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最近のアニメや声優、Magicに対する個人的な鬱憤を晴らすためのメモ程度のブログ。
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 おっぱい!(挨拶) 地元帰省中に観た映画は「カメラを止めるな!」に続いて2本目。地元でゴロゴロしてるだけだと暇だってのもあるけど、こっちだと映画館が近くて移動が楽なんですよ。あと、朝一の上映回で行くと料金が安くなるモーニングショーっていうサービスがあって、これは京都では得られないボーナス。なんと500円引きの1300円ですよ。どうしても値段の高さがハードルになる劇場作品にはありがたい特典です。さて、そんなわけで観てきた「夏」という感じの映画。これがなかなか、一筋縄ではいかない作品だったので、視聴中から感想をどうやってまとめたものかと悩んでいたんですが……まぁ、とりあえず筆に任せて進めてみましょうかね。

 

 

 

<以下、一応ネタバレ要素ありかもしれないので未視聴注意>

 

 




 

 難しい作品だ。森見登美彦原作の小説作品ということで、いわゆる「夏のアニメ映画」的な一本の分かりやすい筋から作り上げたお話ではない。「ドラえもん」とかジブリ作品とかディズニー作品ならそういう部分は観やすいのだが、この2時間をどんな筋でくくればいいのか、それは作り手側も、視聴者側もバランス感覚が求められる部分だと思う。筋をまとめることが難しいので、1つ1つの要素に区切ってみていくしかなさそうだ。なお、当方原作未読なのでアニメ化にあたっての変化などは把握していないことはご容赦願いたい。

 先に、映画を見ていて気になった部分から処理してしまおう。一口で言えば、この「筋立ての複雑さ」そのものである。単純に先が読めるシナリオではないので視聴者は常に「次に何が起こるのか」に気をつけながら神経を張り続ける必要があり、あらゆる情報のウェイトが等しく処理を求めてのしかかってくる。おかげで大きな山や谷がどこにあったかを認識するのが困難になり、「気づいたらなんか知らんけど終わっていた」みたいな印象になりかねない。実施、ロボがギュワーン!したり火山がドーン!したりするような作品ではないため、「劇場アニメ」というステロタイプな印象から派手な盛り上がりを期待すると肩透かしを食らう可能性はある。

 また、2時間というそれなりの長さを持つ作品ではあるが、それでも処理しきれないくらいに盛り込まれる要素はたっぷりで、割と駆け足気味で事象を処理していくパートがつながると途中で作業感を覚えることもあるかもしれない。カット割のテンポが似たようなリズムで続くために、場面転換に淡白さが伴うというか。そういう意味ではとにかく「疲れる」映画だった。

 いくつか引っかかった具体例を挙げると、個人的に一番しっくりこなかった部分は、「謎が解かれない」ことであった。いや、こんな純正SF作品で全てが論理立てて説明されるはずがないのだけど、「解決させるのではないか?」っていう期待を割と序盤で与えてしまっているんだよね。

 作品は終始天才実験少年アオヤマ君の視点で展開していく。彼がメモを重ねたノートは作品の中心的なツールとなり、少しずつ彼が実証していく「事実」と「論理」の積み重ねが強調される。しまいにはお父さんからの「エウレカ」の指示が入り、登校中の道端で、ついに少年は「エウレカ」に至る。この時点で、作品内のあれこれが文字通りにつながって霧が晴れるものかと期待したが、残念ながらそんなことはなく、「つながっている」という報告だけでその後ろの説明は一切無い。「エウレカ」の後に訪れる大きなカタルシスを期待していたので、その辺りは腑に落ちなかった。また、映像部分においても筋立てと見せ場が完全に一致したわけではないのが勿体ないところで、映像的に一番盛り上がるペンギン大量発生のシーン(スタッフの言葉を借りると「ペンギンパレード」らしい)は最高にイカしたシーンなのだが、それが直接的に「クライマックス」と結びついていない。ペンギンパレードの後に再び静謐なシーンが挟まり、「よく分からないけど終わったっぽい流れ」から自然にお姉さんとの別れへと接続していく。その辺りで「ここがクライマックスですよ!」と明確に示す作劇になっていなかったことは、余計な負担になってしまっていた気がする。

 以上、大雑把すぎるまとめだが、本作視聴中に気になった部分である。ただし誤解しないで頂きたいのは、ここまで読んで「なんだぁ、映画イマイチだったのかぁ」と思わないで欲しいということである。なぜ先に「気になった部分」を書いたかというと、「褒める→貶す」の流れで文を書くと、最終的に読後感が「イマイチだったのかな?」になりやすいからである。先に多少なりとも不満点を書いておいて、後で盛り上がる部分を書いた方が最終的に言いたいことが伝わりやすいのである(これまで何本も感想文を書いてきて学んだことである)。

 というわけで、ここからは今作の「観るべき」部分を書いていこう。これまたいくつかの要素があるが、大きく分けて4つくらいの要素が出てくる。まぁ、それぞれにつながっているので完全に分けて考えることはできないが、好みのポイントを探る参考程度に見ていただきたい。

 1つ目は「SF」。上で「筋立てが複雑で理解に負荷がかかる」と書いたが、そんなもん、視聴者側の勝手な言い分。言い換えれば、それだけ考える要素が多い作品ということになる。これまでアニメという媒体を通じて森見登美彦作品は何作か接してきたが、つねづね思うのは、この人は本当に「ホラを吹くのがうまい」ということだ。いや、すげぇ嫌な言い方になったけどさ、言い換えれば「フィクションの盛り込みが憎らしいくらい面白い」ということである。「有頂天家族」の狸なんてのは全て冗談みたいな「ウソ」であろうし、「四畳半神話大系」の大学サークルのありえない生態、「夜は短し歩けよ乙女」で展開されるとんでもない京都の文化など、本当にふざけているとしか思えないホラ話を、この人の作品はなんの前触れもなく、さも当然のことのようにしれっと織り交ぜてくる。一連の京都作品の場合、それは学生の悪ふざけなどの「ジョーク」になるのだが、今作の場合、片田舎の小学生が主人公。そんな彼の目の前に繰り出される様々な「ウソ」は、魅惑的な「SF」という姿をとって、スルリと日常に紛れ込む。冒頭で少年がスズキ君に聞かせた歯の病気のホラ話なんかは、これまで見てきた「森見節」が見え隠れする本作の端緒だと思うが、そこから続く「ペンギン」「海」、そして「お姉さん」という一連の「ウソ」は、無いはずなのにそこにある。なんの説明もなしに溶け込んでくる「生々しいウソ」である。この体温を持った筋立てを見ているだけでも、「こういう森見風味もあるものか」と感心させられる。やっぱり、この人は小説が上手いということなのだろう。もちろん、そうして生み出された「ウソ」をアニメーションの映像として組み上げる際に、スタッフがとことんまで心を砕いたことは丁寧な作劇から見て取れる。この肌で感じる温度こそが、「アニメにした意義」なのであろう。

 2つ目の要素は「夏の冒険」とでも言おうか。これまで私が見てきた森見作品の主人公はどれもこれもひねた学生(もしくはそれくらいの歳のタヌキ)だったが、今作は真っ直ぐすぎる少年である。そんな男の子が、ふとしたことで「ウソ(SF)」に触れて、好奇心を武器にただひたすらにご近所で冒険を繰り広げる。ただそれだけのことが、心踊るファンタジー小説のような彩りを与えてくれる。中心に「天才少年」を据えた筋立てなので、ともすればどこか機械的で、しらけた物語になってしまいそうなものだが、本作の少年に限ってはそんな心配は一切ない。信頼できる親友、ちょっとオマセだけどやっぱり子供っぽいクラスのヒロイン、バカで粗野だけど最後の最後は劇場版ジャイアン理論を見せてくれるガキ大将、そんな周りの全てが、少年の冒険を盛り上げてくれる。やはり私たち男の子は、どこかで「手に汗握る大冒険」を夢見ているもので、小さい頃に親の止められているのも聞かず藪の中に分け入ってみたり、近所の山道の向こうに何があるものかと夢想してみたり。そうした「少年の夏」への憧憬が本作には満ちている。まぁ、やってることが「観測と実証」だったりどこかヒネた部分は残っているのだが、少年は決して子供の形を借りただけのつまらない大人の現し身などではない。何度も登場する乳歯の描写に代表されるように、今作はどこまでも「少年の成長」を見守り、掘り下げていくお話。一夏の経験を糧に、少年はどこまでも大きく、強くなっていく。それこそドラえもんやクレヨンしんちゃんの映画と同じように、夏休みの子供たちに観てもらいたい、スペクタクルな夏休みだ。

 ただ、「ぜひたくさんのお子様に観てもらいたい」と胸を張って言えるかどうかというと……ねぇ……。そう、3つ目の要素「フェチシズム」である。幸い私はそこまで重篤なおねショタ属性を持っているわけではないため、せいぜい右手と左足を持っていかれる程度のダメージで済んだが、やっぱりこれは多感な時期の青少年に見せていいレベルのものなのかどうか……おっぱい。だってもう、全身がエロいんだもん。おっぱいはおっぱいだけど、尻も容赦ないじゃない、あの娘。ちょっと油断するとカメラアングルがおっぱいで止まるし、シーンに応じて様々に衣装替えをして「こっちの服の方がおっぱいの良さが出るな……」みたいな突き詰め方するじゃない。もう、ここまで堂々とおっぱいだと何が健全で何がダメなのかわからなくなるわ。少年の真っ直ぐすぎるおっぱいとの付き合い方は目の曇ってしまった情けない大人たちにこそ省みてもらいたいところですよね。「怒りそうになったら、おっぱいのことを考えるといいよ」ってな。いや、別に怒ってようが悲しんでようが楽しんでようがおっぱいのことは考えるけどね……おっぱい。ハマモトさんにキレられた時に「あの人が巨乳だからでしょ!」って言われて「あぁ! 大いにあるな!」っていう切り返し、見習っていきたい(捕まらない程度に)。いやぁ、幸い僕は巨乳派じゃなかったので最後のシーンが胸に抱かれる別れだったことでも左手と右足を持っていかれる程度のダメージで済みましたけどね。おっぱい。

 そしてフェチシズムにつながる要素かもしれない最後の4つ目、それはこの作品のタイトルにもなっている、「ペンギン」である。もう、一言で言うならペンギンって最高じゃないですか? 僕は現実的な動物でいうなら猫派なんですが、もっと自由な世界ならペンギン派なんです。幼少の頃から何故かペンギンのあのフォルムがたまらなく好きで、水族館に行こうものなら、ずっとペンギンの前で眺めてるだけで満足できるタイプの人間なんです。だいぶ前に話題になったドキュメンタリー映画「皇帝ペンギン」も当然劇場に観に行ってました。そんな流れで、「日常生活に紛れ込むペンギン」作品って、それだけでドリームズカムトゥルーなんです。本作のペンギンは、リアルとデフォルメの境目の絶妙なポイントをついており、目の形状なんかはどこまでもアニメ的なくせに、細かい仕草とか全体的なモーションは実にペンギン。ペンギンという摩訶不思議な生き物が持つ、「地上だとどう考えてもずんぐりむっくりのぬいぐるみキャラなのに、水に入ると突然弾丸みたいな動きを見せる」っていうギャップの妙もたまらない。なんでこんな絵面を思いついたのか、やはり森見登美彦には足を向けて寝られないのである。

 おっぱいというフェティシズム、そしてペンギンというフェティシズム。そんな極上の組み合わせが、夏の一時の夢として与えられる作品。それだけでも、今作には価値があったのではなかろうか。ちなみに、最後に私はやっぱり触れておかなきゃいけない5つ目の要素を上げておきます。誰もがアオヤマ君の人生を見て「幼少期からあんなおねーさんが近くにいたら、性癖歪まないかな?」と心配になると思うんですが、もうちょっとこの印象を掘り下げて正確に記述するなら、「幼少期からあんなおねーさんが近所にいる上に、親友の声がくぎゅボイスでしょっちゅう『ふにゃっ!』とか叫んでて、さらにおかーさんが能登麻美子、妹が久野ちゃんとかいう大沢事務所コンボを決められた挙句にCV潘めぐみの可愛い女の子にモーションかけられたら、性癖歪まないかな?」です。いや、もう母親が麻美子だけでも無理だわ。人生の成功体験を獲得し過ぎだろが。

 そんなわけで、個人的に一番印象に残ったシーンは主人公が釘宮理恵に対して「おっぱいは素晴らしいものだと思わんかね?」とか滔々と説いてたシーンです。戦争の準備はいいな?

 あれ? 結局こんな感想で締めてたら印象は良くないのでは……(オチ)。

 

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