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最近のアニメや声優、Magicに対する個人的な鬱憤を晴らすためのメモ程度のブログ。
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 なにこれ怖い、第7話。この期に及んで攻めの姿勢を崩さない作劇には頭が下がるが、今作一番の狂気に、さしものわしも躊躇するぞ。

 稀にアニメには「ミュージカル回」ってのが存在することがある。何故か作中のドラマとは関係無く(もしくは物語の要請上)、キャラが全員ミュージカル的に歌い始めてしまうエピソードである。直近では「スペースダンディ」がミュージカルっつうか謎の歌劇対決をやっていたが、その他にも伝説となった「紅」の6話「あなたの頭上に光が輝くでしょう」なんかは実に印象深い。トンデモ演出のイメージが先行するが、ミュージカル回は絵と音と動きを伴うアニメーションという媒体ではなかなか面白い効果を生み出すものである。「練馬大根ブラザーズ」なんてのもあったなぁ。

 で、今回は颯の「音痴疑惑」に端を発する、突発的ミュージカル回。……ではないな。これはミュージカル的な演出を目的としたお話ではない。あくまで、「ちょっとトチ狂っちゃった少ハリの面々が、勝手に台詞を全部歌にしようとした回」である。その証拠に、ミュージカル展開だからといって決してカット割りに特別な手心は加えていない。普通のミュージカル回であるなら、演出方向は多少なりとも舞台演出を意識した特殊なものになりがちであるが、今回の場合、あまりそういう特別感は無く、どちらかというと「いきなり仲間内で歌い始めちゃった若い衆の痛々しさ」がストレートに出てくるような平坦な演出になっている。音響もそれを後押しし、クライマックスに至るまで、颯たちには徹頭徹尾アカペラを要求し、絶対にBGMなんて入れてくれない。入ってても歌と合わせる気は微塵もない。そりゃそうだ。颯たちはあくまで日中の町中で勝手に歌っているわけで、そこには伴奏なんてついていないのだから。

 こうした「恥ずかしく歌っちゃう」展開というのは、まさにこの「少年ハリウッド」の恥ずかしさそのものである。颯だけでなく他の面々も多少尻込みしていたが、それでも舞台を1回経験した強みだろうか、結局5人とも町中での顔から火が出るような自己紹介ソングをクリアするまでにテンションを上げていった。1話目で「全く駄目」と言われていたあのくだりを、なんと自主的にクリア出来るようになっていたのである。でも、それは完全な役者魂、アイドル根性などではなく、あくまでも「若者のウェーイ」のノリの延長線上。元々は「颯の歌は恥ずかしがってるから駄目なんだよ」という荒療治が目的だったはずなのに、いつの間にやらみんなして小っ恥ずかしさが楽しくなっちゃったが故の結末である。どこシーンを切り取っても本当に恥ずかしくて見ていられないのだが、この救いようの無い恥ずかしさを切り出すことこそが、最初から一貫して目指していた今作のコンセプト。そういう意味では、今回のどうしようもない恥ずかしさは百点満点といえる。

 まー、多少キャラのかっとび方がこれまでの性格とギャップがあるような気もするのだが、こいつらアホなのは間違いないので、テンションが上がって5人が固まってればこういう展開もあるのかもしれない。「みんなで颯をおちょくろうぜ」っていうところからスタートしてるのも何となくそれっぽい。もう、「歌とはなんぞや」っていうのが分からなくなる、実に哲学的な(??)お話でございました。しかし、こうして聞いてると、実際に歌のスキルが足りてないのって颯じゃなくてトミーの方だよな……。

 その他にも、冒頭でぶしつけにカラオケの画面を流したり(しかも2回)、突き放したような「寒々しいミュージカル」演出以外にもこの世界は不可思議な画面に充ち満ちている。この異物感は癖になったらあかんな。

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 子役の苦悩を訴えるキラに、シャチョウの中の人は一体何を思っただろうか、第6話。本当に天才って言われてたんやで。まぁ、あの人の場合は居場所に悩む必要なんて全くないと思うけど。彼もものすげぇ苦労があって今の地位を築いているのだろうなぁ(男性声優なんて大体そうだろうけど)。

 順番にお当番回が回ってきていたが、前回のエアボーイズでちょっとインターバルを置き、今回改めて生馬回である。ちゃんと前回1人だけとちってしまったことには意味があったわけだね。彼の性格からすると、たまたま舞台上で1回とちったことがそこまで気になっているというわけではないだろう。そりゃ唯一人致命的なミスをしてしまったのだから申し訳なさとか悔しさはあるのだろうが、それくらいで落ち込んで人生に悩むっていう性格でもない。ただ、その失敗がわずかな違和感となり、それが彼の「居場所への不安」を喚起してしまうことになった。

 「居場所」なんてのは随分曖昧で、便利な言葉である。それを決めるのが自分なのか他人なのかも分からないし、一度決めたらずっとそのままなのか、それとも時代とともに移りゆくものなのかも定かじゃない。しかし、「自分」が分からないという思春期特有の悩みの中で、「居場所」という言葉は生馬の不安ばかりを喚起するタームになってしまっていたようだ。「これは自分の望む生き方ではない」と粋がる青少年なんてのはたくさんいるだろうが、その「違う」という感情の持ち上がり方は人それぞれ。これまで否定に否定を重ねて生きてきた生馬にとって、今回の「違う」は割と自然に出てきてしまったものなのだろう。普通に考えれば、「俺の生き方はアイドル業なんだ」なんて何の疑念もなく信じ込める人間なんているはずもないし、多分「アイドルになるべき人間」なんてのは世の中にほとんどいないと思うのだが、「自分は駄目なんだ」と思って一歩退いてしまうのは、非常に楽な選択肢なのである。

 生馬の判断については、別に浅慮だとは思わない。「アイドルに向いてる人間」がほとんどいないのだから、おそらく少年ハリウッドの面々だって、根本的に「アイドル向き」な人間などほとんどいない。今回正面からぶつかったキラのように「敷かれたレールを覚悟の上で渡っている」人間でもなければ、その道はいつでも閉ざされてしまうものであろう。レールを探して彷徨う生馬からすれば、その「覚悟」へ至ったキラの人生は、幸せなものに見えてしまうのは仕方ない。しかし、当然キラ本人はその物言いが泣くほどに悔しい。「お前のそれは努力じゃない。努力の一歩手前でばたばたしているだけだ」なんて、なかなか他人に言える言葉じゃないと思うが、それが言えてしまうくらいに、キラの人生は覚悟に満ちたものであったのだ。今更になって、生馬はその事実を突きつけられたのである。根は真面目な生馬のこと、そう言われてしまったら、改めて自分の人生のレールについて考えなければなるまい。

 結局、「分からない」のはしょうがないのだ。未だにメンバーの中で覚悟が定まっているのはキラとトミーの2人くらいだろう。生馬も含めて、まだまだ若者は悩んで進んでいく。「それで良いのだ」というのが、1話からずっと続いているこの作品の主張なのではなかろうか。今回も、ただ一人で部屋にぽつんと佇む生馬を執拗に描いたシーンなど、不思議と印象に残る場面が多かった。あの通販の商品、一体どのくらい売れたんだろう……。

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 まさかの全編エアボーイズ、第5話。常に狙いが明確で感心させられる本作であるが、まさかここまで徹底してくるとは。この姿勢は恐ろしくすらあるな。

 これまで数話かけて準備してきた「エアボーイズ」公演の本番。一体どんな内容なのか、気になるような、そうでもないような。正直「ぽっと出駆け出しアイドルの不慣れな演劇」なんて現実では全く魅力が無いわけだし、これまでの練習風景を見ても別におもんないやろな、という印象しかなかったのだが、作中では、なんとそのまま「おもんない」をダイレクトに引き出してきやがった。なるほど、確かに演劇ってこういう空気だよなぁ。脚本の突拍子の無さもすごく「それっぽい」気がする。「こんなんわざわざ金払って見に来る奴がいるのかよ」と思ったが、観客席を見ると、まず埋まってる座席数の時点でそこそこリアルだし、客の大半は若い男のアレコレが見られりゃそれでいいや、みたいなマダームがほとんどである。そうか、こういう客層に向けてサービスするのが少年ハリウッドなんだな……なんだかすごく納得した。

 「つまらない演劇」「素人集団の頑張り」。そうしたものを見せるために、今作は相変わらず尖った演出方向を見せている。「全編作中劇」という時点でも割と挑戦的ではあるのだが、普通は「作中劇」というものは「作中劇らしく」見せるものである。昨今のアニメならばライブシーンを描くことが多いが、ほとんどのライブシーンはPVのように「なるべくいい絵」が見えるように、非常に凝った造りを見せることがほとんどだ。演劇シーンにしてもそれは同じであり、「演劇」だけでなく「演劇をしている空間すべて」が描かれるのが常。古いところだと「CCさくら」の桃矢たちの女装演劇なんかが思い出されるし、そこそこ最近では「スタードライバー」の「戦争前夜」なんかがある。アニメ全体の構成を考えれば、「作中で演劇をやっているシーン」を描くことに意味があるわけで、そこには「演劇の演劇」という二重構造を明確に示すことが最低条件であるわけだ。

 しかし、今作の場合はそうした二重構造は極力排除されている。作中、わずかに観客席が映る場面もあるが、ほとんどのシーンにおいて、カメラは「観客目線」に固定されており、構図の変化はあってもズーム程度で、とにかく徹底的に「劇を見る視点」が維持される。また、「劇である」ことを示すために、普通はこうしたアニメ演出ではメタ視点が多く導入され、たとえば台詞をとちって焦るモノローグが入ったり、積極的に観客とのインタラクション(笑い声などを含む)を入れて二重構造が見えやすいように装飾するものだが、今回はそれがほとんど無い。唯一、「視野の外」が見えるのは生馬が台詞をトバして固まってしまうシーンだけなのだが、その時でさえ、モノローグなどは一切入らず、事実として「台詞が無い時間」が産みだされるに留まっている。そのため、視聴者目線でも、観客同様に劇中演出の一環のように見えていたのである(つまり、視聴者もキラのアドリブに救われたわけだ)。

 こうして、我々はいち「観客」として彼らの演劇をほぼ全てフラットな目線から鑑賞できた。正直、それがすごいことだとは思わないし、得をしたり、良い物が見られたとは思わないのだが、少なくとも今回我々は「少年ハリウッドファン」と目線を同じくしたのである。彼らの成長の第一歩を、完全にファン目線から目撃したのである。登場直後に「気持ち悪いもの」として提供されたアイドル活動は、現在でも引き続き「気持ち悪いもの」であり続けているし、今回のチープな脚本の演劇を見ればまだまだ「青臭いもの」であるが、それでも1つずつ、「ファン目線」をすり込まれることで、いつしか我々は少年ハリウッドのファンとしての権利を与えられ、彼らの物語を「良い物」として眺めるための下地を着実に作り上げ(させられ)ているのかもしれない。

 何とも不可思議な視聴感。実際、癖になってきてるのかもしれません。

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 シャチョウも歳いくつなんだよ、第4話。てっしーだけでも年齢不詳感半端無かったのに、シャチョウは現役活動中も32歳からスタート?! もう、このアニメの最終回がSF的な解決を図っても一切驚かないぞ。タイムスリップするんじゃねぇかな。

 さて、そんなヘンテコ要素はありつつも、展開されているお話はひたすらに地味。アイドルものといいながら、毎回メンバーの1人にスポットを当てて、一切華やかさの無いお話が展開されていく。これじゃドラマとしても地味なんだよなぁ、と思わせておいて、不思議と見せる話を作ってくるから不思議なものだ。この作品、今回もシャチョウの口から「気持ち悪い」という言葉が出た通り、間違いなく一般的な観念からすると「気持ち悪い」世界のはずなのだが、そんな中で悩んでいる若者たちの姿は、どこか小っ恥ずかしい中にも共感や親近感が感じられる。ひたすら前向きだった3話のトミーはそうでもなかったのだが、今回の主人公、キラについては、なんだかいかにも「若者の悩み」っぽい素直な自問自答っぷりが、実に青臭くてたまらんかった。

 シナリオを簡潔にまとめると「今まで親の敷いてきたレールの上だけを走ってきた若者が、初めて自分の人生に疑問を抱き、自分の足で走り始める決意をする」というベタにもほどがある流れなのだが、いわゆる「そういう話」と比べるとちょっと切り込み方が違うのだ。確かにキラは「自分の夢じゃないかもしれない」という壁にぶち当たったが、これは単なる自己実現欲求からきたものではなく、「役者とは、演技とはなんぞや」という問いかけを(実に乱暴な形で)ぶつけてきたシャチョウの手によって引き起こされたものである。これまで超がつくほどの親馬鹿マザーによって「自分は天才。自分の演技は人を幸せにして、感動を与えるためにある」とひたすらに思い込んできたキラが、ただ一言、「なんか気持ち悪い」と言われたことでその根幹をぶっ壊される。その様子は、泣きじゃくったり暴れ回ったりというダイレクトなアクションに立ち現れるわけではなく、ちょっとサクランボの種をかみ砕いてみたり、ちょっと母親に大声を出してみることに現れる。だが、そこからこれまでの自分を全否定するというわけでもない。確かに「夢は借り物」だったのかもしれないが、それを返した後に残った夢も、きちんと「借りたもの」と同じ形をしている。決して母親の行いを否定するのではなく、新しい世界を作っている。あくまで「次の一歩へ進む」ことで、「破る」のではなく「乗り越える」ことが出来た。これにより、キラもトミーと同じように、真っ直ぐな気持ちで少年ハリウッドに向き合うことが出来るようになるのだろう。未だに「死」と同じ次元で考え込んでしまっている颯や生馬よりも一歩先に行った形である。

 こうした「非常に個人的な悩み」を描く時に、今作はやたらと綺麗なのである。画が綺麗、画面が綺麗というのではなしに、コンテが綺麗。たとえば件の「サクランボの種」のシーンでは、その前に子役時代の回想が入り、「すりつぶす」という言葉の後に文字通り「噛みつぶされた」種が映ることで、彼の中にある「子役」「俳優」への葛藤がよく分かり、そこに「種を取るための器」を持ってきた母親の無自覚さが対比的に写る。このワンシーンだけであの母子の全ての関係性が伝わってくるようである。他にも、仲良く夕食を食べる颯と生馬のコンビにしても、肝心の食事のタイミングでは何故か足下を写すカットが流れ、彼らがどのような表情で「同じ釜の飯」を食っているのかが見えないようになっている。最終的には生馬が先に食事を終え、その後数秒してからゆっくりと颯が飯を食い終わる。普通のアニメなら、「ごちそうさま」をいうのはほとんどの場合はどのキャラも一緒になるはずである。こういう細かいところで、この2人はまだ「ずれて」いるのだ。互いの関係性を見る上でこういうところが面白い。

 やっぱり、なんだか気にさせるアニメである。ちなみに、今回一番感心したのは子役時代でも問題無くキャストが成立する山下大輝である。最近の男性声優、声高いの多いなー。

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 てっしーいくつなんだよ、第2話。どう観ても30そこそこにしか見えないのに、初代のハリウッドが売れない時代に既にハリウッド東京にいた? 妖精さんか何かかな?

 やっぱり1話目と同じく、どこか気になってしまうのがこの作品。最初に「気持ち悪い」って思っていた感情も2話目で既に消えており、じわじわ「こいつら、何考えて生きてるのかな……」という興味がわき始めている。アイドルもののはずなのに歌も踊りもなく、今回ステージ上で行われたことといえば、大掃除と台詞の練習だけである。魚料理はきらしております。

 歌いもせず、踊りもせず、「幕末Rock」の真逆を行く本作。それじゃその間何をしているかというと、主に悩んでいる。主人公の風見君は「アイドルとはなんぞや」を自問自答し続け、日常生活にも支障が出るくらいには自分の存在意義を問い続けている。そして、これが安易なアイドル論に落ち着くのではなく、「そんなもんしらねぇからてめぇで考えろ」と叩きつけられているあたりがなんだか妙に生々しい。シャチョウが危険人物なのは間違いなかろうが、彼の持つアイドル観には何か一抹の真実があるようにも見えるし、大量にうち捨てられた備品を見ればやっぱり単なるキチ○イのようにも見える。この揺さぶり方は、あくまでも「若者が勝手に考えなさい」というシャチョウの根無し草のような性格を表したものであろう。「友達をきり捨てることになる」というあり得ないほどに無責任な発言も飛び出したが、実際、スニーカーのお話でそれが妙に真実味を帯びてしまう。そして、風見がそれを自ら受け入れたことは、彼の中で更に問題を複雑にしている。ただ、単に「別世界の住人になるためのイニシエーション」とかいう夢見がちな結論が出るわけではなく、「友達を切り捨てたような気がしたけど、これがそうなのかな? まだ、普通の男子高校生として友達と仲良くしてていいのかな?」という揺れは素直に残したまま。「嘘をつくこと」の意味すら、今はいい事なのか悪いことなのか分からないのである。このもやっとした落ち着かない感じ、いかにも思春期、いかにも進路の悩み。頑張れ、若者。

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 なるほど分からん、第4話。放送中にDARKERBD-BOXのCM入れてくるのはずるいんじゃないですかねぇ。

 一通り世界観が理解出来た(??)ところで、ボチボチ個別隊員のエピソードが繋がってくる。前回は一応ヤスの物語だったと解釈出来るが、今回はナターシャ(とロボ子?)のお話。しかし、前回はひでぇながらも一応話の肝は分かりやすかったものだが、今回は一体何が起こっているのやら。

 以前からずっと作品の中核に居座り続けている「ウド」という存在。お話の舞台はウド川という土地であるし、ロボ子の食事はウド。そしてズヴィズダーのエネルギー源もウド。何故にここまでウド推しなのか。考えられる一番の理由は、「あんまり大事そうじゃないから」という捻くれたものだろうか。山菜として食されることも多いウドであるが、実際の食卓に並ぶことは(そういう土地でない限りは)稀ではないだろうか。食べたことがないわけじゃないが、個人的には、母親が率先して調理するような食材でもなかったし、現在スーパーに駆け込んでもなかなかウドを置いてるってこともない。そんな「ウド」という存在に対して、我々が真っ先に思いつくのはやっぱり「ウドの大木」という言葉。図体ばかりでかくて中身が伴わないことを揶揄する言葉だ。つまり、ウドという言葉の響きには、「なんだか抜けていて役に立たない」イメージが付きまとう。それを一番のエネルギー源にしており、全てを支える万能神のように扱うところに、妙なおかしさが生まれる。まぁ、実際には食材としてのウドは山菜のカテゴリーに入り、栄養価も最低限はあるみたいなんだけど。あと、調べていて初めて知ったのだが、ウドというのは珍しい「日本原産の野菜」らしい。そういう部分も、ひょっとしたらズヴィズダーが日本国内に拠点を置き、世界征服を狙う上での礎になっているのかもしれない。

 で、そんなウドパワーを管理していた、寝相の悪いナターシャさん、御年15歳。超古代ウド川文明の探究に際し、彼女がどうやってズヴィズダーに参画したのかという過去話が明かされた。幼い頃からメカいじりしか興味のなかった奇妙な子供に、技術者だった両親は不安を覚え、外に連れだして……なにしたんだろね。その辺は全部曖昧でさっぱり分からなかったのがすごい。気付いたらウクライナからウド川遺跡に迷い込み、いつのまにか隣にロボ子がおり、いつの間にかケイトと出会い、いつの間にか西ウド川にたどり着いて今のポジションになったという。うむ、分からん。あんまりそこを突っ込む話でも無いんだろうが、なんか気になるよなぁ。その生い立ちで、なんで今みたいなトンデモ科学技術が扱えるようになったのかもよく分からないし。子供の頃にはロボットを作ったといっても剣玉も満足にさせない状態だったわけで、いきなり技術力を上げて高精度のステルス装置なんかを産みだすに至るまでには、宇宙人にキャトられでもしないと成長出来ないような。これもズヴィズダーの力なのかしら。まー、本人は今の地位に満足してるみたいだからいいかぁ。ちなみに、今回一番の衝撃は「千和も母親役とかやるようになったんだよなぁ」ってことです。

 その他、ケイトちゃんが「おしべとめしべをピー」だったり、将軍が相変わらずのスイーツ極道だったり、今日もズヴィズダーは平和だが、一番の見どころはプラーミャ様の寝室にあるぬいぐるみなどの数々のケイトちゃんグッズだと思う。この場合、彼女は百合と呼ぶべきなのか、ロリコンと呼ぶべきなのか。もっとその辺にスポットを当ててもらってもいいんだぜ。

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 すげぇ話やりやがったな、第3話。なんかもう、途中から話と全然関係無いとこでドキドキしてたわ。これ、どこかの業界にすげぇ喧嘩売ってるけど大丈夫なんかな。

 天下無敵のズヴィズダーにも苦手なものがあった。それが煙草。クルクルたちは煙草の煙で弱ってしまうし、ロボ子に至っては煙にまみれると行動不能。他の面々があれだけ怒っているところを見ると、おそらく似たり寄ったりで苦手なものなのだろう(過去に喫煙者だった将軍を除く)。……という設定は建前として……これ、単にやりたかっただけだろ。世間的にも常に議論の的になる喫煙の是非である。個人的にははっきりと嫌煙側の人間なので、今回のお話も苦笑い半分で見られたが、これ、愛煙家にとってはどういう風に映るんだろう。もちろんギャグとして収めてもいるし、あくまでもなんちゃって世界征服の話の中なので、冗談で終わればいいのであるが、最後にどっかでフォローするかと思ったら、一切フォロー無しで終わったもんな。よっぽど煙草嫌いな人間の仕業なんだろうなぁ。フォローに回るはずの明日汰ですら「確かにあいつらは最低な奴らですけど、辛うじて人間です」だもんな。一切の遠慮がない。これだと、流石に最近の分煙ブームでどんどん肩身が狭くなって、必死に気を使いながら吸ってる人には可哀想だった気がする。まー、そうじゃない人間がたくさんいるからこそこういう話も生まれるんだろうけど。最低限、飲食店内は全面禁煙がいいのは事実だよな。今回の中華屋みたいに「一服いいですか」って聞いてくれるような人ってなかなかいないだろうけど、もしいたとしても、「嫌だからやめて」ってなかなか言えないもんなぁ。

 結局、そういう「割と揉めるテーマ」を扱って、単に大規模なズヴィズダーの抗争を描きたかったお話なのだろう。やろうと思えば酒でも麻雀でも出来た話ではあるし。一応、その中で少しだけ将軍とヤスの過去について描かれていたのも注意すべきポイントだろうか。ズヴィズダーに参加する以前から二人の繋がりはあり、更に、将軍はケイトちゃんと以前から面識があった。「俺が死ぬとしたら殺すのは星宮ケイトだ」って、恐ろし過ぎる幼女だ。そして、将軍がスイーツを貪るようになったのは、禁煙した結果であるということも分かった。「いつまでも子供じゃいられねぇ」っていいながらお菓子を取り出す姿はなかなか滑稽である。あれだけばくばく食ってたら、糖分も煙草に負けず劣らず危ないと思うんですがね……。

 あぶなっかしいテーマを除くと、今回も相変わらず可愛らしさ、綺麗さが際だつ作画面に惚れ惚れする仕上がり。町中で喫煙者と嫌煙家を分ける描き込みのタッチの差も面白く、可愛いものはとことんまるっこく可愛らしく、そうでないものは醜悪に描くあたりにたっぷりと悪意が込められていて笑ってしまう。ケイトちゃんがはき出す名言至言の数々は、あの声で声高に叫ばれるからこその中毒性がある。そして、愛煙家を叩くための下準備というか、免罪符というか、ケイトちゃん自身は非常に清廉な存在に見えるようになっているのである。形はどうあれ、家族全員での外食、楽しそうにテーブルを囲み、みんなで丁寧にいただきますをいう光景は、実に微笑ましく、清々しい。ご飯の前にはちゃんと手を合わせていただきます。当たり前のことだが、そういうところから征服は始まっていくのだなぁ。

 今回のお話、キャストの中には喫煙者はいたんでしょうか。個人的に勝手な思い込みから、声優ってあんまり煙草吸わないもんだと思ってる。「美味しんぼ」で悪魔の産物であるかのように描かれていたのと同じように、喉を使う仕事で煙草なんて自己管理を放棄してるようなもんだと。普段女性声優のラジオしか聞かないから男性声優がどの程度喫煙してるのかしらんのだが、どうなんだろうね。「ビーストウォーズ」のアフレコ現場の休憩室はけっこう吸ってたなぁ。自分のイチモツに灰を落として火傷した伝説を持つヤツもおるしな。

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 本日は久野美咲ちゃんの誕生日らしいですよ、第2話。いくつになったんでしょうね。9歳くらいですかね。

 何が起こってもおかしくない第2話で、一体どういう方向に持ってくるのかと思ったら、実に見事な長屋話に。やったね、僕の大好きな長屋ものだよ。一つ屋根の下に雑多な人たちが集まって和気藹々としているっていうだけで割と好き。ケイトちゃんのノリが似てるから、このまま「狂乱家族日記」みたいになれば面白い。約1名キャストも被ってるしさ、「面白い喧嘩は買ってでもやれ」ってのも凶華サマがいいそうな台詞じゃありませんかね。「私闘は面白いからどんどんやれ」だったけど。

 結局明日汰君は一晩どこで過ごしたのだろう。翌日になったらちゃんと学校には行く真面目な家出少年。未だ彼の実家については何一つ描かれていないが、多分彼の家が物語には大きく絡んでくるんだろうなー。幼なじみっぽいクラスの子があんなだもんなー。とにかく、空腹に苦しむ明日汰のところへ、ズヴィズダー幹部・鹿羽逸花さんが乗り込んでくるところから再び巻き込まれ劇が始まる。大根を突きつけて恐喝する逸花に屈する明日汰。モノレールが走る幹線道路っぽい表通りに、堂々と看板を下げているズヴィズダーの秘密基地。ここで幹部たちと面どおしするのが今回のミッションである。

 まず、寝ながらにして登場したチームの頭脳、ナターシャさん。コードネームはウーム教授。一言で説明するなら、「広島弁の花澤香菜」。広島出身なのかどうかよく分からんが、単に任侠ものが好きなだけという可能性が高い変な才媛。今期2人目の花澤方言キャラであり、変身前のダウナーなしゃべり方は安定の可愛らしさである。続いて現れたのは、チーム唯一の戦闘員にして「主任戦闘員」、ヤス。コードネームはアジーンらしいが、普通に逸花さんからは「ヤス!」って怒鳴られる人。基本的にヘタレのトラブルメイカー。新入りに対してはイキった態度を見せるものの、割とあっさり底が見える。何故チームに雇われているのかは謎。更に、エネルギー摂取手段が限られているはずなのに何故かトイレから出てきたロボット娘、ロボ子(直球)。指先にリモコンが内蔵されていたり、クルクルたちと会話出来たりする能力を持っている。ただ、何故かクルクルとの会話はアナログなモデム接続音が聞こえる。唯一食べられるものはウドのみであり、食事シーンは実に効率的。っつうか、燃費良すぎないか。そして、幹部唯一の男性は強面のおじさま、鹿羽吾郎氏、コードネームはピェーペル将軍。常にスイーツを手放さない紳士だが、戦い方はかなり骨太な模様。おそらく歴戦の強者だが、逸花さんの料理には神速で逃げるという側面も。そんな逸花さんはおそらく組織の切り込み隊長。コードネームはプラーミャ様。身体能力に優れており、変身前から既に眼帯付きである。ただ、実際の作戦行動よりも料理を使った方が人が殺せる可能性は高い。強面だけど、明日汰の料理の腕を認めて教えを乞うたり、案外素直なところもあるのかもしれない。

 そして、我らがボス、星宮ケイトちゃん、コードネームはヴィニエイラ様。ハンバーグが大好きなお子様だが、好き嫌いは今のところ無い。逸花の料理に対しても積極果敢に攻める良い子である。今期は幼女が料理を食べるだけで盛り上がる作品が多いな(未確認)。今回はチーム内部で抗争が起きるという悲しい事件があったが、ヴィニエイラ様の見事なお裁きで和解……したわけではない。でも、チームに不足した要素を認識し、そこに明日汰をあてがった統率力は実はすごいのかもしれない。ちなみに敵対する組織は、正義の戦隊「ホワイトライト」。隊員は現在ホワイトロビンとホワイトイーグレットがいる。なんかスプラッシュスターっぽいが、戦隊のくせに全員ホワイトで色分けしてないあたりはやる気が感じられない。ちなみに現段階ではどちらも正体は不明。一応不明。

 さて、1話がインパクトの回だとするなら、2話目はちゃんとした導入の回。何が導入されたかはいまいち分からんが、世界の準備は整った。あとはここからどういう方向にかっ飛ばしていくか。相変わらず絵柄が可愛らしく、背景のどこか絵本チックな描写なんかも微笑ましい。画面見てるだけで楽しくなる作品っていいよね。個人的にはエンディングのイラストがすげぇ可愛かったのが嬉しかった。歌ってる人も幼女ですから。最近は20歳過ぎの幼女が多いよなー(錯乱)。

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 チェインバーさんの侠気に思わずもらい泣き、最終話。このアニメの主人公、チェインバーさんだったんだな……。惜しい男を無くしたものだ。

 ストライカーの狂い方は、ある意味非常にシンプルなものだった。どうやらクーゲルは船団形成をはじめた直後にはまだ生存していたようだ。彼がレドと同じようにこの世界のあり方、自分のあり方に悩んだのかどうかは分からないが、あくまで彼も人間だ。おそらくはそこまでトチ狂った希望があったとは思われない。「現状で可能な限り、組織的で効率の良い集団組成を考えよう」くらいのニュアンスだったのではなかろうか。しかし、残念ながら風土病によって彼は志半ばでこの世を去った。残されたのは、考えることを仕事にしているはずだが、考え思い至ることの出来ない機械のみ。ストライカーは、クーゲルの提言を全て「彼女なりに」解釈し、結果的にあの船団を産みだすに至った。別に悪気があったわけではない。あくまでも彼女が産みだされた同盟の倫理観でもってこの世界を睥睨したならば、あまりにも無駄とムラが多すぎたのだ。それを運営しやすいようにまとめるのには宗教という形が一番手っ取り早く、自らが超越的な力で「神」として君臨することが、組織の運営、並びにヒディアーズの殲滅に最も効率が良かったのであろう。どこまで言っても機械は機械。彼女の意志で何かを願ったわけではないのだから、そこに憎しみを求めるのはお門違いというもの。

 しかし、そんな純粋な遂行意識も、やはり場所が変われば単なる圧政になる。地球の人々が求めていたものはストライカーの願うような「思考を放棄した上での安寧」ではなく、自分たちの足で立ち、自分たちの頭で考えて生きていく面倒臭い世界である。効率化を極めた世界で産みだされた機械には決して到達出来ない領域が、地球には存在していた。

 しかし、やはりミライ科学は恐ろしい。そんな不可侵の領域にまで食い込んでしまったマシンキャリバーが1台存在した。レドの「啓発」だけを目的とし、レドと共に悩み、成長した機体、チェインバーである。何が正しいか、などという白黒を付けることは出来ない。人間にだって出来ないのだから、機械に出来るはずがない。しかし、チェインバーにとって、レドの成長こそが全ての結果であり、レドが至った結論が、彼にとっての理想となる。これまで全ての正否判断に同盟の基準、大原則を掲げてきた彼であったが、この度ストライカーの提言に対し、初めて反論を行った。突如漏れ出した「懐疑提言」に、思わず鳥肌全開である。その後のチェインバーの行動は、全てレドのために費やされた。どう考えても機械の領域を超えたような選択も含まれていたような気もするが、多少ぶっ飛んだところは全て「ミライ科学すげぇ!」ということで解決するだろう。最終的にはレドが「啓発を完了させた完成品」であるとの判断をくだし、レドが生きるための世界を残すために、チェインバーは自らの最後の仕事を全うした。もちろん、彼にだって「レドが完成を見たのか」「レドがパイロットとして相応しくないのか」などといった判断は出来るはずがないのだが、彼なりの最善手を機械の言葉で翻訳したがために、あんなツンデレになってしまったのだ。末期の捨て台詞は、きっと彼のAIがフル回転で相応しい語彙を探し求めたのだろう。結局、そこから出てきた一言は、彼もまた、ガルガンティア船団で育ち、立派な乗組員として成長したことを表すものであった。偉大なる戦友に、今一度弔意を表したい。

 さて、そんな主人公チェインバーの活躍は言わずもがなだが、その傍らで、他のキャラクターたちも粛々と最終回の準備を整えていた。レドは戦う決意を固めたし、ピニオンはこの期に及んで男前度数をアップさせるために仲間達を逃がして自分だけは貴い犠牲になる目論見。ただ、野放図なラケージ姐さんのおかげでこれは叶いませんでした。そしてちょっと突飛過ぎる気がしたけど、何故かガルガンティア船団にも搭載されていたミライ兵器、「天のはしご」。リジットさんが責任者としてわざわざ操縦桿を握り、案外迷い無く斉射。多分、ストライカーさえ居なければガルガンティアは放っておいても最強だった気がするぞ。そして、レドを奮い立たせる大事な役目は当然エイミーのものである。光線系の技や実体弾が飛びまくるばけもんどうしの戦場に貧弱な飛行機械単体で突っ込んでくる命知らずぶりであるが、今回メカ戦以外で一番作画に気合いが入っていたのは、滑空するエイミーがレドと顔を合わせて振り返る一連のカットである。流石のメインヒロイン。彼女の一声が無かったらレドはそのままチェインバーと心中していた可能性もあるので、やはり大事なお仕事であった。

 最終的には、異分子となるチェインバー・ストライカーの2体が消滅したことにより、この世界にはただ1人、レドだけが残される結果となった。しかし、彼にはもうチェインバーの支援は必要無い。自分が何故地球に飛ばされてしまったのか、宇宙での戦争は一体どうなっているのか、まだまだ分からないことばかりではあるが、現状を受け入れた彼は、きっとガルガンティアで新しい希望を見つけていくのだろう。「最終回でレドは宇宙に帰ってしまうのか?!」なんて疑問も始まった当初は議論されていたが、この「居残りエンド」が一番お話としてはすっきりするし、ハッピーエンドに見える。是非とも、エイミーたちと末永くお幸せに。

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関西在住の、アニメを見ることを生業にしてるニート。必死で好きな声優を12人まで絞ったら以下のようになった。
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