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最近のアニメや声優、Magicに対する個人的な鬱憤を晴らすためのメモ程度のブログ。
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 いい海だった、最終話。最終話は泣かされずに済んでホッとしています。本当に明るい海の景色は、まさにタイトルの「凪のあすから」を体現した神々しいまでのビジュアル。本当に綺麗。これまで凪いで氷漬けだった海に波の満ち引きが戻り、空の青、海の青が繋がり、この世界がようやく完成した実感が湧いた。もう、それだけでグッと来てしまう。

 一言でまとめてしまえば「海神様のなんやかや」が最後に残されたお話。お女子様にはじまり、まなかを強奪し、更に美海をも拐かしてきた海神様。これまでは「人智の及ばぬ超越的なもの」という認識が強かったわけだが、この度、まなかと美海という2人の「思いを持つ女性」が海に同時に飛び込み、2人同時に思いを打ち明けたことで、これまで海中に溶けていたはずの「お女子様の心」が共鳴する。更に、そこに光の悲痛な叫びが重なり、「好きという気持ち」への愛憎は広大な海の中を渦巻くことに。そこで巡り会ったお女子様の真の気持ち。海神の意志である御霊火が燃え上がり、ほころぶ。そして、気持ちが通じ、突き抜けた海の中では、一心に美海を想った光の気持ちが、ついに殻を打ち砕く。美海が帰還し、溢れた思いが長年にわたる海神の迷いを貫いた。凪は終わり、海は本当の姿を取り戻した。

 結局、「世界の終わり」というのは海神の迷い、悩みが産みだした災厄ってことだったようだ。考えてみれば「汐鹿生だけは冬眠させて次の時代へ持ち越し、地上の人間だけはゆっくりと滅びに向かう」というセッティングはやたらと「地上の人間だけに厳しい」設定であり、海神様が心の奥では地上と相容れないものであると思っていることが伺える。彼はお女子様を大切に思い、彼女のためを思って気持ちに介入したわけだが、実のところ何も分かっていなかったわけだ。まぁ、神と人との繋がりなんてハードルも多いわけで、海神様はこれまでそれを越える努力をしてこなかったってことだろう。たまたま、今回の騒動ではまなかと美海という2人の「お女子様」が存在しており、どちらも「地上と海の境を越える」存在であったために、積年の海神の思いを打ち破る一助となったのであろう。もちろん、そんな2人の気持ちを繋ぐための光の存在も欠かせない。全ての思いが連綿とつながって形を成し、凪を終わらせ、海を作った。結局、「海は好きに似ている」という言葉があった通り、波が無くなった海が海であり続けるように、「好きを取り除いた」なんて簡単な話だけで人が人で無くなるわけじゃない。好きにも様々な側面があり、簡単に失われたりしない。それら全てをひとくくりにしようとした海神様のうっかりさん、である。

 全てが動き出したのでこれでOK、というだけでこのお話を終わらせてはいけないが、ほとんどの「最終戦」は先週までで片がついていたので、エピローグは驚くほどすっきりしている。紡は海の問題が解決した後も、地元の海を大事にしながら仕事を続けていくだろう。此度の騒動の結果「地上に出る」ことになった2人目の女性(1人目はあかり姉ちゃん)であるちさきも、これからは紡を待つ「家庭」であり続けるはずだ。これまでの背景からするとちさきの選択は「様々なものを失う選択」であったはずだが、既に世界は海神の力で変容している。晃が余裕で海に潜ることが出来たのだ。もう、汐鹿生が地上で成した子供が余計な排斥を受ける心配も無い。ちさきは、あかりと一緒に新たな時代の「陸と海の関係」を象徴する女性となるはずだ。

 もう一組のカップルであるさゆと要については、まだ始まってもいない段階。しかし、2人の顔を見れば既に始まる前からクライマックス。なかなか個性の強い2人なので色々と波乱もありそうだが、まだまだ中学生同士の恋愛である。色々と失敗しながら大きくなればよい。

 そして物語の焦点となる最後の試合は、光とまなか、そして美海。最終的にどうなるものかと思われたが、ここで海神の物語が微妙に関わってくる。海神の誤解(というか鈍感?)を招いたのは、お女子様の寛容さ故である。本来「地上に残した男が、自分を思って先立った」なんてシチュエーションは海神様じゃなくとも「そんな事実を聞いたら後を追ってしまうかもしれない」と心配するものであるが、実のところ、お女子様はたくましくも新しい関係に前向きだった。寛容さというか、強さというか、「自分の置かれた状況を理解して、新たな好きを育む力」というのも馬鹿に出来ない。そんなお女子様と関係浅からぬ美海嬢にもそんな強さがあった。光がようやく認識した事実、それは「光のために尽くしてくれた美海」という存在。結局、彼女は最初からこの結末を理解していたのだ。そして、光が好きで、まなかが好きな彼女は、二人の幸せを何よりも願っている。エナを通してまなかと気持ちの共有まで成したのだからそれはなおさらだろう。彼女は、あの墓場で充分に「光の好意」を受け取った。それが最終的に望まれる「好き」なのかどうかは分からないが、世界には海と同じ、数多の「好き」があるのだから、そのうちの1つ、強い思いが確実に自分の方に向かっている。それが分かっただけでも、彼女は救われたのではないだろうか。

 この物語は海を描く物語であり、愛情を描く物語だった。そして、その始まりは一組の少年少女からだった。光とまなか、色々あった2人だったが、無事にここに戻ってきた。何とも遠回りでまだるっこしいラブストーリーではあったが、いかにも不器用な2人らしい。変わるも変わらないも自由な世界で、きっと2人は変わらず互いを思い合っていくのだろう。

 海が見たくなるなぁ……

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 すでに涙腺がボロボロなの。助けて。安藤監督、マジで勘弁して。

 ラス前エピソード。ここで最大のクライマックスとなるお船引である。これまで蓄えられてきたものが一気に放出されるカタルシスを伴いながらも、まだまだ予断を許さない状態で最終話にもつれ込む。もう、何が来ても辛いんじゃないか。どうなったらみんな笑顔で終われるかな……。

 前回「最終戦その1」が片付いた。要はさゆの優しさに出会い、孤独な人生にピリオドを打った。今回、彼はめでたく幸せを手に入れたことを存分にアピールしており、後腐れのないように紡に全てを話し、ちさきを託した。もちろん彼の中でちさきへの気持ちに整理がついたわけではないだろうが、現時点で彼がちさきのために出来ることを考えれば、自ずとそういう答えが出るのである。さゆという後ろ盾が出来て自分にも自信が持てるようになった今、多少なりとも紡との対話にも前向きで臨めたに違いない。そして、そんな彼の気持ちをはっきりと示すシーンが、荒れ狂う海の上、船から飛び込んでまなかを追おうとしたシーン。他の4人はまなかを追ったが、要だけは再び船の上に戻ってきた。そう、彼はさゆを守るために戻ってきた。それは、5年前のお船引でちさきを守るために海に放り出されたシーンと綺麗に対照を成している。かつては自分をかなぐり捨てて好きな人を守るために暗い海の底へ。現在は、自分を好きでいてくれる人を守るために、信頼出来る仲間に後を託して自分は陸へ。他の面々がエナを手に入れたりして常に海を目指している中で、要だけは地上を選択したことがはっきりとした意思表示として現れているだろう。自分のことなんてどうなってもいいと捨て鉢だったあの頃と違い、彼は、好きな人のために自分を守ることも覚えたのである。

 そんな要の協力により、どうやら片がついたようなのが、「最終戦その2」、ちさきと紡の関係である。伝言係からちさきの本心を(改めて)伝えられた紡は、全ての決着をつけるべく、一切捻らずに真正面からちさきに突っ込んだ。「どう考えてもお前が好きなのは俺のはずだけど、それを納得させる方法を考えている」。こんなに傲岸不遜で斜め上の発言もなかなか無いだろうが、不思議と紡だったらそれしかないんだろう、という気にもなる。案の定、そのとんでもない発言を聞いて、ちさきは理路整然と丸め込まれつつあるのだ。前回も確認した通り、元々ちさきの持つ感情の方が理不尽なものではあった。止まってしまった時間に振り回され、過去と決別出来ず、自分を許すことが出来ない奇妙な感情。それを打ち破るためには時間を動かすしかないだろうと思っていたのだが、紡はそれを待たずに、「間違ってないはずだから確認する」というプロセスでねじ伏せたのである。そして、ちさきがねじ伏せられた背景には、実は要の存在も関わっている。今回ちさきは改めて「自分だけが幸せになって良いはずがない」と涙ながらに訴えていたが、彼女よりも先に、要が1人抜けだし、「新たな時間」を刻みはじめたのである。これにより、ちさきの「自分だけが」という気持ちは多少なりとも軽減されることになった。紡がそのタイミングを計ったのかどうかは定かじゃないが、「時間が進みはじめるタイミング」というのは感じ取れたということなのだろう。

 そして、ちさきの呪縛が解かれることで、その中心となっていた光に向けられた矢印はいよいよ残り2本のみとなった。今回意外だったのは、ネックレスからの声に美海が改めて驚いていたことだ。てっきりまなかの気持ちについては美海も了承しているものだとばかり思っていたのだが、言われてみれば、はっきりと言質を取るタイミングは無かったか。紡に対して「何故言わなかったのか」と問い詰めていたが、それに対する返答もまた紡らしくてちょっと苦笑いである。しかし、この「まなかの思い」に直に接してしまったことで、美海の置かれている立場が本当に苦しいものになってしまう。普通に考えれば、相思相愛の2人の間に割って入ろうとしているお邪魔虫でしかないのだ。それを実感すればするほどに彼女の気持ちはどうしようもなくなる。そして光のことを思えば身を引くことが最善だとは分かっているのに、それが出来ずに必死に現実と向き合おうとしている。まだ幼い中学生の女の子に、この試練は本当に辛く厳しい。海岸で光に対して「もっと!」と迫るシーンは、光が「どんな趣味だよ」と突っ込んだ通りに滑稽ではあるのだが、それを迫った彼女の心中を思うと本当に辛い。光の口から本心を聞くことで自分を納得させる。それが出来るなら、今までこんな苦労はしていないのに。

 光を好きな自分がいて、同時にまなかを好きな自分もいる。美海はそんな葛藤とひたすら向き合いながらまなかと接し続ける。お船引の夜、まなかの命を最優先に考え、真っ先に飛び込んだ美海。ネックレスに封じられた「まなかの気持ち」を共有していたために、美海に与えられたエナは再び海中に溶け込み、それはまなかにも伝わる。そして、そんなまだるっこしい感情共有だけでなく、美海ははっきりとまなかに自分の気持ちを伝える。これでおあいこ、完全にフェアな2人の立場に立てる。しかし、そうして溢れる「好き」を、海神は放っておかない。新たなお女子として封じられた美海は、解放されたまなかの気持ちを聞きながら、自分の胸の内にある気持ちとも何度も向き合う。紛れもない「好き」がそこにあることを、目の前の光を見ながら実感する。光がいて、まなかに気持ちが戻って、自分が退いた理想の世界。それが叶って目の前にある。全ては、願いの通りに。

 しかし、笑顔に涙を浮かべた美海は、おそらく気付いている。まなかが戻ったはずのその世界でも、目の前の光は必死に抗っているという現状に。美海が失われて得られた世界など何の意味も無いのである。どこに向けて「好き」が現れようとも、それが苦しさに繋がろうとも、世界には光がいて、まなかがいて、美海がいなければ駄目なのだ。好きは海に似ている。しかし、海には好きだけでなく、苦しさも悲しさも混ざり合って出来ている。どれか1つだけを抜き取っても、本当の海ではない。光は、ここから最後の「海」を見つけなければならないのである。

 次回、海の底の村から始まったこの物語も終わりを迎える。海は、最後にどんな姿を見せるだろうか。

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 第1試合、決着、第24話。長きに渡るこの作品であったが、ようやく1つ目の結論が出た。1つ目の結び目がほどければ、後は芋づる式に解決を待つばかりだ。

 この作品の見事なところは、舞台背景がメインテーマとがっちり噛み合って、何が起こっても、どこにあっても、必ずそこには「海と地上」「隔たった時間」が関わってくるということ。1つ1つの恋愛模様は単に男と女の間の話に見えるが、その根底には、この作品でしか起こりえない独自の心的要因が働いているのである。今回、1つ目の決着の皮切りとなったのは、前回大きく動いたちさき・紡間の関係である。汐鹿生にたどり着いた紡は、結果的には(この時代の中では)5人の中で一番はじめに「動いた」ことになる。はっきりとちさきに向けて自分の気持ちを打ち明けると同時に、それに対する答えを要求した。「ちさきの気持ちは自分に向いていたと思うんだけど、違う?」ってのもどんだけ自信のある告白シーンだよ、とは思ったが、愚直で考えてることをそのまま口に出す紡らしい切り出し方ではあると思う。この台詞から分かることは、「紡はちさきが気になった」「ちさきも多分自分のことを思っていると推察出来た」という2つの要因が揃っていたが、その時点では紡が実際には動かなかったということ。じいちゃんのこととか、世界が緩やかにヤバくなったことなんかも行動を見送った理由にはなるかもしれないが、やはり、ちさきの心情を慮った結果、自分だけが動いてしまうのは早計だと配慮したのだろう。今回このタイミングで切り出したのは、まなかの件で「動かなければ」という義務感に駆られたこと、そして要のことを考えた時に、自分が黙して動かないことが卑怯であると考えたことなどが理由だったのではないだろうか。

 紡の告白の結果は、何とちさきの拒否で一旦決着する。しかし、この告白の目的は「合意」ではなく「陽動」と言った方がしっくり来るようなものであり、紡にはっきりと答えを迫られたことで、ちさきは自己に内在するどうしようもない束縛と向き合わなければならなくなった。紡が言うように「気持ちが彼に向いている」ことは、誰が見たって事実なのだ。ちさきもそれを理解しているが、最後の最後で認めきれずにいる。それが、今回彼女が要に向かって吐露した「歪んだ義務感」である。正直、何ともいびつで、滑稽な義務感ではあると思う。お船引が行われる直前の校舎で、光がまなかに告白し、そのどさくさでちさきが光に告白。その直後に、あの事件があって5人の時間がズレたまま止まってしまった。「四人衆」の中で一人だけ時間を進めてしまったことが彼女の中で大きな負い目となっていたことはここ数話で何度も描かれたことであり、どれだけ仲間達に「変わっていない」と太鼓判を押されたとしても、彼女はずっと「変わってはいけない」「変わってなどいない」と自分の言い聞かせ続けていたのである。その端的な表れが、「光を好きだという気持ちを維持し続けなければならない」という自縄自縛である。

 本来ならば、自分の本音と相容れない気持ち(正確には、光を好きなのも事実だろうから「優先度が下がった気持ち」というべきか)を持ち続ける義理など無い。確かに1人だけ時間を進めてしまい「変わってしまったこと」は悲しいのかもしれないが、それを非難するような仲間でもあるまい。しかし厄介なのは、まなかが「好きという気持ち」を喪失したこと。おそらくだが、ちさきの中では、「まなかと2人で光を取り合ってしまった」という呵責を解決しないことには、時代が進まなかったのだ。あの時代に自分が持っていた気持ちは最大限の「罪」として認識されており、3人が時を止めたことで、その「罪」は解消されず、むしろ凝り固まって動かせなくなった。挙げ句、今回の事件でライバルだったはずのまなかの「好き」が凍結され、どうあがいても解決出来ないという八方ふさがりの状態になったのだ。ずっと仲間達だけを見て、自分の気持ちを後回しにし続けていたちさきは、そのような状態で、「光を好きだった気持ち」だけを放棄して「先に行く」ことなど出来ないのである。

 この「ちさきの望まざる思考停止」を動かすために、2人の男がそれぞれに立ち上がる。まず、紡はなんとか「ちさきの回りの時間」を動かすために、積極的にまなか問題の解決に乗り出す。海中で感じたかすかな感覚「デトリタス」を手がかりに、新時代のお船引きを企画立案する。5年前のお船引が「光が立案した、世界のためにイベント」だったのに対し、今回は「紡が立案した、まなかだけのためのイベント」であるのは興味深い。海神様のうろこであるはずのうろこ様の前で「海神を勘違いさせられれば……」とか言っちゃうのはどうなんだろ、と思うけど、海神自身の意志がうろこ様も与り知らぬものであることは事前に本人が言ってたしな。急ピッチで進められる新たなお船引は、光たちが「外へ出て行った者たち」との旧交を温めて新しい時間を刻むのにも一役買ったし、「あのとき」を追体験し、刺激を与えることで、ただ1点だけ止まってしまったちさきの時間を動かす効果も期待出来る。やはり、積極的に動いているときの紡は本当に強い。未だに、彼が「間違った行動」を取ったことって一度もないんだよなぁ。

 そして、もう1人が今回の主役、「永遠の蚊帳の外」こと要さんである。消沈したちさきを見て「紡のこと?」とド直球で攻め、更に「僕で良かったら聞くよ」というサンドバッグ状態。一応「僕の気持ちなんて気にしなくて良いから」という、どう考えても「気にしてよアピール」にしか聞こえないようなフォローもしているのだが、悲しいかな、ちさきにとっての要は本当に恋愛ごとでは「蚊帳の外」。要に対して残酷な事だと分かってはいるのだろうが、彼女は「昔からの友人」に対して本心をボロボロとこぼし続ける。暗がりに座り込むちさきと、夕日を浴びながらも、背を向けているせいでずっと顔が暗い要の対比が痛々しい。そして、ちさきの「義務感」を全て受け止めて、いくらかでも彼女のためになったことで、要は少しだけ満足するのだ。

 結局、今回要がちさきと接触できたのはこのシーンだけである。どこまで言っても「蚊帳の外」。ちさきの気持ちは現在(紡)と過去(光)で苛まれているのであって、そのどこにも要の居場所がない。完全な「やられ損」のスタンスであるが、持って生まれた性分なのだろう、常にポーズを維持し続ける痛々しい男に、ようやく救いの手がさしのべられた。前回「告白する」とはっきり決心したさゆちゃんは、持ち前の強さでもって、こわれかけの要の外面をついに打ち砕くことに成功した。踏切越しの告白は、5年の時を経た「車越しの再会」と重なる、2人の距離感を表すシーン。思いの丈を全てぶつけて要を叩き、鼓舞するさゆ。二人の間を走り去った電車は、これまで2人が抱えてきた悔しさや、外面の良さ、それ故の悲しさを全て持ち去るイメージだろうか。要の本心はもう隠す必要も無くなり、一人だけ拠り所が無かったこと、帰ってきたのに「自分がどこにもいなかった」ことへの寂しさが吐露された。そして、さゆにはそれを全て受け止める準備があった。OK、ここがゴールだ。さゆちゃんの真っ直ぐな告白は、これまでの頑張りが全て報われるだけの価値がある素晴らしいものだったし、要も、ようやくここで救いを得てもいいだろう、と思えるくらいには男前だったのである。きっと彼のことだし、ちさきを前にしてもいつも通りの軽さで「もう大丈夫」ということが出来るだろう。長きに渡る戦いの「1つ目のゴール」に幸あれ。

 さて、残るマッチは主に3つ。次に解決されるべきは「紡・ちさき」だろうか。そして最後の大一番「光・まなか」「光・美海」。これまでの美海の献身は凄まじく、今回はそれが報われるのではないか、と思わせるようなシーンまで挟まれた。最後まで予断を許さない状態だ。だが、光の想いはやはりまなかにあり、まなかの献身も、それを負うだけの価値があるものだった。どっちに片付いても切なくなりそうで辛いなぁ。ちなみに、本作の失恋第1号は実はまなかにフラれてふくれ面になった晃君だったんじゃないかって気もする。残念ながら晃君だけは今のところもらい手がないなぁ……晃のアキラは、諦めないのアキラだよ! ……お母さん、それ「諦めるのアキラ」でもいいんじゃないですかね。

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 まったく! エナのバーゲンセールだぜ! 第23話。まぁ、紡も美海同様に血統的には権利があるわけだけども。

 予想外の方向に波紋が広がっていく展開。前回明かされたまなかの真実、「愛するという気持ちが失われた」。これによって、光たちとの関係がどうなり、この世界がどうなってしまうものかと思ったが、確かに言われてみれば、「だからなんだ」ってなもんである。しばらく誰も気付かなかったことからも分かる通り、まなかの生活に変化があったわけでもないし、まなかがそれで特別不自由を感じているようにも見えない。いくらか記憶を失いはしたが、それだって冬眠の影響の1つと考えれば、「エナが無くなった」に比べれば大した問題にも見えないだろう。要の言う「本人次第」というのも1つの見方であるのだ。そう考えてしまえば、世はことも無し、まなかの回りの諸問題もひとまずオールグリーンという解釈も出来る。

 しかし、この作品において、そう簡単にことを収めるわけにはいかない。まなかは光にとって一番大切な存在。それが変調をきたし、少なくとも「幸せでは無さそうに見える」ことだけでも許し難い状況であるし、何より、光の憧れたまなかに最も重要な要素が失われてしまっているのだ。「好き」が無くなってしまったまなかは、既にまなかではないのである。躍起になって解決の糸口を探す光に対し、「チーム大人」は案外冷淡。要は自分なりの正論を振りかざすし、ちさきもなんだか心ここにあらずといった感じで、「好きって気持ちがなければ安心出来るかもしれない」と光が期待したのとは真逆の意見を漏らす。こうした大人たちの「当たり障りのない意見」に腹を立て、さゆは要を非難し、光も席を立ってしまった。

 この「大人チームと子供チームの対立」は、実際に要が言ったような事実確認の問題を孕みつつも、たまたま大人チームが面倒な状況にあるという悪条件が重なった結果だった。何しろ、惚れたの腫れたのでちさきの回りは一触即発の状態になっており、ちさきも「いっそ何も考えなければ楽だったのに」とふさぎ込んでしまうのも無理はない。間違いなく紡に惹かれている部分があるはずなのに、自分の恋心は光に向いていると認識しているし、要からはずっと告白されて逃げ回っている状態。こんな面倒なことになるなら、いっそ気持ちごと切り取られた方が楽、と思うのも仕方ない。同様の気持ちは、要や紡にもあったのだろう。要の「冷静に現状を見るべきだ」という一見お利口そうな意見も、自分が恋愛感情に揉まれて右往左往しているために漏れ出てしまった逃げの一手でしかないのである。

 その点、子供チームは、真っ直ぐだし、他人思いである。さゆは大好きな要の態度に激昂し、彼の間違った性根をただそうと決意する。「好きって気持ちは何よりも大切」という理念を振りかざし、要相手に告白をぶつけてしまおうと画策中だ。さゆの場合は小細工なんて向いていないので、このまま要にはっきりとした爆弾を投げつけてしまうべきだろう。そして、同様に素直に「好きという感情」の大切さを理解している美海。ただ、彼女の場合には状況が複雑で、まなかが現在の状態のままならば、光を巡るライバルが減ったままである、という事実が後ろ髪を引く。まなかには元に戻って欲しいし、それを光が望むのならば、何を差し置いても協力したい。しかし、その協力は自分の恋心を苦しめる結果にしかならない……。葛藤する美海の気持ちを後押ししたのは、やはり光だった。彼はまなかのためなら何でもするといい、「好きだった相手、紡に頼めばどうにかなるかもしれない」と提案する。彼の現状も美海にとてもよく似ており、好きな人のために尽くせば尽くすほど、自分の気持ちを裏切る結果しかまっていない(と思ってる)。それでも光は一切迷いを持たず、「まなかの幸せのためならば、紡と気持ちを共有させることも厭わない」という変わらぬ姿勢を貫いている。そんな光を見てしまったら、美海は諦めるしかないではないか。自分が大切なのは誰でも同じ。しかし、やっぱりまなかが幸せになれないでいるのは我慢出来ない。自分の気持ちのためにまなかを放っておくなんて、出来るわけがないのである。未だ自分の状態を認識しきれていないまなかを見てボロボロと涙を流したが、それは悲しさからだったのか、自分の情けなさへの悔しさだったのか。

 現時点において、まなかを戻すための方法は想像すら出来ない。とにかくやれることを全てやるために、光は紡に協力を仰ぐのだが、紡はその見当外れのアイディアを一蹴し、拘り続ける光に容赦無い対応を見せる。「まなかは本当に紡が好きだったのか」という問いかけ、そして、自分が好きなのはちさきなのだ、という告白だ。前者については、「光も本当に鈍いよな」という呆れもあるが、内心、まなかの回復に助力できない自分の立ち位置への口惜しさもあるのかもしれない。そして、大人チームを揺さぶっていた全ての根幹である、ちさきへの恋心の暴露。これによってフェーズは大きく動くことになる。折悪しく(折良く?)告白をちさきに聞かれてしまったために、なし崩し的に舞台は海の中へ。本当ならば極寒の海の中で死を待つのみだったはずの紡だったが、「エナの音」を耳にすることで海神の何らかの感情を共有、更にエナを獲得してついに光やちさきと同じステージへ。彼がエナを手に入れられた理由は定かではないが、血統的な優位条件が1つ、そして、海神との接触でも重要な要素であると考えられる「他者への思慕」が非常に強い状態で飛び込んだことも大きく関与しているのではないだろうか。まなかはエナと共に「好きという気持ち」を失っているわけで、海中に散ったエナや海神の感情が、「好きという気持ち」に密接に繋がっており、紡に接続されたというのもあり得ない話ではないだろう。無事に自力でちさきに追いついた紡は、あとは持ち前の強さでちさきを説き伏せるだけだ。何ともポエミィな切り出し方ではあったが、彼が長年かけて培ってきたちさきへの気持ちは、ちゃんと本人に届くだろうか。

 今回の顛末でかなりはっきりと「ちさきと紡のゴール」が見えてきた感があるが、こうなると可哀想なのは要である。ただ、今回彼にも救いは見えており、持ち前の「背伸びした大人意識」に対しさゆが正面から反論し、本音で要とぶつかっていたことは、彼の生き方にも大きな影響をあたえそうに見えた。要にも新しい世界が見えるといいのだけれど。

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 海神様が完全に悪霊扱いやないか、第22話。元々「海神様が頑張ってたから海も地上も守られていた」はずなのだが、今回の話を聞くだけだと、完全に海神様が世界を滅ぼそうとしてるように聞こえるんだよな。

 物語は転がり続けるのである。まなかの復活、そして海神の気配であるぎょめんそうの出現と、徐々に世界は「明かされる」方向へと向かっている。わだかまりは何1つ解決をみていないが、世界はなるようにしかならないのだし、役者が揃えば自然に収束する部分もあるはずだ。しかし、世界はそのわずかな希望も削り取ってしまう。「想い」として残された海神の遺産は、地上を滅ぼす前に、そこに生きる若者たちの人生をも蝕んでいく。

 とりあえず、ぬくみ雪などに象徴される「地上の終わり」は、一切改善されることなく進行していることが確認された。「冬眠」に入ったはずの光たちが目覚めたことで「あれ? 地上の衰退はもう終わったの?」と思っていたのだが、決してそんなことはなかったようだ。ぬくみ雪の範囲は更に拡大しているというし、この度うろこ様の口からはっきりと「進行」が仄めかされてしまい、長期的な視点で見れば、この世界には希望は無い。あれだけ必死に調査を進めている紡たち研究チームの頑張りも、世界的な衰退を止める役には立たなかったようである。まぁ、それも致し方ない。元々神の力をもってしても止められないと言われていた現象なのだから、少しばかり賢しくなった人間があがいたところで焼け石に水ということだろう。皮肉なのは、わずかな希望だと思われていたあの「打開の潮流」が、実はまなかの切実な願いを体現したものであり、それを辿って至ったまなかの救出が、予想通りに海神の怒りを買う行為だったということ。紡が海流調査などせずに、ただまなかを黙って眠らせていれば、このような展開にはならなかったかもしれないのである。

 しかし、光の心情を考えればそうもいかない。「打開の潮流」を産みだしたのは、まなかの「想い」である。海神の想いが天変地異を作り上げるのと同じように、代理でお女子様になってしまったまなかの想いも、地上へ助けを求める命綱の役割を果たした。その「神をも恐れぬ」行為には当然代償が必要であり、彼女は地上へのSOSを発信するためにエナを失ってしまったという。更に、「お女子様の地上への帰還」は、本人が望む望まざるに関わらず、神話に体現されるように「海神を裏切ったことへの代償」が必要になってしまう。民話レベルではそれがエナであると思われていたわけだが、実際には、「海神と添い遂げる」ことを強いられたお女子様は、愛情そのものをむしり取られてしまっていた。

 なんと残酷な仕打ちであることか。惚れた腫れた、好いたのくっついたのが全てのこの世界で、まなかは突如として、そこに参加する権利を失ってしまったのである。おかげで過去にまなかの恋愛に関係する記憶は全て失われており、そこには大切な光もいなければ、憧れの紡の姿も無い。彼女に残された記憶は、あくまでもクラスメイト、幼なじみとしての「知り合い」たちである。持って生まれた性根のおかげで人当たりの良さは変わらないが、そこにはもう、あの頃のような無鉄砲な気持ちは無くなっている。自分の身すら犠牲にしても他者を想うまなかはいない。博愛の固まり、感情の発露こそがアイデンティティといえたまなかから「愛情」が失われるというのは、考えようによっては死よりもむごい仕打ちではないか。輝きを失ったまなかの瞳を見れば、光でなくとも天を仰ぐのも無理はない。この世界の中心だった「想い」は、ぽっかりと空虚に消え去ってしまった。

 まなか自身はそのことを気にすまい。一通り「普通に」困ったそぶりは見せるだろうが、誰に迷惑をかけるでもなし、何より迷惑をかける相手に対する「想い」はもうないのだ。彼女は地上に上がったお女子様の残りカスとして、この後の人生を平凡に、きわめてつまらなく過ごすことも出来なくはない。だが、それを回りの人間が許すはずがない。全てをなげうってまなかを守ろうとしていた光、その光のまなかへの視線で少しずつ傷ついていく美海。中心にいたはずのまなかがいなくなってしまっては、この2人もどこに怒りをぶつけていいのか分からない。美海は「ライバルがいなくなる」という風に捉えることも出来るわけだが、そんな人道にもとる考え方が出来るような娘だったら、これまであんなに苦しんではいないのである。抱えていた想いも悩みも弄ばれたようで、2人はやり場のない想いにのたうち回っている。これから先、この世界から失われたもの、「まなかの想い」「エナ」、そして「平穏」を取り戻すことが出来るのだろうか。海神の力が本当に強いのなら、これほどまでに絶望的なシチュエーションもないのだが……。

 ちなみに、流石に今回は「まなか事変」のショックがでかすぎるために、その他の人間関係については割と見やすいままの状態を維持している。「紡→ちさき←要←さゆ」の図式はそのままで、今回は要の減らず口のせいで無駄にさゆちゃんが傷ついた。この期に及んでふざけたように軽々しくちさきに揺さぶりをかけられる要の精神力は大したもんだが、悪役、軽口に逃げて現状を認めたくないという態度が前面に出ているようでなんだか不憫だ。紡がはっきりと言葉にしてちさきの囲い込みに動いているために、要としても太刀打ち出来ずに焦っている部分はあるのだろう。投げて寄こした飲み物が「無糖のコーヒー」の時点で、要が紡に勝てる未来が見えない。

 あとはそんな要をうまいことさゆちゃんが拾えるかどうか、っていうところにかかっているわけだが……さゆちゃんも素直になれなそうだからなぁ。光にぶつかられた時に咄嗟に出てきた「このタコスケ!」はすごいと思う。普段あんな言葉つかってないだろうに、何ですらすら出てくるんだよ。さゆちゃんの罵詈雑言は昔から衰えないなぁ。あと、うろこ様の下世話さもね。やらしさ満点の神様だけど、今回は一応親切に核心を全部語ってくれた。「海の連中が寝てるから暇なんだ」っていうのは、「やっぱりそうなのかー」って思って聞いてた。あれだけセクハラ出来るのにエロ本は好きなうろこ様がなんだか嫌いになれません。

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 思いの外穏やかに、第21話。オープニングもまなかバージョンに変わっていよいよクライマックスではあるのだが。しかし、今回のサブタイトルはなかなかのサプライズだ。てっきり「水底から来た使者」ってのはまなかを含意するとばかり思っていたのだが(そういう側面も有るとは思うが)……、まさかの呪い。田村睦心に再び出番があるとはおもわなんだ。

 まなかの目覚めという一大イベントが発生し、ここからシナリオが大きく転がりだしていくかと思いきや、意外にも今回はまなかのリハビリ程度の進行速度。この掘りさげの慎重さこそが今作の最大の持ち味である。考えてみりゃ、光も要も目覚めから順応まではかなりの時間を必要としていたわけで、それはまなかとて例外ではないだろう。ただ、難しいのは「まなか視点」というものが今回1つも与えられなかったこと。過去にも、基本的に「まなかから見た世界」というものは描かれる機会が少なくて、彼女は大なり小なり「超越者」であり、「観察される側」であった。目覚めた後においてもその部分に変化は無く、まなかはメインヒロインであり続けながら、内面を自発的に掘りさげられる機会はないのかもしれない。

 そのため、今回は「まなかの心情を探る」というのが1つの大きなハードルとなっている。おそらく現段階で彼女を巡るあれこれの全てに答えを出すことは出来ないだろうが、彼女の動向が今後のシナリオに大きな影響をあたえることは間違いないので、現段階で推察出来そうなことを考えてみる。まず、彼女の表面上の態度は「いつも通り」であった。目覚めて1日目といえば、光は回想シーンであった通りに「見るのが辛い」という理由で目をふさいでいたのだし、要にしても、気丈に振る舞ってはいたが、「恐ろしかった」ことは光にカミングアウトした通り。「大人びていること」を頑なに守っていた彼ですら、5年という時の流れを恐れて身構えていたことは、紡との対話で明らかになっていた部分だ。そんな彼らを迎えるにあたって、ちさきも変化を恐れていたことは言うまでもない。しかし、そんな誰もが尻込みする状況において、まなかは何一つネガティブな表情を見せなかった。変わってしまった世界に対しても臆することなく、「間違い探しみたいだ」と何とも脳天気な発言をしている。変わってしまったはずのちさきを見ても一切動じることはなく「変わっていない」と言い切ることが出来たし(これは光も同様だが)、変質した世界を見ても、驚いたり怖じ気づいたりする前に、まずは楽しむという姿勢が前面に出ている。

 しかし、この「表面的な明るさ」は本質ではないことも暗示されている。最大の問題は、彼女がエナを失っているということ。光も心配していた通り、「ただ時が過ぎた」だけの光たちと違い、まなかは決定的に「冬眠前」と「冬眠後」で異なった存在になってしまっている。本人は気にしていないように見えているが、そんなに簡単に割り切れるものではないだろう。そして、彼女がお船引の前に抱えていた問題についても、あれから「1日しか」経っていない状態では解決するはずもない。既に視聴者側からすれば記憶もおぼろだが、まなかは光から直球のサプライズ告白を受けていたはずなのだ。加えて紡への憧れがどの程度残っているのかも分からない。そのような「複雑だった心中」は変化していないはずなのだが、「光との関係性」を考えたとき、自分だけエナを失っているという現状は大きく影を落とすことになるだろう。何しろ、もう汐鹿生どうしの関係性ではいられないのだから。最後の夕食の席で見せた生気を失ったような表情が何を意味するのかはまだ分からないが、おそらく、気丈に振る舞っている彼女でも、抱え込んでいるものは相当大きいということだろう。今後は光がどのように「まなかの課題」を一緒に解決出来るかが、進行の手がかりとなりそうだ。

 そして、今回はそんなまなかの心境がぼやけていたのに対し、かなり明示的に示されたのが、ちさきの心情である。今回は横手美智子脚本・安藤真裕コンテということで相変わらず見事なディティール描写が光る。今回最も分かりやすかったツールは「シュークリーム」である。最初にもらった時点では「1つ多い」と思われたシュークリームは、「汐鹿生4人衆」のために与えられたものだが、ちさきはさりげなく自分の去り際に出すことで、「他の3人+美海たち2人」の5人に「丁度」行き渡るように計らった。そこに含意されるのは、明確な離脱の意志であり、時を重ねた自分だけは、既に「4人衆」からは隔たっているという意識であろう。その意味に気付くことが出来たのが一緒にシュークリームを受け取った要だけ、というのも皮肉なものである。また、このときに「おじいちゃんの世話があるから」と言って渋々離脱したように見せかけながら、病室での会話からは「予定よりも早く意図的に離脱した」ことも補強されている。「離脱」は成り行きではなく、迷い揺れているちさきの明確な意志なのである。

 しかし、だからといってちさきが完全に決別を決められたかといえば、そんなこともないのが難しいところ。彼女にとって、「光たち(子供)と離れること」の対極にあるのは、「紡(大人)に付き従うこと」である。今回彼女がその道を選んだかというと、そうとは言えない。まず、紡が予定よりも早く仕事を切り上げた、と言ったときに「まなかのところに『来れば』よかったのに」と発言している。「行く」ではなく「来る」になっているところに、まだ視点が「子供側」にも残っていることが含意される。そして、「シュークリーム」が子供側を表す記号であるならば、その先にあるコーヒーゼリーが「紡」を示すことになり、「シュークリームよりも好きかもしれない」というのは「紡側に寄っている」ことを示すのだが、更にその先にはすっぱいミカンも待ち構えている。せっかく大人になれたと思ったのに、実はそれより先に進むにはまだ早い段階なのだ。紡との距離感も詰めきれてはおらず、病院のサロンでも、何故か座席1つ分の間隔を空けて座っており、完全に「大人側」に行くことは決めかねていることが分かる。紡は「大学に戻る」と言った後におそらく「ちさきについてきてほしい」ということを伝えたかったのだろうが、それを察したのかどうか、ちさきは先んじてそれを封じてしまった。彼女は目覚めたまなかを言い訳に使ったが、迷っている根本的な原因はちさきの内面にあるのだ。

 こうして、「大人側の紡」「子供側の光」「間で揺れるちさき」という分化がはっきりすればシナリオは単純化され、安易な方向にも進めるのだが、そう簡単には終わらせないのがこの作品の恐ろしいところ。次なる展開への鍵は、なんと紡に宿ったぎょめんそう。あまりに間抜けで、何とも奇異な「子供っぽさの結晶」とも言えるぎょめんそうが、何と「大人代表」の紡に寄生してしまう。これにより、「うろこ様の存在が確認される」というプラスの側面ももちろんあるのだが、「紡が子供側に寄る」というややこしさに加えて、過去の記憶がフラッシュバックし、再び「紡とまなかの関係性」まで想起させるあたりが本当に憎らしい。全ての始まりとなったぎょめんそうが、今再び世界を回しはじめる。どんだけ周到に組み上げられた脚本なのだろう。岡田麿里の恐ろしさは、まだまだこんなもんじゃないのかもしれない。

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 この世界にもゆるキャラっているのかよ、第二十話。想定されてる時代設定って大体昭和後半くらいだと思うのだが……おしおっしー、海水ブッシャァァァー。

 ジリジリとしたお話が続きます。今回の主役は文句なしで美海。海からすくい上げたのに一切目覚めることのない「眠り姫」を巡り、美海の葛藤と光の不安が交錯する。あまりにイレギュラーなことが多すぎて、誰1人として「まなかの救出」の意味を把握出来ないでいる。何しろ、冬眠に入ってからというもの、勝手に上がってきたのではなくて無理矢理地上に引き上げたのはまなかが初めてだし、その結果目覚めないのも初めてのケース。当然、エナの剥離なんてのも前代未聞の事態だ。その意味を解釈出来る人間がいないので、みんながそれぞれに自分に都合の良い方向へ勝手に受け取るか、もしくは都合の悪い方へ嫌な想像を加速させるしかない。

 光の不安は、「まなかの強奪は海神の冒涜に当たるのではないか」というもの。「お女子様の墓場」に眠っていたまなかはまさに人柱であり、それを奪い取ったらついでにエナまで剥がれてしまったというのは、どうにも気分の良い話ではない。あげく要は「水温が下がってきたかも」なんて不安を煽るようなことも言ってしまうし、何よりも目覚めないまなかを見ていたらどんどん心がすさんでいってしまう。仕方がないので、この焦りは全力でうろこ様探しにぶつけることに。今までは一応「様」をつけていたはずなのだが、今回は完全に「うろこ」呼ばわりである。こうして「神など自分たちと大して変わらない立場なのだ」と思っていないと、光の寄って立つ足下が揺らいでしまうのだろう。しかし、やっぱり無理のものは無理なわけで……結局、体調を崩して寝込んでしまうことになった。はぁはぁいいながら美海にのしかかる光はちょっとデンジャラス。

 そして、そんな光の切羽詰まった様子に心痛める美海。汐鹿生に突入してまなかを救出することに尽力した美海だったが、当然、その時抱えた矛盾は一向に解消する気配はなく、「まなかがいるのに意思疎通出来ない」という半端な状態のせいで、やきもきは更に増すばかり。まなかのために精魂すり減らす光を見ていると、どうして自分はあそこに届かないのか、と純粋な嫉妬も抱いてしまうだろう。光のためを思えばまなかの目覚めに協力することは当然だが、「自分だけ違う」立ち位置で解決策を探す美海は、自分の本心を意識せずにはいられないのである。紡との対話では「喜ぶことが出来るのか」と自問自答していることから、現時点では「喜べない」ことは確定ということだ。確かに醜い感情ではあるのだが、払拭しきれないのは紛れもない事実。それもこれも含めて、前を向くしかない。そんな「不安」と「喜び」を面と向かって受け止めてしまった紡はやっぱりでかい男だ。最近はちさきに対する思慕を隠さなくなってきました。良い傾向だと思います。

 その他、そんなちさきを見て「やべぇ、色っぽいおねーちゃんだ」とドキドキする要。そんな要とお話出来て嬉しそうなさゆ。子供たちの頑張りを見て、全部分かってしまっている感じのスーパー母ちゃんあかり。姫の目覚めの時はまだ来ないが、来ないなら来ないなりに、時間はすすんでいくものである。今回は、あまり大きな動きのないエピソードではあるのだが、そうした細やかな1つ1つの感情がさりげないシーンでにじみ出ているのが相変わらずグッと来るところ。今回のコンテは P.A. の中核・許琮氏。ちさきが海から上がって後れ毛をあげるアップとか、美海が光に「キスしろ」と提案する前にグッと一呼吸堪えてから明るく切り出すタイミングとか、そういう見せ方にいちいち情感が籠もる。

 そんなしっとりと高まってきたムードを全てぶっ飛ばして……まなかの覚醒。なんじゃいそりゃぁぁぁ! テープか? おっさんの歌うテープが実際は効いていたのか?! ずっと寝てた割にはエラいハキハキしゃべるなこのやろう!

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 ちさきオンステージ、第19話。前回登場出来なかった鬱憤を晴らすかのように、今回は完全にちさきオンリー。圧倒的なエロさと可愛さ、綺麗さを併せ持つ完璧超人のような萌えヒロインっぷりである。1つ1つの仕草が本当にキュンキュン来る。

 前回の探索により、ついにまなかを発見した一行。しかし、まなかの目覚めはまだ訪れない。そんな中で、引き続き「変わったか」「変わらないか」という言葉をキーワードにしての葛藤が続く。今回はちさき視点がほとんどだったわけだが、彼女の中で「変わる」「変わらない」と同じように大切になっていたのが、「大人」と「子供」というタームである。5年の歳月で、4人の仲間達の中から1人だけ逸脱してしまったちさき。彼女は光が目覚めた直後には「変わってしまった自分」を直視できずにふさぎ込んでしまったわけだが、あのときは光に「変わってないな」という一言をもらったことで立ち直ることが出来た。今回はその続き。「どこが変わったか」「どこが変わっていないか」、そして「変わったことは良いことなのか」「変わらないことは良いことなのか」という本質的な部分についての自省を進めることになる。

 まなかが現れたことで何が大きく変わったかというと、それは当然物語の中心に位置する光であろう。これまでがむしゃらに汐鹿生の行く末に気を揉んでいた光だったが、今回まなかが救出できたことで一安心。心の内をひっそりとまなかに向けて吐露するようになった。そして、それを見ていたのが美海である。彼女は「自らの力で」まなかを救いだし、光の力になれたわけだが、その行為が自分自身を苦しめるということも前回から分かっていたこと。まなかと2人で時間を過ごす光を見て心を痛める。そして、「まなかを見る光を見る美海」を見るのがちさきである。美海の表情に明らかな恋心を感じ取り、そこに同時に「幼さ」「若さ」も見ている。5年前の自分と同じ目、同じ思い。「もうあんな目は出来ないかもしれない」と独りごちるちさきは、既に自身の光への思いも変わっているのではないか、と考えている。

 そんなちさきの変化を左右するもう1つの極には、紡と要という2人の男がいる。光が永遠の「子供」として輝きを放つのに対し、この2人が司るテーマは「大人」だ。要は、5年前の時点で非常に「大人な」立ち位置の人物であり、自分を大人っぽいと思っていたちさきをも上回る卓見でもって、4人の関係性を常に最上段から見守っていた。現時点においても、あまり感情に流されないように行動を続ける要は、自分のことを「大人っぽい」と感じていたはずである。しかし、食卓での会話によって、その自信は下支えを失ってしまった。紡とちさきは、背伸びでもなんでもなく、確実に5年の歳を取った「大人」になってしまった。ここでは既に要が感情論を振りかざす「子供」なのである。もちろん、要はそのことをすぐに自覚し、為す術を失って黙り込むしかなかったわけだ。

 「子供」である光への憧れを持ちながらも、確実に「大人」になってしまった自分に葛藤するちさき。中学の制服を持ち出して着てみたのも子供への回帰を願ってのものだったろうが、無情にも小さな制服は「変化」ばかりを強調する。かといって大人になりきれていない部分も抱えており、背伸びして酒を飲もうとしても、やっぱり上手くいかずに紡にいなされてしまう。光による「子供」への誘因、紡が支える「大人」への成長。ちさきは未だ、その間で揺れ動いている状態だ。しかし、今回の描写は確実に「大人」へ進みはじめていることを表しているだろう。最終的に「光に憧れている」ことについては自覚を変えていないが、そこに幼い頃のような気恥ずかしさも負い目もなく、純粋に憧れを意識出来るようになっている。また、美海に対しての目線や、「大人になろうとする意志」は、明らかに「子供からの脱却」を意識しはじめたもので、これ以上は光との繋がりを求めない方向性への変化である。「子供の頃のヒーロー」としては光の絶対性は揺るがないが、彼女はようやく、次のステップへ歩き始めている。その先にいるのが紡なのか、それとも要なのかは分からないが、今回はようやく、紡がちさきに対する感情を言葉にしてくれた。紡の求めるものと、ちさきの憧れるものは、おそらく同じものである。要には申し訳ないが、この2人はすんなり収まるところに収まるだろう。

 今回のコンテは安藤真裕ですね。ちさきの情感がたっぷり籠もった動きの1つ1つが本当に綺麗。縁側での2人の語らいシーンは非常に分かりやすくちさきの心情の揺れが分かるし、グラスなんかの小物の使い方もお見事である。本当に、「綺麗な世界」の画だけでも引き込まれる世界。

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 実に静謐な緊張感、第18話。この画が作れるのがこの作品の一番すごいところだなぁ。

 光、要、美海による汐鹿生探索。美海に与えられた聴覚能力によって、不可思議な海流のヴェールに保護されていた汐鹿生に進入することが出来た。そこにあった光景は、確かに光たちの生まれ育ったあの村には違いないが、冬眠中の村なのだから、当然「生」の痕跡は全く感じられない。初めて見る廃墟のような村。そしてまるで時間が停止したかのようにそのままの姿で眠りにつく村人たち。美海が「怖がって」しまったのも致し方ない光景。美海は憧れていた明るく輝く海の底の村が見たいと思い、光はそんな美海に自分の生まれ育ったあの明るい村を見せたいと思っていた。双方ともに願いとはずれてしまったために、多少ぎくしゃくした雰囲気になってしまう。こんなところにも、生まれ育ちの壁というものは存在しているものだ。

 鹿生の様子は、個人的に想像していたのと随分違っていた。5年もの歳月が経ったのだからすっかりぬくみ雪に覆われているのかと思ったのだが、案外そうでもない。外で「門番」していたおっちゃんにも大して積もっていなかったし、村自体のせいぜい積雪5〜10cmといったところだろうか。海流の守護のおかげで、眠りについた時から雪の影響は止まったようだ。また、てっきり全員がおうちの中でひっそりと封印されたり、もしかしたらうろこ様の力で地の底に封印でもされるのかと思っていたのだが、割と普通にその辺に寝てた。光の心配が「起きたら腰痛ぇぞ」だったのも何となく分かるかも。あのまま5年って、大丈夫か。光の父ちゃんはちゃんと布団に収まっていたが、それでも掛け布団は掛けずに着の身着のままで固まっていた。眠りに入る瞬間って、どんな様子だったのだろうか。

 汐鹿生のこんな光景は光たちも想定していたものではなかったようで、動揺した光たちは一旦自宅に戻って落ち着くことを提案する。しかし、家族の顔が見たいってのは分かるけど、その間美海を見知らぬ土地の見知らぬ街角にぽつんと置いていくのはどうなのよ。普段フェミニストな要ですら「絶対動かないで待っていて」とちょっと配慮に欠けたことを言っていなくなるし、美海ちゃんにしたら結構な災難である。「怖い」って言ってるんだから、せめて一緒に連れていってあげればよかったのに。美海ちゃんも美海ちゃんで、「しょうがないか」みたいな顔でポッキー食べてるし。海の中でも全く湿気らずにパキッと音を立てるポッキーは有能過ぎるな。

 別行動の結果、光は父親に経過報告、そして美海は相変わらずの不可解な音に導かれて光たちの通っていた学校へ。暗く沈んだ校舎内に一度は消沈するも、そこに感じられた過去の生活の息吹を見て、少し気持ちが高揚する美海。念願叶って、元の母親の教えてくれた「海の底の村」に来られて、更に思いを寄せた異性の過去の記憶を共有出来た。そのことに、ひとまずは満足するのである。しかし、ここで登場したのがうろこ様。彼は、美海が探していたものがまなかである、という申告を嘘だと断じる。「あれがお前の探してきたものなのか」と。相変わらず謎の多い性格である。うろこ様は監視役なので眠っていなかったのではないか、というのが光たちの推測。だとするならば、うろこ様の歩んできた歴史も、何とも過酷なものだ。この5年というもの、村には人っ子一人いなかったのである。そんな中をずっと1人で見守り続けてきたというのなら、それはやはり寂しいのではなかろうか。神の間尺で考えれば一瞬なのかもしれないが、あれだけ怠惰と享楽を好んでいたうろこ様が、1人静かに眠ったような時を過ごすことに満足していたとも思えない。5年ぶりの闖入者に対してちょっかいを出すのも仕方ないことなのかも。もちろん、あくまでただの鱗、という彼のスタンスからすれば、冬眠に際して特に感情を持たなかったのかもしれないし、妙な形で眠りが終わりを告げそうなことの方が問題なのかもしれないが。

 そしてまたあの音に誘われて、3人はついに目的地へたどり着く。「お女子様の墓場」という何とも壮絶な景色の中に、まなかはいた。うち捨てられた大量の木偶は生気などあるはずもなく、まさに「墓場」という言葉が相応しい。暗い海の底に一際暗く淀んだその空間で、唯一生命を持つのがまなか。彼女はあかりの代わりを買って出たために、最後のお船引でお女子様として引き込まれてしまっていたのか。相変わらずしゃりしゃりと不思議な音が聞こえる中で、うろこ様は「何かが現れれば何かが失われる、それで足し引きが釣り合う」と意味深な言葉を漏らす。まなかの肌から少しずつエナが失われていることに気付く3人。「失われたもの」とは彼女の海の人間としての生活なのか。それでは何が「現れた」ものなのか。普通に考えれば、代わりにエナが現れた人間がいるということだが……これまでずっと美海を呼び続け、招き寄せたまなかの存在は、今後どのように物語を動かしていくのか。

 今回のお話は、キャストロールでいうとわずかに5人のみという、非常に「狭い」お話。その中で、時間の止まった汐鹿生、そしてお女子様の墓場と、およそ人智を越えた「異境」が姿を見せ、終始緊張感のある画面であり続けた。やはりこういう画面作りこそがP.A.の真骨頂である。無音で張り詰めた海の底の景色は、一触即発で、何かの拍子でぐらりと崩れそうな人間関係に繋がっている。眠り続ける海の民は、抑えられ続ける心中の密かな感情に似ている。このまま、世界も心も「眠り」続けるわけにはいかない。何もかもが、いつかは「目覚める」ことになる。その時になって、この白く静かな世界がどのように動いていくのか、今後も目が離せない。

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