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最近のアニメや声優、Magicに対する個人的な鬱憤を晴らすためのメモ程度のブログ。
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 というわけで、公開2日目といつになく早い視聴。単に時間があった、というのも理由だが、この作品の場合、ボーッとして先送りにしているとどんどん色んなところでネタバレに出会いそうで嫌だ、というのもあった。早めに見ておけば、今後ネット閲覧に気を遣わなくても良くなるしね。そんなわけなので、当然のことながら、
 
 
以下、確実にネタバレを含みますので、未視聴の方はご注意下さい。


 さて、約1年の時を経て帰還した、あの問題作「BLOOD-C」の完結編とも言える劇場作品。壮大な茶番劇が繰り広げられたあの12本から、一体どんな映画が飛び出すのかと、期待半分不安半分。あれ以上の茶番など起こりえないと思いつつも、内心ドキドキしながらの視聴である。

 で、視聴後の現在の感想だが、まず端的に点数を付けると、優良可でいうなら「可」。残念ながら期待した結果が得られたとは言い難く、「優」や「良」には及ばない作品だった。以下に、この作品のどこがどのように機能していたのかを考えてみよう。

 視聴後に真っ先に飛び出すであろうと予測される不満の1つは、「あのオチはなんだ」というものだろう。あれだけ僕らをワクワクさせてくれた七原文人氏、実に劇場版の総時間数の3倍もの間仮面を被り続け、ギモーブ店長として我々をコケにしてくれた「巨悪」である文人が、最後には何とも薄っぺらいセンチメンタリズムと心中するという、正直、地上波版の衝撃を楽しみにしていった人間からしたら拍子抜け以外のなにものでもない結末。あんな最期を迎えたかったのだとしたら、何故浮島の時点で小夜を狙撃して逃げ去ったのか。小夜に対する感情があそこまで強いものだったのなら、何故もっと彼女との時間を持続させるための努力をしなかったのか。結末を迎えた上で、文人という人間の感情は分からないコトだらけである。

 しかし、個人的にはこの幕引き部分だけを見れば、決して理不尽でもないし、後腐れが残るものだとは思っていない。文人の持つ感情が倒錯したものであることは間違いなかろうが、彼がおかしかったのは元からである。地上波版を振り返ってみても、わざわざ彼が浮島のプロジェクトに直接関与してあんな「キャスト」を演じる必要は無かったはず。もちろん、小夜に全部ぶちまけたあとにあの島で古きものを解放して大惨事を巻き起こす必要も無い。彼の行動原理は、最初から最後まで「小夜と一緒に遊びたい」という、その1点だけだった。しかし、そんな「飼い犬」、「おもちゃ」であるところの小夜に対して次第に深い感情を抱くにつれ、彼の中では様々な原理矛盾が起こってしまう。「本当の小夜」を見たいのに、小夜は既に自分に対して並々ならぬ復讐心を持ってしまっており、一切タッチ出来ない状態。そして、自分は小夜が触れることすらままならぬ、単なる「人」でしかない。富も名声も思うがままになってしまう文人が得られないただ1つのものが、「小夜との時間」だけだったのだ。その境地に達してしまった時点で、彼に普通の「野望」を求めるのも無理な話だろう。全てを放り投げて、最期の一花、小夜との楽しい時間を得たい。そう思った彼の素朴な感情も、分からないではない。その対象たる小夜自身もねじくれた存在であるだけに、接点を見いだすには、こんなどうしようもない結末を迎えるしかなかったのだろう。

 七原文人の物語に不満は無いのだ。では何が不満だったかといえば、それ以外の部分である。文人の感情は難しい。そしてそれを追いかける更衣小夜という存在も難しい。それなら、この2人のために精一杯筆を裂いてこそ手向けになるはずなのだが、残念ながら、この劇場版において、2人のために費やされた時間は驚くほど少ない。残りの時間は、この劇場版のために新たに生み出されたよく分からない有象無象のために消費された。

 今作で事実上のサブヒロインとして登場した柊真奈、彼女がいる意味が、よく分からない。確かに「小夜の物語」を作り上げる都合上、小夜を最初から最後まで一人きりにさせるわけにもいくまい。浮島での人間関係が全て「茶番」であったなら、東京で新たに小夜と結びついた人間関係を作らせるのはアリだろう。しかし、あくまでその中心は小夜であるべきで、サブヒロインがでしゃばってくるのは、地上波版からの視聴者が望むことではない。もちろん、ある程度新キャラにもドラマがないことには小夜の心情に踏み込むことすら出来ないこともあるだろうが、結局そこに時間を割いて「小夜と文人」という最も大切な関係性がぼやけてしまうのでは本末転倒だろう。個人的には、「真奈の物語」は不要であったと思うし、もし必要だったとしても、それは本当に「小夜と真奈」の物語であるべきで、その回りに余計な贅肉は必要なかったと思う。サーラットを巡る一連の人間関係は、出来ることならもう少しスマートにするべきだっただろう。

 「真奈が活きてこないと、客観的に小夜の悲劇を観察出来る人間がいなくなってしまう」という問題はある。「小夜と文人」にスコープを絞りすぎると、あまりに「異端の」物語であるために、感情移入する方法や、「事実を語る」部分が減ってしまい、収拾が付かなくなるのではないか、という問題だ。確かにそれは正しい考えであるが、私としては、「そのために四月一日がいたのではないか」と思ってしまう。というか、そうでないなら、あそこでわざわざ四月一日が出てくる必要が無い。彼の役割は地上波版の時から「観察者」であり「助言者」であった。つまり、わざわざ劇場版で新しく「感情の観察者」を作らずともそこにある、非常に便利な「視点」だったはず。それが単なる劇場作品のおまけ要素程度にしか使われず、本編に一切からまなかったのが勿体ない。どうせCLAMP作品、何一つ破綻無くまとめろとは言わないのだから、多少無茶をしてでも「CLAMPワールド」に放り込んで小夜の人生を1つの「完成された物語」としてミセに陳列するわけにはいかなかったのだろうか。

 そうして、「不必要」な部分に時間を使ってしまったために、本来だったらこの作品の見どころであるべき「嘘くささ、白々しさ」というシナリオ上のセールスポイントと、アクション活劇という見せ場が削られてしまっている。ことアクションに関しては、短い時間で見せてくれた部分は多いのだが、やっぱり最後の古きものがあまりにもこけおどし過ぎたり、忍者のにーちゃんが完全に浮きまくったり、構成に難が多い。限られた時間にバトル要素を盛り込むのだから、もう少し要点を絞って、「これぞBLOOD!」というインパクトを出せなかったもんだろうか。純粋なバトルシーンでいったら、コンパクトな分だけ地上波版の方が良かったと言える部分すらある。シナリオ面でも、「冒頭の電車で小夜が古きものを無視して寝てたのはなんでよ?」とか、「学園を襲った古きものはどこに収納してたんだよ」とか、「結局あの忍者なんだったんだ」とか、優花さん28歳!とか(?)、よく分からん部分もちらほら。

 とまぁ、難点は本当に多いので、残念ながら「期待していた通りの満足感はあった」という結論は出せない。何でこんな中途半端になったんかなぁ、と思ったら、実は今回、水島努が作品に関与してないのね。情けないことにエンドロールを見て初めて気付いたのだけども……まぁ、それが原因だ、なんて言うつもりは無いが、どうにも「素直な劇場作品」として、あまり引っかかる部分がなく、すとんと落ち込んでしまうような「分かりやすい活劇アニメ」になってしまったおかげで、地上波ファンからすると「違うものを見せられた」という感情が先に出るのだと思う。これ、水島さんがタッチしてたらどういうシナリオラインになったのかは気になるところだ。

 そして、不平不満を言うだけでは流石にスタッフに申し訳ない、という気もする。確かにシナリオの不満足は弁解の余地はないのだが、劇場作品ならではの気概はきちんと感じられる部分もあったので、その点についてはきちんと評価しておくべきだろう。個人的に一番のクライマックスだと感じたのは、実は冒頭の地下鉄飛び降りの部分と、そのあとのカーチェイスの動画。地下鉄飛び降りのカットは、「走り続ける地下鉄から更なる躍動感で飛び出す小夜」の動きが予想もしない構図で描かれて、本当にびっくりする。また、古きものを叩き潰すまでのアクションパートは、小夜単体のアクションだけでなく、グルグルと場面転換を繰り返しながら、カメラワークも恐ろしいまでにややこしい動きを見せており、これを一切手抜かり無く作り上げたのは、「さすがのI.G.」というしかない。その後のカーチェイスでいっそう顕著だが、車の車体の写り込みなど、本当に細かい部分までが恐ろしく入念にモデル処理されており、車の重力制動などのモーションのリアリティも素晴らしい。対向車線のトラックに鼻先をかすめるカットなんか、あまりの臨場感に「ガツン!」とぶつかった時に「痛い!」って叫びそうになった。後半の古きものとの戦いが淡泊なだけに、この序盤の盛り上げ方は印象に残っている。そして全てのパートにおいて背景美術などは本当に素晴らしいものばかりで、ひたすらに作り上げた「リアリティ」は特筆もの。思い返せば、I.G.の劇場作品に同じような感動を覚えたのが7年前の「×××HOLiC」だったというのが運命的だ。

 あとは、小夜を描くときだけは、絶対に手を抜かないという画作りの気概だろうか。逆に言うと、小夜以外のキャラの場面でなんだか顔が適当なシーンも散見された気がするのだが、とにかく小夜の持つ必死さだけは画面から消えないように、という意地は確認出来た。そりゃまぁ、おっぱいだって描きますよ。月ちゃんの足キーボードのギミックとかも面白かったし、個々のパートを見れば、「なるほど確かに劇場版」という納得が得られる部分は少なくないのだ。

 結局、向かった先がどこか「望んだゴール」と異なっていたために消化不良な感覚は否めない作品だったが、改めて「じゃぁどこがゴールなんだ」と言われると困る気もする。だったら、これを1つの節目と見て、きちんと納得してもいいじゃないかと、そのくらいの結論である。

 あとは中の人の話。新キャラも含めてなかなかぜいたくな布陣となった今作、水樹奈々・野島健児の両名にはとりあえずお疲れ様だが、飛び入りでひどい役を任された神谷兄も相変わらずだった。ビジュアルのせいか、「どこかでねじ曲がって成長しちゃった夏目貴志君」みたいに見えたのは内緒だ。そして、「基本的に室内から動かない黒幕」が神谷浩史、冒頭からバンに乗って登場するかき回し役に中村悠一、梶裕貴、更にパソコン画面を見ながら騒ぎに参加する花澤香菜がいて、黒い魔性の女の配下として福山潤が登場する。出だしのシーンの駅は池袋…………これって、まんま「デュラララ!!」だ……いや、こじつけですけども。でも、中村・梶の両名が同じ社内で騒いでるのを見ると、「狩沢さん連れてきて!(渡草はいいや)」って思っちゃうのは仕方ないよねぇ。そして、真奈役の子は……うん、なんでここだけな……多分、この作品全体にネガティブな印象が強いのは、1人だけ素人キャストが混じってるっていうのが一番大きな要因だと思う。なんで劇場作品って、こういう枷を付けられることが多いんだろう。これできちんとしたキャストで作れてれば、もう少し印象も良くなったと思うんだが……って、最後は結局中の人のイメージか!(いつも通り)

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