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最近のアニメや声優、Magicに対する個人的な鬱憤を晴らすためのメモ程度のブログ。
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 ハイ、予定通りに観てきましたよ。今週はちゃんと計画立てて、事前に上映時間と上映場所もチェックしていったからばっちりだったぜ。まぁ、視聴後に帰ろうと思ったら広大なイオンモールで迷子になりかけたりしたのだけども……広いイオンの片隅で。

 

 

(以下、ネタバレ的な事もあるかもしれないので注意。まぁ、問題ないだろうが)

 




 

 さて、今年は何かとアニメ映画が話題になる中で、飛ぶ鳥を落とす勢いの「君の名は」に続けて出てきたのが、まずは私が先々週観に行った「聲の形」、そして、ここ数週間で名前を見かけるようになったのがこの「片隅」である。個人的には、片淵須直監督といえば「BLACK LAGOON」が抜群に面白かった印象が強いので出来れば見たいなぁ、と思っていたタイトルではあるのだが、そんなことを言ってる割には前作「マイマイ新子」は観ておらず、その程度の適当な視聴者どまり。やっぱり劇場に行くモチベーションってそれなりに高くないと駄目だし、今作は上映館数が少ないために、観に行くための手間が多いのである。幸いにも今作は巷でちらほらと話題になっていた事もあってさらにモチベーションもあがり、無事に出会いを果たすことが出来た。そういう意味では、なりふり構わないtwitterなんかでの宣伝もやっぱり有意義なのであるな。他にも、クラウドファンディングを活用して作られたとか、メタ度の強い作品情報も色々とあるのだが、まぁ、その辺の生臭い話はあんまり分からんし、世の好事家がもっと詳しいことを書いてくれているので、あくまでアニメの中身の話をしていこう。

 一言でまとめるなら、「重い」映画である。もちろん、戦争を題材にした作品なのだから中身が重いわけだが、それ以外にも、2時間半という昨今ではそれなりに長尺な作品なので総カロリーも重い。そして、そんな長尺であるにも関わらず、あっという間に時間がすっ飛んでしまうような圧倒的作品密度が重い。こないだ観た「聲の形」もテーマが重く、情報量の重い映画だったが、奇しくも今作はそれに似たヘヴィー級の味わいである。どこかで観た評で何とも的を射ているな、と思ったのが「感動している暇も無い」。うん、確かにそんな感じ。

 一体何がそんなにも視聴者を翻弄するのかと言えば、それは「事実」の重さだ。この作品は、あまりにもすずというメインヒロインの人生に肉薄しすぎており、そこに映し出される「日常」の近さが恐ろしいほどに執拗なのである。もちろん、私はアニメファンの中では「おっさん」にカテゴライズされる世代ではあるものの、戦争なんてものは全く実感として知らないわけだし、制作したスタッフの中にも戦争を実際に体験した人間なんて全く(もしくはほとんど)いないと思うが、それなのに、作中の「戦争」が、あまりに日常的にすずの人生にあり続けるために、描写の全てがメインテーマと絡み合って主張を続けてくる。この「執拗さ」には、制作スタッフの鬼気迫る執念を感じる。

 「戦争映画」というジャンルは過去にもそりゃもうとんでもない数が作られている。「太平洋戦争を舞台にしたアニメ作品」だけでも「火垂るの墓」や「はだしのゲン」と言った錚々たる名前が思い浮かぶし、実写映画まで手を広げれば、私の知らない世界に掃いて捨てるほど存在しているはずだ。しかし、(私の勝手な思い込みかもしれないが)戦争を描く作品というのは、その衝撃的な戦争の破壊行為を出来る限りショッキングに描き、人命が失われ、道理が損なわれ、全てが破壊される様を如何に悲惨に、救いのないものとして描くかが追求され続けてきたように思う。小中学生あたりに見せた時に「戦争は怖いので絶対にやってはいけないと思いました」とか書かれるような、そういう類の「見せ方」だ。一言でまとめるなら、日常が壊され、非日常にたたき込まれる恐怖を伝えることが、戦争作品の命題の1つだった。しかし、本作においてそうした側面が無いとは言わないが、明らかにウェイトは低い。もちろん、すずという一人の人間を取り上げても、物語の最後にはありとあらゆるものを失い、悲惨な結末になっているが、それはあくまで彼女が戦争という時代を生き抜いた結果の産物であり、戦争そのものがもぎ取っていった、という描写の方向性とはいささか異なっている。むしろ本作は、戦争という「非日常であるべきもの」が、すずという女性の人生の中で、どんどん「日常になっていく」ことの恐ろしさが描かれているように思える。最も端的なところでは、壕に入っていた晴美が「空襲もう飽きた」と愚痴るシーンがあり、あの当時の呉の人々、日本の人々は、戦争というのは「それが当たり前の日常」であったのだ。この「すぐそこに転がっている戦争」というテーマの置き方が、あまりにも近すぎて、1つ1つのシーンを取り上げた時に、我々現代人には異質なもの、情報として考えなければいけないものが多くなり、結果的にこの作品は「重い」ものになっているわけだ。

 それでは、「日常に溶け込んだ戦争」というのはすでに怖くなくなってしまったものなのか。答えは否である。もちろん物語の要請上、作中では何度もダイレクトに「悲惨な」シーンは入ってくる。一番救われないのは何と言っても晴美の喪失シーンだし、他にも初めて壕の中で空襲を受けた時の爆音、激震の迫力など、従来通りの「戦争の恐ろしさ」もアクセントとして入っているが、最終的に一番の恐怖を背負い込むのは、やはりすずというメインヒロインだったように思う。生まれた時からぽやっとした冴えないすずさん。彼女は戦時下においても常にマイペースで、嫁に行くにしても、出先の義姉にチクチク嫌味を言われようとも、前を向いて自分らしく生きていく強い人。その真っ直ぐさに見惚れた北條周作は、彼女を守ると誓い、「いつまでも普通のままでいて欲しい」という。すずがすずのままである限り、世界は守られ、日常が維持出来るからだ。実際、視聴者もそうしたすずの「強さ」を信じ、彼女がいつまでも微笑みを絶やさず、彼女らしく生きていく姿を見守る。様々な苦境に見舞われながらも、彼女は最後まで北條の家を守り抜き、終戦を向かえることが出来た。「すずは、普通を守り通したんだ」と、誰しも思う。

 しかし、実際にはそうではない。玉音を聞いた彼女は突然雄叫びをあげ、「変わってしまう世界」を非難する。自分が生きてきた「日常」が今後は間違いになると告げられ、理不尽に涙する。作中でも最もショッキングなシーンだ。我々の目線から観れば、多大な犠牲を払ったとはいえ、食うや食わずの生活を強いる戦争が終わり、今後は旦那と一緒にまた一からスタート出来る、それが終戦なのだとばかり思っていたのに、すずは、その事実を許すことが出来ず、普段は絶対に見せないような姿で暴れ、泣きじゃくる。ここでようやく、すずの信じ続けた「普通」が、戦争の中にしか無かったことが分かる。「非日常が日常にすり替わっていた」ことが分かる。こうして、「普通」であったはずのすずが我々の目から観て異質な存在にすら映ってしまうという事実。これが、戦争の一番の恐ろしさなのではなかろうか。戦艦の名前も覚えないし、スパイの疑いがかかれば家族全員に爆笑される。そんなすずであっても、失ったもののあまりの大きさに、戦争という大きすぎる存在を唾棄し、吠えるのである。

 こうして、すずという女性を中心にして「そこに戦争があること」の意味を問う作劇は、やはり周到なものだ。序盤から淡々と日記のように進んでいく進行は、1つ1つのエピソードが尻切れになるようでちょっと取っつきづらいイメージもあったのだが、こうして「何くれとなく時が進む」リズムはすぐに馴染み、むしろ、そうした「とりとめのなさ」が彼女の「普通」やこの時代の「日常」を大きく下支えする。少しずつ減っていく配給、ふいに失われる命。そうしたものも「とりとめのない日常」の一部に紛れ込ませることで、これまでなら「戦争の悲惨さ」として大仰に取り上げられていたようなトピックも、我々はすず同様に「日常」として受け入れてしまう。この落とし込み方、籠絡の仕方が何とも巧みなのである。出来ることなら、今作を観た後、すぐにご飯を食べて欲しい。作品に没入している間、色々なご飯を食べていたすず達の日常があまりに自然に切り出されていたおかげで、私は「うわ、このご飯、味ついてる。ウマッ」ってなった。作中に溶け込んだ「日常」の重さが、そこから解き放たれた時に感じられるはずだ。

 こうして「そこにある戦争」を描くにあたって、本作の柔らかいデザインは非常にありがたい要素だっただろう。これが大きくリアルに寄ったり、動きのメリハリで見せるようないかにも現代アニメらしい画作りだったりしたら、おそらく2時間半で完全に胃がやられていたはず。原作の絵柄のおかげもあるのだろうが、どこか抜けたようなふわっとしたデザインと、それをゆったりと動かす間の取り方を強く意識した「日常芝居」の演出方針は、上述のような「日常」の構築に大きく貢献していた。所々に入る「絵画的な」切り出しもすずの見ている世界を作り上げる効果が高く、最初に見せた白波のうさぎでホウとため息を吐き、すずが負傷の床でじっと無くなった右手を見続けるシーンでは打ちのめされる。この絶妙な負荷の調整も、アニメ作品ならではの強みであり、片淵監督が特に力を入れて作品世界の礎とした部分なのだろう。とにかく1枚1枚の画の重みが凄まじい。これは最初から最後まで一切ぶれることの無かった今作の恐ろしさだ。本当に、とんでもない作品であった。

 さて、ここまで重たい話になったので、最後は当然中の人の話。普段ならここで声優さんがね、っていうお話になるのだが、流石に今作はメインヒロイン・すずを演じたのんを筆頭に持ってこなければいけないだろう。すずの「変化」を描いた作品だったのだから、彼女の演技プランで最後の1ピースが埋まるか、台無しになるかのどちらか。本作はもちろん前者である。一応、幼少期のすずに始まり、成人後までが描かれるわけで、普通ならそこに演じ分けが求められたりするのだろうが、良くも悪くも「変わらない」彼女の演技は、むしろ本作ではプラスに働いている。すずという女性が「変わっていない」ように見せてこそ、カタルシスが強まるデザインだからだ。普段の声音のぽやっとしたところから、締めるところでビシッと締める。確かに、そこにすずの人生があった。普段のちょっと舌っ足らずな発声が無条件で可愛いというのは言うまでもない。すずさんは、「たはー」みたいにしてちょっと小首を傾げてはにかむ笑顔がたまらないですね。これ、テーマが許すならひたすら「すずさん可愛い」だけを投げ続けるだけでも成立するかもしれません。

 あとはまぁ、広島が舞台ならそりゃ呼ばれるだろ、細谷佳正。本当に良い役者になった……。あと有名声優だと小野Dがいますね。広島ではないけど、まぁ、近いといえば近い出身ですし(方言が似てるかどうかは知らんけど、似てる気がするね)。あと、舞台女優なので当然初見なのだけどすごく惹かれたのはすずの義姉・径子を演じた尾身美詞という人。トゲトゲツンツンした中に、どこか優しげなニュアンスが入ったり、すずに負けず劣らずの波瀾万丈な径子の人生が、一言一言に詰まっていて素敵でした。こういうところからアニメ声優にシフトしてきたり、しないですかね。

 

 最後にまとめると、とにかく重い作品。しかし、今までに無かった「戦争」の切り出し方は本当に真に迫ったものになっており、ドラマとしても、ドキュメンタリーとしても観るべき部分が多い。我々のように戦争を知らない世代の人間を「戦時」に引きこんでしまう作品なので、今後の戦争教育などで使われるようになるかもしれません。「戦争はひどい」とか、「誰が悪い」とか、そういう大上段の命題を掲げるのではなく、「とりあえず、戦争中はこういう人たちが、今の時代と変わらない心持ちで生き抜いてきたんだ」っていう事実が伝わるのは、充分意義深いと思います。そして、日々のご飯が美味しい自分の人生を、改めて振り返ってみてください。

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