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最近のアニメや声優、Magicに対する個人的な鬱憤を晴らすためのメモ程度のブログ。
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  恐ろしき偶然の一致、第22話。エントロピープル? 宇宙の意志? ひょっとしてあの愛らしい副部長も、背中でグリーフシードを食べちゃったりするわけ? もうやめて!

 さておき、本編のほとんどが観劇シーンという、ある意味五十嵐・榎戸コンビの真骨頂のような構成の1本。コンテも監督自らが手がけていることから、今回のエピソードが本編を構成する上で非常に重要な役割を担っていることが分かる。そして、これまでの物語を振り返って、実に様々な含意と変革が予期される、本当に「難しい」エピソードでもある。どこまでが脚本家の本意で、どこからが「深読みしすぎ」なのか、判断出来ないやきもき感はほんとにたまらない。多分、榎戸さんのことだし、絶対に全部作為的にやっていることだとは思うのだが……

 まずは、実際に夜間飛行が披露した劇の内容から考えていこう。高校の文化祭でやる演劇としてはやや地味で、登場人物も演劇部員の人数でまかなえる、ごくごく小規模なもの。舞台装置などはなかなか凝っているが、信頼と実績があるらしい夜間飛行ならば、これくらいは出来て当然なのだろう。

 登場人物は、まず作中の劇中の更に物語中という3重の入れ子構造の中で活躍する第1の主人公、スガタ演じるコルムナと、そんな彼から愛される存在、クレイス。2人のラブストーリーが「一番下の層」の物語となる。そして、魔女アインの計略でもって愛する人を忘れてしまったコルムナの悲哀は、一つ上の階層の物語、少年マルクが、語り部からコルムナの人生を教えられるパートで教訓となる。マルクは、コルムナの生き様を教えられ、自らの意志で「船とクレイス」という選択肢からクレイスを選び出すことでハッピーエンドとなる。何とも単純な物語だ。

 だが、これに更に2層の重ね合わせが行われることで、話はややこしくなってくる。1つ目の「意味」は、コルムナ・クレイス・マルクという3人の登場人物と、スガタ・ワコ・タクトというキャスト陣の重ね合わせ。実に明示的な対応関係が、この作品の本質である3人の関係性に様々な刺激を与えていく。

 コルムナは、一番最初にクレイスの存在に気づくことが出来た男だ。彼は誠実で、クレイスとの愛情は本物だった。彼の懐には、常に「一本のナイフ」が忍んでおり、彼女との関係を阻むもの、魔女アインに容赦無く突きつけられる。しかし、魔女の奸計により「船」という道具を手にしてしまったコルムナは、いつしかその心からクレイスがいなくなってしまう。彼女の奇妙な性質により、文字通り「いなくなって」しまったのだ。魔女の与えた「船」は、最も高い位置にある「玉座」の意味を持つ。「玉座」を手にしたコルムナは、次第に玉座そのものと一体化し、そのまま玉座の奥深くに消えていった。

 このコルムナの存在は、スガタの来し方行く末を暗示する存在となる。幼い頃から築き上げたワコとの関係性が「初めてクレイスと出会った男性」として描出され、「玉座の船を手に入れた」ことは、彼が王の印を受け継いだことに対応する。一度はスカーレットキスの手により王の柱が暴走してしまったスガタは、玉座の船を手に入れ、それに魅入られてクーデターを引き起こし、最愛の人を忘れてしまったコルムナに対応する。彼は玉座そのものと一体化して「王位を示す道具」となりはて、スガタも、「王の器」として綺羅星(ヘッド)に付け狙われる存在である。そこには、既に彼の意志が現れる余地がない。

 他方、「聞き手」という完全な外部世界に回った少年マルクは、突然島を訪れ、タウバーンによって島の争乱の引き金を引いたタクトに対応する。マルクの活躍シーンは少ないが、彼はコルムナの物語を聞き、それを教訓としてついにクレイスの唇に触れている。「懐のナイフで船を手にするか、クレイスを手にするか」と問われた時、彼はナイフを振るうことを拒否した。これは独断でスガタのナイフを拝借し、「使わないこと」を強要するためにワコにプレゼントしたことと対応する。この物語が作品本編とリンクするとしたら、コルムナが最後まで手にしなかったクレイス、つまりワコを手に入れるのは、外部から訪れたタクトということになるだろう。

 だが、もちろん話はそんなに単純ではない。演劇の中では語り部が進行を務め、マルクは己の正しい選択を自覚的に判断出来たが、現実世界のタクトとワコはそんなに簡単ではないからだ。そして、そこにメタレベルが1つあがった「観察者」として、演劇部部長、サリナの存在がある。突如劇中でアドリブを入れ、「エントロピープル」を名乗りだしたサリナ。彼女は「わたしたちがエントロピープルである」と名乗り、そこに現れたのは副部長だ。サリナと副部長。2人は宇宙の意志として「魔力を使わないと決めた傍観者」であることをタクトに明かし、その上で、「船を使うか、クレイスを手に入れるか」の選択を迫った。これすなわち、サリナはマルクではなく、タクトに対し、「タウバーンを使い王位を狙うか、ワコを手に入れるか」を迫ることにも繋がる。唯一違うのは、コルムナは既にクレイスから遠い存在になってしまったが、スガタとワコについては、一切そんな状態ではないということだ。改めて船に乗ったコルムナがマルクの前に現れたとしたら、マルクはそれでもクレイスの手を握っていられたのか? 決してそう簡単な話ではないだろう。今回の演劇は、あくまで「1つの可能性」としてサリナがタクトに問いかけた練習問題にすぎない。ナイフを置き、コルムナと違ってクレイスとマルクの存在を同時に受け入れている「王」スガタは、玉座に沈むことになるのか、それともマルクを理解し、彼と運命を分かち合うのか。今回の演劇だけでは、そこは語られていないのである。

 そして、今回のエピソードのもう1つの「意味」は、この演劇が「魚の惑星」のお話であるところに現れる。イカ大王が暴れる魚の惑星は、あのサカナちゃんの語るイカ刺しサムの物語と全く同じもの。マルクがイカ大王の存在を知っているということは、サカナちゃんが語ったサムの物語は、今回の演劇の後日談となるものだ。そして、その中に登場するのは「不老不死であることを後悔する王様」である。コルムナは、玉座に沈み込んだ後に、自分の選択を後悔し、苦悩していたのだ。その結果、彼は玉座となった船をサムに受け渡し、自らの命を絶つように依頼した。王は、王であることに失敗していたのである。サカナちゃんとサリナがどのような繋がりを持つのかはさっぱり分からないし、偶然の一致であるととらえることもできるが、1つの物語として、コルムナの人生は完結している。これがスガタの人生に重なるものなのかどうかは、誰にも分からない。

 ただ、現時点ではマルク=タクトであって、サムが誰になるのかが分からないし、サムの愛した女性が、クレイスだったのかも分からない。サカナちゃんの話では、玉座を手にしたサムもコルムナと同じ過ちを犯しており、この物語の中で輪廻から逃れられたのはマルクだけであったことが臭わされている。サリナがわざわざこの演劇を作り上げてタクトに問いかけた意味は、そうならないうちに、スガタを悲しみの輪廻から解き放って欲しい、という意思の表れであるのかもしれない。

 ゼロ時間が起動していないにも関わらず眠りについてしまったスガタ。彼は演劇の中のワコとタクトの関係性に、少なからず影響を受けたと考えられる。そして、ついにひがにしの巫女、ケイトの存在にも気が付いた。これで王たる準備が整ってしまったわけだが、彼の進むべき「航路」は、一体どうなってしまうのだろうか。そして、サムの物語に続いて、コルムナの物語にも興味を示したヘッドことミヤビレイジ。彼の欲望は、最後の1役、サムの人生をトレースしてしまうことになるのだろうか。

 泣いても笑っても、残すところあとわずか。一瞬たりとも目が離せない本編を、刮目して見よ。

 蛇足・今回はイカ刺しサムと違って、キャラクター名に逆読みとかのネタは仕込まれてないのかな……

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