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最近のアニメや声優、Magicに対する個人的な鬱憤を晴らすためのメモ程度のブログ。
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 体調悪い時に観るアニメじゃねぇな、第3話。偏頭痛に悩まされてる状態で視聴したんだけど、全然考えまとまんないや。でも考えないと分かんないしなぁ。

 今回は外側だけをなぞると、「百合園さん、牙剥くの早すぎ」っていうお話である。前回衝撃の(?)正体を現した熊委員長百合園蜜子さん。彼女は「もっとおいしくなるから」といって前回紅羽を放逐していたわけだが、教室における謎のセレモニー、「排除の儀」によって紅羽が悪であると断定されると、機が熟したと判断して自ら正体を現したのである。彼女の中で一体どんな変化が起こったのか、そして、紅羽にどんな変化が起こったのであろうか。今回特筆すべきは、やはり教室で行われた「排除」ということになる。これまで「人間対熊」という対立構図ばかりがクローズアップされていたが、人間の中にも「透明な存在になるか否か」という選択肢がある。これまでも幾度となく用いられてきた「透明」という言葉。その語感だけで考えると「何者でもなく、無個性で表出しない人格」ということだと漠然と考えていたのであるが、今回の鬼山さんの演説を聞く限り、どうも「透明」にはもう少し積極的な意味があるらしい。それは「同調」。他の人の色に合わせなければいけないという「学校」の世界の中で、「空気を読めない=悪」であるとはっきり断定され、なおかつこの字幕には「ハイジョ」というルビまで振られている。断絶の壁の中、ただでさえ閉鎖された空間であるのに、今作がやたらと「学園」にこだわり、紅羽が熊と対峙する場所が必ず学園の屋上だったのは何故だったのか不思議であったのだが、どうやら、「人間」という檻の中で人々を縛る具体的な枷として、学園は立ち現れてくるようである。

 多数の人間に同時に「色」を合わせることなど出来るはずがない。そこで行われるのが「透明化」だ。色は混じれば黒くなり、光は混じれば透明になる。全ての個性を引っくるめて、全ての空気を読んだ先にたどり着くものは「黒」か「透明」しかない。この世界の女学生達は透明になることを絶対条件として掲げ、そこに「混ざれない」ものを悪と断じているのだ。これを単純な現代社会の縮図と見るのは非常に簡単。「学園」という風土もいじめや同調といった動向にしっくりくる場面設定であるが、そんな簡単なことじゃぁつまらないだろう。この世界は「壁」があり「学園」があるのだ。「透明化を強要する学校」を単純に「社会の縮図」とみるのはどこかちぐはぐである。何故なら、その外側に「熊」がいるから。現時点で「透明な熊」「透明な人」「透明でない熊」「透明でない人」という4つの分類があり、それぞれのカテゴリーがすっきりはまる縮図が用いられなければならない。……まぁ、答えは出てないんだけど。

 確認までに並べておくと、現時点では、ほとんどのクラスメイトは「透明」であるはず。まぁ、紅羽以外にも「ハイジョ」ランキングに名を連ねた生徒がいるのだから個人差はありそうだが、少なくとも今回何らかのやり玉に挙げられたのは紅羽のみ。つまり、紅羽は「透明でない人間」だ。好きを諦めないかぎり透明にはならないと、紅羽自身も言っている。執拗な回想シーンからも分かる通り、紅羽は純花に対する「好き」を貫くことで透明化を拒否し続ける。

 一方の「熊」陣営であるが、まだ排除の儀に参加出来ない銀子とるるは、はっきりとユリ裁判で「透明になる」ことを拒否しており、「透明でない熊」である。ただ、難しいのはこの裁判、未だにその意味が判然としていない。被告席には常にこの2人(2匹?)しか立たないので、他の熊がどういう扱いなのかが分からない。となると、問題となるのは百合園蜜子の存在だ。彼女は「人間として」は、儀式での排除対象とされていないことから透明になっている(もしくはなろうとしている)ようにも見えるのだが、はっきりと「紅羽を食べたい」と言っている時点で、ユリ裁判制度側から見たら透明であるはずがない。ぶっちゃけ、鬼山さんを口説き落とした時の「ユリダーク!」からして、あの百合園さんが「透明である」はずはないだろう。やはり熊は「人を食べる」意志を持っているだけで「透明な存在」であることとは相容れないということか。それが排除の儀のときに問題にならないってことは、単に蜜子さんのステルス能力が高いってことなのかね。

 駄目だ、頭痛い。来週がんばろう。あれ、でも来週からあおちゃん出ないのかな? ……百合園さんカムバァァァック!

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 もう、人口よりも熊口の方が多いまである、第2話。「断絶の壁って役に立たないんじゃないの?……ヒソヒソ」。僕もそう思います。

 無事に2話目をむかえることが出来たということで、我々がやらなければならないことはただ1つ、「どこがバンクか確認すること」である。様式として与えられるバンクシーン。これは「ウテナ」でも「ピンドラ」でも遠慮会釈無く繰り返されたものだが、手抜きとかそういうわけじゃない(いや、楽ではあるだろうが)。あくまでそれが合図、それが様式なのである。何故様式が必要かと言えば、世界が何を拠り所にし、どの部分を依って立つところとするかがさっぱり分からないためである。この世界の「普通」は何で、この世界の「日常」は何か。この世界で「成すべきこと」は何で、この世界に「起こるべきこと」は何なのか、我々は何一つ知らない。極端な話、ひょっとしたらこの世界の住人は夜に一睡もしないかもしれないし、初めて合う人には掌底を叩きつける決まりがあるかもしれない。そして、その正体は熊であるかもしれない。何一つこの世界のルールを知らない我々は、まず「毎週何が起こるか」という部分をきっかけとして、この世界の基点を知っていく。最終的にこの「バンク」すらも破壊されていくことが定番であるが、「日常の改変」がドラマであるなら、幾原作品は「バンクの消失」こそが物語といえる。いや、そんなご大層な意味があるかどうかはしらんが。

 そんなわけで、1話と全く同じやりとりが数多展開された第2話。冒頭部分は振り返りなのでいいとしても、紅羽に断罪のコートに電話で呼び出されてからの一連の流れは1話目とほぼ同じ。せいぜい紅羽が誰によって「屋上」からたたき落とされるかが違う程度。そして、あのユリ裁判が何を意味しているのかもさっぱり分からないのも一緒。結局1話目でも何が起こったか分からなかったし、2話目でも裁判終了直後に紅羽は屋上に立ち尽くしていたからね。どうやら時間的な隔たりも、空間的な隔たりもほとんど存在しない現象らしい。しかも、裁判が始まった時には今回の被告人席には「人を食べようとした」百合川このみが立たされるのかと思っていたら、あのシーンとは全然関係無いるると銀子が呼ばれていた。つまり、あの裁判は「実際に人を喰うところかどうか」はあまり関係無い概念らしいのだ。単に銀子たちが何かをする時に発生するのか、それとも、どっちかというと「紅羽が何かをする時」に発生するのか。今のところこの世界で特権的立場を手にしている存在は、「デリシャスメル」の紅羽だけ。どうもこの世界は彼女を中心に動いているようである。ただ、OP映像では中心にいるのは銀子なんだよね。どういう視点で動いていくかなぁ。

 個人的には、2話目になっても一切の容赦無く「百合」も「熊」も描いてくれているところがとても良いと思っている。百合については股ドンが2回、圧倒的なスキンシップの距離感でもって、容赦無く「本当の好き」を突き進んでいる。紅羽さん、いきなりほっぺた舐められて「嘘をついてる味だぜ!」ってやられたのに、割と冷静だったのがすげぇな。ひょっとして純花ちゃんともよろしくやっていたのかしら? そして、ラストには委員長の蜜子ちゃんにもべろべろされてしまうという。恐るべきデリシャスメル。そうか、おいしいのか……「透明な存在」にならなければ、熊は「人間を食べる」ことを宣言し、人間は「本当の好きを求める」ことになる。この対比は割と気になるところですね。普通に熊の方から「本当の好き」っていう言葉が出てきており、紅羽の「好き」を保証して励ましてくれてた蜜子もまさかの熊だったし。実は「喰う」と「好き」の境界って存在しないんじゃないかな。

 とりあえず、今週は「あおちゃんがすげぇ活き活きしてる」ってだけでヘビロテ確定レベルで満足。すごい振れ幅で楽しんでるよなぁ。「熊を憎む人間の優等生」「愛を求めるハンター」「デリシャスメルを求める獣」「単なる熊」。どれもこれも全部可愛い。小清水先輩の熊も楽しそうでしたし。やっぱり熊が可愛いのは正義だよね。熊なら陰部の匂いを嗅いでも、M字開脚しても全部セーフ。だって熊だもん。クマショック!

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 消え入るように、最終話。終わりました。終わらせました。色々と渦巻いているところですが、とりあえずそれだけは確かに言えそうです。

 「この終わり方」は、正確にではないが、何となく予想出来ていた人も少なくないのではなかろうか。最後に残された「ピングドラムの形」は、陽鞠と苹果が二人で向かい合う食卓だった。そのことは、すごくまっとうで、ありえないくらいに理不尽で、そして、どこかもの悲しかった。ラストとなった30分を必死に理性で追いながらも、何故かしらないけど目頭が熱くなった。「運命の形」を探し求めたたくさんの命の終着点は、理屈抜きでの残酷さと、唯一無二の救いの一手を見せてくれたように思う。ここに表された物語は、取りようによってはひどく陳腐で、真っ直ぐなお話。でもこれが、一筋縄でいかないだけの幾重もの螺旋の果てにたどり着いたような、妙な感慨もあるのだ。

 冠葉と晶馬。私の言葉でいうなら「正義ともう1つの正義」は、結局その根源で「未来」を求め続けていたことにかわりはなかった。作中の言葉で言うならば、彼らが求め続けてきたものは「光」であり、それはすなわち「陽」鞠である。許されざる道を歩んで望むものを手に入れようとした冠葉と、彼の行動を必死で正そうと追い続けた晶馬。道を分かった2人が最後にたどり着いた記憶の断片は、結局2人とも、「血を分けた」ところで繋がったかけがえの無い絆だった。「生命」の象徴たるたった1つの林檎の実。禁断の果実を見付けた幼い冠葉は、それを晶馬と2人で共有することを選んだ。同じ道を目指して、生き抜くことを選んだ。その繋がりは、目の前にあるものが変わった今においても、不変のものである。陽鞠を救い、世界を繋ぐこと。その目標は、最後の最後に2人の力でなしえることが出来たのだ。

 「世界の乗り換え」が行われるその刹那、冠葉は陽鞠を暗闇から呼び起こし、晶馬は桃果の呪文を苹果へ引き出すための礎となった。「生きることは罰である」と言い続けてきた兄弟は、「未来」と「可能性」の2つを世界に残すために、罰を受け入れることを選択したのだ。「生存戦略」のためにその身を失った冠葉、苹果に代わるために「蠍の炎」に身を焼いた晶馬。長年「生きるという罪」にその身をさらし続けた2人は、全てを精算し、「未来の可能性」だけを次の電車へと託し、去っていった。

 「生命」の象徴たる林檎の実が血しぶきとなり、画面中を飛び回った今回、最終的な「命」は、これまで最もかそけき命であったはずの陽鞠に着地した。それまで陽鞠の命を繋ぎ続けてきた2人の兄弟の姿を残さずに。私は常々、「この作品の最終回は高倉家のちゃぶ台に帰着すべきである」と言っていたが、そのちゃぶ台には、もう冠葉も晶馬もいなかったのだ。その事実が、本当に理不尽で、寂しくて。でも、それ以上の解決策も思いつかなくて。そんなやるせなさが、どうしようもない感情になった。相変わらずひねていて、どこか衒学的な世界。そのくせに、理屈を越えた部分でこの上なく切なかったのは、これまで追いかけ続けた3人の物語が、根源的な何かを揺さぶったおかげなのだろうか。この物語に理屈は通じないだろうが、だからこそ、どこかぶっ飛んだ、どうしようもないものを刺激できるのかもしれない。

 今はまだ、全部が全部消化仕切れる状態ではない。本来なら、「この結末」を理解した上で、また第1話から見直して、このアニメを作り上げた人々の意図を組み上げる作業が必要になってくるだろう。それをやって始めて、「ピングドラムを見た」と言えるようになるはずだ。しかし、とりあえずこのラストを見た上で1つだけ言えることは、「探していたピングドラムは、そこにあった」。それが分かっただけでも、この最終回は一つの収穫だったのだろう。

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 鷹の爪団とファビュラスマックス、第23話。どんなコラボやねん、いや、ちょっと楽しそうだったけれども。

 ここ数話は、「風呂敷をたたむ話」になっているのでそこまで詰め込んだ情報の多くないエピソードが続いている。様々なキャラクターが複雑に絡み合った状態から、1つずつ解きほぐされて中心となる面々に収束し始めているからだろうか。今回も、そこまで新たな情報が多いわけではなく、確実にゴールしたい、という意志がしっかり見て取れるだけの内容になっている。

 まず、今回一番大きかったのは、概念的な意味ではなく、渡瀬医師と荻野目桃果は対立関係にあったということ。これまでも様々な局面で「桃果と、その日記がある限り自分は勝つことが出来ない」と繰り返していたわけだが、そうした相互関係が、明確に二人の対面を含めた対立関係にあることが示されたのは意義がある。冒頭の、渡瀬がモノローグを入れる電車の車内が心象風景であるならば「直接の対面」があったかどうかは定かでないが、どちらにせよ、二人は互いに自分の「敵」を認識し、直接手を下す形の対決に至った。渡瀬は自らを「呪いのメタファー」と名乗った幽霊であり、桃果に対して「封じる」方策を狙い、桃果は「運命を書き換える呪文」でもって渡瀬を排除しようと試みた。そして、その動機は、渡瀬が「この世の全てを壊す」ことを目的としており、桃果はそれを阻止しようとしたためであることも分かる。これまで、渡瀬たちの軍勢を「もう1つの正義」と表現してきたが、どうやらここに来て、彼は純粋に「悪」と受け取っても良さそうな状態になってきた。

 「呪いの幽霊」渡瀬と「呪文の魔女」桃果。超越的な存在である2人は互いの力をぶつけ合い、結果は痛み分けとなった。桃果の力は2つのペンギン帽へと分化され、渡瀬も2体の黒ウサギへと分断される。おそらく、この2人は、分断された状態では力を発揮出来なくなったと考えるのが自然だろう。そして、渡瀬は自らを分断する呪文の力を持った日記帳を無き者にしようと奮戦し、桃果(ペンギン帽)はなんとかして日記を手に入れて呪文を完成させようと、高倉兄弟を使って「ピングドラム探し」をさせていたわけだ(この期に及んでピングドラム=日記帳かどうかは定かでないが)。互いに不自由な状態からの捜査活動であり、これまでは様々な人間を巻き込んだ乱戦模様だったわけだが、その最終的な勝敗が今回決したことになる。渡瀬の陰謀により、冠葉の罠にかかった苹果がついに日記を焼失させてしまったのだ。これで、一見すると桃果側の完全敗北にも見える状態になった。しかし、ついにペンギン帽の中から動き出した桃果は、まだ負けを認めてはいないようである。「運命の至る場所」へと向かう高倉兄弟。彼らを待つ対決は、一体どのようなものになるのだろうか。

 渡瀬は「悪」である。しかし、冠葉はまだ分からない。彼は渡瀬が「人の命を救える」ということを信じ、陽鞠を守りたい一心でテロ活動を含めた彼の命令に従っている。それは純粋な悪意ではなく、やはり未だに「もう1つの正義」ではある。しかし、既に渡瀬の行動には「もう1つの正義」はみとめられない。「自分が世界を嫌いであった」というあまりにも利己的な理由から、彼は世界を壊そうと企んでいるのだ。彼の「悪」を巡って、冠葉と晶馬が今一度激突するようだ。桃果の言によれば、彼女に必要なのは、晶馬と冠葉の2人。プリンセスオブクリスタルが一番最初に「生存政略空間」に引き込んだ2人だ。彼女が渡瀬の存在をどこまで理解し、どれだけ対策を施そうとしているのかは定かでないが、「別々の正義」を持つ兄弟が「失われた未来」である陽鞠を奪い合う展開は、「どちらかの勝ち」という終わり方にはならないかもしれない。まぁ、本気で「正義」と「悪」でぶつかるつもりなら、あそこで晶馬が撃たれないはずが無いしね。次に明かされる2人の兄弟の出会いが、最後のファクターとなりそうだ。

 しかし、渡瀬はあの2羽の黒ウサギに分化したはずなのだが、どうもウサギとは別々の個体として存在しているように見えるのだが……まぁ、「幽霊」に何を言っても無駄か。渡瀬が見せた「黒い列車」は運命を突き進む「黒い未来」、そして、彼が壊したい世界に残し、苹果を手にかけた黒いテディベアは「黒い破壊欲求」。プリンセスの見せる「白いテディベア」とは対象型になっているということか。さて、次はどんなパーツが解題されていく事やら。

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 妹の乱舞だ! 第22話。一度に2人の「妹」に想われる兄、冠葉。彼は本当に幸せな身の上であるが……本人にはそんな意識は全く無いのだろうなぁ。

 ここに来て、既にストーリーは煮詰まった。特に極まったのは冠葉のスタンスで、これまでは「見えざる亡霊」である自分の両親との1人上手に興じてきただけだったのだが、気づけば「飢餓の会」の組織運営の中枢部としてフル回転しており、悪事にも平気で手を染める冷血漢として他の兄弟とはすっかり袂を分かった。陽鞠が望まぬ冠葉、晶馬が憎む冠葉。彼は自分を守り、信念を守る為に、もう止まることが出来ない。

 そんな冠葉を止めようと必死に運命に抗うのが、「妹」陽鞠である。彼女は馴れ初めからの「優しさ」でもって、彼の暴走を止めようと試みた。冠葉が自分の人生を棒に振ってまで守ろうとした陽鞠の命。それを「もう要らない」と手放すことで、陽鞠は冠葉を悲劇の連鎖から解き放とうと奮戦する。しかし、一度回り出した輪は転がることしかしらず、陽鞠の悲痛な叫びも、無情な犠牲も、冠葉を止めることは出来なかった。陽鞠の唯一の願いである「命の返却」は現時点では誰かに届くようなものではない。その命は、儚く灯火を小さくするだけだ。

 気づけば、痛みを伴う変化は多蕗とゆりの元にも訪れていた。彼らは、その意味を「自分たちが残された」ことに見た。桃果がいなくとも、やらなければいけないことを見た。そして、未だ冠葉と同じ歩速を求め続ける2人目の「妹」、夏芽。今回は、最終的に夏芽が冠葉との愛情を確認しあうのが最大の見どころポイントとなった。必死に叫ぶ夏芽と、それに一切耳を貸さない冠葉。最後の最後で、彼は実の妹との絆を優先させ、夏芽は最愛の人を失いかけた。しかし、その最後の一押しを産み出したのも、やはり冠葉だった。冠葉を守るために命を賭ける覚悟、これこそが「盲信」。盲信のために、夏芽は立ち上がり、磨り潰すことを決意した。「早く磨り潰さないと」という決め台詞が、彼女の悲壮な決意を嫌というほどに見せ付ける最大のキーワードとなったのだ。逆光に立ちはだかる夏芽の勇姿は、この作品の「メインヒーロー」の座を夏芽に見たかのようであった。今回は具体的に押せそうな中身が少なかったので、このワンカットでのインパクトをしっかいと受け止めよう。

 そして最後には、再び晶馬に焦点が戻り、「謎の箱の中」からのスタートである。もう、まともな出生の奴などいるはずがないんだ。

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 なるほどそう来た第21話。一気に見通しが良くなった今回のエピソード、毎度毎度視聴者をひっくり返してくれる本作だが、このエピソードは、最後の舵取りとなる決定的な転換点になりそうである。

 今回新たに判明した事実を列挙していくと、まずは「やはり高倉の両親は(少なくとも父親の方は)死亡していた」ということ。これまで幾度となく冠葉がラーメン屋で密会している様子が描かれていたわけだが、それは何か、冠葉の精神性を表していたものであると解釈出来るだろうか。これまでの描写でも、全国的な指名手配犯であり、目的意識の高い彼らが単に息子に会うためだけに危険を冒して自宅の近所に現れるのはおかしいとは思っていたが、これで得心がいく。もちろん、これまで冠葉が会っていたのが「実在の両親」であるという見方も可能だ。何せ渡瀬医師は今回自分のことを「幽霊」であると言っている。こと「飢餓の会」のメンバーに関しては「死者の遺志」に出会うことは驚くべきことではない。

 そして、決定的事実として浮かび上がったのは渡瀬の存在であろう。彼については既に「超越者」であることは示されていたが、その旗幟は未だ鮮明ではなかった。「桃果に勝利を阻まれるもの」であることは知っていたわけだが、その渡瀬が「飢餓の会」の創始者としての立ち位置を獲得することによって、世界は一気に視界が良くなったのである。今回はせっかくなので、多少無理矢理ではあるが、この「ピンドラ」で描かれた世界の解題を試みてみよう。

 まず、この世界には大きく2つの勢力が存在している。分かりやすいのが「飢餓の会」。これには高倉の両親が筆頭として数え上げられていたが、その更に上に、今回渡瀬医師が名を連ねた。他にも、暗躍を続ける冠葉や、その妹であり、奇怪な力を使うことが出来る夏芽も、こちらの陣営に所属していると考えられるだろう。

 この「飢餓の会」に対立するのが、彼らが「革命」しなければならないと考える「一般社会」の陣営。敵対意識を取り上げることでその勢力は明確で、まずは自分たちの両親を絶対に認めないと頑なな晶馬がこちらの陣営になる。更に、渡瀬医師と敵対関係にある荻野目桃果がこちら側に見えるし、桃果の信者である多蕗とゆりも同じ勢力である。

 ここで問題となるのは、ここまでで名前が挙がらなかった存在、具体的には陽鞠とプリンセスオブクリスタルが、どのような扱いになるかという部分である。そこで考えるのが、これまでの世界で描かれてきた「高倉家」という存在だ。今回衝撃的だったシーンに、幼い陽鞠が泣いているのをなだめるために晶馬と冠葉が2人で家の壁を塗ったり、内装を変えたりする場面があった。あの現実離れした高倉家のガジェットには、全て意味があったのだ。「高倉の家」という存在は、何度も繰り返してきたがこの作品では最も大切で、最終的に帰ってくるべき「核」である。その部分を読み解くことで、この世界の全貌が見えてくる。

 まず、晶馬を代表とした「世間一般」サイドを、単純に「善」のサイドとして見よう。言い換えればこちらは「正義」陣営となる。他方、冠葉を代表とした「飢餓の会」サイドは、16年前の事件などを考えれば「悪」のサイドだ。ただし、これを言い換えれば「正義」に対する「もう一つの正義」という言葉を使うのが正しい気がする。何故なら、高倉の両親たちは、「犯罪者」ではあるものの、現時点でなお「悪人」として描かれていないのであるから。そして、晶馬と冠葉がそれぞれの仁義に基づいて守りたいと切に願うのが「陽鞠」である。つまり陽鞠は、「未来」の象徴として現れているのではないだろうか。「この国の未来」「この世界の未来」、どのようなスケールでも構わないと思うが、とにかく陽鞠という存在は、「これから」の象徴たる「幸せ」のきっかけとなるものである。「正義」も「もう1つの正義」も、目的は等しく「幸せな未来」であろう。

 陽鞠が幼い時に手を差し伸べた第一義としての「善」は晶馬である。「運命の人」である晶馬は、理想的にはそのままの状態で陽鞠を導くべき存在だったはずだ。しかし、「未来」は「病んで」しまう。こればかりは、単なる「善」ではどうしようもない局面にもなる。そこで現れるのが「もう1つの正義」である冠葉だ。彼は強引な手段をとり、金を手にして陽鞠に「薬」を与えた。これが冠葉が「未来」に対して与えた方策である。渡瀬が与えた薬によって陽鞠は命を長らえ、「善」が立ち往生した局面を打開した。これこそが「飢餓の会」が取ろうとした「革命」である。しかし、一時の「薬」は、次第に未来を支えるための効果を薄れさせていく。未来は、再び行き場を失う。

 そして最終的に帰結するのが、プリンセスオブクリスタルの唱える「ピングドラム」なのである。現時点において、ピングドラムとは「善」の象徴たる荻野目桃果の日記であると考えられているが、おそらく桃果は、善悪を超越した「奇跡」の象徴。彼女の日記は、どのようなイデオロギーでも手にすることがあり得る、何らかの奇跡の1手だ。それを最初に手にしたのが、主義主張を持たないただの女の子だった苹果であり、次に「別たれた」のが夏芽とゆりという陣営を異にする2人だ。奇跡は常に、どちらの「正義」にも平等に与えられていたということ。事ここに至って、その奇跡の代行者は、再び袂を分かった晶馬と冠葉に帰結していき、陽鞠は、どちらの手にも渡ってはない。

 ここまでの図式を描けば、話は簡単だ。「高倉家」というステージは、様々な主義思想が一緒に団欒を産み出した一時の平和の象徴だ。その壁面には、色もバラバラで全く統一感の無い装飾が施され、部屋の中もあまりに雑多。だが、その意志は明確であり、とにかく幸せな未来を守りたいという思いだけがある。陽鞠の揺籃たるベッドだけが特別扱いだったのは、全ての人々が夢見る「幸せな未来」の象徴である。未来が果てようとした時に、この作品の主人公たるプリンセスオブクリスタルが現れる。彼女は「ピングドラム」を探せというが、その正体は未だに分かっていない。当たり前のことだ。この世界で誰一人、「幸せな未来」を手に入れるための方策など知りはしないのだから。

 実に寓話的、悪い言い方をするならば陳腐なテーマ性での分析になるが、そうした見方が出来れば、これまでのこの作品の紆余曲折も非常に分かりやすい解釈が可能になるだろう。まだまだ終わるまでには一波乱ありそうなのだが、個人的には、やはりこの作品のラストシーンは、高倉家の食卓であるべきだと考えている。それこそが、この作品の象徴なのだと、そう考えている。

 さて、どうなることやら。

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 子安が演説かますと内容がどうあれ絶対企んでるようにしか聞こえない第20話。そんなに世界が間違ってると思うなら、いっそ月光蝶ですっきりさせてしまうのはどうだろうか。

 さて、前回に引き続いて、感想はもう、「分からないな!」の一言だけ。個々の現象として何が起こっているのか、どういうドラマが描かれているのかは問題無く理解出来て、1つのストーリーとして受け止めることが容易であるにも関わらず、この1話で描かれたドラマが、全体にどのように関わっているのかが分からないという、実に恐ろしい状態になってしまっている。それもこれも、全てスタッフの悪意ある「作意の隠匿」によるものだ。この作品はメインキャラが動き回る表層上のレイヤーに加えて、徹底的に記号化されて背景に落とし込まれた「ピクトグラム」の第2層、そして一見おちゃらけてみえるペンギンたちの茶番劇である第3層と、同時並行で様々な要素が描かれている。そして、それらが全て均一の際立ちで描かれているために、どのように接続し、意味を産み出すのかは一切説明されていないのだ。

 例えば今回現れた代表的な謎でいえば、夏芽と冠葉の関係性などが上げられる。冠葉の父親が指揮する革命団体の会合に参加し、肯定的なスタンスで受け止めていた夏芽。彼女は冠葉のことを「お兄様」と呼び、晶馬や陽鞠を見て「あの子」というやや距離を置いた見方をしている。素直に受け入れれば、このシーンは冠葉と夏芽が兄妹の関係であるように読み込める。しかし、そのことについての補足的な説明は一切無い。加えて、そんな幼い夏芽の傍らには、大量のペンギンマーク付きの球体が用意されている。これは明らかに、これまで夏芽が多用してきた謎の「ピングドラム弾」に繋がる系譜のものだろう。つまり、彼女がこれまで他者を制圧してきた武力は、ペンギンマークの始祖たる革命集団に繋がるものであることが描かれていたわけだ。しかし、これまでのエピソードにおいて、あまりに乱雑に、あまりに大量にばらまかれていたペンギンマークは、既に記号化し、第2層におけるファッション要素だと思われる節があった。おかげで、夏芽と団体を結びつけることが完全には決定しなかったのだ。今回あそこまで明示的に示された時点でも、どこまでが表層的な事実であるのか、決めかねる部分も残されているだろう。

 また、2話前から登場した「こどもブロイラー」の存在も、そうしたレイヤーの接続関係を悩ませる要因だ。ピクトグラム以外の存在がほとんど含まれない「こどもブロイラー」は、最初に登場した時には多蕗少年の無力感の象徴して現れたものだと思われた。しかし、続けて陽鞠と晶馬の出会いの場としても登場し、それが一体どんな意味を持つ「施設」なのかを改めて考える必要に迫られた。そして今回、改めてそのエピソードが掘り下げられ、「透明な存在」「氷の世界」などと言ったフレーズが、革命団体の掲げる「世界の浄化」の目標の1つとして、厳然たる害悪として「こどもブロイラー」を現実化させている。この世界における「こども」の存在と、陽鞠が再三口にしていた「選ばれること、選ばれないこと」の具現化が「こどもブロイラー」であると考えることも出来るが、晶馬が実際に駆け付けて飛び込んだシーンを見る限りでは、やはりその実在性は、表層のレイヤーにもしっかりと影響を及ぼすレベルであると考えた方が良さそうだ。

 そして、今回新たに加えられたもう1つの存在として、陽鞠と晶馬を結びつけた「サンちゃん」がいる。陽鞠の持ちペンギン(?)である「3ちゃん」と、「選ばれなかったもの」として陽鞠と晶馬に大きな影響を与えることになった猫の「サンちゃん」。符合としては偶然以外の何ものでもないはずだが、ここに来て、ペンギンたちがおちゃらける第3層が、一気に表層にまで関わりを持つ可能性が出てくるわけだ。「ペンギン」というふざけた存在も、これまでは単なるマスコットキャラクターとしか受け止められていなかったが、革命団体による「浄化」の1つのファクターとして南極の環境調査隊の存在が示され、団体を表すマークがペンギンであることが明らかになったせいで、急に複雑な意味を持ち始めている。ペンギン=団体のシンボルであるとしたら、高倉家でふざけていたの3匹の行動は、全て団体との関わりを考慮しなければいけなくなってしまう。

 ま、結論としては「黙って最後まで観るしかない」ということなのだが、今回ことさらに晶馬と陽鞠の関係が掘り下げられたおかげで、残るスポットは冠葉だけになった。やはり、彼の存在がこの作品最後の地雷になりそうだ。何が起こっても驚かないつもりではいるが、この作品の場合、更にその上を行きそうで怖くて仕方ない。ひとまず、苹果ちゃんには幸せになって欲しいです。

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 魯山人風な第19話。ちなみに私、これまでの人生の中でスキヤキというものをほとんど食べたことがありあません。そのせいで「スキヤキへの憧れ」ってものが一切分からない。実家の家庭料理のラインナップに入って無くて、ハレの日のごちそう、牛肉大盤振る舞いのときでも大抵しゃぶしゃぶだったんですよ。まぁ、どっちにしても海原先生に言わせれば牛肉を最もまずくする料理法ですけどね。

 さて、そんなほとんど関係無い導入から入ってみたことからも分かる通り、今回のお話、さっぱり分かりません。前回が比較的理解しやすいお話で、「よし、このアニメもぼちぼち締めに入り始めたんだな」と思っていたのだが、そんな生やさしいものじゃなかった。今回はもう、淡い期待をぶち壊し、あさっての方向へのフルスイング。おかげで画面の読み込みとか、副次的な楽しみ方がなかなか出来ないのが悩みどころだ。

 分からないことの最大値は、なんといっても陽鞠の存在だろう。夏芽の言を信じるならば「本当の妹ではない」存在。そして、まさかの再登場を果たしたこどもブロイラーに投げ入れられた「要らない」存在。彼女は一体どこから来て、何故そこにいるのだろうか。そして、どこまでが本当で、どこからが虚構なのだろうか。夏芽がどこまで介入していて、彼女の存在は荻野目桃果に端を発する「世界の組み替え」にどのように関係しているのだろうか。

 そして、一段上の謎を抱えているのは、これまでも何一つ「分かること」をしてこなかった存在、渡瀬医師である。彼の治療によって命の危機を脱した陽鞠だが、彼女は自分の命が長くないと考えている。元々助からない予定だった彼女のこと、「もう長くはない」と観念してもおかしくないとは思うのだが、渡瀬やプリンセスオブクリスタルの動き次第では、その命はどちらの極に振れてもおかしくないように見える。渡瀬がいう「ゲームに勝つ」という言葉は、これまでの流れを考えれば、その相手は同じレベルに視点を置くはずのプリンセスであると考えるのが普通だろう。陽鞠の命が「生きる」と「死ぬ」に揺れており、渡瀬の言う「勝敗」も揺れている。そして、そのゲームは日記が存在している限り、渡瀬は「勝てない」という。かてて加えて、プリンセスは「ピングドラムが見付からなければどうしようもない」とも言っている。改めて「桃果の日記=ピングドラム」であるかどうかは定かでないことは確認しつつも、その中心点は「陽鞠の存在そのもの」と「桃果の日記」の2点に集約されつつあるように見える。

 そして、今回荒ぶることになった夏芽の存在。彼女はどうやら、高倉家の過去の秘密をおおよそ把握しているらしい。その上で陽鞠を「冠葉をたぶらかす女」と捉えており、その冠葉は、陽鞠にとって「運命の人」ではない。あくまで「運命の果実」を差し出したのは晶馬であり、彼女の「運命」を掴んだのは晶馬だったというのだ。そして、そのこと思い出す以前にも、陽鞠は台所に立つ晶馬と苹果の背中を見て「家に居場所がない」と言っていた。彼女が求めている「居場所」とは、晶馬とともにある「高倉家」なのだろうか。そして、そんな実情を、陽鞠に対して過度な愛情を示す冠葉は、一体どのように見るのだろうか。

 分からないコトだらけで、もう突っ込むポイントも掴めません。一つだけ言えるのは、「3号が1号と2号に送った着ぐるみ、イイネ!」ということだけである。

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 すごく分かりやすい! 第18話。石田彰大暴れでございます。

 この18話はむしろ衝撃だった。なにせ、この作品とは思えないくらいに、何が起こっているかが明確だったからだ。一応毎回お約束のパーツである駅の改札、車内広告などは登場したものの、それ以外の部分で描かれた多蕗と冠葉の対峙は、実に簡単明瞭、「恨む者」と「恨まれる者」の対決である。

 前回のラストでは「多蕗は何故心変わりして突如高倉家に復讐するのだろう」と思ったが、実際には彼の中にくすぶっていた感情はずっと持続していたものだった。口では「何の感情もない」といいながらも、彼は自分の人生を変えた桃果との関係を、未だに処理し切れていなかったようだ。そこに妻である時籠ゆりという、更に明確に桃果への思いと高倉家への恨みを持つ人間が登場し、実に直接的な復讐を企てようとした。そのタイミングを利用し、なおかつゆりの直接的な「犯行」を防ぐ防波堤となるために、多蕗はここで動いた。それは「罰」であり、「挑戦」でもある。冠葉を強請って、その父親があぶり出されればそれでも良し、陽鞠を人質にして、冠葉の家族への思いを見定められればそれでもよし。結局、この作品の全ては「家族」という単位を1つの指標として動いている。

 高倉家、荻野目家、時籠家、夏芽家に続く最後の「問題を抱えた家族」は、やはり多蕗家である。彼の家が抱える問題は実にシンプルで、常軌を逸した母親が弟の存在を理由に多蕗への愛情を失ってしまったというもの。その過程で多蕗は指を犠牲にし、自分の存在すら犠牲にしかけた。自らの命を流転に任せて「透明な存在」になろうとした「子供ブロイラー」の描写は、単純に彼が自分の価値を見失い、命を絶とうとしたことの表れであろう。そんな彼の窮地を救ってくれたのが桃果であり、多蕗の中では、「家族の繋がり」というものは自分と桃果の関係性以下の意味しか持ち合わせていない。

 そんな多蕗が冠葉に父親との接続を要求し、それを呑まないということで責任をその子供達に転化させる。家族という繋がりに価値を持たないはずの多蕗が冠葉たちに「家族であること」の意味を求めるというのは実に倒錯した状態だ。彼が意識的に自分の持たない「家族」を高倉の家に求めた結果なのだろうか。最終的には、冠葉と陽鞠が互いを犠牲にして守ろうとしたその姿が、あの日の桃果と被ることで彼の「罰」は意味を失った。彼は新しく「家族」の姿を認識し、考えを改めるに至ったが、その時点で彼は「家族」を語る権利を失っており、最終的に妻であるはずのゆりとの関係性すら清算することになった。

 多蕗の行動自体は色々と考えるべき部分はあるし、冠葉が未だに両親との呪縛から逃れられず、あの「組織」との接触を持っていたことは驚くべきことかもしれないが、今回のメインはとにかく冠葉と陽鞠が互いを思い合い、この作品で唯一不動のものである家族の絆、2人の絆をまざまざと見せ付けたことにある。作中に腐るほど出てくる「歪んだ家族像」は、最終的に冠葉・晶馬・陽鞠の3人の関係性に収束するために必要な群像である。その対比が、今回は非常に明示的に提供されたわけだ。冠葉の必死の懇願と、陽鞠の静かな犠牲、それらが描かれたことでこの作品の1つのキーポイントは片付いたと言っても過言ではないだろう。ここに晶馬が加わり、最後には高倉家の中で、もう1つの大きな問題を片付けるフェイズに入るはずだ。

 今回は非常にシンプルで分かりやすいお話。やたらカット割りが多いのはいつものことだが、すんなり入ってきてアクが無いな、と思っていたら、何とコンテが山内重保だった。あまりの事実に驚愕である。なんと、山内コンテが「分かりやすい」と思える日が来るとは……普段の幾原ワールドがどんだけ無法地帯かがよく分かるってなもんである。

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