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最近のアニメや声優、Magicに対する個人的な鬱憤を晴らすためのメモ程度のブログ。
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 思いの外穏やかに、第21話。オープニングもまなかバージョンに変わっていよいよクライマックスではあるのだが。しかし、今回のサブタイトルはなかなかのサプライズだ。てっきり「水底から来た使者」ってのはまなかを含意するとばかり思っていたのだが(そういう側面も有るとは思うが)……、まさかの呪い。田村睦心に再び出番があるとはおもわなんだ。

 まなかの目覚めという一大イベントが発生し、ここからシナリオが大きく転がりだしていくかと思いきや、意外にも今回はまなかのリハビリ程度の進行速度。この掘りさげの慎重さこそが今作の最大の持ち味である。考えてみりゃ、光も要も目覚めから順応まではかなりの時間を必要としていたわけで、それはまなかとて例外ではないだろう。ただ、難しいのは「まなか視点」というものが今回1つも与えられなかったこと。過去にも、基本的に「まなかから見た世界」というものは描かれる機会が少なくて、彼女は大なり小なり「超越者」であり、「観察される側」であった。目覚めた後においてもその部分に変化は無く、まなかはメインヒロインであり続けながら、内面を自発的に掘りさげられる機会はないのかもしれない。

 そのため、今回は「まなかの心情を探る」というのが1つの大きなハードルとなっている。おそらく現段階で彼女を巡るあれこれの全てに答えを出すことは出来ないだろうが、彼女の動向が今後のシナリオに大きな影響をあたえることは間違いないので、現段階で推察出来そうなことを考えてみる。まず、彼女の表面上の態度は「いつも通り」であった。目覚めて1日目といえば、光は回想シーンであった通りに「見るのが辛い」という理由で目をふさいでいたのだし、要にしても、気丈に振る舞ってはいたが、「恐ろしかった」ことは光にカミングアウトした通り。「大人びていること」を頑なに守っていた彼ですら、5年という時の流れを恐れて身構えていたことは、紡との対話で明らかになっていた部分だ。そんな彼らを迎えるにあたって、ちさきも変化を恐れていたことは言うまでもない。しかし、そんな誰もが尻込みする状況において、まなかは何一つネガティブな表情を見せなかった。変わってしまった世界に対しても臆することなく、「間違い探しみたいだ」と何とも脳天気な発言をしている。変わってしまったはずのちさきを見ても一切動じることはなく「変わっていない」と言い切ることが出来たし(これは光も同様だが)、変質した世界を見ても、驚いたり怖じ気づいたりする前に、まずは楽しむという姿勢が前面に出ている。

 しかし、この「表面的な明るさ」は本質ではないことも暗示されている。最大の問題は、彼女がエナを失っているということ。光も心配していた通り、「ただ時が過ぎた」だけの光たちと違い、まなかは決定的に「冬眠前」と「冬眠後」で異なった存在になってしまっている。本人は気にしていないように見えているが、そんなに簡単に割り切れるものではないだろう。そして、彼女がお船引の前に抱えていた問題についても、あれから「1日しか」経っていない状態では解決するはずもない。既に視聴者側からすれば記憶もおぼろだが、まなかは光から直球のサプライズ告白を受けていたはずなのだ。加えて紡への憧れがどの程度残っているのかも分からない。そのような「複雑だった心中」は変化していないはずなのだが、「光との関係性」を考えたとき、自分だけエナを失っているという現状は大きく影を落とすことになるだろう。何しろ、もう汐鹿生どうしの関係性ではいられないのだから。最後の夕食の席で見せた生気を失ったような表情が何を意味するのかはまだ分からないが、おそらく、気丈に振る舞っている彼女でも、抱え込んでいるものは相当大きいということだろう。今後は光がどのように「まなかの課題」を一緒に解決出来るかが、進行の手がかりとなりそうだ。

 そして、今回はそんなまなかの心境がぼやけていたのに対し、かなり明示的に示されたのが、ちさきの心情である。今回は横手美智子脚本・安藤真裕コンテということで相変わらず見事なディティール描写が光る。今回最も分かりやすかったツールは「シュークリーム」である。最初にもらった時点では「1つ多い」と思われたシュークリームは、「汐鹿生4人衆」のために与えられたものだが、ちさきはさりげなく自分の去り際に出すことで、「他の3人+美海たち2人」の5人に「丁度」行き渡るように計らった。そこに含意されるのは、明確な離脱の意志であり、時を重ねた自分だけは、既に「4人衆」からは隔たっているという意識であろう。その意味に気付くことが出来たのが一緒にシュークリームを受け取った要だけ、というのも皮肉なものである。また、このときに「おじいちゃんの世話があるから」と言って渋々離脱したように見せかけながら、病室での会話からは「予定よりも早く意図的に離脱した」ことも補強されている。「離脱」は成り行きではなく、迷い揺れているちさきの明確な意志なのである。

 しかし、だからといってちさきが完全に決別を決められたかといえば、そんなこともないのが難しいところ。彼女にとって、「光たち(子供)と離れること」の対極にあるのは、「紡(大人)に付き従うこと」である。今回彼女がその道を選んだかというと、そうとは言えない。まず、紡が予定よりも早く仕事を切り上げた、と言ったときに「まなかのところに『来れば』よかったのに」と発言している。「行く」ではなく「来る」になっているところに、まだ視点が「子供側」にも残っていることが含意される。そして、「シュークリーム」が子供側を表す記号であるならば、その先にあるコーヒーゼリーが「紡」を示すことになり、「シュークリームよりも好きかもしれない」というのは「紡側に寄っている」ことを示すのだが、更にその先にはすっぱいミカンも待ち構えている。せっかく大人になれたと思ったのに、実はそれより先に進むにはまだ早い段階なのだ。紡との距離感も詰めきれてはおらず、病院のサロンでも、何故か座席1つ分の間隔を空けて座っており、完全に「大人側」に行くことは決めかねていることが分かる。紡は「大学に戻る」と言った後におそらく「ちさきについてきてほしい」ということを伝えたかったのだろうが、それを察したのかどうか、ちさきは先んじてそれを封じてしまった。彼女は目覚めたまなかを言い訳に使ったが、迷っている根本的な原因はちさきの内面にあるのだ。

 こうして、「大人側の紡」「子供側の光」「間で揺れるちさき」という分化がはっきりすればシナリオは単純化され、安易な方向にも進めるのだが、そう簡単には終わらせないのがこの作品の恐ろしいところ。次なる展開への鍵は、なんと紡に宿ったぎょめんそう。あまりに間抜けで、何とも奇異な「子供っぽさの結晶」とも言えるぎょめんそうが、何と「大人代表」の紡に寄生してしまう。これにより、「うろこ様の存在が確認される」というプラスの側面ももちろんあるのだが、「紡が子供側に寄る」というややこしさに加えて、過去の記憶がフラッシュバックし、再び「紡とまなかの関係性」まで想起させるあたりが本当に憎らしい。全ての始まりとなったぎょめんそうが、今再び世界を回しはじめる。どんだけ周到に組み上げられた脚本なのだろう。岡田麿里の恐ろしさは、まだまだこんなもんじゃないのかもしれない。

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