最近のアニメや声優、Magicに対する個人的な鬱憤を晴らすためのメモ程度のブログ。
○「ネクロノミ子のコズミックホラーショウ」 5 真夜中にぱんチしそうなスタートだったが、タイトルにそのまんま堂々と「コズミックホラー」って書いてあったわ。いつも通りろくに事前情報も見なければタイトルも確認してない状態でやんわり「ホラーかぁ……」って警戒しながら観始めたけど、「あ、コズミックホラーならだいじょぶですわ」ってなった。 どっから出てきた作品なのかと首を傾げたが、どうやらオリジナルアニメらしい。それこそ「真夜中ぱんチ」もそうだったが、今のところ「配信者」をテーマにした作品はまだオリジナル企画として試されてる段階ですね。まぁ、どこぞの淡雪さんみたいなラノベ発信の配信者もいますが、これが定着した文化としてアニメ媒体にも数を増やすまでにはもうちょい時間はかかるかもしれない。 正直、1話目では可とも不可とも評価しにくい作品。いや、大抵の作品は1話目だけ観ても分からないに決まってんだけど、今作は「なんか大きく上振れしそうな要素」と「なんかダダ滑りしそうな要素」が混在してて、今後の当たり外れが大きいような気がしている。上に振れそうな要素はそのデザインの独自性。制作はStudio五組ということで期待値的にはややプラスだが、確認したら五組は共同制作も含めてなんと3本のアニメを同時進行している。例によって制作時期がいつかまでは分からないが、予断は許さない状況。1話目の映像はそれこそ可もなく不可もなく。ゲーム世界のどっかで見たようなデザインをうまいことCG処理して手間を削減してるあたりはそれなりに面白みに繋がりそうだが、今後「クトゥルフ」という独自のテーマを描くためには結構な労力がかかりそうなところが懸念点。その上で、キャラデザとかは割と思いきったものを出してきており、このラインを維持できるなら何か見たことない展開も期待していいかもしれない。 お話の方は配信者によるSAOか、もしくは「神は遊戯に飢えている」設定だが(あのアニメは途中で見なくなっちゃったけど)、デスゲーム設定好きとしては先に不安の方がきちゃうのが悩ましい。デスゲーム設定、もはや「ネタ」としてこすられすぎてて、独自性を発揮しながら面白くしていくのは難しそうなんだよなぁ。さらにテーマが「クトゥルフ」ということはどちらかというとロジカルにゲーム性を楽しむ方向性じゃなくて理不尽な「不協和」みたいなものに寄せるデザインになるはずで、どうやってそれを受け入れていくかも課題になりそう。少なくとも1話目時点でのゲームは全く面白くなかったので、この調子で続けられると次第にフェードアウトしそう。「配信者連中」が特に面白そうなキャラに見えないのも現時点ではややマイナスか。 まぁ、何事もチャレンジ精神ですよね。ガチで「配信者がゲームを配信していくアニメ」が面白くなれば私個人としても新しい世界が開けるかもしれない。期待はそんなにしないで、生暖かく見守っていこう。 PR ○「まったく最近の探偵ときたら」 6 さて、改めて今期の新番組の口火を切ったのはこちらの作品。実は今期から我が家の録画視聴環境に微妙な変化が発生しているのだが、まぁ、多分ブログの運営にはほとんど影響は及ぼさないと思う。色々と不便とか便利とか環境の変化とか……どんな影響が出るかはちょっと様子見。 さておきこちらの作品だが、実はちょっとだけ既読。最近お馴染みの「電書で無料分だけちょっと読み」のパターンで、確か1巻だけ無料だったから随分前にそこだけ読んでるはず。最近はそうして無料で流し読みした「つまみ食い」作品も結構増えてきているのだが、今作の存在は割と覚えていて、多分その理由は「それなりに面白いと思ったから」だ。もし機会があったら続刊を買ってもいいかなぁ、くらいに思ってたけど、結局それ以上のきっかけが無くってお預け状態だったところに、今回アニメ放送が始まったので「ほなまぁ、アニメでええか」という流れになった。以前近所の漫喫に籠った時に続刊を読もうと思ってたのに見つからなかったって事情もあったりなかったり。 そんな「第一印象はあんま覚えてないけどなんか悪くなかった気がしてた」くらいのレベルのギャグ漫画。アニメになった1話目を見ても「あぁ、こんな内容だったっけ……?」くらいの本当に儚い記憶しかないのだが、とりあえずファースト(セカンド?)インプレッションは悪くない。重要なポイントは当然キャストで、相変わらずおっさん仕事が回ってくる安定の諏訪部順一に、つい最近まで殺し屋と警察官を兼任していた花澤香菜が今度は探偵見習いとして参戦。女子高生ヒロイン役を若手に譲らずに占有しているその姿勢、さすがの花澤。しっかりとテンション芸も乗せて、オールシーズンでメインは譲ってやらぬという気迫さえ感じられる。「にんころ」ではソロ名義でのオープニング担当だったのが、こちらではにんころダンスに負けず劣らずの電波タイアップアニソンで(なぜか杉田と一緒に)歌っているという。ちなみに1話目のカフェ店員が何故かさとこ役の三川華月だったので、こっそりにんころコラボを達成していたりする。 画面が全体的に古臭いテイストなのは探偵のキャラに合わせた采配だろう。いちいち脚本構成の名前まで掲載する「サザエさん」スタイルのサブタイトル挿入とか、なーんかレトロなくせして今の時代だったらかえってポップに見えたりするのが不思議なところ。ライデンフィルムによる1話目の作画は(1話目だから当然だけど)いい感じだし、多分コミックを読んだ時と同程度のプラスはとっていいんじゃないかと思っている。ギャグは合う合わないで評価が大きく変わるものだが、少なくとも「合わない」ネタじゃないって分かってるわけだしね。 「ヴィジランテ -僕のヒーローアカデミアILLEGALS-」 5→6 こちらもまだ未完なので現時点での評価にあまり意味はないのだが、現時点で何も不満はないですよ、という中間報告。 放送中にほとんど言及しなかったのは、どうしても「ヒロアカ自体はアニメで追いかけてはいるが、そんなに熱心なフォロワーじゃないからディティール拾いきれてないのよねぇ」という負い目があるから。ガンダムコンプレックスの軽い版みたいなもんだが、こちらは時系列の兼ね合いもありそこまでガッツリ本編と絡むわけでもないので影響は小さい。それを理解した上でダラダラと追いかけて早1クール。改めて考えれば考えるほど、減点要素が一切無い作品なんだよな。 最初のうちは「本編とちょっと違ってやっぱりどっか安っぽい雰囲気かなぁ」と思っていたものだが、タイトルの「イリーガル」という言葉から分かる通り、そりゃまぁ「安っぽい」というか違う方向性を狙ってる作品なのはプラスとかマイナスの要素じゃなくて単なる「前提条件」である。ヒロアカと全く同じことがやりたいのであれば、それはもう本編を原作者が描いたらいいだけの話なのだから、スピンオフなら「わざわざわきでやる」理由があって然るべき。今作ではそれが「どっかズレた脇役っぽさ」みたいな部分で発揮されており、画面全体が「ヒーローの煌びやかさ」みたいなものを積極的に発揮させないように統制されていることが分かる。この空気感が狙って出せているなら、それはきちんと目的意識があって、それを実現するだけの力があった作品だということだ。 本編のような超絶バトル作画が連発されるわけじゃないとはいえ、今作も見せるべきバトルは一定以上のクオリティを実現しているし、もはやヒロアカ本編ではできないような「小さい」バトルの展開にもここでしか見せられないテイストというものがある。「人類総ヒーローの時代」という無茶苦茶な設定ならいろんなはちゃめちゃ展開は考えられるわけで、本作はそんな「デクたちではやれなかったあれこれ」の願いが詰まっているのかもしれない。 個人的には、「この設定だとヒーローとヴィランの境目が分かりにくくなって構図がぼやけるんじゃないかなぁ」と思ってたところにがっつり悪そうな蜂須賀が出てきてくれたおかげでグッと構図が締まったのは嬉しかったですね。千本木彩花によるキャラ作りもお見事で、彼女まわりのあれこれだけでも割と満足できたわ。エピローグもよかったしなぁ。こっからどういう対立構図が展開されていくかしらね。 「日々は過ぎれど飯うまし」 5→5 やぁみんな覚えてるかな? P.A.WORKS大好きおじさんだよ。とかなんとか言いながら、上の点数表示で若干嘘くささが漂っているよ。 今期揃い踏みした「女の子がなんとなく物食ってるアニメ」の一角。それぞれに似たようなところを並走しながらもちょっとずつ差を出しているあたりが興味深く、「同じようなアニメをまとめて垂れ流しやがって!」という不満よりも、「こんだけ似たようなデザインのくせにちゃんと差が出るもんだな」とダイレクトに比較できる環境が面白くはあった。その結果こちらの作品は一定の評価を得たようだが、個人的な好みで言えば「mono」>「今作」>「ざつ旅」の順になった。普段はあんまり他の作品と比べるようなことはしないのだが、偶然時期が被って点数が表示されちゃうのでしょうがない。ただ、この評価軸についても色々と歪んだ愛着(Warped Devotion)があるのが個人的にはちょっと申し訳ない。 まぁ、すげぇざっくりいうと「P.A.WORKSに期待してるのはこんなレベルじゃないのだ」という勝手な期待があった。別に今作も作画に一切不満はなく、わかりやすいキャラクターデザインの「萌えアニメ」としての概形に違和感もないのだが、「別にP.A.じゃなくてもこれくらいできたのでは……」と思ってしまうとどうしても片手落ちの感がある。いや、「菜なれ花なれ」みたいな画面が見たかったのかと言われたらそうでもないのだが……せっかくオリジナルで自由に画面が作れる作品なら、もうちょい「らしさ」を見せる攻めの姿勢があってもよかったと思うのだ。 あとはまぁ、筋立ての部分だよね。ユル系の日常作品に筋立てもなんもないやろ、と言われるかもしれないが、今作は「変なこと」をさせようとするとしのんが1人で奮戦することになり、ギャグとしての密度はどうしても二の次になるし、地味丁寧な調理描写にどうしても筆を割かねばならないため、「ゆるギャグ」としてはだいぶ薄くなってしまう。その分料理描写での大きな加点があったかと言われたら残念ながらそんなことはなく、やはり「料理もの」「旅もの」という2つの属性は「別に地上波のバラエティとやってること変わらんしなぁ」という縛りから脱却しづらい。それこそホラーとかまで交えて非現実を混ぜ込んだ方が、分かりやすい刺激が提供できたんじゃなかろうか。 まぁ、それをよしとせずに真っ向勝負したのだとしたらその姿勢は評価されるべきなのかもしれない。別に嫌いな要素は特になかったのだから、もう少し「ならでは」を見定めたノウハウが蓄積されたら、案外2期3期と続いた時に光る作品なのかも。いや、続編の予定は多分ないだろうけどさ。 「LAZARUS ラザロ」 5→3 これはもう、揶揄でもなんでもなくて純粋に疑問として答えが知りたいのだが、……この作品は何をどう楽しめばよかったの? 一部で評価する声も聞こえてくるのだが、どの部分を楽しむアニメなのかが最後まで皆目検討がつかなかった。座組みによる前評判が高かっただけに、この延々頭が来ないだるま落としみたいなアニメのどこをどう摘んだらよかったのか、マジで頭を抱えている。 常々、私は「やりたいことが分かる」という要素をプラスに取るようにしている。「達成できなかったけど、やりたいことは分かった」とか、「なんかやりたそうな空気は伝わった」とか。しかし、今作の場合は「多分こういうのがやりたかったんだろうけど……」というのがなんとなく伝わった上で、「なんでやろうとしたん?」という疑問につながってしまう。多分、やりたかった「空気」は渡辺信一郎の代表作であるビバップだろう。昨今、ああいうハードボイルドな世界観のアニメなんてすっかりなりをひそめてしまったし、ビバップは特に海外受けが良いということもあり、25年以上経った今なお、語り継がれる作品だ。私もリアタイではないが一応視聴はしていて、なんとなく格好いいと憧れもしたし、それなりに楽しんだ記憶はある。おそらくナベシンを担ぎ出すにあたって、「令和に再びあのビバップを」みたいな注文が出たことは想像に難くない。 ただ、ビバップってのは雰囲気だけの作品じゃなかったってことなのよ。本作に一番欠けている要素は誰がどう見ても脚本の求心力。毎回毎回毎回毎回「スキナーいないねぇ、あっちにいるって? 行ってみよう! いないねぇ」を繰り返すだけで、お為ごかしのように積み重ねられる薄い「秘密結社のメンバーもの」みたいなテイストも、メンバー1人1人に愛着も感情移入もないもんだからサラサラと流れるばかり。だってメンバー5人にしても「個性的な連中が集まったぜ!」をやりたいはずなのに、みんなして別に個性を発揮しないんだもん。最後まで誰がどこで何したいのか、さっぱりピンと来なかった。「ルパン三世」の旧作を見て不二子ちゃんのあれこれを見ていた方がよっぽど刺激的だろう。 そしてもう1つの「やりたかったこと」は生のパルクール映像。徒手空拳での取っ組み合い、格闘シーンにチェイスの画面がとにかく長い尺を使っており、必死に描いた作画シーンを見てほしいというのも本作の狙いの1つ。わざわざパルクールアクションのために専門家を引っ張ってきたという話だし、「やっぱり昨今のアニメ、作画でも魅せないと」という真っ当なセールス文句をなんか変な解釈で飲み込んじゃった様子。私が1話目時点で「流石にパルクール長くね?」と首を傾げて評価を上げづらかった記録が残っているが、1話目時点ですでに飽きちゃったものを、そこから13話続けられても面白くなるはずがない。そんで中国アサシンとアクセルの関係性とか、別に引っ張るようなネタがあるわけでもないし。ダラダラと格闘シーンを続ける時間があるなら、その時間でもう1つ2つドラマの掘り下げをやって多少なりともキャラクターへの理解を深められればよかったのに。 トータルすると、なんか「大人がいっぱい集まって会議を重ねた結果、誰も核心的な意見が出せずになんとなく外側だけ決めてったらガワだけの議案が通った」みたいなアニメだった。ここまで「はずされ」たのは久しぶりの感覚だが……でももしかしたら私が気づいてないだけで、何か制作サイドには深遠な目的があって、それをこっそりアニメの中に仕込んでいたのかもしれない。それこそ、体内に潜むハプナのように。 ……最終回で「ハプナなど幻想だよ」みたいなオチになると思ってたのにふつーに手書きで構造式書いて渡して、急ピッチで特効薬の増産させて間に合ったのは正直ワロタ。世界、柔軟すぎるやろ。 「戦隊大失格 2nd Season」 ―→4 ごめん、途中から真面目に観てなかったもんだから設定のディティールあんまり把握しないまんまで終わりを迎えてしまった。まぁ、そこまでコミットしてなかった作品の2期目ってぇとよくある話だ(言い訳)。 流石にそれで「ごめーんね」で終わってしまったら実入りが無さすぎるので、なんで真面目に観る気が起こらなかったかって要素をいくつかピックアップしていこう。まず最大要因の①「作画が……」。もう、なんか今期はそんな作品ばっかりな気がするのだが、今作についてはかなりのがっかりポイント。思い返せば1期は日曜夕方に放送されてたんですよ。それなりに期待感があって、宣伝も打たれてた枠だったおかげでYostar Picturesが頑張ってアニメを作っていると思ってたのに……2期に入ってからというもの、「深夜ならもういいや」みたいな投げっぱなし作画が一気に増えて画面の魅力は激減。作品として成立するギリギリじゃねぇか、くらいの低クオリティまで落ち込んでしまった。勝手なイメージでYostarは作画品質だけは落とすことがないスタジオだと思い込んでいたのだが(少なくともこれまではそうだったはずだが)、この作品で初めて「崩壊」レベルの失態。いったいどんな事情があったんでしょうかね。 理由その②、流石にシナリオラインが間延びしすぎた。序盤から中盤にかけてのエンドレス石田彰フェイズが長すぎた。なんで今作の設定でわざわざ1つのバトル要素にループものを入れ込もうと思ったんだろうね。いや、入れてもいいんだけど、アニメになった時の盛り上がりがなくて、ただダラダラと(低品質作画の)よく分からんシーンを見せ続ける展開に。先の展開を知らない私もそりゃ石田彰がいることは最序盤から分かってるし、何に期待して観たらいいのかよく分からなかった。そんで1つのくだりでダラダラと尺を使った割には、その後の急転直下の世界観がガラッと入れ替わる展開が性急でよく分かんない流れになっちゃったり。まー、これは私が1期をろくに覚えてないのも悪かったのかもしれないが、残念ながらついていく気は大きく失せた。 そしておまけの理由③、やっぱこの作者、別に戦隊ものが好きじゃないよね。いや、別に戦隊パロディを描くのに絶対に愛着が必要である、なんて原理主義的な思想はないのだけど、たまたま放送時期的に間に挟まった「戦隊レッド」が割と理想的な「戦隊パロディ」を実現してくれていたおかげで、表層的な設定として(しかもだいぶ歪んだ認識の)戦隊を使ってるだけの今作に魅力を感じることができなかった。まぁ、そうして「戦隊なんて」っていうアンチテーゼを唱えることが主目的であることを考えれば、むしろ戦隊ファンから嫌悪感を抱かれる方が本懐なのかもしれないが……だとするならやっぱり私は楽しむ意味がないということになる。もちろん、戦隊とか全然関係ないところで面白いドラマが展開するなら表層的な部分を気にする必要すらないのだが、残念ながらそんなレベルの話ではなかったのだ。 なんかこう、全体的に「やらなきゃいけないからなんとなくお話たたんどきました」くらいの印象での幕引き。途中からサブタイトルを見るのだけが楽しみなぐらいでしたとさ。サブタイだけから推察するに、最終的にアンチ戦隊の代表格がドンブラだったって結論になるんだ(そういうことではない)。 「ウマ娘 シンデレラグレイ」 6→6 とりあえず一旦中休み。分割2クール目が10月から始まる旨はすでに告知されているし、ほんとのほんとに「小休止」。だから現時点で何かを語る意味はあんまりない。 とはいえ、その中休みをVSタマモの後ろに持ってくるあたりがなかなか憎たらしいね。衝撃的なオグリの「敗戦」で幕を引いて、次なる再起から後半クールがスタート。いわば視聴者目線では「なんかモヤッとした終わり方」に見えなくもないわけだが……でもまぁ、そこに気を持たせるような筋立てにもなっていないので、むしろ沸々と煮えたぎるような感覚を3ヶ月間抱えていきましょうや。 今作についてはウマ娘シリーズとしては初めて原作を知った状態での視聴だったので、今後の展開がどうなるものかとハラハラしながら見守るという緊張感こそなかったものの、きちんと「これくらいのクオリティで出してくれるだろう」という想定に乗ったアニメ作りができていた。予想も期待も裏切らないってのは簡単そうに思えるけどなかなか難しいもんですよね。まぁ、その辺りはCygamesPicturesのお仕事に不安は一切持ってないのだけども。新番チェックの時に触れたが、本作はまた「1クールで終わらせることを想定していない初の長期アニメ」という特性もあり、その辺の舵取りがどうなるかという不安もあったのだが、きっちり1クール分の尺で過不足ない演出になっていたし、今後も心配する必要はなさそうだ。 タマモ戦までをぼんやりと見ていて考えたことを付記しておくと、「ウマ娘」シリーズの倒錯した面白みってのは長期シリーズにしてもなかなか面白いな、とか考えていた。普通、ドラマを作る際には「理由」が先にあって「展開」を作るんですよ。例えば主人公がここで一度レベルアップして欲しいからそのモチベーションのために試合で負けよう、とか。ライバルの存在が多くなりすぎるからここで負傷退場してもらおう、とか。面白い展開ってのは考えて作るものなのだから当然だ。 しかし、ことウマ娘ってシリーズはこの因果関係が逆になる。試合での勝ち負けはすでに「現実が」決めてしまっている。そしてそこに「理由」をつけるのが物語の語り手の仕事。例えば今回のお話でいうなら「オグリはタマモに競り負ける」という結果が先にあり、その理由として「タマモにも抱えている大切なものがあり、そのためにゾーンを超えたからオグリにまさったのだ」という展開が描かれる。そこに脚本家の手腕が試されるし、ユーザー側としてはそうした「普通じゃない」物語の組み立てに楽しさを感じる。 オグリって、「怪物」だのなんだの言われてるけど、今回のタマモをはじめとして結構「負け試合」が描かれるんですよ。普通の少年漫画だとこういう展開って結構珍しくて、普通に考えたら「最強のはずなのに!」ってヤキモキしそうなもんだけど、1つ1つのレースをどっしりと描いてくれるおかげでそこにフラストレーションが溜まりにくいし、面白さにも繋げられてる。今後の展開でもそういう「史実に裏付けられた創作劇」の妙味を引き続き楽しんでいきたいですね。とりまジャパンカップ、あれもあれでなぁ……。 「黒執事 -緑の魔女編-」 ―→6 思えば遠くに来たもんだ。アニメシリーズとしては一応5期目(数え方によって変わりそう)、足掛け17年目のとんでもない作品がまた1つの幕引き。当初は大してフォローしてなかった作品だったのだけど、途中から割と楽しくなってるのはやはり積み重ねた歴史のなせる技か。 いや、それよりなにより今作の最大の売りはCloverWorksによるハイクオリティアニメーションなのだけども……一応Cloverに変更される前のBook of Circusあたりから評価が上がってるので後付けの理由ではある。昨年の「寄宿学校編」に続き、今回も絢爛だったり、妖艶だったり、壊滅的だったりする世界の情景が実に見事な美術設定で描かれた。お話の方も話数を重ねてマンネリズムに堕するかと思いきや、きちんと「ネタ」をガツンと盛り込んでおり、シエルたちの海外出張任務(?)をなんとも即物的な刺激で彩ってくれた。正直、ネタばらし周りの話数は流石に面白くて、「えげつねぇネタだなwww」と笑ってしまった。あまりにもまっすぐな展開だったもんで、逆に想定してなかったわ。 長期シリーズのくせして新キャラが釘宮理恵だったというのも最初は意外だったが、このポジションのサリーというキャラのために温存していたのだとしたら嫌というほど頷ける(そこまで考えてないだろうけど)。実に真っ当なくぎゅキャラで、その魅力をフル回転させてシリーズの立役者となってくれた。ヴォルフとのコンビもよくできているし、「イギリスから見たドイツ像と当世の世界観」をえげつなく活用するその姿勢は、この「黒執事」という作品が人気を博している理由を端的に表しているように思えた。 ただねぇ……尺の問題がねぇ……。「尺の問題が」と切り出したら大抵のアニメは「尺がなくてカツカツだった」という話になるんだけど、今作は尺が……あまりすぎた。1クールにするには短めのエピソードだったのだろう、中盤から終盤にかけて、「前回までのあらすじ〜」を全盛期のドラゴンボールばりにゆっくりのたのたやられてしまい、ある意味で超絶親切ではあったが、流石に「やりすぎだろ」と辟易。その辺の舵取りがもうちょいうまけりゃさらに加点してもよかったんだけど……まぁ、長期シリーズだからこそ、前後の帳尻をあわせることの重要性が高いんだろうから仕方なし。 懐かしの面々など、作品世界のデカさが分かりやすいセッティングもあちこちに散りばめられ、いくらでも続きが作り続けられそうな展開を残している。次のアニメ化はいつになるんでしょうね。 「忍者と殺し屋のふたりぐらし」 6→7 毎週感想は書いてたのであんまり追記が必要ないタイプの作品だが、総括としてはなんかやることあるかね。……「シャフト文化の展開」みたいなテーマで一席ぶてないもんだろうか。 本作の最大の見どころは(良くも悪くも)「ぶっ壊れてガタガタになった倫理観」であることは何度も触れてきた。原作がどういう路線なのかは知る由もないので今後機会があればあたってみたいとは思っているが、とりあえずこの原作をアニメ化するとして、どのような方策があるか。大きく分ければ2つの路線があり、1つはとにかく萌え要素を加速させ、「人の死」が完全にギャグになってしまうようなほわほわでどこか抜けたような演出にしてしまうこと。「死んだ刺客連中があの世でワイワイやってる」なんて描写があるのだからこの方向性で脳天気なギャグを気取ることはできただろう。そしてもう1つはしっかりはっきり「死」を意識させ、シリアス要素はシリアス要素でくっきりはっきり描いてしまうこと。殺し屋このはが自分の去就について思い悩むシーンがあったりするのだから、これまた原作からあった要素だろうし、アニメの絵は頭身を調整したりBGMやカラートーンを調整することでシリアス味をあげることは可能だったはずだ。宙ぶらりんでいるよりは、何かはっきりした路線を示した方が「作りやすい」のは間違いないだろう。 だが、そうはしなかった。おそらく原作が最も表現したいであろう「倫理倒錯の面白み」みたいなものを、アニメはリスクを覚悟で全部受け止めた。そのために白羽の矢が立ったのが怪しげな作風で知られるシャフトであり、シャフトはこれまできららアニメなどで培ってきた「ぷに萌え」の演出をベースに敷きながら、いつでも間と音で転調できる緩急の絵芝居で今作の持つ二面性を「そのままに」描くことができた。冷静に考えれば色々と変なカット回しは相変わらず多かったわけで、おそらく他のスタジオが任された時には、このなんともいえない「ふざけた真面目さ」みたいなものは表出しきれなかったんじゃなかろうか。 「シャフトだから」とはいうものの、改めて今の時代に考える「シャフトらしさ」って案外難しい。おそらく我々が真っ先に思い浮かべる「シャフトらしさ」は、それ即ち「新房昭之らしさ」であり、1人のクリエイターの個性がスタジオの看板と密接に結びつきすぎていて、分けて考えることが難しくなっていたのだ。ある時期、新房門下は純度を増しながら拡大と純化を続け、大沼心や尾石さん、龍輪さんといった独力で監督業務を回せる人材を育成し、シャフト外にも拡散していった。時代が流れ、ここ最近は新房さんが「総監督」名義でクレジットされる作品の数も減ってきた(というかシャフトの元請け作品自体が減ってるのだが)。シャフトは「アサルトリリィ」や「ルミナスウィッチーズ」といった佐伯監督デザインの「新房風味のない」作品も安定して生み出しており、そろそろ「シャフト=新房流」という等式も成り立たなくなりつつある。 そんな中で「次世代の新房派」を模索し続けているのが、今作で監督を勤めている宮本幸裕氏。彼の作風はしっかりと新房時代の影響を残しながら、今作のように「ポップで受け入れやすいマーカー」をつけることで飲み込みやすさを向上させている。もちろん見る人が見れば「シャフトっぽいな=新房さんっぽいな」と思わせる部分は多いのだが、おそらくそれは宮本さんが意図的に混ぜ込んでいるファクターであり、彼のデザインは新房的なアイコンを適宜オンオフできるようになっている。そして、今作はそんな「二つの局面の使い分け」がうまくはまり込んだ好例のように見えたのである。 今後のシャフトの、宮本さんの作品作りが「ネオ新房」として更なる発展を遂げるか、はたまた「ライト新房」と受け取られて二次的なものだと結論づけられるかはまだ分からない。しかし、少なくとも今作のように一定以上の成果をあげられる試みであると、私は思うのだ。 (まぁ、新房さん自身にももっと作品に関わってほしいとは思ってるんですけどね。まどマギの映画につきっきりなんかな)。 |
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関西在住の、アニメを見ることを生業にしてるニート。必死で好きな声優を12人まで絞ったら以下のようになった。
大原さやか 桑島法子 ーーーーーーーーーー ↑越えられない壁 沢城みゆき 斎藤千和 中原麻衣 田中理恵 渡辺明乃 能登麻美子 佐藤利奈 佐藤聡美 高垣彩陽 悠木碧
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