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最近のアニメや声優、Magicに対する個人的な鬱憤を晴らすためのメモ程度のブログ。
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 観てきました。突発的なカラオケ欲求に襲われて街へ繰り出すも、今日はよりによって行きつけのお店の半額デー(だから行きたかったんだけど)。時間が遅かったせいでなかなか入ることもままならず、カラオケ店をはしごするもどれも噛み合わない。日が暮れた街で途方に暮れているところに、一筋の光明、「そうだレイトショーがあるじゃないか」。というよく分からない理由での視聴です。ついでに「ドラゴンの迷路」の箱とプレリリースの予約も済ませてきたのである。

 

<以下、あんまりネタとか無いのでネタバレではないけど、一応視聴後の感想を含みます、未視聴の方はご注意ください>




 本作についての知識はゼロの状態からの視聴。原作知らない、媒体もよく知らない。知っているのは「なんか中二病と被ってるらしいで」というくらいの噂と、事前に調べて制作スタッフ陣。岸監督による作品、というか「人退」のスタッフの作品なんだから、知らないものを観ても大ハズレは無いだろうという見込みである。結論からいうと、「なるほど色々考えどころの多い作品であった」というもの。これ、褒めてるわけじゃないんだけど、もちろん貶してるわけではない。最近観た作品が「いろは」と「シュガーラッシュ」で手放しで褒めるしかない作品続きだったので、こういう作品で考えさせられるのが久しぶり。おかげで感想をどういう風に落とそうかと色々悩んでしまっていた。

 視聴中の率直な感想を言ってしまえば、「これ、この尺の映画でまとめたらアカンやろ」だった。帰宅後に確認したら原作はラノベ一冊分らしいが、それでもやっぱり80分の映画にまとめるのは無理がある内容に決まっている。初見の人間が映像化されたものを見ても、「これは色々削ってるんだろうなぁ……」というのは想像出来る内容だった。せっかく内容があるものだったのだとしたら、「そぎ落とされた感」が出てしまったというのは単純にマイナス要因だろう。また、これは個人的な好みも含まれるが、画があんまり劇場向けという感じじゃなくて、そのまま「OVAっぽい映像」だったのは途中で気になった部分。キャラクターデザインの相性かもしれないが、特にドリームソルジャーの連中の顔の作りなんかは、劇場の大スクリーンだからこそ際だつ動画の粗がちらほら確認された。せっかく劇場で観る作品なのだから、やっぱり「劇場クオリティ」を堪能させて欲しい。今作の場合、あまり「劇場ならでは!」というこだわりの作り込みが大きなアピールにはならなかったので、そこも残念な部分である。最近は地上波作品も良い出来のものは本当に良いので、なかなか差別化が図れずに大変だとは思うけども。

 そして、個人的に一番気になったのは、ラストの神殿攻略シーンである。多分視聴した人間は誰でも度肝を抜かれたと思うが、良子が建築したあの「神殿」の造形は、はっきり言ってやりすぎである。もちろん、映画的な「誇張」であり、現実に作ることが可能か不可能かとか、そういうレベルの話ではない。別にあそこで思い切りふざけた神殿を構築することでテーマ性が浮き彫りになるのなら、それは「画作り」としてめいっぱいやればいい。しかし、今作の場合、あの直前までで培っていた一郎と良子の関係性を締めくくる場所として、あの神殿は相応しくないように感じてしまった。何しろ、中二病を扱うお話なのに、そこまでのシーンでは何一つそうしたファンタジー要素が登場しないのである。それはもちろん一郎が維持し続けた「つまらない現実」を描出するための方策であり、下手にミョルニルハンマーなんかが出てきたら一気にぶちこわしになるだろう。そうした演出意図があっての「痛々しい現実」がずっと描かれてきた画面に、あの神殿の造形は流石に温度が違い過ぎる。心象風景として見たとしても、良子の内面というのはそれまでほとんど描かれておらず、あの神殿を作り上げるまでのエネルギーはそこまでの筋書きで蓄積されていなかった。おそらく「映画的な演出としての見映え」を優先した結果だとは思うのだが、あそこまでじっとりと話を進めたのなら、むしろ最後も潔く「つまらない現実の中での結末」を見せて欲しかった。まぁ、やっぱりあの神殿の造形は笑ったけどね。すげぇと思ったけどね。「ネギま?!」を思い出したけどね(同ネタ多数と予想)。

 後は、やっぱり削ったところが多かったおかげで出来てしまったシナリオのほころびがちょいちょい気になったかな。可哀想だったのは大島さんである。彼女は彼女で確かにひどいことをしている最低な奴ではあるのだが、最初のもめ事の時点では、どう考えても彼女の方が正論を言っているのである。ドリームファイターたちの方が世間的にははみ出しもので、それを忌み嫌うのは自然な感情だ。良子たちの服が校則違反だろう、というのも一切反論できないもっともな意見である。なんでそれまであの白ランがのうのうと学校生活を送れたのか不思議。正直、物語中盤はどちらかというと大島さんの方に感情移入して観ていたくらいである。確かにあんな連中が大量にクラスにいる学校は嫌だ。下手したらまともな人間が6人しかいないんじゃなかろうか。だとしたら本当に大島さんが可哀想だ。ラストシーンだって、大島さん目線だと不安の種レベルの恐怖感である。そのうち登校拒否になってしまうかもしれない。

 さて、まだ探せば文句を言うポイントは出てくるだろう。だが、これだけ文句を言いながらも、最終的には悪くない作品だったとも思っているのである。その理由を考えてみると、1つはシナリオのメインボディについては価値があったと考えているからであり、もう1つは、削って削った残りの部分だけをみれば、きちんと筋が通った1つの物語の形をとっていたと思えたからである。

 メインボディというのは、いわゆる中二病要素を絡めたプロットそのものである。どうしたって比較したくなるのはそれこそ「中二病」(括弧書きを「中二病でも恋がしたい!」という作品で用いる)であるが、似ているとか、被っているとか言われても、2つの作品が目指した方向は全く異なっている。「中二病」の放送中にも気になっていたことだが、あちらの世界では、中二病は「忌避するもの」としては存在していなかった。六花に対しても凸守に対しても、世間のほとんどは優しい視線を送ってくれており、中二病に反感を持っていた人間は、過去の自分を忌避していた勇太と森サマー。そして六花の父親ファクターを絡めた彼女の祖父母で全員である。あの作品は、中二病を全く別な要素に解題し、「父親の喪失の代替行為」としていたのである。それならば忌避するわけにもいかず、作品全体を通じて、「成長」のための1つの殻として描かれるに留まった。それに対し、こちらは完全に「忌避すべきもの」である。一郎の家族の態度なんかは如実に表れているが、クラスで一郎がオタク認定されて突然空気が凍る描写や、大島さんのいじめのモチベーションなど、実に明確。そんな「カースト制の底」から一組の男女が這い上がるために、一度自分を見つめ直した男の子が、女の子の手を取ってすくい上げてやる、という一種の「ヒーローもの」が、この作品である。実を言うと、「中二病」がスタートする前に勝手にイメージしていたストーリーラインはまんまこういう感じだった。一番素直に受け取った中二病の料理の仕方が、この方向性ということだろう。

 「忌避すべきもの」としての中二病、これが描かれることが今作の最大の目的の1つである。おかげで、どこを振り返ってみても中二病を擁護するような言葉というのは見つけることが出来ず、原作者のふるった筆がそのまま生きているであろう台詞の数々は、非常に的確に、最も辛い形で良子を叩き続けていた。神殿のシーンのインパクトを別にすると、本作で一番刺さったのは雨の中で良子と一郎が対峙するシーンであり、そのシーンにおいて、一郎は中二病という「忌むべきもの」への感情をぶちまけている。「何でもっと守ろうと思えるようにならない」「中二病は単なる浅慮な目立ちたがりでしかない」「もっと努力をしろ、もっと時間をかけろ」。本当に全くその通りのことしか言っていない。しかし、この言葉をあのシーンで良子にぶつけることこそが、今作で描かれた最大の「中二病の描出」だったように思えるのである。痛々しさがあり、それを丸裸にした後で超えてみせろと訴える。これが、世間的にあるべき正しい中二病への相対し方であろう。こうしたメインプロットを積み上げる手段としての、ドロドロとしたスクールカーストの描かれ方などは尺の中に収まって綺麗に伝えたい事実のみを伝えていたと思う。

 そして、もう1つの見どころは「残された一筋」のこと。ドリームソルジャーの面々は出番がほとんど無くなり、おそらく大島さんたちいじめグループの活躍だってそこまで表立った要素にはなっていなかった。となると、残された一筋は「佐藤良子と佐藤一郎」である。いや、更に「良子」の方もかなり削られていたかもしれない。本作でただ1つ残った要素は「佐藤一郎」である。良子のヒロイン性もさることながら、今作の一郎は、実に良い主人公だった。どう考えてもお前は中学でいじめられても負けないだろ、とか思えるような男前な要素もあり、一郎は実に恰好いい、頼れる男子高校生だ。彼の心情を追うことに関しては、このアニメの筋立てはとても理知的に組み上げられている。一度捨てた中二病への拒否反応や、女の子と接する上でのほどよい緊張感。長年の努力が実って必死ですがりつくクラスでの立ち位置へのこだわりなど、彼の心境は無茶苦茶な世界の中にもちゃんと息づいていて、本作はまさに「魔竜院光牙最後の闘い」に相応しい彼の奮戦ぶりが鮮やかである。脚本部分でも、たとえば、少しずつ明言せずに「実は過去にいじめられていた」というトラウマをにじませて不安感をかき立てる展開や、これ以上無いくらいに共通部分を持った同類の良子への葛藤まみれの感情なども、一見無茶苦茶なのに不思議と筋が通る。今作で一番良いキャラクターは誰だったかと問われたら、それはやはり、脚本で一番配慮されて丁寧に描き出されていた一郎だったのではなかろうか。

 最終的に、これは男目線だから落ち着いた結論なのかもしれないが、おそらく原作のコンセプトからしてそうだったのではないかと予想する。男の子が頑張る理由は何かといえば、そりゃぁ当然可愛い女の子のために決まっている。だからこそ、良子は登場して早々に一郎に(ディープな)キスをして彼の中の地位を確立させたのである。後は良子のバックグラウンドなど一切分からずとも、ひたすら一郎側のディティールを掘りさげれば自ずと「一郎が守りたい女の子」の話もついてこよう。このあたりが「中二病」のコンセプトと大きく違うところで、「中二病」はどこまで行っても六花の物語であった。だからこそ彼女の家族が執拗に描かれ、凸守だって六花のためのオプションとして配置された。六花が描かれた結果、「六花を守りたい男の子」としての勇太が主人公として出てくるという図式。今作とは綺麗な対称を成しているのである。他の部分についても、色々と見比べてみるのが面白そうである。

 結論すると、「映画媒体としては難点も多いが、おそらくこうする以外に映像化は難しかっただろうし、こうするだけの価値はあった」という風にまとめておきたい。もう1度観たいかどうかは微妙なところだが、筋立てを全部知った上で見直せば、また細かい脚本の心配りが見えてくるかもしれない、という期待感はあるのです。

 あと、もう一回大島さんに罵られたい。今作は中の人が贅沢すぎて明らかに無駄遣いなんだけど、大島さんの中の人、麻里奈だけはそれなりに台詞が多かったので報われた気がする。つまり、麻里奈に罵倒されたい。他の面々、千和とか画伯とかその辺は台詞が少なすぎてなぁ。あ、ドリセン役の大宙さんは割とおいしいところだったかもしれない。結局、メイン2人がほとんどの割合を占めていたのだから、当然花澤香菜・島﨑信長の2人勝ちということになってしまうのである。はにゃじゃわさんは一体何人目の中二病キャラなんだろうか。そして信長君だ。今作は一郎が恰好いいアニメだったが、本当に信長君が良い仕事をしてくれたと思う。恰好いいシーンが本当に恰好良くなってるんだ。素直に凄いと思ってました。結論、それか。そういえば、作中「イメージソング」扱いでの歌が能登有紗によるものだったのだが、ご丁寧にクレジットで「from StylipS」と書かれていた。いや、それ書かなくてもいいやん。別に小倉唯がソロで歌ってもそんなん書かれないんだからさ……。


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