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最近のアニメや声優、Magicに対する個人的な鬱憤を晴らすためのメモ程度のブログ。
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 今週は特に染みる、第6話。ホントにホントに不思議なお話。ず〜っとじいさんが一人語りをしているだけの話なのに、何故こうも色々と見えてくるのだろう。こんな感覚に陥るアニメ、そうそう無い。

 前回の情緒たっぷりの幕引きからスイッチするかと思っていたのだが、まさかのアーケード街屋上からお話が続いていた。相変わらず奔放に飛び回る弁天を追いかける矢三郎と、布袋様こと淀川先生。足下も覚束ないような文字通りの「天上世界」を、3人はあてどもなく飛び回り、気付けば目を見張るような紅葉の眩しい屋上庭園にたどり着いていた。あんな風に目を奪われる紅葉が生い茂る屋上が本当にあるのかどうかは知らないが(ちょっと探して見たけれど流石に寺町界隈には見つからなかったが)、弁天がふいと消えてしまう「一夜の夢の終わりの舞台」としてはこれ以上無いセッティングである。先週も触れたが、「京都一の賑わいを見せる繁華街のアーケード上」というのは実に不思議なステージになっており。無機質なビル群の並び、しかも人目に触れないおかげですすけて、華やかさの欠片も無いような「舞台裏」のはずなのだが、京都の町並みの一部であることは間違いなく、彷徨っていると瓦屋根などの歴史的な建築様式も平然と混ざり込む。京都は景観保全のために建物の高さが制限されており、そのせいで繁華街と言っても目立つ建物は1つもなく、歴史的な平屋の屋根と、薄汚れた雑居ビルの上層階が均一に肩を並べている。それを覆うアーケードの上は、そんな京都の雑多な文化を全て飲み込んでいる闇鍋の蓋みたいなもの。そんな奇天烈な場所に、ふいと現れるのが「日本の景色」を代表する一面の紅葉なのである。どこへ行っても季節感を残す日本の原風景とでも言うべき舞台。そこで、弁天は文字通り「煙に巻いて」矢三郎たちに別れを告げた。

 弁天という女は、今回冒頭で紹介された通りに始めは「人間の代表」であるはずだったのだが、天狗に師事し、いつの間にか追い抜いてしまい、気付けば天狗・狸・人間のどこにも属さぬ中途半端な境界領域になってしまった。この度の金曜倶楽部で矢三郎が積極的に(父の敵であるはずの)人間と交流を持ち、狸と人間の近さを感じれば感じるほど、弁天は孤独にもなっていく。鈴木聡美だった「昔日の面影」は無いと言われているが、前回から引き続いてぺたぺたと素足で歩く彼女の姿は、どこか幼く、木訥だった田舎娘の風情を残しているようにも見える。人から離れきれず、かといって天狗にも狸にもならない彼女だけの孤独が、後に井戸に注いだ涙になっているように見える。

 弁天が繋いだ縁は「食う側」と「食われる側」という不思議な関係性を浮き彫りにした。何とも妙な人間である淀川先生は、気付けば弁天への愛ではなく、狸への愛情、それも、過去にたった一匹自分と腹を割って話してくれた下鴨総一郎への愛情を語っていた。狸としての生を全うしたと語る総一郎の生き様を受けて、彼は「食べる」「食べられる」という自然の摂理から抜け出してしまった人間の寂しさを漏らす。受け取りようによっては非常にエゴイスティックな物言いであるし、ことが「捕食」であるから、思い描けば実にシビアで、救いようの無い話をしているはずなのだが、彼の嘆願も懐古も、どこか物寂しげに聞こえてくるのが不思議なところだ。「狸に食われてしまいたい」という彼の願いも、表面的にはこんな倒錯した話も無いのだが、総一郎との交流や、彼なりの美学を謳われてしまった後には、その憧れも分かるような気がしてしまう。「愛を持って食う」という主張がまかり通るこの世界であるならば、下鴨総一郎は、何とも幸せな末期を迎えたものである。

 そして、そんな話を聞かされているのが、総一郎の血を最も強く受け継いだ矢三郎であるというも実に倒錯的。淀川先生の思い描く「食うということ」を聞かされてしまい、矢三郎は今まで以上に父の思いを考え、悩むことになる。これまであらゆる局面で飄々と逃げ続けた「逃げの矢三郎」が、此度の談話についてだけは逃げを打つことが出来ず、最終的に矢二郎のところへ悩み相談に行ったのも、なんだか奇妙な風景であった。結局、父親の死について全てを受け入れたと見えていた矢三郎も、未だ父や淀川先生のような老練の「達観者」には至っていないのであろう。

 「阿呆の血の然らしむるところ」というキーワードは、総一郎の口から現れ、淀川先生の、人としてどこかずれたような生命観へと流れ、再び息子の下へと戻ってきた。食われた阿呆は檻の中だったが、食った阿呆もまた「井の中の蛙」であると自嘲して見せた。思い悩んだ矢三郎が相談に行ったのも井の中の蛙であるし、当の矢三郎自身も井の中で頭を抱える。井戸の外、いやさ井戸の上におわすのは弁天だた1人であるが、彼女とて井の中に涙をこぼすくらいしかやりようがない。かくも世の中は分かり難く、だからこそ美しくもある。此度の屋上庭園は、そんな阿呆を煙に巻いた、世界の見え方の一端であったのだろう。

 悩んだところで宴は終わり、淀川先生もまた普通の人間として日常へと帰って行く。狸の方はと言えば、「どっこい生きてる」それだけで重畳。蛙の姿でこの台詞を言うあたり、まだまだ矢三郎も余裕があるのかもしれませんな。

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