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最近のアニメや声優、Magicに対する個人的な鬱憤を晴らすためのメモ程度のブログ。
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 ゴールデンウィーク最終日、何とかギリギリ上映時期に間に合って視聴することができました。ここまで引き伸ばした理由はいくつかあり、1つ、単純に時間がなかったこと。1つ、昨年度版の「グランプリ」でテレビ版を手放しでほめてしまった余熱があったので、そこを冷ましてからじゃないとハードルが無闇にあがっちゃうのを懸念したこと。そして最後の1つ、漏れ聞こえる評判がそこまで積極的なものではなかったこと。それらを含めての1ヶ月。無事に視聴が間に合ったのは良かったです。とりあえず折りたたみ前に一言でまとめておくと、「映画を観に行った方がいい?」と聞かれたら、「テレビシリーズをもう1度見直すのが良い」。

 

<というわけで以下ネタバレ注意。テレビ版未視聴の方はここでお別れです>

 




 

 てなわけで、まー、「テレビ版をじっくり見直す方が実入りは大きいぞ」というのが正直なところですね。まぁ、総集編になるってことは事前に聞いてしまっていたので覚悟はしていたが、最近のアニメ映画では減っていた「純正総集編映画」だったのでそこは素直に残念です。もちろん全てが既出カットで構成されているわけではなく、新録部分もそれなりにあるのだが、今作はそのことが大きくプラスに働くものではない。

 そもそも、テレビシリーズの時点でやるべきことをやりきってしまった作品である。しかも、1クールの尺にギチギチに詰め込んで、綱渡りのような際どいバランスで曲芸を成立させた神業的な作品。それを改めて2時間の尺に落とし込めと言われたところで、そんなことは不可能なのは誰の目にも明らかだろう。「あの話をもう一度映画で」というオーダー自体が無茶以外の何物でもないのである。ただでさえパズルのように複雑な構造が入り乱れ、それをじわじわと組み上げていく作品だったところを、もう一回ピースにわけで新しい絵など描けるはずもない。しかも「尺」という名の枠が大きく狭まっているわけで、いわば一度組み上げた大スケールのジグソーパズルを元々の継ぎ目とは関係ない部分で再度細切れにし、新しい形のピースで小さくて別な絵を作れと言われているようなもの。そりゃ完全にニーズを満たすのは無理ってもんだろう。個人的には一番のお気に入りである「田中革命」が全カットなのが残念で仕方なかったのだが、新しいパズルのためにはその絵が不要であることも分かってしまうので何とも勿体無いと思った。テレビ版での本作の良さはプロットの精緻さだけではなく独自視点での心理描写や人間関係の掘り下げにあったと思うので、「プロットを追う」ことを優先するとかなりの部分がオミットされてしまうのは致し方ないのだ。

 ただまぁ、元の作品が良かったおかげで良い部分は一応それなりに踏襲できてはいる。私のように「いやー、テレビシリーズ面白かったけど、忙しくて2週目できてないなー」というズボラな人間がまとめて「再視聴」するのにはちょうど良いデザイン。作者の意図に合わせて人物構造や時系列などが再配分されているおかげで「ゴール」からの逆算がかなり観やすくなっており、「あぁ、こんなところにこんな伏線があったっけ」なんて思いながら見直すのにはいい素材。つまり、「忙しい人のためのオッドタクシー2週目」というのが今作の正しいスタンスだったんじゃなかろうか。そう考えると、新作カットで尺調整のために投入された多数のインタビューパートも、なるほど構造を強引に縮める方策としては悪くない。一応新作なので、インタビューへの受け答えでそれぞれのキャラの「らしさ」を改めて見直せるのもファンには嬉しいところ。それぞれのキャラが喫茶店で何を注文してるか、どんなふうに飲み食いしてるかを見るだけでもちょっと楽しい。ちなみに私のような人間の場合、「きっとこのインタビューパートにも何かトリックが含まれているのではないか?」と訝しんで、例えば背景に写っている客の識別、さらには各々のキャラの飲食の進行具合まで注意して見ていたが(時系列シャッフルがその辺に紛れ込んでいる可能性もあるため)、残念ながらそうした「追加トリック」は用意されていなかったようだ。まぁ、これ以上構造を複雑化させても誰も得しないからな。

 

<以下はさらに踏み込むので、映画版未視聴の方はお別れです>

 

 というわけで、総体としては「まぁ、ファンサービスのアペンドとしてはそこそこありかな」くらいの感想になった今作。あとは、「映画に独自の裏側があるのかどうか」という部分を考えていくことになる。一応、新作カットの部分に何らかの「意図」が介入している可能性は残されている。まず、インタビュアーの素性が頑なに明かされないという事情。これについては、「オッドタクシー作戦」決行前にインタビュアーと思しき3人組が登場しており、「そもそもテレビ版とあんまり関係ない奴ら」が絡んでいたというのが一番真っ当な答えである。ただ、それが何の意味があったのかがよく分からないというのが正直なところ。純粋に、彼らにインタビューをする権利を有する既存のキャラがいなかったために新規で文字通りの「第3者視点」を持ち込む必要があったことが理由だろうか。

 ただ、よく分からないのは「もしかしたらこの3人ではなかったかもしれない」という匂わせが残されている部分。具体的には、インタビュアーチームは女性2名、男1名(途中でインタビューを受ける側に回った田中の友人のモグラ)という編成。ただし、その割には途中で「インタビュアーは女の子じゃないのか?」と言われるシーンと「あんたら2人は」とインタビュアーが複数いることを示唆するシーンが存在している。仮に「インタビュアーがどのシーンでも同じ人物(たち)である」と仮定するなら、これらの証言は矛盾する。「男2人以上でのインタビュー」は想定されていないからだ。ただまぁ、これにしたってそもそも仮定に根拠がないので、「場面に応じてインタビュアーは入れ替わっている」という条件を加えれば謎でも何でもなくなる。モグラがインタビュイーに回っているのは「質問者も回答者も変わる可能性がある」という示唆と取れるし、大門弟が喫茶店以外の場所でインタビューを受けているのも時間的な変遷を示すものだ(他の面々も、後ろに映る客が入れ替わっているので時間的な差があるはず)。となれば、やはりインタビュアーは上述の3人組ということで問題なさそうだ。この辺を深読みするのは、やはり1人称視点での問いかけシーンというのがミステリ的にも芳醇な素材であるが故のものであろう(個人的には漫画「Q...」の「Q&A」(コミックス36巻収録)がオススメです)。

 次に映画版での追加といえば、何といっても和田垣さくらへの決着である。この部分に関してはテレビ版のラストで最も衝撃的な部分ではあったわけで、映画を観るファンも「あの部分に決着がつくのかどうか?!」と気にして観に行った人も多かったことだろう(もちろん私もその1人だ)。ただ、それだけにああしてあっさりと「答え」が出ちゃうと何だか勿体無いような気もするのである。掻き回すばかりが正義じゃないが、今回の映画で、しかもひっそりとエンドロールのワンカットで「答え」を提示するくらいなら、別にテレビ版でそこまで行っても良かった気もするし、テレビ版で「行かないバージョン」をよしとしたのなら、今回も伏せたままでよかった気もするのだ。ま、こればかりはどっちを選択したとて一定の不満は残っただろうからしょうがないことなのだが……いっそあのシーン、「和田垣は小戸川が自分の記憶を残していないことを確認し、殺す必要性を失ってそのまま立ち去った」というエンディングでも面白かったと思うんだけどね。市村・和田垣の2人で活動を続ける未来の方が不穏で刺激的だし。ただまぁ、和田垣視点だと小戸川の病状の推移など知る由もないわけで、あそこで消さない理由はないのよなぁ。そこは「現実感」を優先したととるべきか。ただ、それならやっぱり「何故小戸川が助かったのか」はぼかさずに描いて欲しかったかなぁ。

 そしてさらにさらに、エンドロールの後の謎のワンカット。こちらに関しては、最後に表示されたディスプレイの内容を全部読み切る時間がなかったために、正直意図がよく分かっていない。ぱっと見では例の3人組がとった調書の小戸川版のように見えるのだが、だとしたらわざわざ実写パートに移る意味は乏しい気もする。ただ、あの書類の中身が何だったとて、やはり明確に実写パートに移る意味はなさそうなので、あくまでも雰囲気の上での「多層性の追加」なのかなぁ、とぼんやり考えている。テレビ版の時点で「小戸川の世界」と「本当の世界」という「二層性」を孕んでいたこの世界。映画版ではそんな「本当の世界」すらも「創作アニメ」という1つ下の次元であり、それを観て結果を総括している「我々と同じ次元」のもう1つ上の存在がある。「周りの人間が動物に見えてしまう」という小戸川の異常性が先にあり、次の「本当の世界」ですら、そのキャラは「人間」ではなく「アニメキャラ」である。そこをさらに「現実」に引き上げる視点が出てくることで、箱を多重にして世界を揺らす効果があると考えられる。……ただ、これってちょっと前に某秀作アニメが取った(撮った)エンディングと全く同じ流れなのよね(一応ネタバレになるのでタイトルは伏せるが、3〜4年前のアレである)。あちらの世界は明確に「造られた世界と、それを見る神」の構造が存在していたが、こちらの作品はどう考えても「小戸川が生きる本当の世界」で止めるべき作品。何故さらに「その上」が用意されたのか、そこはちょっと意図を読みかねる。単なるオサレエンディングと割り切ってしまっていいもんなんだろうか。

 ふぅむ、こうしてみると、やはり映画版は映画版でそれなりにいじりたくなるポイントは多い。そういう意味では、相変わらず刺激に富んだ楽しい作品だったのは間違い無いだろう。蛇足を承知でもう1個だけ書いておくと、改めてこのタイミングで見られた恩恵として、和田垣さくらのキャラが一気に深みを増したことだけは触れておこう。何が理由って、そりゃこの1年で中の人の認識の刷新があったからだ。村上まなつ、明日小路の中の人。そうかぁ、和田垣さくらも、ただ単にキラキラと輝く青春を謳歌したくて、唐揚げの夢を見ていたのだろうなぁ……伸びる役者になってほしいですね。

 

 

 

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