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最近のアニメや声優、Magicに対する個人的な鬱憤を晴らすためのメモ程度のブログ。
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 今回の殊勲賞は間違いなく陽菜ちゃん、第11話。別に律儀に全部食べなくてもいいのにね。他の容器に移して取っておくとか、最悪捨てちゃってもしょうがないと思うのに、ちゃんと全部食べる陽菜ちゃんは偉い。

 前回までの突き放した展開とは違い、今回はどこか1点に収束しつつあることが強く感じられる「まとまり」の突端という印象のエピソード。このアニメでは既に悪のりになりつつあった止め絵演出もほとんど無く、1つ1つのシーンの意味はかなり取りやすくなっている。今回のコンテ演出が篠原さん1人の作業ってのが分かりやすかった要因なのかも。今更ながら「この作品における四隅のトバシは強い陽光の演出」ってことを確認出来たし(ほんと今更だな)。

 既に3つの物語のうち、2つはエピローグの段階に入っている。既に長い長い後日談の様相であり、細かく紡がれるそれぞれの断片は、既に「6人の物語」ではなく、「3組の物語」としてほぼ完成している。最終形が見えずにたゆたっているのは透子・駆のペアのみである。

 今回最も分かりやすく「動いた」のは祐と幸のペア。幸の方から「山に登りたい」という無茶なお願いが提案され、当然、祐の方は一も二もなくこれを承諾、彼女がかつて成し得なかった「自力での山登り」にチャレンジすることに。ここで、幸にとっての目的は「山に登ること」それ自体ではない。もちろん、検査入院で身体に大きな異常がないと分かり、多少身体に負荷をかけてみたいという気持ちが出たこともあるかもしれないが、最大の目的は「祐と2人で登ること」であり、祐の前で、新しい自分の姿をしっかりと見せ、その上で自分の気持ちを確認することにある。自分のこれまでの「汚い」行いについて自問し、それを隠し立てせずに祐に打ち明けて、認めてもらいたかったのかもしれない。俗世を離れ、なんとか自力で登った山の上で、彼女は改めて祐に「謝罪」し、月を媒介とした文学的な告白イベントとは別に、きちんと人としての義理を通したわけだ。祐はそんな幸の姿勢とメッセージを当然のように受け止め、器のを大きさを見せた。まぁ、彼の場合は「何も考えてないんじゃないか」とか思われてしまうかもしれないが、荷物を持って登ってあげる姿勢、そして下山の時の彼女をおぶって降りてくる姿など、実は無神経に見える祐こそ、幸の求める「素直な気持ちの接し方」をしてくれる人物なのだろうと確認できる。「見えていないということは、怖い」。改めて打ち明ける幸に対しても、祐は接し方を一切変えなかった。正直、幸は透子への思いを完全に捨てられたとは言えない状態なのだろう。月の下で自分の姿を透子に「聞こえる」ようにした後も、彼女はまだ自分の姿が見えていないかもしれない。そしてその状態は何よりも怖く、悲しいのである。そのことを一番分かってくれるのは、同じように幸が「見ていなかった」祐である。彼の姿は、まだ幸の目に完全に「見えて」いるかは定かじゃない。しかし、おぶって山を下りる2人の距離に、次第にはっきりとその姿が見えてくるのだろうという安心感があった。

 言葉少なに互いの信頼感を確認し合ったのが、やなぎと雪哉のペア。今まではやなぎの一方的なアプローチであったため、やなぎは雪哉が部活で何をしていたか知っていたし、一緒に走って、彼の見た景色を追いかけることが出来た。しかし、そんなやなぎの姿勢に返礼しようと思い立った雪哉は、やなぎについて何も知らない。廊下でそんな話をする2人のポジショニングが象徴的で、2人は「見える」位置で並んで話していたはずなのに、自然な流れでやなぎだけが自室に入って雪哉には「見えなく」なる(それ以前の位置取りも、やなぎは雪哉の後ろから階段を登っているので「見えない」位置なのである)。そして、部屋の中から顔を出して「練習見に来る?」というわけだ。結局、このペアについても幸と祐のペアと同じく、互いの立ち位置を確認し、前に進むための第一歩を見つけ出すことが目的となったのだろう。わざわざやなぎのダンスレッスンを見に行ってこっぱずかしい思いをする雪哉。それでも、帰りの電車で口から出てくる台詞は随分前向きで、素直なものである。そしてついに、彼は「透子ともう一度話をする」とやなぎに切り出すのである。一度は告白した透子に何を言い出すのか、もうそれは明らかだろう。やなぎにそれを伝えた場所は、二人にとってはそこが定位置、日之出橋の上でのことであった。

 さて、2組は片づいたのに、残る一組は相変わらず謎めいている。今作で一番分からないのは当然駆だが、透子さんもやっぱりちょっとおかしな感性。突然家に帰らず美術準備室で一夜を明かすことを決めてみたり、問題解決の糸口として「駆の母親のピアノ」を聞くことをあっさり承諾したり。どうも、前回のキスではっきりと意識するに至ったみたいだが、透子は大した理由はなくても「駆は自分と一緒にいてくれる人」であると認識したようなのだ。駆の方は「透子が好きなんじゃなくて謎が解明したかったんじゃないかなぁ」という話を聞いているのにも関わらず、そう思ってしまっているのはどうしようもない。もちろん、自分の中では解決した問題だとは言えないわけで、そうした重大事をまとめ上げるための猶予をもらったのが、一晩の美術準備室だったのかもしれない。まぁ、一人でぼんやり思索しようと思っていたのに、隣に当の本人がいたのは計算外だっただろうが……。そして、駆の方も自分のはっきりしない動機を「透子への好意」であると認定した。それを真っ先に報告したのが母親ってのもどうかと思うが、今まで宙ぶらりんではっきりしていなかった「お互いへの気持ち」が、今回ようやく明文化され、形として現れたわけである。

 そして、何故かスムースに展開されるご両家面談の儀。「息子が女の子を連れてうちにくるよ」でおかーちゃんとか親父さんがちょっと浮かれるのはすごく分かるけど、「娘が男のうちの母親のピアニストに招待されたからついていくよ」は、お父ちゃん、きな臭いものを感じていいと思うんですけどね。深水家はおおらかなご家庭だ。今回2人の家庭の邂逅で色々とはっきりとしたイメージモチーフがあり、深水家の「光」という職業意識が持ち込んだ花瓶を中心としたライティングに現れ、それに対抗して沖倉家が司るのが、今回のサブタイトルである「ピアノ」に象徴される「音」である。2人の「未来の欠片」にもこのテーマははっきりと出ており、互いに何かを求めていても、「光」と「音」のモチーフが対象として一致しなかったためにすれ違いが起こっていたのかもしれない。

 そう、ずっと透子ばかりが見えて悩んでいた「雪」については、「音」を伴わないものだからこその困惑である。これまでの数話の間ずっと透子(と視聴者)を悩ませてきた「雪」であるが、ひょっとしたら我々にも大きな勘違いがあったのかもしれない。この真夏の陽光の輝きの中でアニメが展開すると、どうしても「雪」というモチーフは冷たく、暗い印象になりがちなのだが、今回、幸・祐ペアややなぎ・雪哉ペアの関係性が深まり、成就したシーンでも、この雪はちらちらと姿を見せていた(4人には見えていないので、あくまで「欠片」の一部である)。つまり、あの雪というのは決してネガティブなものではなく、何らかの「感情の純化」によって得られる心象風景なのかもしれない。「光」と「音」は非常に刹那的なものであり、一瞬の産物であるからこその美しさであるが、「雪」のように存在が具象化し、そこに「積もる」要素が生まれることで、瞬間的ではなく、何か長期的な感情の蓄積が見え始めるのではないか。それこそが、駆の訴える「孤独」という一時の感情を乗り越える鍵になるのかもしれない。

 ……と、ここまで無難にまとめてはいるが、次回予告で衝撃の一言が発せられたので次回の展開に全く予想がつかない。自己紹介するメンバー全員は別にいいのだが、「私が見えるの?!」ってどういうことだ? このアニメ、大どんでん返しとかあるのかな? 何が起こるか、次回の花火を待つしかない。

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