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最近のアニメや声優、Magicに対する個人的な鬱憤を晴らすためのメモ程度のブログ。
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 観てきました。本当はもっと早く観たかったんだけど、里帰りも絡んでこのタイミング。地元だとまだ封切りされてないんだもん。その割にこっちでは上映回数が減っててちょっと焦ったり。封切りから3週くらいだからこんなもんかぁ。オリジナルアニメなのでネタバレ無しで感想を書くのは難しいわけですが、とりあえず、お金払って観るに不満はない作品だったと思いますよ。そうは言っても具体的にどこがよかったのか知りたいんだよ、っていう人に対しては、ネタバレにならない程度でポイントを書いておくと、

佐藤利奈→子だくさん。

茅野愛衣→出産する。

日笠陽子→出産する。

石見舞菜香→出産しない。

私は今作を壮大なママみ作品だと定義づけています。ちなみに、他の要素は

沢城みゆき→若く見えるけど400歳を超えた化け物

久野美咲→産まれる。

 

<以下、ネタバレとか、視聴前提の話が展開しますので、未視聴注意)

 

 




 

 先にお断りしておくが、今回は(今回も)売店のパンフが売り切れで手に入らなかったため、データが乏しい上に1度観ただけの印象で執筆しているのであやふやな部分があることをご容赦願いたい。パンフなしの記事立て、結構キツいのよね。書きたいことが本当に多いのだけど、まとめきれないので支離滅裂な内容になりそうだな。

 

 まず、私は基本的に岡田麿里シンパなので、色々と期待しながら観に行った人間である。しかも、P.A.WORKSでの仕事、副監督(という名の、おそらくいわゆる監督業務の雑事は全部やってくれたであろう人)はあの「凪のあすから」でタッグを組んでいた篠原俊哉、さらにオープニングではコアディレクターに平松禎史氏、メインアニメーターには井上俊之の名前まで出てくるのだから、期待しないほうが嘘である。さらに事後の知識でいえば、エンドロールにはP.A.WORKSを代表する錚々たるメンバーもコンテ・演出に名を連ね、まるでP.A.の総力戦の様相。それだけ、この岡田麿里の作品は期待が寄せられていたということ。

 そして、やはり岡田麿里という「作家」の書くシナリオは質が高い。全体的な構成のまとめ方もそうだが、細かい部分での台詞回しの利かせ方なんかはやはり凡百の脚本家とは違うなぁ、と思わせるものがある。今作の一番大きな枠組みは、いわゆる「永遠の命を生きる者」と定命の者の差を描いた物語。こういうデザインのオリジンがなんなのかは寡聞にして知らないのだが、最近のアニメでいうなら「UQ HOLDER」(と元となるネギま)なんかがそれである。正確には今作の場合「永遠」ではないが、問題意識となる部分は同じ。化け物扱いされる不死者が、周りの人間たちとどのように交流し、関係性を育むかの物語だ。

 また、視点を変えてみると「過ごす時間のズレ」というのは岡田麿里の定番、得意ジャンルであるとも言える。彼女がオリジナルで脚本を書いた作品を思い返せば、一人だけ幼少期で時間が止まってしまった少女を中心とした「あの花」、そして眠りについてしまう種族と人間の差を描いた「凪あす」と、テーマ性は似通っている(そして、何故かこうして並べると時間を隔てられる役割は全て茅野愛衣が担当している)。彼女のイマジネーションがもっとも働きやすいのがこうしたシチュエーションであるというのも、なんだか興味深い話だ。

 しかし、テーマは一緒とはいえ、その扱いは多種多様。「あの花」の場合、めんまの幼さとの対比で「成長の苦しみ」を描いていたわけだが、今作は主人公・マキアが「老いないこと」はあまり重要ではない。彼女が「長い間他者と隔たっていた」という描写は極端に少なく、どちらかというと「姿形は変わらずに共に過ごした時間」の方が重要視されるからだ。「あの花」はじんたんが中心になり、幼いままだっためんまの方が「異物」だったわけだが、今作の場合、「見た目に静止しているマキア」をカメラの中心に置き、その周りを様々な人物が通り過ぎていく様子を描いたものと言える。視聴時に何度も想起されたイメージは作中でも重要な役割を果たす「織物」で、マキアという長い長い縦糸が中心に据えられ、通り過ぎたり、また立ち戻ったり、何度も何本も行き来するその他のキャラクターたちが横糸になり、物語を紡いでいる。中島みゆきの名曲「糸」にあった「縦の糸はあなた」的なやつ。そして、本作では「静止していること」を悲観する内容ではないので、最終的にマキアの成長もしっかりと確認できるところに、独自性が見出せる。ちゃんと「織物」が完成しているからこそカタルシスが得られるのである。

 細かい部分にいちいち触れているときりがないので、印象的な部分だけをいくらか恣意的にピックアップしていくが……個人的に一番胸にキたのはレイリアの存在である。その血を利用するためだけに駆り出され、無理やり悠久の時間を「動かされた」レイリアがあまりの孤独に壊れてしまうシーンの鬼気迫る様子は、茅野愛衣の力も相まって本当に切ないものになっていた。結局彼女の夫(というのもおこがましいが)となった男が一度たりとも姿を見せないという演出方向も徹底していていやらしいちなみに作中不幸度ランキング断トツのクリムくんの存在も救いがないが、彼はマキアによって描かれる「悠久の成長物語」のアンチテーゼとなる「完全なる停止」の象徴であるから、これは致し方ない。

 何故レイリアの物語が一番印象深かったかというと、世間的に言われている「岡田麿里らしさ」が一番出ていたのが彼女だった気がしたから。多分に揶揄を含めて評されることが多い岡田麿里だが、彼女の描く「女性らしさ」って、本当に男では思いつかないような生臭さが滲み出て、そういう目線を持っていない人間からするとすごく新鮮なんですよ。

 例えばレイリアがマキアたちを追手から逃がすためにかんざしをとって自分の腹に突き立てようとするシーン。産むことを強いられた女性が唯一武器として振りかざす「母体」の扱いがなんとも遣る瀬無い。また、記事冒頭ではおふざけじみて載せた「産む」という要素についても、実は明確に「女性性」を見せるために何度も繰り返し展開される重要な要素になっており、ダイレクトなディタの出産シーンなんかは、わざわざ「産まなかったマキア」と対比的に描くためにあけすけに時間をとっている部分だろう。さらに、ディタの出産シーンが夫であるエリアルの戦闘シーンとクロスオーバーして描かれる演出も象徴的で、妻が新しい命を今まさに産み落とさんとしている時に、夫であるエリアルは命を奪う行為(そして奪われる行為)に邁進しているという。これはまぁ、「女が作って男が壊す」というわけでなく、それぞれの「産む」ことの差みたいなものである。男はスクラップ&ビルドが必須であり、作中では「溶鉄技師」「兵士」などの職業を優先させた形で登場していることからも確認できるだろう。あのシーンでエリアルが戦死していれば話はまた変わっていたが、最終的に次の世代をつなぎ、さらにラストシーンの再開までこぎつけたことを考えると、やはり男女揃っての「産む」は意識している部分か。

 こうして、「産む」ことで時代がつながっていくことを描いているわけだが、あくまで本作の中心は「産まない」マキアである。面々と続く人類の歴史が重要なのではなく、それらを全て観察し続けた結果、マキアがどのように成長するかが最大のテーマ。そういう意味では最も大切なパートナーだったエリアルですら、あくまで彼女を表現するための1パーツでしかない。その証拠に、成長したエリアルが彼女との関係に悩むシーンこそ入ってはいるが、そこでエリアルは恋愛感情のようなルートをほとんど提示しない。てっきり「息子だと思っていた相手が自分に意識を向け始めた」みたいなドロドロした感情が描かれるのかと思ったが、その辺りはあっさりしたもので、すぐにディタという相手を見つけて、最後の叫びは当然「母さん」である。エリアルは、最初から最後まで「息子」であり続けた。これは、彼の揺れを描くことではなく、「成長を続ける息子」を見守るマキアの方が焦点であるためだ。そもそも、初めから「別れの一族」と銘打たれている時点で、彼女らがどういう存在なのかは答えが出ている。あとは「別れ」というのが悲哀だけをもたらすものなのか、そうでないのかという部分の問題。

 作中には本当にたくさんの「別れ」が描かれており、最後の最後はご丁寧に「老衰による死別」である。あのシーンが始まった時には「さすがにそれは蛇足じゃないのか?」といぶかしんだものだが、それでも、ラストシーンのマキアの号泣、約束を破ってしまった「母の涙」を見てしまったら、これこそが描きたかったものなのか、と納得せざるを得ない。別れがあれば、その数だけ「出会って過ごした自分の歴史」が認められるわけで、別れることで進んでいく人生がある。作中ではそれをヒビオルと呼び、無数の「横糸」は間違いなくマキアの人生に紡がれているのである。

 ちなみに、「別れを描く」ということに徹底しているために、その反対の「出会い」となると、この作品はかなり適当である。本作は最序盤の段階に結構心理的なハードルがあり、いきなりドラゴン的なやつ(名前なんだっけ)に連れられて空ビューンしちゃうところとか、何故か生き残ってたまたま赤ん坊を見つけて拾ってっちゃうところとか、「何が起きてるんや?!」っていうモヤモヤは基本的に解消されずに「まぁ、そうなったんや」とばかりに話が進んでいく。そこはもう、「出会いが重要じゃないから」ということで割り切るしかないだろう。

 本作はわずか2時間の中に、人間1人分(エリアル1人分)の時間をギュギュッと詰め込んでいるため、本当ならばかなり無茶なシナリオ構成になっているはず。時間は飛び飛びだし、限られた時間の中で物語をつなぐために人間関係もギリギリまで捨象され、結構なレベルで(脚本家の)御都合主義的である。最初の村で出会った幼馴染連中だけで大体の物事が片付いているあたり、冷静に考えるとちょっとおかしいはずなのだ。しかし、それもこれも、短時間で「分かりやすく」物語を紡ぐための効率化のため。同様の目的意識から、今作は映像部分においても「思わせぶりな分かりにくい表現」は徹底的に排し、全てのシーンが持つ意味が本当に明示的で、サクサク伏線も繋がっていくのでメッセージ性は明確だ。よく言えば分かりやすくて王道的、悪く言えばひねりがなくて陳腐。そして、こうして分かりやすさを優先した映像で全編を構成したことは、おそらく中軸となる脚本部分に自信があるからこその判断であろう。実際、見ていて退屈している暇もない割に、途中で話がわからなくなって途方にくれるということもない。スパッと明快に「いい話」を見るという目的を見事に遂行している。「凪のあすから」のようにドロドロズルズルしたたっぷりの情感を味わいたいなら、やはり2クールアニメのような長丁場が必要だ。その方が伏線と回収の距離を広げられるし、本当にたっぷりとタネを仕込めるからだ。2時間の劇場版でそんなことをしても伝わらないわけで、今作の「分かりやすさ」は評価して良い部分なのではなかろうか。まぁ、参加クリエイターに安藤真裕氏やらの手もあったなら、もっと唸らされるようなシーン構成を見てみたかった気もするが。そのあたりは「脚本家監督」であるから、あまり凝ったものを要求するのは筋違いだろう。

 トータルで見れば、「脚本家は見事に自分に与えられた枠を使いきり、それを丁寧に映像に起こしてアニメにすることに成功した」という意味で充分満足できる作品。本当にたくさんの「別れ」のシーンがあるので、どこかに一つくらいは胸に響く関係性があるのではなかろうか。「あの花」のような一点突破の直線シナリオじゃないので、じわりじわりと楽しめる部分が多い作品だと思います。

 あとは最後の戯言コーナー。もう、冒頭でやったやつだから別にいいんだけども……絶対に今作は岡田麿里が職権濫用して「ママみ充填作戦」に出た作品だと思うんだよ。「日笠さんに子供産ませよう」「サトリナは肝っ玉母ちゃんでこの世界の母親のイデアになってほしい」と。そして、「産んだこともないのにママと呼ばれる声優」第1位である茅野愛衣に対しては、世界を象徴するポジションで殿堂入りさせておき、世間的にはそんなかやのんとよく対比される石見舞菜香に、いよいよママみを帯させる準備をしているという……。やばいやん! 今確認したらまだこの子19歳やんけ!! まだ母性を与えるには早いって。…………いい仕事してくれましたね……。そりゃエリアルでなくても最後にはみんなで口を揃えて「母さん!」って叫ぶしかないもんね……。

 いい作品だったのに感想のオチが本当にキモくてすみません。生まれ変わって出直してきます。「私の母になってくれるかもしれなかった女性だ」ってセリフを30年も前に言ってたシャアってすごすぎるな。

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