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最近のアニメや声優、Magicに対する個人的な鬱憤を晴らすためのメモ程度のブログ。
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 満を持して、11話、最終話。もし異なる時間軸があるのだったら、この2話を一週間おきでちゃんと見る世界も欲しかったものであるが、現実には一挙放送。とても分割して1話ずつ見ることは出来ないので、ここは一気に2本分。

 

○11話

 これまでも実に見事な絶望感を提供し続けてくれた最低最悪の地獄の使者キュゥべえは、今回だって一切の容赦無く、絶望の一言のみをつむぎ続ける。まどかがワルプルギスすらも凌駕する存在となり、全てを破壊し尽くす災厄となった原因は、それを回避しようと必死に抗うほむらの行動自体がもたらしたものであった。ほむらの能力のおかげで事象自体はリセットされ、何度でも繰り返されるが、そこに巡った因果は決して打ち消されない。つもりにつもった因果の芥は、いつの間にか、まどかを世界の中軸たる圧倒的存在にまで上り詰めさせていた。

 さらに、キュゥべえの弁舌はまどかにも等しく振るわれる。「人間は家畜の気持ちを汲むことがあるのか」と。これまで数多の悪役が吐き捨ててきたこの台詞だが、ここまで理知的に、懇切丁寧にその言の正当性を訴えた存在というのは初めてであろう。そのあげく、自らの正しさを補強すべく、キュゥべえはまどかを歴史の回顧録へと招待する。歴史の転換点となった「願いから始まり呪いで終わる」魔法少女達の人生の蓄積。それが一気にまどかに襲いかかり、まどかを徹底的に打ちのめす。ほむらとまどかは、別々の方向からその信念を打ち砕かれていく。

 「ループ」を封じられたほむらは、最後の堰を破られ、溜まりにたまった胸の内をまどかに吐き出し尽くしてしまう。繰り返す世界の中で、自分自身は何もかも失い、どこかが壊れた存在となってしまった。しかし、そこに残されたたった1つの「道しるべ」である、まどかという存在。全てを依拠するたった1つの願いがまどか自身であることを、最も伝えてはならないまどかに伝えてしまった。もう、後に残された可能性など無かったのだ。全てを失い、最後の戦いを迎えるほむら。持ちうる全ての武力をたたき込み、無理矢理にでも目的を果たそうと試みるが、これまで全ての希望を打ち砕いてきたワルプルギスは、それくらいでは打破できるはずもない。前にも進めず、後ろにも戻れない。絶望にうちひしがれるほむらのもとに、まどかが現れる。そして彼女は、「ごめんね」という絶望的な一言を漏らした。

 

 ラス前ということで、事実上のクライマックスはこの話数だった。様々な思惑と歴史が入り乱れた10話とは打って変わって、この10話において語られたのはたった2つのファクターだけ。まず1つは、ほむらの願いの顛末。キュゥべえにその存在を看過されたことにより、唯一残された時間遡行というツールを封じられるほむら。八方ふさがりの状態に置かれた彼女は、既にあの頑なな暁美ほむらではない。弱々しく、みんなに守られていた時代のほむらに戻っていた。伝えてもしょうがない事実を吐露し、後悔だけがそこに残される。

 そして、そんなほむらの願いを手に入れた「鹿目まどかという存在」こそが、もう1つのファクターにして、この物語の全て。意外だったのは、今回フォーカスがあたったのが「ほむらにとってのまどか」であり、さらにもう一つ「家族にとってのまどか」であったこと。言い換えれば、家族との接点は、魔法少女という要素を取り除いた、まどかの「世界との接点」と見ることも出来るだろう。「嘘も吐かず、悪いこともしないでそだった良い子」であるまどかが、次のステップとして宇宙存在にまで拡張してしまう狭間のエピソードとなっているわけだが、そのための橋渡しとして、家族という視点を導入し、まどかを世界と隔絶させる役割を果たした。

 まどかママの苦悩は実に痛々しい演出がなされており、前半では担任の先生との居酒屋トーク、そして後半にはまどかとの直接対話という2段構えで強く訴える構造になっている。胸を締め付けられるシーンの多い今回だが、一番辛かったのは、まどかに説得され、ママが彼女の背を叩いて送り出したシーンだろう。確かにまどかママは魔法少女について何もしらないし、娘の「隠し事」がどれほど大きなものかも知らない。しかし、これまで十数年間の娘との関係性において、そこに秘められた思いの大きさは感じることが出来たのだろう。娘を失うことも、ひょっとしたら予兆としてあったのかもしれない。だからこそ、愛娘の頬を叩くこともしたのだ。その上で、娘はずっと探していた「自分の願い」を確信していた。そんな状況で、実の親が自分の願いを優先させず、娘の思いを遂げさせることがどれほど辛い決断だったことか。あそこで抱き留めないことに、どれだけの勇気と優しさが必要だったことか。大小様々な悲劇が繰り広げられたこの作品、最も悲痛な強さを見せたのは、ひょっとしたらまどかママだったかもしれない。

 最終回の「大オチ」へと繋がる話数なので、これだけでは完結しない1本ではあるのだが、これまでこの世界を構築してきた全ての要素が一気に収束を見せる、実に印象的なエピソードとなった。この一ヶ月間で修正が入ったのかどうかは定かでないが、画面の質もこれまでの作品の中でも断トツの出来(2原を送っているのがサンライズとサテライトってのがすごい)。ワルプルギスとほむらの総力戦の馬鹿馬鹿しいほどの大迫力は「これ、劇場で見ないと」と思わせるだけのクオリティであるし、キュゥべえがまどかを巻き込んだ歴史のスクリーンや、不安を徹底的に煽り続けるいつも通りのイヌカレーも、最後の一暴れとばかりにやりたい放題である。「一ヶ月分の期待感を受け止めきる画面」など、本当ならば望むべくもなかったと思うのだが、それを実現させただけでも、スタッフには賞賛を送りたい。コンテを受け持ったのは、なんと「オカルト学院」の伊藤智彦監督ではないか。こんなところでいい仕事をしてくれるとは。

 

○12話

 そして最終話。

 ほむらの思いを全て理解しながらも、魔法少女となる決心をしたまどか。絶望感にうちひしがれるほむらだったが、その願いはほむらをも含む全ての魔法少女の願いの結実。「魔女になる因果の消滅」、それこそが、最大最強の魔法少女、まどかの願いとなった。

 まどかの願いにより、魔女は消え、悲劇は失われ、宇宙が入れ替わる。そして、鹿目まどかという個も消え去る。

 残されたのは結果だけ。魔女となるべきだった数多の魔法少女達は、その未来を否定されて消えた。魔女の運命を受け入れられず、魔女によって殺されたマミや杏子は、消滅の咎を背負わされた不遇の魔法少女として、その任務を果たし続けた。魔女になる因果を逃れることで願いすら打ち消されてしまうさやかだけは、その呪いのみがキャンセルされ、願った未来へと消えた。そして、全ての人々の意識から、鹿目まどかが消えた。唯一、彼女の覚悟と最期を見届けた、ほむらを除いては。全ての因果がキャンセルされ、鹿目まどかだけが消え去ったはずの世界。そこに残された魔法少女であるほむらの頭には、見慣れないリボンが巻かれ、彼女の手にした武器は、あの盾ではなく、弓矢へと変わっていた。そこに、何者かの「概念」を残しながら。

 

 さて、ご覧のような最終回を迎えたわけだ。この「オチ」については、おそらく賛否が入り交じって様々な意見が出ることと思われるが、先に私の感想を述べておくならば、一切の不満は無い。「いくら時間軸の因果が重ね合わさったからって、人類創世からのエントロピー云々をキャンセルするほどのエネルギー量はないんじゃない?」とか、「そもそもその願いに対応するシステムをインキュベーターが対応出来るの?」とか、根本的な疑問がたくさん出てきて、おそらくそれらを解決する術はないと思うのだが、それはこの1本の物語を見る上では不必要な心配であるし、脚本家と製作陣が作り出した「まどか」の世界は、それを説明するための舞台ではなく、「見せる」だけのものである。形の上では決着がつき、更に最低限の理屈もある。そして何より、「なんだかいい話」なのである。概念存在に昇華したまどかが幸せなのかとか、記憶を失うことがほむらにとって幸せなのかとか、心情面でも気になる面は多いのだが、それを本当に真剣に悩みたいなら、「火の鳥」あたりを読んで考えればいいこと。まどかは幸せであると言っているし、ほむらだって、手にしたかったものをきちんと手に入れた。そこに何の不満があるだろう。「魔法少女は、夢と希望を叶えるんだから」というまどかの言葉こそが、この作品の全ての結末を表しているのではないだろうか。

 脚本家が徒に問題を残すような妙なシナリオで意地を張らず、シリーズ作品として綺麗な答えを見せてくれた。それがまず、この最終回で一番嬉しかったこと。「終わるために終わった」と見る面もあるやもしれないが、ここまでの12本のエピソードに無駄が1つもなく、全てが綺麗に最終話に繋がっていたことを考えれば、長さにフィットした絶妙な着地点だったと見ることも出来るだろう。「世界再構築」というトンデモ展開にも関わらず個々の細かいエピソードにごまかしをつくらず、全てのキャラクターにエピローグを用意してくれていたのも嬉しい。さやかの存在だけはちょっと可哀想過ぎる気もしたけど……最後の最後で、魔女として死んでいった「あの未来」がリセットされ、「利己」に苦しんださやかが「利他」に還れたことだけでも、救われたと見るべきであろう(最終話の台詞に「なんの後悔も無い」を入れた底意地の悪さはちょっと気になるが)。

 マミが、杏子が得られた幸せは「普通の魔法少女」。魔女が消えても「魔獣」と呼ばれる瘴気の化身は存在し続け、そのためにインキュベーターと魔法少女という存在はあり続けたようだが、その先に不幸な未来は無い。あくまで「魔法少女として死ぬ」という未来が得られたのだ。ほむらの様子を見ると、キュゥべえのとの関係性も改善され、白い悪魔としてのキュゥべえも失われたようである。ちょっとふざけながらコミュニケーションを取れるほむらとキュゥべえのやりとりは、視聴者から見るとなんだかやるせない部分もありつつ、やはりどこか喜ばしいものに見えるのだ。

 そして、そんな魔法少女としての存在を残した上で、この物語の主人公、ほむらには、まどかの記憶が残された。多少ご都合主義のきらいはあるが、やはり彼女の中に生き続けてこそのハッピーエンドである。何が嬉しいって、まどかの弟の中にも、まどかの存在が生きていたこと。「まどか」がほむらたった1人で背負い続ける概念になってしまったら、ほむらの孤独な戦いだけがクローズアップされてしまうが、数は少ないとはいえ、鹿目家の家族たちには、わずかながらも「まどか」が残っていた。それを知ることが出来ただけで、ほむらには「まどか」が感じられる。孤独な戦いを続けてきた彼女には、ほんのささやかな贈り物であろう。

 最終回は概念宇宙に飛ばされたまどかとほむらがクライマックスに用意されたおかげで、アニメ的な見せ場がなかなか見えにくかったのはちょっと残念だったが、最後に弓矢を引き絞るほむらのシーンなんかは、これまでの鬱々とした作品の雰囲気をぶっ飛ばすような、期待感に溢れた最高の締めだったと思える。3話や7話を見ていた時点ではこんな気持ちで幕を下ろせるとは誰も思っていなかっただけに、本当にありがたい幕引きであった。

 とにもかくにも、1つの世界が無事に幕を閉じた。今は、それだけの安心感を噛みしめることにしよう。

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