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最近のアニメや声優、Magicに対する個人的な鬱憤を晴らすためのメモ程度のブログ。
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 先生やめて、その説教は俺に効く、第19話。ほんと、アニメ観ててこんなに打ちのめされてるのはどういう試練なんだ……いや、日頃の行いの悪さ故だが……。

 島田さんの大一番が終わり、残りの話数を考えたらもう大きな対局は無いだろう。となるとあとは何をするかといえば……そうか、ひなちゃん事件の顛末を描かねばならぬのか。第2シーズンは将棋の試合とこっちの問題が半々ぐらいだったイメージですかね。そして、ひなちゃんが立ち直ったら終わり、なんて簡単な問題じゃなかったということを改めて思い知らされる展開。

 本当に硬軟織り交ぜた押し引きの強い展開でもグッと惹きつけられるのが今作のすごいところで、今回は前半パートでは本当に幸せそうな川本家の様子が久しぶりに描かれる。甘いものを食べるときには格別のエンジンがかかるあかりさん。丁寧な白玉団子クッキングから、さらに商魂に火がついた爺さんも含めて、川本家は家族総出で大きなミッションへと挑む。文字通りのお祭り騒ぎであったが、川本姉妹の持つ総天然の明るさが突き抜けていて本当に楽しそうなお話。途中、ひなちゃんはかつていじめられていたちほちゃんの見舞いに向かうシーンもあり、改めて確認した友情と、香り高い梅シロップの関係性がなんとなく暗示的でもある。ちほちゃんは未だ回復途上であるということを知らされて気も引き締まるが、「これからのこと」を考えられるようになっただけでも進歩はあるのだし、ひなちゃんも今後の人生で引き続き誰にも恥じぬ公明な生き方を続けていく決心がついたであろう。まぁ、進路を考えるためには成績も関係してくるけどねー。

 こうして、穏やかな時間が流れる川本家の光景は本当に素敵なものだ。しかしBパートでは一転して夏休みの学校の風景。かつていじめ問題に当たって一応の決着を見せた国分先生(CV立木文彦)が2学期以降の業務を若い先生に託すに際し、いじめの首謀者だった高城との最終決戦を迎えることに。まだ若い先生は「いじめは加害者が悪いに決まっている。その報いは当然受けるべきであるから、自分が担任することになるなら、そこは割り切っていく」と宣言。さらに「何故、悪い人間の方にそこまで目をかけてやる必要があるのだ」とも訴えている。この辺りが、引き続き教育の難しさを考えさせられるところだろう。確かにこの若い教員の言っていることは正論である。そして、大抵の学校では(いじめをうやむやにするという最悪の対処を除けば)おそらくこうした処理で白黒をはっきりつけるのが一番正しいという結論になるはずだ。

 しかし、それは「処分」であって「教育」ではない。教育者がどこまで生徒たちの面倒を見るべきなのか、なんてのはどこまでいってもゴールのない議論であるが、少なくとも、明らかに道を踏み外し、人生に迷っていると判断した生徒がいるのなら、それを自分の思う正しい方向へ導くというのも教育の理念の1つである。余計なお世話かもしれない。過干渉かもしれない。しかし、国分先生は、それで終わるわけにはいかないと考え、自分なりの「説教」を高城に叩きつけるのだ。

 高城が一人待つ教室に国分先生が入って行くシーン。今回のエピソードだけでも私は何度も涙腺が緩んだが、この入室シーンでのほんの一瞬が、一番の鳥肌ものだった。それまでの明るかった川本家のパート、夏休みのどこか気だるげな、蒸し暑さを感じさせる陽光。そうした「暖かさ」「明るさ」を全て消し去るような、熱を持たぬ高城の一言。もう、この一言が出てくるだけでも、やっぱり悠木碧は化け物だと言うことができる。人生の定まらぬ、世の中を全て見捨てたかのような、諦観のこもった高城の態度。「悪いとすら思っていない」と評されていたが、まさにその通りなのだろう。彼女は自分以外の人間が苦しむことをなんとも思っていないし、「苦しむ」という行為・心情自体に対し、余人とは違う観念で生きているのだ。いじめという問題があったことすら認識していない。彼女は、ただ自分が「苦しまない」方向で、クラスの人間関係が構築できていればそれ以上でもそれ以下でもなかったのだ。学校という組織の必要性も、下手したら「友達」という存在も、彼女は認識していないのかもしれない。

 そんな空虚な高城の人生は、「頑張る」こととは無縁である。だからこそ、「なんで自分が努力して、苦しむ必要があるんだ」という質問を投げかけてきたのだ。そして、考えた末の国分の回答は、「そんな必要はないんだな」というもの。自分の娘ほどの年の少女の屁理屈とも取れる抗弁に、あっさりと自分の勝手さ(世間の理不尽)を認めた形。しかし、それは自分が間違っていたという謝罪ではない。「少なくとも自分はそうして生きてきて良かったよ」ということを報告した上で、さらに高城に対し、おそらく本人も一切意識したことがないような心の有り様を叩きつける。曰く、「努力をしないのは、した結果で何かが計れてしまうのが怖いからだろう」と。何かを頑張った時に得られるものは達成感であろうが、もう一つ、「頑張ってもできなかった」という結果も伴う。そこに自分の限界が見えて、自分の器がわかる。逆に言えば、死ぬまで頑張らなければ、自分の器は計れない。大きさはわからない。無限の可能性を秘めているし、もしかしたら思っていた以上にちっぽけかもしれない。自分の限界を見てしまうことは、誰だって恐ろしいのだ。

 高城が、本当にそんな理由から今の生き方になったのかはわからない。しかし、確かに国分のいう通り、彼女は「頑張って」いないのだから、挫折もなければ後悔もない。それはそれで楽しい人生かもしれないが、今後の人生では必ずどこかで大きく転げるものだ。だからこそ、なんとかして若いうちに自分という器を測る尺度を与えなければいけない。それが、国分の考える教育なのだろう。

 年を取ってしまえば、この国分の伝えた言葉の意味はわかってくる。しかし、まだ若い中学生の高城にはどんな風に響いたのだろう。痛いところを突かれたと悔しがるだろうか。わけがわからなくてポカンとするだけだろうか。はたまたじじいがまた的外れな説教をしていると笑い飛ばすだろうか。少なくとも、真正面から中学生にぶつかっていった国分の本気は、高城の凝り固まった「世界」にひびくらいはいれていたように見えるが……。

 結果はまだわからない。本当に分かるのは、彼女の人生の、ずっとずっと先なのだろうけども。真っ暗な高城の未来図、色とりどりのお菓子で描かれたひなちゃんの未来図。その対比は、寓話と言うにもあまりに残酷だ。

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