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最近のアニメや声優、Magicに対する個人的な鬱憤を晴らすためのメモ程度のブログ。
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 意外とある……第11話。意外って失礼だなヲイ。まぁ、視聴者の大半は同じこと思ってるけど。3人並んでると大中小の品評会みたいになるかと思ったのに。

 ABパートで質量に随分差があるので片腕だけ持っていかれそうになるお話。Aパートは「絶対に笑ってはいけない生徒会合宿」みたいな趣きの「三角形の重心」。重心なので、3つの頂点があってそのおかげでバランスが取れ、どこにも傾かないということが凄くわかりやすいのだが、この3点の距離感がとんでもない上に、侑←→沙弥香っていうインタラクションがほとんど存在しないため、どっちかっていうと三角形っていうよりもヤジロベエなのではないかという気もする。間にいるはずの橙子さんが全く悪びれもせずに脳内ピンク色なのは本当に業が深いですけども。ただ、やはり合宿という非日常は女子高生にとっても興奮度の高いイベントになっているらしく、今回ばかりは沙弥香さんの脳内もかなりお馬鹿だし、侑さんも傾き始めた自分の気持ちにギリギリで制御をつけているような状態。どこか1点でも崩れてしまったらそこからガラガラと行ってしまいそうな危うさがある。それに比べて男子部屋のなんと心安らぐことか。……この2人に事件が起こる方がむしろ刺激は強い気もするが、残念ながら片方が槙だからなぁ……。

 一応「サービス回」と言ってもいいお話で、3人の下着のディティールなんかもこだわって描かれているあたりは流石なのだが、基本的に本作はいわゆる「男性向け」の消費を主目的とした作品ではないので、過度に扇情的な描写にはなっていない。あくまで「同性から見る女性の裸」のはずなのだが……なんなの、やっぱりそれだけでアウトなの? ムラムラして止まらなくなっちゃうの? 僕は常々「百合は良いものだ。女性のことを好きになる気持ちはとてもよく理解できるからだ」と思っているわけだが、さすがにフィジカルな欲求というものがどの程度同性間で発生するかまでは共感することはできない。沙弥香さんが持っていた「もう我慢できない!」というお気持ちは、我々野郎が女性に対して抱く劣情と同じものなのだろうか、どうなのだろうか。まぁ、なんとなく「燈子が侑に対して持ってるのは完全に男目線でのソレ」だという気はしてるんだけど。侑さんもチラッと見た燈子の下着姿でフリーズしとるしなぁ……燈子さんは沙弥香さんと一緒に更衣室使うのも考えた方がいいかもしれませんね。なお、男目線から見るとお風呂上がりのメガネ沙弥香さんは非常にポイントが高いです。風呂入る前はきちんとした格好で座布団に正座して読書してるのに、風呂上がりはちょっとラフな格好になるので足崩して本読んでる沙弥香さんが非常に「らしい」状態でとてもよろしい。やっぱり普段から色々と完璧な娘なのよなぁ。

 そんなボーナスステージのようなAパートを終え、いよいよ核心に迫るBパート「導火」。このサブタイトルもいつもながらに悩まされるネーミングになっており、なかなか日常生活で「導火」という言葉を単体で取り出して用いることはない。「導火線」の形で使われることがほとんどだろう。「導火」とはそれが主体となるものではなく、そのあとに待ち構えている「着火」の前段階である。いわゆる「口火」と呼ばれるものと同義だが、今回の出来事が、何か次の段階の爆発に至るきっかけになりましたよ、ということだけが触れられている非常に不穏な響きを持つフレーズなのだ。

 何が起こったのかは自明である。姉の旧友という新たな存在に出会い、燈子の心はいとも簡単に揺れる。これまで疑いようもなく、ひたすらに盲信し、追従し続けた姉の背中。その実像が確認できる絶好の機会が訪れるのと同時に、これまでの自分の人生が思った通りの結果を伴っているかが分かる裁定のタイミングでもある。周りの期待に応えようと、ただひたすら姉の模倣を続けてきた人生。そこに久しぶりに出会った「知り合い」が現れ、彼は一体どんな答えを吐き出すのか。

 しかし残酷なことに、姉の旧友・市ヶ谷はそんな燈子を見て「あんまり似ていない」という衝撃的な裁定を下した。もちろん彼に悪意などあるわけもないし、一般的には「似ている」も「似ていない」もどちらもほめ言葉になりうるのだから、素直に彼女なりの頑張りを評しての言葉でもあったのだろう。しかし、それは燈子が望んでいた言葉とは真逆のものだ。彼女の姉の幻影に対する感情は、すでに致命的な域に達しつつある。市ヶ谷との挨拶のシーンでは、姉の知り合いだとわかった途端に「裁定」の瞬間を悟り緊張した面持ちになっていたし、練習終了後にわざわざ市ヶ谷を追いかけてまでことの成否を尋ねてしまうあたり、「成すか成さざるか」はまさに死活問題なのである。そのことを十全に理解しているのは、おそらく沙弥香だけだったのだろう。燈子にとって、この度の一件は相当な負担になってしまった。

 打ちひしがれる燈子、そしてそんな燈子の様子を見てどうしていいかと煩悶する侑。しかし彼女はまだ燈子と姉の関係性にそこまで深く突っ込んでいるわけではない。みんなが見ている合宿という状況もあり、なかなか声をかけるには至らない。そこに攻め込んできたのが、やはり我らが佐伯沙弥香さん。もちろん、今回のことは彼女にとっても賭けだった。前日までの様相を見れば、侑もいる状況なのでこれまで以上に自分自身にブレーキをかける必要があり、チャンスというより、むしろ自制心を試される試練のような場。しかし、いざ燈子の様子がおかしいとなれば、そこで放っておくこともできない。これまでは「必要以上に踏み込まない」というスタンスが故に燈子との関係性が成立していた沙弥香にとって、あまりにリスキーで、大きな一歩。

 姉の話を持ち出し、ただ神に祈るのみの沙弥香。しかし、そんな沙弥香に対する燈子の返答は意外なものだった。なんと、一歩踏み込んだ沙弥香に対し、後ろに引かずに応えてくれたのである。少しだけ開いた燈子の扉。その一瞬が信じられず、沙弥香は呆けたような表情になっていたのがなんだか滑稽ですらあった。「沙弥香だから許せる」という殺し文句とともに、一歩詰まった距離感を確認し合う2人。もちろん燈子は沙弥香と「同じような」心算でこそないだろうが、これまでだったらガードをあげていたかもしれない状況で、素直に対応したことは、彼女の中で大きなものが崩れ、パラダイムシフトが起こり始めている証左なのだろう。

 チリチリと焦がれる線香花火。その火種は燃え尽きて落ちるしかない。燈子に灯った小さな「導火」は、この先、一体誰と、どんなものを弾けさせることになるのだろうか。

 

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 就寝時の服装がエロい七海燈子、第10話。そりゃま、自宅で寝るときのかっこなんてラフなもんでしょうけどね。おっぱいの大きな人は寝る時には横に流れて型崩れしやすいので、ブラして寝ないとすぐたれてくるってのは本当なんでしょうか。まぁ、でかい女性からしたら「寝る時まであんな拘束具つけてられるかボケ」って感じらしいですけど。

 下世話な話から入ってみましたが、何より下世話だったのは前回の燈子さんだったのだからしょうがない。さすがの侑もあの一件以来ガードを上げざるを得ず、ちょいとばかしギクシャクした関係になってしまった。しかし、この「ガードをあげる」という行為の意味が侑本人と燈子の中で全く違う意味を持ってしまっているのが面倒臭い。燈子側からしたら、当然「ヤベェ、さすがに攻めすぎた」っていう反省になる。いくら侑がそういうことに寛容でこれまで全てを受け入れてくれたといっても、どこにリミットがあるかは分かったもんじゃない。昂った時に歯止めが効かない若い情動を、何とか抑えなきゃいけないという反省が燈子にブレーキをかける。

 しかし、実際に侑が悩んでいるのはそんなグイグイ来た燈子に辟易したからではない。グイグイ来られたせいで、どんどんその気になっている自分に気づかれまいとしているためだ。それはもちろん燈子にバレたくないという意味でもあるが、何よりも自分自身に気づきたくないと思っている。自分はそんな人間じゃない。此の期に及んでそんな諦めの悪いことを考えているのである。それもやむなし、何しろそのことを認めて燈子に近づこうとしたならば、相手は即座にその身を翻してしまうのだから。七海燈子とは、本当に面倒臭い対象なのである。

 そんな燈子の謎めいた部分にも易々と切り込んでしまったこよみさんの審美眼の鋭さよ。無自覚とはいえ、燈子という虚ろな入れ物の内実を看破し、さらに隠れたる野獣、佐伯沙弥香の本性にまで肉薄する。もしかしたらラブリーゴーストライターみたいな念能力保持者なのかもしれない。その才能を見込んだ悪の組織に消されないことを祈るばかりだ。現時点で沙弥香の感情に気づいている人間はいないはずなのだが、あの場面を「そういう目で」みていると、明らかに配役を振られた時だけ声が上ずって高くなっていたり、実は沙弥香さんも割とわかりやすい反応をしている。まぁ、燈子があの通りなので本人に直接気づかれる心配はなさそうだが、問題はこの空間に「観劇のスペシャリスト」である槙という化け物が存在しているということ。関心のある配役の話になった途端、彼はスッと紙を持ち上げて自分の口の前に持って来た。これはおそらく「自分は何も口を挟まない」ということを意識的に見せた振る舞いであり、なおかつ、目の前で展開されるあれこれを、「薄紙一枚」の境界を隔てて見ようという意思の表れでもあるだろう。彼の目には、侑や燈子、そして沙弥香の「演技」はどのように見えているのだろうか。

 結局誰もが自分を偽って生きている現実世界。「ほんとの自分」なんてのは単なる甘言でしかないが、実現できない現時点ではそれを称する言葉は「私未満」でしかないということか。「ほんと」を見つけ出したい侑は七夕の星に願いを込めたいところだが、残念ながらそれは自意識にも出せない秘め事である。願いをかけるべきは目の前で屈託無く笑う「昼の星」。キラキラと眩いその光景に、侑はただ目を細めるばかりである。

 Bパートは侑の内省から幕を開ける。燈子に振り回されている現在の状況を鑑み(どこまで自分が影響を受けているのかは言及しないあたりが彼女らしいが)、夏休みを契機にいくらか昔の自分と向き合う反省の時間。しかし、旧友はかつての侑と比較して、現在の侑を「いっぱいいっぱい」であるという。何かに焦り、悩み、心を砕いている小糸侑。どうやらそれは中学時代にはみられなかったものであるらしい。まぁ、確かに「器が特大」「神経がごんぶと」っていうのは事実だろうからね。目立たないタイプのくせしてスペックが異様に高いので、並大抵の事件ならば、侑は平然の飲み込むだけの度量がある。しかし、七海燈子は飲み込むには大きすぎたのだ。そうしてやきもきする侑を、旧友はちょっと嬉しそうに見ていた(そして店長は、特有のセンサーで何かを感じているようだった)。

 少しずつ「私」の内側を探り始める侑に対し、絶対的な壁を感じさせてしまうのは燈子の方。全てがうまくいっているかのように見えた彼女だったが、家族の食卓ではまだ何も解決しておらず、時計が進んでいないことが露見してしまう。結局、どれだけ奔放に振舞っていたとしても、燈子は侑に対しても、沙弥香に対しても、一切ガードは下げていないのである。自分は姉のようにならなければいけない、否、なりたいと思っているはずだ。そんな彼女の中には、もはや「私」すら存在しない。「私未満」ですらない、空っぽの器に姉の幻影が入っているだけ。「私はお姉ちゃんになる」とは言ったものの、彼女の目指す「お姉ちゃん」とは一体何を指すものか。そこに実態はあるのか。生徒会劇を成功させれば、その目的は達成されるのか。それを尋ねることは、今の燈子にはあまりに酷だろう。やがて何になるのか、今はまだ分からない。冠されたタイトルは「私未満」ですらない、実在すらしない「逃げ水」である。追いかけて、追いかけても。

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 俺はもうダメだ、第9話。

 ……駄目だろBPO。これこそ取り締まってくれ。いったい世界中で何人の人間が、この映像で命を落とすと思っているんだ。映像表現で規制すべきは身体的な交合なんかじゃねぇんだ。魂の結合(Soul Link)なんだ。生の感情を、息づく情欲をダイレクトに見舞わないでくれ。健全な人間を、素直な欲求で殴ると、死ぬ。

 おっかしいなぁ……俺、多分この辺は原作読んでるはずなんだよ。でも、別に原作でなんらかのダメージを被った記憶はないんだよ……。色々と理由はあるだろうけど、やっぱりここまで積み上げてきた「振り」の破壊力だよなぁ……単なるレズキスシーンじゃないんだよ。小糸侑という、一人の人間が瓦解する音が聞こえるシーンなんだよ。もう、精神的スプラッタだよ。そんなもん、地上波で流すもんじゃないだろう。

 今週のお話は、とにかくラストシーンに「堕とす」ための下準備をひたすら重ねていくお話。いや、もう先週の時点で準備は万全だったのだが、今週はそんな中でさらに寸止めして、我慢して我慢して、一気に吐き出す感覚。誰だ、七海燈子という怪物を野に放ったのは。Aパートの体育倉庫、いわば「下調べ」のシーンでも、彼女は平気で「一線」を超える。卑怯なのは、ここで侑が警戒している「なんで入ってくるんですか」という「侑の内側」と、燈子がズケズケと足を踏み入れる「侑の内側」は全く意味が違っているという部分。何しろ燈子が侑に対して持つ信頼感は絶対的なもの。侑からは絶対にこない、だから自分からどんどんイケる。そんな信頼があればこそ、燈子は侑にベタ惚れして犬っころのようについていくし、お預けを喰らえば目をうるうるさせておねだりだってする。燈子の持つ「暴力」が、確実に侑の外皮を削り、内腑をえぐる。

 そうして踏み込まれた侑の方も、なんとか必死に自分自身を欺こうとしている。ここで改めて槙との対話があるのが本当にいやらしいところで、おそらく槙という男は「モノホン」である。こいつのいう「視聴者根性」は筋金入りで、安心院さんのようなシミュレーテッドリアリティの領域に足を踏み入れている。そして、こうやって槙と侑が対話しているシーンを見ていると、何故この男がこの世界にキャラクターとして作られたかがよく分かる。「本物」との対比により、侑の持つ幻想がどれだけ脆弱で、欺瞞に満ちたものであるかがよく分かるようにだ。すでにほころびが見える侑の「誰も好きにならない」という主張。それはなんの後ろ盾もない思い込みであり、単なる思春期の幻想である。そっと掲げたペットボトルの水面の上に、ゆらりと陽炎のように見える儚い現実である。槙のように沈み込むなら良い。しかし侑は、そんな深淵にはいない。肺活量はいっぱいいっぱいで、あとは顔を上げて「それ」と向き合うしかないのだ。もう、「夏の日の高校の廊下」「ペットボトル」「寿美菜子」の時点で色々と想起させすぎるから本当に勘弁してほしい。その前のシーンで侑が「なんですか、これ」って言ったとこでちょっと笑いそうになったのは秘密。

 そしてこのAパートのサブタイトルは「位置について」。そりゃもう、侑はいろんなラインに立っているさ。燈子が踏み込んできた体育倉庫の敷居だってそうかもしれない。リレーのラインは言わずもがな。とにかく彼女は、もう、自分がスターティングポジションに入っていることに気づかざるを得ない。そこに立ってしまったら、「位置について」と言われたら。あとはもう、残された言葉はただ1つ。

 それなのに、嗚呼それなのに。「号砲は聞こえない」。いや、もうすでに、その音は高らかに鳴り響いているに違いない。それでも聞こえないふりをするしかない。だって、それはあまりにも速すぎるから。侑の目に映る映像。耳に入る音。それら全ては1点のゴールを指しているのに、走り出してはいけない。引き返せ侑。今ならまだ。

 無理なんだよなぁ……。燈子が走ってるシーンで流れてる挿入歌のタイトルが「rise」って、やかましいわ! これ以上何をどうしようってんだ! 駄目だ、これが地獄の光景だ。もう、ここから一発逆転で沙弥香さんに武力介入してもらうくらいしか解決方法は……いや、それも地獄だ……八方塞がりじゃん。「ここを超えたらいけない」。

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 同病相憐れむ、第8話。七海燈子という1つの台風を中心に、ぐるぐる回る2人の対峙。時にぶつかり、時に寄り添う様子は早くもライバルの様相である。

 Aパート「交点」。互いに全く異なる方法で燈子との関係性を構築した侑と沙弥香という2人の「主人公」が交錯する様子が描かれる。沙弥香については前回でかなり掘り下げられていたが、過去のあれこれを経ての現在の姿が今回のアバンで明快に示されている。これまた茅野愛衣の豪腕の成せる技だが、諸悪の根源とも言える先輩との再会で沸々と湧き上がったどうしようもない感情について、たった一言の「さようなら」で消しとばしてしまうパワープレイには圧倒されてしまう。人間、これだけの言葉で、相手に全てを伝えることができてしまうのだ。あの先輩が沙弥香に残したものはろくでもないものだったのかもしれないが、だからこそ得られた燈子との関係。今度こそはそれを「本物」にしてみせる。沙弥香の戦いは、今まさに始まったばかり。

 そうして築き上げられた佐伯沙弥香という人間に、ストレートにぶつかりに来るのはこれまた厄介な瞬間風速を持つ火の玉小僧・侑である。運動会に向けたバトンリレーでなかなか息が合わないのもしょうがない。何しろこの2人が見ている景色に何一つ同じものがないのだから。沙弥香は侑をはっきりと牽制していたし、侑もそんな沙弥香の明確なマウントポジションの意味がわからないわけもない。ただ、厄介なのは侑の中で燈子へ向けての感情は「あってはならない」という部分。沙弥香は牽制するが、それに対する侑は「いや、何もないからね、うん、無いから」と必死に自分でも言い聞かせている状況。そういう意味ではまだまだ同じステージに立っているとは言い難い。そこで、2人はここで歴史的雪解けを目指した首脳会談を開くに至るのである。

 今回の画面構成のテーマは「対面と並列」。マクドにおける2人の向かい合う構図は、タイトルの「交点」が示す通りに異なる向きに歩いてきた2人がぶつかったそのポイントを示すもの。カメラアングルがわざわざ侑の一人称視点で取られていたり、「向き合っている」「対立している」という印象を強く与えるものだ。しかし、互いに向いている方向が違うというのは、「対立」でもあり「対話」でもあり。決して喧嘩がしたいわけではない2人は、互いに踏み込めなかったところへと一歩進むことで現時点での融和を目指す。お互いの共通点は「燈子という爆弾に振り回されている」部分であり、現時点では説明できない厄介な感情を抱えているという部分も似ている。少なくとも現時点で争う必要はなく、生徒会を通して、ひとまずは協調路線で事態解決にあたろうというのが当座の妥協案であろう。店を出た後は「並列」の構図へと移り、二人は探り合いながらもさらなる一歩に踏み込み始める。相容れぬスタンスでこそあるものの、お互いに要領よく、そして遠慮なく困難に立ち向かっていける強さを持っているという意味では、どこか似た者同士であるのかもしれない。

 Bパート「降り籠める」。こちらは雨の中での侑・燈子の関係性の掘り下げ。冒頭から徹底して「ペア」の印象が強く、いろいろな人やものにフられていく侑の「孤独」の印象が最大限に強まったところで、狙ったように燈子が現れて「ペア」を形成する。2人はなんの抵抗もなくあいあい傘の状態になり、当然その目線は「並列」になる。横断歩道の歩行者信号について、侑・沙弥香のペアだと問題なく一歩目を踏み出せていたのに、侑・燈子のペアだとバタバタと揉めて進めなくなるというのも示唆的な部分であろうか。そしてこの当たり前のような「並列」の構図が、髪を拭くシーンでは改めて「対面」に変わる。話題の中では身長の差なんかにも触れており、必死に背伸びして目線を揃えようとする侑に対し、燈子の視線は突然に温度を下げる。近づいてはならないその領域の存在を、侑は改めて痛感させられることになる。あちらからは寄ってくる。それこそ温度も、想いも、全てが伝わるほどに接近する。そのくせいざ肩を並べようとすると、そこには分厚い壁があることが分かる。引くも地獄、進むも地獄という燈子ラビリンスに迷い込んでしまった侑。これから先、演劇を無事に成功させればこのラビリンスに光明が見えるのかどうか。

 意図せずに踏み込んでしまい冷や汗をかく侑、そして徹底して防壁をあげてガードに徹する沙弥香。アプローチの仕方は違えど、2人とも燈子の扱いに手を焼いて、「厄介だ」とため息をつく同胞であった。最後のシーンでの2人の視点も「並列」。なんだかヘンテコな流れだったが、少しだけ、2人の距離も縮まったのは間違いない。まぁ、どこまで維持できる同盟なのかは定かじゃないけれども。

 

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 ネクストステージ・佐伯沙弥香、第7話。さぁ、いよいよ物語は新たな段階へ。正統派モンスター、佐伯沙弥香の登場である。いや、前から出てたけど。

 まず、手前勝手な思考修正をしておかねばならないことをここでお断りしておく。もともと原作を読んだ時点で沙弥香のポジショニングというか、キャラクター設定はかなりお気に入りだった。というのも、アレな言い方にはなってしまうが、沙弥香の立ち位置は非常にわかりやすい「百合漫画のヒロイン」のそれなのである。秘めたる想いをうちに抱えながらも、「同性同士での恋愛なんていけないわ」と自戒して封じ込めたるその感情。いわゆる「ささめきこと」としての百合スピリットである真っ当な精神性を持ったヒロイン。別な意味でモンスターである侑や、最終的な攻略対象と言える燈子の超然とした立ち位置に比べ、沙弥香の感情は分かりやすく摂取できる「望ましい百合成分」だと思っていたのである。

 しかし、ここまでのアニメを視聴して来て、この安易な受容には大きな齟齬があることを痛感させられた。ここまで再三書いて来たことだが、漫画版で受容していた時点では侑と燈子の関係性がここまで面倒で、ここまでけったいなものだとは理解できていなかったのである。2人の関係性の中には青春だとか禁忌だとか、そうした言葉でひとくくりに出来ないような複雑怪奇なものが入り乱れている。それを理解した上でなければ、本作の人間関係を読み解いていくのは難しい。おかげで、「単にメインの2人に向けて放り込まれた分かりやすい爆弾が沙弥香なんやろ?」という安易な理解については、(別に間違っていないとは言え)幾らかの修正が必要になってくると思われる。幸か不幸か、原作はそこまで読み込んでいないので、このままアニメを見続けることで新しい認識を構築していくことができるのではなかろうか。何やら最近沙弥香メインのスピンオフ小説も出たらしいので、アニメ視聴後はそちらもありがたくいただこう(その前に、まず原作揃えるところから始めないといけないけども)。

 これは純粋にありがたいことだが、このアニメはそうして原作で取りこぼした要素を(もしくは原作では描かれていなかった要素なのかもしれないが)余計なまでに描ききり、感情を押し固めた鈍器でぶん殴ってくるような作品になっている。原作の持つ要素をじっくり煮詰めて、アニメの持つ強みを存分に活かした作劇だ。今回も沙弥香というキャラクターの入門編みたいな内容のくせして、容赦無く生の感情を叩きつける呼吸困難必至の30分。やっぱり原作の時以上に沙弥香さんのパワーが上がっている感がある。個人的にかやのんボイスはノンケ要素の方が強いと思っていたのだが、結局一流の声優ってのは「感情が乗せたいだけ乗せられる」っていうだけの話なのでなぁ……。曲に入る第一声からの流れでオープニング映像を見ると、今までと同じ映像のくせに「沙弥香さん!」ってなってしまうのほんと辛い。

 Aパート「秘密のたくさん」。これ、サブタイトルが「たくさんの秘密」じゃないあたりが、作者の日本語センスよね。「たくさんの秘密」だと存在名詞だから確実に「ある」んだけど、「秘密のたくさん」だと副詞終わりだからその存在が確定しない。ふわふわと浮ついている現時点での侑・燈子・沙耶香の形容としてはこちらの方がしっくりくる。単純に考えるなら、ここでいう「秘密」は侑と燈子の関係性、沙弥香の秘めたる想い、そして新たに登場した先生と喫茶店店長の関係性などのこと。侑たちの関係性については前回山ほどしんどい話が出たので今回はちょっとしたサービスショットみたいなご褒美要素が多めで、名前呼びで簡単にぶっ壊れる燈子のお花畑脳は素直にニヤニヤするべきところ。まぁ、その裏側にある燈子の自虐とも取れる踏み込みチキンレースっぷりは前回垣間みえてしまった地獄みたいな感情なので、軽々しく切り込んじゃう燈子の業の深さも嫌という程見えてしまうわけだが。ゴーサイン出しちゃう燈子さんのカットに「止まれ」って停止線が出てるあたりが嫌らしいよね。ちなみに停止線はカーブミラーに映ったものが見えるように描かれているが、今作は「反射」というモチーフも効果的に使われており、Bパートでもコーヒーに反射する沙耶香の顔が印象的に描かれている。「秘密」が増えてしまった現在の状況下で、直接見せることができないものたくさんあり、今回はキャラクターの目の部分が隠された演出も多いが、どれだけ隠してもそこかしこに映ってしまっているのも色々と示唆的である。

 そして語られてしまった沙弥香の想い。まぁ、今までの様子を見てれば初見の人間でもわかるようなヤツではあるのだが、そのシンプルさ故、破壊力も格別である。好きなところは? と聞かれて「顔?」とダイレクトに答えているあたりに沙弥香さんの取り返しのつかない感情がよく現れており、中学時代に先輩に唾つけられたせいで生み出された百合の萌芽が、燈子という劇物に触れたせいで完全覚醒してしまった沙耶香さん。もし過去に下地が作られていなければ何も起こらなかったのかもしれないし、先輩があんな下衆でなかったらわざわざ燈子と同じ今の学校にも来なかったわけで、実に因果な巡り合わせである。

 そして、2人の関係性のねじれっぷりも実に心苦しい悲鳴ポイント。沙耶香の方は、過去のトラウマもあって燈子に踏み込めない。最後に喫茶店店長が説明してくれていた言葉を借りるなら「相手を傷つけたくないための優しさ」であり、沙弥香が踏み込まないのは自己防衛と怯えの入り混じった後ろ向きとも言える感情。そして、そんな沙耶香の接し方に感謝しつつも、完全な理解を示しているわけではない燈子。燈子は「立ち入らないからありがたい」と言っているが、それは優しさでもなんでもなく、沙耶香サイドの事情である。そのうわべに見える「優しさ」に寄りかかってしまうあたりが燈子さんのモンスターたる所以で、どうにも侑という異物に出会ってしまったせいで、沙弥香の捧げている自己犠牲がますますお気楽に摂取されていくようで容赦ない。このナチュラルボーンな残虐性こそが、燈子を燈子たらしめている部分なのだろう。彼女の無警戒な「秘密」との接し方で、いちいち沙弥香が心をざわめかせているとも知らずに。

 そんな沙弥香の救われない感情が少しずつ前に進み始める気配を見せるのがBパートの「種火」。こちらはまたシンプルなサブタイトルである。まさかの身近に現れた「公然たるレズカップル」。この街はなんて素晴らしい街なのだと慄いてしまうが、でもまぁ、CV森なな子のキャラなら誰だって納得できるから良しとしよう(いいのか)。お相手は中原麻衣なんだぞコンチクショウ。俺らからしたら、ビジネス百合営業の元祖とも言える唯一存在やぞ。声優業界初の公然たる同性キスシーン声優だぞ。ストロベリーにパニックやぞ。そこに宝塚のパワーを組み合わせてしまったら、もう文句を言えるわけがなかろうが。

 そんな「百合の先輩」に人生相談に行く沙弥香さん。あのわずかな2人のやり取りだけからあっという間に「その気」を察知して確認しにく洞察力と行動力を見ていると、「やっぱりこいつ、才能を与えられたらまずいやつなのでは?」っていう心配が先に立ってしまうが、とにかくその直感は的確なものであり、先輩もそんな沙弥香の覚悟を見てとり、実直に応えてくれる優しい人だった。ただ沙弥香の悩みを聞き、受け入れてくれる先輩。そしてそんな先輩の人生に、自分の悩みはもしかしたら別な解決方法があるのではないかと考え始める沙弥香。踏んでも良いアクセルなのかどうかはまだ分からない。しかし、たかだか高校生が判断できる人生の機微などたかが知れたもの。これまでの自分では思いもよらない生き方が、世界にはあるのかもしれない。その端緒となる感情が、今ここで芽生えるのである。先輩の方は別に他意あってのアドバイスではなかろうが、間違いなくそれは「種火」となる。ご丁寧にサイフォンでコーヒーを淹れてくれる先輩。ふつふつと湧き上がり、上へ上へと昇っていく流れの中に、確実に沙弥香の感情がリンクしていく。

 さぁ、侑さんもあまりのんびりしていられないかもしれないぞ。生徒会室では、目に見えぬ嵐が巻き起こっているのだ。

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 コンテがあおきえいかよ! 第6話! いやぁ……胃の腑がえぐられるような凄まじいお話だった。原作の時点でこんなとんでもない閉塞感と絶望感を与えるシナリオだったっけ……。いかに俺が漫画という媒体を適当に読んでるかってことがわかる経験だった。いや、ちょっと、助けて。

 今作で描こうとしているのは「好きになるとはどういうことなのか」という実に面倒臭いテーマ。そんなもん簡単に説明できるはずもないのだが、1つの試案として導入されたのが、「人を好きになるなんて感覚が分からない」とのたまう侑である。そんな侑が相対するのは、これまた厄介の塊のような人間、燈子。この二人のわがまま勝手な恋暴走が、あの手この手で容赦無く叩きつけられてくる。誰の、どんな恋愛だって、必ず他者を巻き込むものである。それが恋愛という感情の究極の面倒臭さだ。相手が存在して、そこにこれまでの自己との折り合いをどのよう見出していくか。それこそが思春期の恋愛であり、成長である。そして、まだまだ青臭い女子高生2人は、そんな成長の痛みに戸惑い、もがき苦しむのである。

 まずは侑の言い分から。サブタイトルは「言葉は閉じ込めて」。すっかり燈子との関係も定着したと思い込み、奇妙な安定を感じていた侑だったが、劇の脚本を巡る一件でそれが大きく揺さぶられる。その尖兵となった最大の脅威は泣く子も黙る副会長、佐伯沙耶香。すでに燈子が尋常ならざる状態(恋愛?)に突入していることは感じ取っている沙耶香。彼女はそんな燈子の安寧を守るため、ノイズとなる侑に直接圧をかけに来た。別に排除を望むわけではない。はっきりと彼女が燈子と侑の関係に気づいたかどうかも定かではない。しかし、少なくとも現時点で侑が「燈子にとってプラスにならないこと」を考えているかもしれないというくらいは察知できる。「甘く見るな」とドスを効かせる沙耶香。ここでわざわざ画面の構図が90度回転し、沙耶香が文字通りに「マウントを取った」ことがよくわかるようになっている。その一言が、侑の心臓を握りつぶす。「貴様ごときが燈子の何を分かっているというのか。知った風な口をきくな若造」と、人生の先輩ははっきり恫喝してきているのである。侑も聡い娘であるから、その意味するところはすぐに察知し、自分に足りないものを補うための調査に赴く。果たしてそこまでが沙耶香の狙い通りであるかを考える余裕はないだろう。

 明かされる燈子と姉の関係性。現在の燈子を形作っているのは間違いなく姉の幻影であり、そのことが、これまで侑が見て来たいびつな燈子を生み出していたのだと判明する。自分の知らない燈子がまだ存在していたこと、そして、それが「自分の望む燈子像ではないこと」に、侑は反発を覚える。他人のために背伸びをし、望まぬ仮面すらまとう燈子の姿は、侑には理解が及ばぬ「歪み」にしか見えないのである。だからこそ侑は、わざわざ二人きりで話す機会を作り、「そんな姿を見せるな」と訴える。

 ここで、侑の抱えていた自己矛盾がはっきりと形を成す。侑自身は気づいていないが、「好きになりたい」という感情は「好き」と区別し難いものである。自分はすでに、燈子のことを特別だと感じている。この人なら好きになれる、この人しか好きになれない。その感情は、すでに恋愛の範疇であろう。しかし、未だ漠然と「自分は好きが分からないはずだ」と信じる侑にとって、その感情は恋愛ではないのである。「自分の知らない部分を隠し持っていた燈子」「自分以外の誰かのために何かを演じ続ける燈子」。それを解放したいと望むのは、あくまで燈子自身を呪縛から救い、正常な状態に戻すため。決して、「自分がそんな燈子を好きじゃないから」などという自己中心的な欲求から出た想いではない。侑の欺瞞はそんな理屈を訴える。あくまでも、「言葉は閉じ込めて」。

 しかし、そんな侑のエゴを叩き伏せるように、燈子は真実を突きつける。「自分を演じている」という状態は、間違いなく自分で選択した自分。それを侑に否定される謂れなどなく、これまでの人生全てを否定されるようなもの。その感情を一言で表すならば、「死んでも言われたくない」である。侑のことは好きだ。それは間違いない。しかし、そのことと「自分が侑の思い通りになること」は話が違う。好きという感情も大切だが、もし今の自分が侑の望む姿と違うとしても、貫かねばならないものはある。相容れぬのならば、その時は侑を諦めるしかない。燈子の人生にはその覚悟がある。

 二人の見たい未来がずれた。いわば初めての痴話喧嘩。夕焼けに染まる川べりのシーンからは、画面の構図が徹底して「断絶」と「対峙」を描き続けている。燈子の頭の後ろにカメラを置いてぐるりと回したシーンが象徴的だが、侑の言葉を聞いたところから、燈子の貫くべき信念(侑の望みとは相対する人生)がはっきりと示される。二人を寸断するのは橋脚であり、水流であり、夕日に生み出された光と陰である。まだらに淀んだ景色の中、「たそ彼」の曖昧な感情が二人を惑わせる。ここに来てついに、侑は思い知らされるのだ。自分が勝手に想像していた「好き」という感情がなんと安易なものだったのかと。自分が持ちたいと思っていた「好き」。燈子が自分に対して持っていると想定していた「好き」。そのどちらも、現実でははるかに複雑で、一筋縄ではいかぬものだったのだ。自分が「好きになりたいと思っている」燈子が断絶の向こうへと渡ってしまう。そのことに焦って、侑は初めて、他者に対して必死になった。初志を曲げてでも、引き止めずにはいられなかった。ここまでして他者を望むその欲求を、「恋愛」といわずして、一体なんと呼べばいいというのか。

 こうして侑が一歩進んだことによって、とりあえず、二人の「断絶と対峙」は終りを告げる。緊迫感溢れる構図がようやく終わり、手を繋いで帰るカットからはこれまで通りの「並立」に戻った。これで一安心かと思いきや……今度は燈子の方の欺瞞と倒錯が浮き彫りになる。

 彼女の人生は、姉の現し身を望まれるものだった。幼い頃からそれを正しいこととして、さらには自分の望みとして実現させて来た燈子。しかし、そんな他者とのありようが、果たして正常なものなのかどうか、燈子自身も分からなくなっているのかもしれない。「こんな風な君が好き」という感情は、「そうじゃなくなったら好きじゃなくなるということ」だと欺瞞を説く燈子。侑に惚れ込んだのも、彼女が自分のことを「こんな風」ではなくただありのままで見てくれるからだという。しかし、彼女は気づいている。少しずつ侑が変質し、距離が着実に縮んでいるということを。この先、侑は「どんな自分」を好きになってしまうか分からない。もし侑が自分を好きだと言い始めたら、それを受け止められるかわからない。今の「何も望まれない」状態が一番良いと信じるからこそ、燈子は必死に「私のことを好きにならないで」と念じている。

 しかし、彼女は気づいているのだろうか。「自分のことを好きにならない、そんな侑が好き」という感情も、自分が唾棄した「好き」の形であるということに。「もし、侑が私のことを好きになったら、私は侑を好きでいられるのか」。どこまで行っても、ただひたすら想いはエゴへと帰結する。だからこそ彼女は、現状を維持し続けるために、「言葉で閉じ込める」。侑が今の侑であり続けてくれれば、自分もそのままでいられるのだ。なんとも歪で、なんとも身勝手な2人の想いの形。恋は盲目とはよくいうが、さて、恋に至らぬこの想いは、一体何が見えているのやら。

 それにしても、それにしてもである。蛇足を承知で相変わらず書かせてもらうが……美菜子……すげぇ……。「死んでも言われたくない」の一言の落とし方で、過呼吸になるかと思った。これまで描かれて来た燈子の人物像は、どこか弱さとか柔らかさを持った声だったわけだが、ここに来てステージが1つ上がった燈子の場合、そんな弱さを残しながら、それでも一歩も後ろには下がらないという圧倒的な意思の裏付けが垣間見える。このキャラクターの重さ、どこまで支えられるかが役者の本懐だよなぁ……。凄まじかったです。

 

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 「裏庭の百合」ってなぁ、第5話。まったくオブラートになってない直球なタイトルな気もするのだが、それって脳が腐ってる人間ならではの感性なんですかね。

 裏庭ではなく表立った百合になるはずの今作ですが、まだまだその萌芽は芽生えたばかり。かたやド直球で男子高校生みたいな反応を見せる燈子。その直球ぶりは変態呼ばわりされても文句言えないレベルのピンク脳だが、入室後にベッドにダイブしなかっただけまだマシである。加瀬さんなら飛んでましたからね。そしてかたや未だ自分の気持ちを認めることも、見つけることもできない朴念仁気取りの侑。今回はかなり彼女の「こじらせ」がクローズアップしていたわけだが、この感情は簡単に解決できるもんでもなさそうだ。

 結局、侑の一番の問題はとにかく頭で考えようとすることなのだろう。燈子も侑もそれなりに成績はいいはずなのだが、割と直感的な部分を優先させて動くことができる(そしてそれが暴走して本能で動いてしまう)燈子に対し、侑は何事も自分なりの理由がつかないと我慢ならないタイプ。自分にわからない感情など持っていてはいけないし、自分の意思の及ばない要因で物事が決定されるのも耐えられない。こうした傾向は理屈屋だとかそういう問題ではなく、おそらく思春期の思考形態の典型の1つなのだろう。「世界は全て、理により統制されているはずだ」という。

 だからこそ今回のタイトルは「選択問題」だ。未だかつて恋人などいたこともないくせに、侑は恋愛関係というものを「選択する事象なのだ」と認識している。燈子は数ある選択肢の中からよりによって自分を選んでいるし、世の中の全ての男女は(ときに同性は)パートナーを意思を持って選んでいると。そう意識して目を向けてみれば、家の中だけでも3組もの「パートナー関係」が存在しており、じいさんと連れ添った祖母、家庭を持ってそれなりに関係も良好そうな両親、そして古くからの知り合いを捕まえて着実に関係性を進行させている姉。どれもこれも、自分がよく知っている人の「選択」の結果だ。いつかきっと自分もそうした立場に立たされ、何らかの理由でふさわしいと判断した相手を「選択」するのだろうと、侑は信じている。

 でも、多分そういうことじゃないんだろうなぁ。恋愛関係ってのは選択肢がうみだされるもんでもないし、それが意思を持った答えの選択であるなんてことは稀だろう。いや、もちろん最終的に連れ添うか否かの段になれば、現実的な「選択」は数多く存在するのかもしれない。しかし、結局最初の一歩は選択肢なんか存在しない。もう、それしか道がない状態が生まれたら、それが恋愛関係になってしまう。燈子だって「選択した」結果が侑じゃない。侑がそこにいたから、侑のことを知ったから、今の燈子が生まれたのである。そこに理屈も理由も、理性も存在などしないのだ。

 それでも、侑は「選ぶこと」の正しさを盲信する。それが存在しないのではなく、自分の出来ないことだと決めつけて、だからこそ「選ばないこと」を信じようとする。すでに周りの世界は歪み始め、自分の進むべき道は分かれてなどいないことを、いつになったら気づくのだろうか。まぁ、そうして悩むことこそが、青春なのよな。

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 観測すれども関与せず。第4話。この世界、人間関係について超然とした連中が多すぎる気がするんですが、さらに外側から見ている人間からするととても助かる配置になっていますね。挟まれるんじゃない、ただ、見るのだ。

 インモラルな生徒会室。誰もいなくなった夕暮れの中、素直に気持ちを吐露する燈子に対し、まんざらでもない形で答える侑。「キスしていい?」「別にいいですよ」「どうして?!」っていう流れは笑ってしまうが、結局、後で言われていたように侑の中にも、確実に燈子に向かう感情は育ちつつある。「自分はそういうことが分からないのだ」という認識を持つ侑はそれを自覚できないし、仮に感じたとしても否定するだろうが、その気持ちに向き合えば向き合うほどに、具体的な形を成していくことになるのだろう。

 そうして実現してしまった再びのキス。直球で勝負してくる燈子のおかげで、スキンシップは思いの外ダイレクト。こうして考えると、祥子様と祐巳の関係性とかって、すげぇプラトニックだったんだな。恋愛関係と明示されるかどうかの違いはあるが、同じ女性同士の想いにしても、時代を経てその描かれ方も少しずつ変化しているのかもしれない。

 しかし、ダイレクトな行動もTPOをわきまえなければならない。あんだけ大っぴらな場所にある生徒会室だ。いかに人が少ないとはいえ、偶然覗かれてしまうことは一応考えなければいけなかったはず。見られた相手次第ではマジで薄い本みたいな悲惨な展開になっていた可能性もあるわけだが、幸か不幸か、偶然目撃したのはハイパー客観視大好き人間の槙くんだった。「マネージャー体質」というだけならば何となく分かるのだが、さらにそこに「活躍するのはお前らなんだから観客の俺に関与しようとするな」という斜め上の感情が混ざるという難物である。いわゆる「百合を見ていたいだけで、そこに挟まれる気は一切ない我々」と同じスタンスのようにも見えるが、よく言われるその理念は、「男が挟まったら百合が百合で無くなる」という事実に起因しているものであり、根元的な動機が「観客と主役の分化」ではないだろう。人間関係の機微にはすごく興味があるが、その舞台には絶対に立ちたくないという槙の心理は、考え始めると結構な泥沼である。

 しかもこいつが面倒なのは、本当に客観視を決め込むのであれば一切の不干渉を決め込むべきなのに、あえて侑に対しては「見てたんだよ」と突っ込んでいくところ。おそらく、「関与することによって歪みが生じる」というリスクよりも、「現時点で主演女優が何を思っているのかを把握しておきたい」という好奇心が勝ったのだろう。もしくは、自身の関与で揺れ動くならばそれもまたドラマだと受け入れる度量があるのかもしれない。邪魔するつもりはかけらもないし、もっと続きを見たいから極力応援するつもりだが、自分という観客があることは告げておき、そのカメラの前で振る舞えと侑に迫っているわけだ。悪意がない分だけ、余計に面倒な反応である。侑もそんなモンスターを前にして最初は怯むわけだが、案外「自分は舞台に立たない」とずっと思っていた自分との共通項も感じたのかもしれない、すぐに槙の思考と反応に対応し、改めて自分の立ち位置を定めるに至るのである。うーむ、まだ若いくせに、そういうところでやたら老練してる感がある高校一年生だよなぁ……。

 もう、こうなったら燈子は侑や観客の前で理想の「可愛いあの子」を演じるしかないわけだよな。大丈夫かな、また別の覗き穴から本妻(仮)が憎々しげに見ているけれど……。

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 生徒会選挙ってそんなに候補者が出るもんなんやな、第3話。私がいた高校の場合、そんなめんどくせぇ仕事は誰もやりたがらなかったので、大体は教師陣が目星をつけた相手にプレッシャーをかけて無理やり任命していた。選挙演説なんてなくて所信表明だけやってた気がする。生徒会長とか、やっても何の得にもならんからなぁ。

 そんな本筋とは関係ない話題はさておき、着実に進行する安定感と緊迫感が内包している作品。先に百合要素について処理しておくと、本作はすごく普通のものとしてそこに同性間の感情が転がっているのが何だか不思議でもあり、自然でもあり。事前の配置として、侑の友達が「つい最近男にフられた」という事実が提示されることで、まず「通常の」恋愛観がそこに示される。しかし、そこでさらに友人が「好きだって言い続けてれば、そのうち相手だって好きになるんじゃね」というアドバイスを提示し、侑はごく自然に、そのアドバイスを自分と燈子の関係に重ね合わせるのである。そこに、あまり同性間であることの障壁は感じられない。さらに侑のねーちゃんがやたらと「彼女か? あぁ? 彼女か?」と迫ってくる謎テンションを持っており、別にそれでもよくない? という後押しの役割を果たす。もちろん、家庭の中で唯一の男性であるお父さんだけはチクリと「常識的な」けん制をしたりもするのだが、音量も小さく、侑にほとんど響いていないことを考えると、やはり、彼女の中での「恋愛対象」という代物は、「現時点で何もわからない」という点において男だろうが女だろうがニュートラルな状態なようだ。もちろん、それを利用して何の抵抗もない間接キスをかましたり、程よいサービスを先輩に提供してあげるあたりがナチュラルボーンジゴロである。

 アニメになって、こうした侑の持つ「強さ」「したたかさ」「異質さ」みたいなものが際立つ演出になっている気がする。いや、多分原作でも同じ内容は読み取れるはずなのだが、私が流し読みしてしまうようなファクターもアニメだと立ち止まって見る必要があるので、原作の意図がより強く浮き彫りになっているというべきか。乙女恋愛の主人公としては異質な強さを持つ侑。どんな仕事でもやろうと思えばそつなくこなす強さを持ち、才色兼備の燈子の前でも物怖じせず、むしろ支配的なポジションにすら立っているその様子は、恋愛漫画としては主人公というよりも攻略対象の属性が多い。そして、今作が異質なのはそうした「ボスキャラ級主人公」である侑の中での変質を描く物語になっているからなのだろう。まぁ、見方によっては子供が大人になる物語でもあるけども。

 一つ、今回の放送を見てとりとめの無いことを考えるに至った。それは、今作のタイトルについててである。サブタイトルもなかなか憎らしい名付けではあるが(「まだ大気圏」っていいよね)、そうではなくてメインタイトルの「やがて君になる」の方だ。英語タイトルだと「Bloom into you」となっているのだが、ここで注目すべきは「君」という言葉の扱いである。実は日本語において、二人称の人称詞というのはかなり特殊な立ち位置にある。日常会話での出現頻度が、他言語に比べて著しく低いのだ(個人の感想です)。わざわざ「君」「あなた」と呼称するのは、よほど「相手」について意識的である時に限定される。「目の前に対象となる他者がいること」を明示する「君」という語。その前提条件は、その「君」を認識するための「私」である。今回の放送では何度か「一人称」視点のカットが挟まれており、そうした視点の取り方を考えさせられる演出になっている。例えばわざわざ侑の家にお土産を届けに行ったときの燈子の視点、そして演説のために登壇するときの侑の視点。それぞれの1人称視点は、「君」を見るための視点だ。

 また、侑がこだわっている「特別」という言葉の意味にも気をつけたい。「特別になる」というフレーズで思い起こされるのは何と言っても黄前久美子嬢と高坂麗奈さんの2人だが、彼女たちのいう「特別」とは、基本的には「何物にも埋もれない唯一無二の私」を指すものである。それを象徴的に示していた田中あすか(CV:七海燈子)の存在が、彼女たちの描く「特別」をはっきりと示している。それに対し、今作の侑が思い巡らせる「特別」は決してそんな秀でたものを表す言葉ではない。あくまで「燈子が唯一自然に接することができる唯一の存在」が「燈子にとっての特別な自分」であり、さらにそんな自分に気づかせてくれた燈子は、やはり侑にとっての「特別」なのである。そうして「私」と「君」の間でのみ成立する「特別」な関係。これこそが、今作で描かれるべき「君」という言葉の目標地点ということになるのだろう。「やがて私になる」ではなく、「やがて特別になる」でもない、2人の目に映るお互いの姿こそが「やがて君になる(Bloom into you)」。なるほど、うまいタイトルを考えたものである。

 そんなことを考えながら見てみると、また少し、違った画面が見えてくるのかもしれない。なお、目がキラキラする侑は、目のサイズがでかいのでちょっと怖い。

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