結局「クジマの仲間たち」ってどういう概念だったんだろう……最終話! 後にも先にもクジマのような生き物は他に出現しなかったので、おそらくクジマの前にクジマはなく、クジマの後にもクジマはいないのだろう。
「別離を描く最終回」になるかと思いきや、「別離も描くけどその後の再会も描いちゃう最終回」になった。ま、アラタたちも言ってる通り、お別れと言っても蓋を開けてみたら単に半年だけの話ですのでね。むしろ9〜4月を鴻田家で過ごした場合、マクシムと一緒の時間の方が短いまである(移動時間を考慮に入れない)。多分マクシムの方がクジマがいなくて寂しい思いしてると思うので、大事にしてあげてよ。
てなわけで予定調和ながらもハッピーなエンディングで終えることができたわけだが、そんな「ハッピー」の中にも色々と想いが込められている。個人的に興味深かったのは最終話の構成で、重要な別れの川辺のシーンではスライドショーで思い出が展開されることになる。正直、「ガリレオガリレイかけながらの思い出ダイジェスト、こないだやったばっかだから演出被ってないか?」と思ったのだが、ここで繰り返すことにはちゃんと意味があって、その後の「クジマがいない半年」についても同様の処理が行われるのである。こちらはこれまでとは異なる楽曲だが(今作は多分作中でガリレオガリレイが流れてる時間最長記録をぶっちぎりで更新してると思う)、思い出スライドショーと同じ形式で春〜夏の新たな生活の記録が流れていく。
ここで重要なのは、最初の思い出スライドショーで我々はきちんとアラタたちと一緒にその思い出の1ページ1ページを体感していたということ。つまり、わずかに楽曲1曲分の時間だが、そこに流れる時間には間違いなく実態があり、クジマと過ごした濃密な半年間がそこに凝縮されていることを体感するのだ(視聴者目線だと放送時間の3ヶ月分とも言えるが)。そして、その後に「まだ見たことがなかった新しい季節」の映像が同様の演出で流れると、初めて見る光景のはずなのに、その裏側にしっかりと「実在した時間」を感じることができる。おそらく今回の「2曲メドレー構成」はそうした「時間の実存」を感じさせるための構成なのだ。おかげで「おいおい、長いはずの半年間があっという間にすぎちまったぞ」とはあまり思わず、きちんと「アラタたちがクジマのことを想いながら待ち侘びた夏の日々」が感じられる。色々なカットがあったけど(三ツ木さんちでのお勉強会がほんと羨ましかったけど)、個人的に一番のお気に入りはお父さんが1人でパソコンの写真フォルダを整理してるところ。フォルダ名が「英・新・クジマ」なのよね。わずか半年しかいなかったくせして、大事な息子2人と肩を並べるくらいの存在になってるクジマすごい。でも、そうしたくなったお父さんの気持ちもよく分かる。間違いなく、クジマは「半年だけ現れる家族」になったのである。
帰ってくる時にもあっさりと。カバンを背負っていたので、多分クジマはお返しとばかりにマクシムと一緒に撮った写真なんかも持ってきてくれたんじゃないかな。これからまた、新しい季節を積み重ねていこう。
Amazonアフィリンク

PR