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最近のアニメや声優、Magicに対する個人的な鬱憤を晴らすためのメモ程度のブログ。
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○「四畳半神話大系」 5

 今期新番組最後の1枠にして、ノイタミナの送る面倒な刺客。さぁ、これはどう扱っていいものやら。色々と難しい作品でございます。

 まず、今期2本目の京都が舞台の作品。いや、別にけいおんは京都が舞台というわけではないが、とにかく狭い左京区内に2つものアニメ作品が集まるという、ちょっと奇妙な内輪ネタパーティーの様相を呈している。おかげでなかなかフラットに作品を見るのが困難である。また、ちょっと前に万城目学とセットで奇妙な潮流となった「京大生もの」の作品という属性もある。これらの作品群では「太陽の塔」しか読んでないのであまり突っ込んだことは言えないのだが、いわゆる「純文学」とはちょっとニュアンスが違う気がする、どこか歪んだ価値観が特徴的な作品群(いや、純文学も全然分からないが)。日常と非日常をギリギリのところで行き来する「ややファンタジー」がセールスポイントの1つだと思うのだが、問題は、それをファンタジーと受け取れない、つまりちょっとおかしな日常に首まで浸かった読者はそれをどう読めばいいのかという話である。正直、わからん。

 つまり、残念ながら普通の読者・視聴者としてこの作品を見るのが、個人的な事情で難しいのである。諦めて「うわぁ最近はバーベキューすら出来ない鴨川デルタ」とか「流石の加茂大橋もその高さで頭から落ちたら死ぬ」とか、そういう見方をするしかない作品になっている。……これって正しい楽しみ方なのかしら? うーむ……まぁ、世間的にはある程度受けてるみたいだから別にいいんだけど。「京大作家もの」ならこっちに触れておいた方がいい気がする。他意は無い。かもしれない。

 というわけで、原作の味は置いておくとして、今度はアニメとしてのテイストの問題。さぁ、これも一筋縄ではいかない。まず、勝手な想像なので論拠はないが、時節柄「化物語」をはじめとする新房シャフトとの比較というのは避けて通れない要素で、多くの視聴者もそういう見方をしてしまうだろう。京大出身の森見登美彦と立命出身の西尾維新の、京都学生作家対決である。そして、ディレクションをするのは希代の問題児、湯浅政明と、我等が新房昭之。この対比は現代アニメの極と極のぶつかり合いとも言える。

 今作と「化物語」は、原作が双方とも主人公の膨大な自分語りによって構成され、その台詞回しがいちいち胡散臭く、それが面白さの重要な要因である部分が共通している。そして、この「膨大なモノローグ」の処理の仕方は、2作品とも似たような画面構成になっている。このとき比較として面白いのは「刀語」を扱った元永慶太郎の演出で、こちらは「画面を動かさないで台詞を流す」という、ある意味まっとうな処理を施している。つまり、今作が「化物語」と似ているように見えるのは「原作が同じ方向性だから当然じゃない?」というのは的外れな意見である。台詞の情報量が多ければ多いほど、それを扱う手法は単純に選択肢が増えるだろう。その上で、湯浅監督は「表面上はシャフト技法と似たような画面」を構築した。具体的に類似点を見ると、なんと言っても切り替えの速さ(カット割りの多さ)と、前後のつながりを意図的に切り崩した観念的な画面の多様。色彩やキャラクターデザインを崩して、写実性を伴わない記号列による描画という選択である。確かに、一見すると無意味な記号の羅列であった「化物語」と似ていると感じるのは致し方ない部分だ。

 しかし、似ているとは言っても、よく見てみれば作品の制作理念は2作品でかなり異なっているというのも分かる。最大の相違点は、この作品で描かれたものは、あくまで「モノローグで語られた膨大な情報を切り崩したものである」という点だ。「私」が息もつかぬスピードで語りあげる情けない学生の私生活の一側面が、次々と画面に現れては消えていく。悪友の小津の非人道的な側面を表す画面では無数のステータスが彼の回りに表示されるし、数々のカップルを破談に追い込むシーンでは影絵のようなカップル同士がいがみ合うカットや、赤い糸を鎌で切り裂き突っ走る「私」の映像が映される。どれもこれもエキセントリックな画面に見えるが、あくまで「語り」の内容を画的にまとめたものであることに変わりはない。明石さんが蛾を掴んだシーンの「ギャッ!」と髪を逆立てる描写なんかも、あくまで日本語の常識の範疇にあるメタファーを表出させただけの話だ。

 しかし、「化物語」はそこが違った。あの作品は、極論すればモノローグと画面が「別な内容」だったのである。もしくは、極端まで抽象性を高め、会話の含意と心情の深い部分を高次に抽象化させ、「本当に分からない」部分にまで踏み込んだ画面設定が多かった。新聞記事に埋め尽くされたひたぎの自室、巨大なジャングルジムが全面に押し出された真宵編の公園、無数の標識が茫洋と警告を続ける路上など、そこにある含意は「語り」とは別の次元のものであった。そこが、今作と新房演出の最大の違いである。

 つまり、この作品はまだ分かりやすい。情報量が多く、それを一度咀嚼してから画面構成に還元しているために分かりにくいように見えるが、あくまで語りとの乖離はないので、冷静に見れば、案外分かりやすい進行になっているのだ。そういう意味では、吹っ切れた新房ものと、分かりやすい学園もの(?)の中継地点を模索する、湯浅監督独自のアニメの切り開き方として見ることも出来るだろう。少なくとも退屈する心配はないのだから、何も文句を付けるものではないし、新房作品との優劣を議論するようなものでもなさそうだ。現時点では、「どうとでもなる」ということと「原作のコンセプトが色々と面倒」という点を加味してこのくらいの評価で。

 追加で2点ほど。1つは、当然キャストの話。関西はこの作品の後に「荒川アンダーザブリッジ」なので、奇しくも真綾フィーバーな時間帯に。そしてメインの浅沼君。本当にお疲れ様です。きちんと成立してるので、今後も期待してます。そして、最近美味しいなぁ、と思えるのが小津役の吉野裕行。地声は三枚目なのでこういう役がハマるハマる。これでイケメン風もいけて腐女子人気も確保しているのだから素敵だ。替えの効かない役者である。

 蛇足その2は、エンディングアニメーションのこと。「四畳半」をテーマにしたイメージ映像だが、何とも言えないデザイン性がお気に入り。「間取り図」って、そそるものがあるよね。放送後に個々のクリエイターの情報が出るっていう企画もなかなか良いです。 

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