求めるというのか。清々しいまでに気高い「願望」を掲げ続ける愚直なライダーを前にして、彼は自らが場違いであることをここに来て痛感した。良き師に、良き友に巡り会い、彼は最も勇気ある「退場」を決断する。最後の決戦で彼の「親友」はどのような生き様を見せてくれるのか。少年に「願望」が生まれるのは、その全てを見届けたあとになるのだろう。

 出そろった駒、それぞれの「願望」。この決戦にどのような終止符が打たれるのか、刮目して待ちたい。

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 雁夜さん……………………第21話。散々理解してきたつもりではあったが、改めて確認しよう、このシナリオを書いた奴は、外道だ。

 2極の戦い。その「清々しさ」は全く逆の様相を呈している。綺礼によっていいように使われたバーサーカーが一芝居打ったため、予想以上に早く訪れたセイバーとライダーの直接対決。その幕は、まず壮絶なカーチェイスによって開けられた。高位の騎乗スキルを有するセイバーの手にかかれば、単車も弾丸を超える。もう、どう見てもこっちの方がクラスとしてはライダーじゃねぇか、という恐ろしいスピードで、空飛ぶライダー戦車に迫る。対するライダーは剛良く柔を制する、とばかりに力業で潰しにかかるが、そんな手で参るようなセイバーさんではない。結局追いつかれることになり、正面からの真っ向勝負に。流石にそうなってしまうと、セイバークラスとライダークラスでは勝負は明らかってことか。まぁ、ライダーさんは魔力供給が完璧でないっていうビハインドもあるし、最終兵器はアーチャー戦に取っておかねばならないという制限もあったので、この一敗は先の問答の意趣返し、ということで受けておかねばならないものだったのだろう。セイバーはセイバーで、真正面からぶつかり合ったライダーに、やはり人質を取るような卑怯な手管など無いことを悟り、双方納得ずくの状態で再びの休戦へ。命の取り合いの割になんだかなぁなぁで終わるのはどうかと思うが、今更セイバーにそれを言っても仕方あるまいな。「より質の悪い害悪」が潜んでいることはほぼ確定しているわけで、現時点でライダーを潰すのは得策ではない、という打算もあったのかもしれない。

 しかしまぁ、前半パートのカーチェイスシーンは凄まじいものだった。これぞufotable、というスタイリッシュかっとびアクションである。考えてみりゃ「バイクと空飛ぶものとの追いかけっこアクション活劇」って、ufotableの金字塔である「フタコイオルタナティブ」の1話目と同じシチュエーションだな。あれもすごかったが、今回は全く別ジャンルでやっぱりすごい。10年近く経つのにあの遺伝子はきっちり残っているものなのだなぁ。ちなみに「フタコイ」の時の中の人はイリヤとかアーチャーだ。恋太郎もすっかり金ぴかになって。

 閑話休題、もう1つのトピックは、そんな派手で分かりやすい対決を尻目に巻き起こる、ドブ臭い外道どもの饗宴。まず、水を得た魚のような活き活きとした表情が印象的な綺礼さんによる、雁夜さん引っかけ・どっきり大作戦。一応「琴峰教会のアンパイア役」っていう肩書きで近づいたってことでいいんだろうか。雁夜さんは時臣の名前を出されて冷静じゃなかったっていうのもあるんだろうけど、突然琴峰の人間(しかも元々アサシンのマスターだった奴)に妙な相談持ちかけられて不審に思わなかったんだろうか。しかも理由も聞かずに令呪使い潰してるし。前に命を助けられた恩義でも感じてるのかしら。でも、あのとき助けたのが綺礼だって知ってるのかしら?

 そんな綺礼さんに同じ臭いをかいで寄ってきたのが、妖怪ジジイ、臓硯。鬼畜対決は年の功でジジイに軍配があがったのだろうか。いや、正直どうでもいい対峙ではあるんだが。「どっちが上手に雁夜をいじめられるか勝負しようぜ!」って、小学生みたいな発想だよなぁ。まぁ、人間ってのは富も地位も飽いてしまうとどこかおかしくなるもんだとは思うが……この人、声のせいか妙に福本キャラっぽいイメージになっちゃうよね。くじ引き強いだろ、絶対。あんなジジイを見たら一気に興が冷めそうなもんだけど、この期に及んで綺礼さんはまだ楽しそうにしているのも本当にひどい。アーチャーさん、あんたがわざわざマスターを取り替えてまで見たかったものは、こんな外道劇場だったのか。

 というわけで、雁夜さんだ。一言で言うなら、完全にピエロでしかない。訳も分からないうちに綺礼の陰謀に荷担しており、その綺礼は最大の敵である臓硯の同類。そして唯一の報酬として提示された時臣との対決は永久に叶わぬままに終わった。手に入れたのは、唯一の生きる意味であった最愛の人のぬぐえぬ怒り。失ったものは、それ以外の全て。既にみまかったケイネス先生も相当ひどい死に様だったが、彼の場合は一応「愛するソラウのために頑張った」という免罪符が与えられていたのだが、雁夜の場合、「目的」「義侠」を含めた全てを、生きながら剥奪されたのである。本当にどうしようもない。そして、このどうしようもない状況を作ったのは、基本的に雁夜自身なのがまた情けない。あの局面で、限界状態とはいえ、愛する葵に手をかける心理は、正直理解の及ぶものではない。結局彼は、情けない自分に対する負い目を背負い続けて生きてきただけで、「葵のため」「桜のため」というのは方便でしか無かったということなのだろう。だからこそ、葵に認められていないという事実を受け止めることが出来なかった。どこまでも哀れな男だ。

 そして、そんな雁夜の極限状態を演出するコンテワークがまた恐ろしい。放送コードの問題なんかもあるのかもしれないが、なんと、「黒」である。あの化物語の「黒齣」とはわけが違う、本当に何も無い、ただの黒い画面。それをストロボ風に止め絵で繋ぐことによって、これ以上無い状態で雁夜の独白の白々しさ、空しさを演出する。あおきえいは、よくもまぁこういう恐ろしいことが出来るもんだと思う。普通に描いてくれれば、まだ雁夜さんの必死の訴えを和らげることも出来ただろうに、「絵で描かない」ことで完全に逃げ道をふさいでしまうってのは……もう、これに関わってるスタッフもみんな鬼畜だ!

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 生き様色々、第19話。たった2話だったのに随分長かった気がする切嗣の過去世界から帰還し、久しぶりにこの聖杯戦争の地へと戻ってきた。そして、そこにあったのは、悲喜こもごもの新たな生き方。

 残された陣営はあと4つ。こっそり入れ替わったアーチャー陣営は今回なりを潜めており、あの綺礼が一体どこで何を企んでいるのかは分からないまま。ただ、あまりに突然の出来事に、他の陣営も一切そのトラブルを把握してはいなかった。館に残された血痕に、不自然な遠坂邸の様子。危険を顧みず飛び込んだ切嗣は全てを理解したようにみえる。やはり、琴峰綺礼はこの戦いに招いてはいけない人物だったようだ。

 久しぶりに登場したライダー陣営。豪放磊落、弱点など見あたらないかのように感じられるライダーだったが、やはりそこは等しく人である。先の戦いを通して、征服王も随分消耗していたらしい。そしてその理由は、ウェイバーのことを慮ってのことである。マスターを気取ってはいるが、やはりライダーから見ればウェイバーは息子みたいなものだ。遠慮のないつきあい方をしているように見えても、若輩者にはそれ相応の気遣いをしていた。ウェイバーも元々出来の悪い方ではないので、そのあたりの事情は分かっている。そして、自分のふがいなさにも気付いている。とにかくスタミナ、とにかく回復。自分に出来ることを精一杯やって、何とかライダーには万全の状態で戦って欲しい。ライダーも、そこまで言われてようやく、かの青びょうたんが自分なりに頑張っているのだ、ということを認める気にもなった。戦いも大詰めとなったこの段階で、重い腰をあげて自分の成すべきことに取りかかる。

 そしてすっかり忘れていたんだが、まだ生きていたバーサーカー陣営。いきなりの置鮎ボイスで一体誰なんだ、とマジで目が点になったのだが、そういやバーサーカーってそうだった。やったぜ初(まともな)台詞! しかし、バーサーカーの戦いにはライダー陣営のような気遣いも、セイバー陣営のような信念も、アーチャー陣営のような野心も無い。暴れるサーバントに、いいように運命に翻弄されるマスター。雁夜は本当にどこまで不幸になれば気がすむやら。仕方ない、愛するあの子を守るためだ。

 そして、今回大きく事態が動いたのは、しばらくの間過去への旅を続けていた切嗣が率いるセイバー陣営ということになる。アヴァロンの力をもってしても限界を迎えようとしているアイリ。彼女の短い人生は端から見れば幸せなど見あたらなかったようにも映るが、彼女はその人生を楽しんだと言う。そこには切嗣に対する気遣いも含まれるのだろうが、ほとんどは彼女の本心であったろう。切嗣のために、イリヤのために、自分が目的を果たして役に立てたなら、それは幸せであったと。何とも歪んだ人生観には違いないが、これもまた、小さな世界の味わい方なのかもしれない。

 そして、そんなアイリよりもさらに狭い世界に生きていたのが、久宇舞弥という人であった。ようやく明かされた彼女の人生は、冷たい言い方をするなら「何も無い」。彼女は気付いたときには何も持っておらず、逆に切嗣の「持ち物」となっていた。道具としての彼女の「用途」は、ただ切嗣を完成させること、切嗣の信念を完遂させること。そのためのひとつのパーツとして生きることに、何の疑問も感じていない。彼女がアイリに自分語りをする中で、一言たりとも「幸せ」や「感謝」という言葉は出てこなかった。切嗣に従って生きる今の人生は、彼女にとって「幸せ」なのか。切嗣が自分を見いだしたことに対して、彼女は「感謝」しているのか。それすら定かでない純粋な道具。しかし、そんな彼女にも最期は突然訪れる。また自分に近いところから命が失われてしまうことに涙をにじませ、一瞬でも「ケリィ」に戻りかけた切嗣に対し、舞弥は「そうではない」と軌道修正を促した。最後の最後まで、彼女は「衛宮切嗣」を作るための「機能」として生きた。その結果、切嗣から発せられた言葉は、「任務は終わった」である。用途が無くなった「道具」である彼女は、最後に「幸せ」と「感謝」を持ち合わせていたのだろうか。アイリの語る「幸せ」や、切嗣の持つ「大願」ともまた違った久宇舞弥の「自己」はどこにあったのか。わずかに切り取られた一幕だけでは想像する余地すら無いが、彼女の生き様もまた、衛宮切嗣のパーツとして埋め込まれたのは間違いないのだろう。

 固まりつつある切嗣の意志。それを十全に理解したとは言わずとも、それが叶うことを願うアイリの遺志。そして全く別方向から同じ願いに向かうセイバーと、そこに立ちふさがるライダーの威信。さて、次に散り行く生き様は、何処にあるのだろう。

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 ミラクル明乃回、第19話。今回ほとんど2人しかしゃべってないのよね。こういうときってキャストにものすごく負担がかかりそうで心配になる。力ちゃんと2人で延々芝居って……しんどかろうなぁ。

 というわけで過去編2回目。内容を一言で片付けると、「前回の天丼」である。衛宮切嗣という1人の人間形成を描くため、前回のエピソードでは父親殺しを、そして今回のエピソードでは「母親」殺しを描いた。その中心にある考え方は、以前セイバーとも真正面からぶつかった大命題である「全体のために個を犠牲にする」という彼の信条のお話。ランサー陣営との対決ではあまりに外道外道と誹られたわけだが、「これだけ凄惨な過去を背負ってるんだから、徹底しても仕方ないでしょう」というわけだ。脚本としては当然筋が通っている。

 もったいないな、と思ったのは、どうしても挿入エピソードなので人物同士のつながりが薄かった、ということ。前回の父親殺しの場合、切嗣が乗り越えるべきは「血のつながり」というファクターのみであった。実の父と言ってもそこまで心酔するような間柄でもなかったようだし、最愛のシャーレイを殺された恨みもあった。「父親殺し」については、ナタリアのいうような「心と体の分化」を要するような苦渋の決断があったようには見えなかったのだ。しかし、今回のナタリア殺しについては話が違う。ある程度の年月生活をともにし、尊敬する師であり、命を救った恩人であり、生活を支えた「母」でもあるナタリアをその手にかけるという行為は、より大きなハードルが存在していたのは間違いない。そして、そのハードルが大きければ大きいほど、切嗣の決意と信念は不動のものとなり、聖杯戦争に至る物語の厚みも出るというものだ。

 ただ、実際には我々視聴者にとって、彼とナタリアの生活はあまりに馴染みがない。おかげで、彼が嗚咽を漏らしながら遂行した「任務」は、今ひとつ心に迫るものとして見えなかったのは残念な部分である。まぁ、これ以上過去話に時間を割くわけにもいかないだろうから致し方ない部分ではあるのだが、出来ることなら、前回のエピソードとの重複もあるのだし、もう少し大きなドラマとして見せて欲しかったところである。

 まぁ、相変わらずこういう救いの無い話をやると上手いことは上手いんだけどね。話の途中で「あぁ、切嗣はナタリアを殺すんだ」というのは大体察しが付く部分で、そうなると当然わき上がる疑問が「わざわざそこまでする必要があったんかいな」ということなわけだが、よくよく2人の会話を聞いていると、実はナタリアと切嗣は生まれ持った信念の部分が決定的に違うことは描かれており、そのために切嗣が強攻策に出ざるを得なかったことは示されている。ナタリアの信条は「とにかく自分の命が大事」というもので、あの飛行機の上でも、彼女は何を差し置いても「自分が助かる」ことを優先して動いたはず。つまり、蜂やグールを巻き込んで惨事が拡大する危険性があっても、とにかく着陸だけは無事に成功させるつもりだった。しかし、切嗣はそれを許すことが出来ない。彼は「自分が大事」な人間ではなく、あくまで目標が「正義の味方」なのだ。仮にあの飛行機に乗っていたのが切嗣だったとしたら、彼はナタリアの命令を破って、さっさと飛行機を海にでも突っ込ませただろう。どれだけわかり合ったところで、結局2人は違う生き方を選んでしまう。だからこそ、切嗣は最愛の母を殺すしかなかったのだ。そして、そんなナタリアも彼の葛藤も充分理解しており、最後には仕方ない、とばかりに笑って散っていった。何ともやるせないお話ではある。

 やっぱり今週はナタリアの中の人一択。明乃は本当に「恰好いい女性像」を作る。もう出番が無いのが残念だが……短い話数の中で、きっちり存在感を示していったのは流石ですわな。

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 親殺しなのに別に驚きもしねぇ、第18話。人が死んでなんぼの作品。普通に見たらあり得ないくらいに凄惨なエピソードのはずが、もう先週までの流れに慣れてしまっていれば大したダメージはございません。

 というわけで、後の世に島編として語り継がれることになる(ことはないであろう)切嗣の過去エピソード。そういえば予備知識が全然無かったので切嗣の少年時代なんて考えもしなかったのだが、士郎と違ってこの人の場合はちゃんと実の親と一緒に育ってたんだなー……と思ったら、割とそうでもなかったという。おっかないね、魔術師の家系っていうのは。妄信的な探求欲は研究者としては見上げたものであるが、親としては当然最低の部類だし、人としては言わずもがな。あの親を見たからこそ、切嗣の人生は良くも悪くも定まってしまったということなのだろう。でも、しゃべり方や頑固一徹で周りの動静に微動だにしない様子なんかを見ていると、やっぱり親子なんじゃねぇか、と思う部分も多かったりする。

 今回はオープニング無しでエンディングも変則仕様。前回の次回予告からも分かっていた通りに、完全にイレギュラーなエピソードとなっており、他の話数との比較が難しい。描かれていた内容についても、あらすじだけを見れば非常に分かりやすい「パニックものの悲劇」を踏襲しており、筋書き自体に思うところも特にない。相変わらず映像面の完成度が高くて、村を焼く炎の様子なんかはもう実写と比べていいんじゃないかと思えるレベルである。よく「CGアニメだとまだまだ日本のアニメ業界は海外スタジオには負ける」みたいな話を聞くけど、こういうのを見せられると「やれるけどやってないだけ」っていう気がしてくる。世界のufotableに不可能は無いのだ。もちろん、Kalafinaの紡ぐエンディングにのせた次回への引きも見事なもので、作品全体への統一感も失わずに挿話を引き込んでいる点も見逃せない。次週も過去編ということになりそうだが、果たしてどんなひどいお話が飛び出すのだろうか。

 そして、今回嬉しかったのは、ゲストヒロインのシャーレイ役に高垣彩陽が起用されていたことだ。これだけの映像クオリティでなおかつ彩陽の声が聞こえてくると一瞬ufotableなのかP.A.Worksなのか分からなくなってくるが、相変わらず、パッと出のキャラにも関わらず仕事をガツッとこなしてくれた。末期の絶叫や絶望の嗚咽など、本当に彩陽の声は心臓を抉ってくるのである。また、切嗣の過去を作った魔術師・ナタリア役の渡辺明乃も久しぶりに登場。短いエピソードながらも、彩陽・明乃とありがたい声の共演が聞けただけでも感謝感謝ですわ。癖のある声の2人が活き活きとしゃべっているのを聞くだけでも楽しくて仕方ないんです。あけのんは年齢を重ねてどんどん「低めの良いところ」が増している。替えの聞かない役者だから、今後とも息の長い活動をお願いしたい。

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 ぜぇつぼうてきにきっみは綺礼さぁぁぁん! 第18話。そらまぁ、そうなるよ。知ってたよ。でも、やっぱり直に見せられるとすげぇ話だな。

 既にサブタイトルでネタバレ済みの今回の展開。世間的には「今世紀最大のNTR展開」などと称されておりますが、なるほど、確かにNTR属性所持者の私としては、ちょいと感じ入るものはあります。でも、この場合にNTRの主導権が間に挟まってた英雄王にあったわけで、どっちかっていうとNTRじゃなくて単なる不倫ものだ。そういう意味では純度はそんなに高くないな。それにしても、本当に2人とも楽しそうで何よりだ。私室で密談する2人の会話は、本当に白々しい上に「楽しんでます」感が出ていて、外道フェスティバルのこの作品の中でも屈指の最低っぷりがよく出ている。ギルガメッシュって、あんな性格だけど英霊なんだよなぁ。どこぞの騎士道馬鹿たちとは違うからあれはあれでカリスマなんだろう、というのは分かるけど、それにしたって遊興が過ぎるってもんじゃないですかね。

 ギルさんはずっっっっとアプローチかけてた綺礼さんにようやく振り向いてもらえたわけで、いわば念願成就のハッピーエンド回である。そして、綺礼さんも視界クリアでようやくやりたいことが出来るようになったというお話だ。今までの三白眼の状態だと繋がらなかったが、今回のノリノリうきうき状態なら、確かに「Stay night」の時の琴峰神父に繋がる。まぁ、結局SNの流れになるってことはこの先のオチも大体想像出来るわけで、この2人が繋がった時点である意味この「Zero」の物語もゴールインしちゃったといえる。末永くお幸せに。

 まぁ、今回はそれが全てのお話だな。一応アイリスフィールのお話とかもあったけど、楽しげなアーチャー陣営と違ってセイバー陣営はどんどん重苦しくなるし、楽しそうな要素もなくて可哀想である。女の子だらけの陣営なのに、どうしてこうなってしまったんだろう。まぁ、時臣さんのやるせなさに比べたらどうってことないのかもしれないけど……いや、ちょっと待て、時臣さんは結局最後の最後まで愛弟子が優秀で誇らしいと思って死んでいったわけで、ある意味幸せだったのかもしれないぞ。今のところ、最悪なのがランサー陣営、そして一番幸せそうだったのがキャスター陣営か。「飛び入りのよそ者」のライダー陣営は、この後どうなるんでしょうね。

 どうしても時臣さんの死にっぷりや密室でのアーチャーたちのいちゃいちゃぶりにばかり目がいってしまう今回だが、個人的には出番がほとんど無かったセイバーさんの勇姿に注目したい。バイクを手に入れて子供のようにはしゃぐ騎士王様のシーンの作画が半端じゃないのです。以前は単車にまたがったセイバーのフィギュアのCMなんかもやってたし、やっぱりセイバーといえば颯爽とバイクに乗る姿が見せ場ってことなんだろうか。恰好いいのはいいんだけど、「帰路の安全を確認してきます」って、アンタ、目の前の教会にアーチャーさんがいるけどそっちは警戒せんでいいのか。休戦協定結んだから大丈夫、とか思ってるとしたら、ランサーの一件があったのに何一つ学んでないことになるんだが……このまっすぐさがセイバーのいいところなんだろうなぁ。……切嗣さんが心労で倒れそうだな。

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