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最近のアニメや声優、Magicに対する個人的な鬱憤を晴らすためのメモ程度のブログ。
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<以下の文章は、放送当時に執筆されたものである>
 
○第10話「鏡の中の金魚」
 脚本・国井桂 絵コンテ・大畑清隆、藤原良二 演出・神保昌登 作画監督・石川洋一


 <あらすじ>
 ゆずきがある朝目覚めてベランダに出ると、ちょうどそこには新聞配達の少年が見えた。彼の名前は市村和也。ゆずきと同じ中学に通う1年生だ。ゆずきは一階に下りてあいさつをかわすと、何くれとなく世間話をする中でそれとなく彼のバイトの目的を聞いてみる。彼の家は裕福であるはずなのに、何故こんなことをするのだろう。ゆずきが和也を気にするのには訳があった。数日前に、彼は地獄通信で藁人形を手にしていた。
 
 和也の家は、両親との3人家族。父は一流商社に勤務するサラリーマンで、あまり家にもいられない。そんな中でも息子とのスキンシップを図ろうと、間近に迫ったマラソン大会の話題を出し、小遣いを渡して「靴でも買うといい」と息子とコミニュケーションを取る。そんな子供を気遣う亭主のそぶりをまったく気にしないのが、母の君枝。彼女は自分の夫に「今日はいつ帰ってくる?」「最近ずっと仕事で外にばかりで寂しい」と訴える。仕事に忙しい亭主、旦那に自分を見て欲しい女。和也の家は、表面的には恵まれていたが、とても心が繋がっているようには見えない。
 
 和也の母親の君枝は、旦那に振り向いてもらうために必死だった。朝から化粧を怠らず、常に上質の着物を着こなしている。しかし、他のすべてをなげうって自分の外身を繕おうとする君枝の姿は、近所の人から見ても、息子から見てもどこか異常だった。
 
 和也は、ずっと藁人形を抱えたまま、糸を解く気配はない。図書室で「地獄」という自分に降り掛かる因果を調べた和也は、その恐ろしさと自分の恨みを常に天秤にかけて迷っているのだ。そんな彼が地獄へ送りたい相手は、毎日のように母親に着物を売りつけにくるセールスマンの斎藤。彼は甘言を弄して君枝に大量の和服を売りつけている。そんな男を見るのも嫌だったし、斎藤に持ち上げられて有頂天になっている母親を見るのも、嫌だ。しかし、君枝の目的は斎藤との不倫でもないし、自分の欲求を満たすためだけの散財でもない。彼女は、夫に振り向いてもらいたいだけなのだ。
 
 思い悩み続ける和也と接触するゆずき。和也に「両親は仲がいいの?」と聞かれて頷くゆずき。「和也くん家は?」と尋ねると、彼は口を閉ざしてしまう。不安だけが募るゆずきに、ようやく問題の一端が見える。
 
 今日もまた新しい着物を買ってしまった君枝。仕事帰りの夫に早速着物を見せにいくが、仕事に疲れた身には着物などどうでもいい。逆に「夕飯はどうした? お前は母親だろう」と一喝されると、「母親は、女では駄目なの?」と見当違いの疑問を訴える。憤る父と、寂しげな母を陰から見守る和也。君枝の寂しさは、更なる無駄遣いへと彼女を駆り立てる。しかし、和也は藁人形に手をかけたところで再び思いとどまり、アルバイトで稼いだ金を、夜のうちに全て母親の財布に忍ばせる。翌朝和也が起きると、君枝は上機嫌だった。「夜の間に、父さんが財布にお金を入れてくれた。やっぱり私が着物を買ってきれいになるのが嬉しいのね」と。
 
 マラソン大会の本番。普段から新聞配達のバイトで鍛えていた和也はトップを独走するが、たまたま道中で例のセールスマン、斎藤が電話をしているところに出くわしてしまう。「市村のオバハンは適当にのせてやりゃ、流行遅れの柄でも倍の値段で買ってくれる。ババァは楽でいいや」。営業マンの本音をまざまざと見せつけられた和也は、その足で自宅へ戻ると、引き出しの奥から藁人形を取り出す。斎藤と君枝が楽しげに話すのを聞きながら、彼は糸を解いた。
 
 あくる日、和也は図書室で本を読んでいた。骨女が声をかけると、そこには禍々しい色調で描かれた地獄絵図がある。「僕が行くところです」、和也が静かに答える。そんな和也を、父親が迎えにくる。
 
 家では、君枝が新しい営業マンを招き入れていた。
 
 
 <解説>
 先に断っておくと、今のところは最も「分からなかった」回である。8話の「隣」も色んな意味で分からなかった回ではあったのだが、今回は、見終わった後も何やらすっきりしない部分が多々残っている。何事も一本の単純な筋にまとめられるわけでもないだろうが、どうにも焦点の見えにくい、不思議な話になっている。珍しく2人でコンテを分担しているせいで演出意図がぼけてしまったのか、それとも、深読みし過ぎなのか。
 
 今回のテーマは、敢えてあげるならば「地獄への恐れ」と「女の業」ということになるだろうか。「女の業」というのは無論和也の母、君枝のことである。彼女は、物語が始まってから終わるまで、終始その目の焦点があっておらず、見方によっては精神薄弱、病気にも見えるような造形になっている。あまりにベタで古くさいセールストークにコロッと騙されて際限なく無駄遣いを続ける様は、流石に家庭を支える「母親」、「妻」の姿ではない。こうした「愚かな女」というものが今回の1つの中心になっているというのが、まず普通の見方。そしてもう1つの「地獄への恐れ」だが、これは、セースルマンの斎藤を憎々しく思っていた和也が、しばらく糸を解かなかったという事実の動機である。確かに彼はわざわざ図書室に出向いて「地獄ってどんなところだろう」と調べて、そこで歯の根が合わなくなっていた。随分素直で小心な奴ではあるが、普通の人は、「お前も地獄に行く」と言われたら躊躇うものである。
 
 しかし、実際のところこれら2つの題材を扱おうとしていたようには、あまり見えないのだ。例えば「地獄への恐れ」だが、こんなものは過去の依頼者達も多かれ少なかれ持っていたものだ。今回の和也が「地獄の恐ろしさも乗り越えるような衝撃的な事件」を経験するというなら分かるが、たかだが斎藤の陰口を聞いただけである。いくら中一の子供でも馬鹿じゃないんだから、家にいついたセールスマンのトークがおべんちゃらの嘘八百だってことくらいは分かっていたように思うのだが。何が彼にゴーサインを出したのか、これが今回よく分からない。
 
 そしてもう1つの君枝の愚かしさの描写であるが、確かにこれは分かりやすい題材なのだが、君枝のキャラクターがあまりに見えてこない。ストーリーの頭から尻までずっと斎藤の口車に乗って「私きれい?」と言っているだけだし、旦那に言いよる様子などを見ても、単に「馬鹿なんだなぁ」という感想は持っても、「可哀想」とか「必死に頑張っている」なんて思いはこれっぽちも浮かばない。奥に潜む情念のようなものも見えてこない。和也は母親を見て思い悩んでいるようだが、前述の「地獄への恐れ」との天秤をかけている時点でこれまでの依頼人に比べたら大した覚悟でもないし、もとから駄目な母親なんだから、今更斎藤を流したいと思うのも妙な話だ。斎藤が地獄流しの最中に叫んだ「喜んで買ってたのはあいつの方だろ!」という叫びは、観ているこちらからしたら「まぁ、そうだよね」と納得出来てしまう。ギブアンドテイクで商取引は成り立ってるわけだし、いくらか悪質ではあるが、これは騙される方が悪いレベルだと思う。息子が恨みを爆発させるような事件とも思えないのだ。これが実際に財布から金を渡しているシーンでも入れてくれれば、「俺が苦労して稼いだ金を!」という直接的な恨みの繋がりも見えてきたかもしれないのだが。
 
 結局、どういった要素を見せたかったのかがイマイチ分からない本筋だが、サブタイトルにも見られる通りに、「金魚」というのが今回は多くの場面で登場する。そして、この金魚の持つ意味も、よく分からない。タイトルの「鏡の中の金魚」とは、一体どういう意味なんだろう。単純に考えたら、君枝が歌っている「赤いべべ着た〜」の歌から分かる通り、金魚は着飾った君枝のメタファー。そしてそれが鏡の中にいる、ということは、着飾った金魚は自分しか見えていない。ふむ、実にシンプル。実際には君枝が気にしているのは旦那のはずなので、彼女の視界に入っているのは夫であるはずなのだが、その妄信がたたり、最終的には自分自身を着飾ること、自分自身の状態しか見えなくなってしまった、ということか。どちらにせよ、息子の和也がその視界に入ることは無い(たとえ夜中に金を渡そうとも)。
 
 しかし、今回の作中で登場する金魚のモチーフはこれだけではない。例えば和也が地獄通信にアクセスする際、思い悩んでいた彼がマウスをクリックしたのは、部屋の金魚が跳ねて驚いた拍子にうっかり押してしまったため。そしてこの「和也の部屋の金魚」は、あいの目を通してゆずきにも見えていた。和也がマラソン大会当日に家に帰り、糸を解いた時にもこの金魚は泳いでおり、糸を解くと同時に再びぽちゃんと跳ねる。この「金魚」は、単に作中でイメージを統一させるために深い意味を持たせずに出したものだったのだろうか。無理矢理つなげるなら、これが「君枝のメタファー」であるという部分はそのままにし、和也が地獄通信にアクセスしたのも、そして糸を解いたのも、全ては金魚(=君枝)のせいであったことの暗示とも取ることが出来る。そして、彼がどれだけ思い悩み、決意したとしても、鉢の中の金魚は、相変わらず自分以外が見えないのだ。お、一応それっぽい解釈は出来たか。
 
 そして、金魚は地獄コントにも登場する。一目蓮や骨女の着た着物の柄から金魚が飛び出し、斎藤の回りにまとわりつくというもので、最終的に、船上ではこの金魚が小さな竜になり、斎藤を締め上げながら炎を吐く。あいの「イッペンシンデミル?」も、巨大な金色の竜の上から宣告されている。どうやら金魚→竜というイメージで統一されているようなんだけど……登竜門を登るのって、鯉だよな。よく分かりません。今回はあんまり見ない名前の脚本家なので、まだその方法論がかみ合ってないのかもしれない。
 
 それ以外の部分を観ていこう。まず、今回の依頼人である和也は、物語が幕を開けた時点で既に藁人形を手にしている。こういうパターンは前にもあって、「悪女志願(2期16話)」では、最初に藁人形を持った状態からスタートし、一度糸を解く前に恨みが晴れて、藁人形は未使用のまま解放されるというシナリオだった(まぁ、当然そのあともう一回契約すんだけど)。しかし、今回は「夕暮れの岡」が普通に回想シーンで出てきている。スタート段階からゆずきがしかめっ面し通しだったのはどういう演出意図があったのだろうか。
 
 今回の四藁劇場は、マラソン大会の練習でへばる男子生徒をせっつく骨女を見て、他の2人が「ありゃSだな」と陰口。骨女が睨むと一目蓮は逃げ出したが、きくりは「えーすー、えーすー、どーえーすー」と高らかに歌い上げる。そして、次第に深みにはまっていく君枝を見守りながら、輪入道達が「いい年なんだから自分で考えられそうなもんじゃネェか」と呟くと、骨女は「女はいくつになっても女なのさ」との返事。チームの中では唯一の妙齢の女性(享年が)なので、骨女は周りの連中とは違った視点を持っているようである。まぁ、車輪と刀の付喪神連中に女心が分かるか怪しいもんであるが。
 
 そうそう、2話で登場して9話でも触れたゆずきのクラスメートの男子。こいつら、今回自分達をさして「地獄少年隊」を名乗っていました。地獄少年(1期20話)とは特に関係ないと思いますが、モブだと思ってたら少しずつ存在感をアピールし始めているようです。スタッフロールを観たら名前は八神と蒲生というらしいです。今後活躍の場はあるんでしょうか。
 
 今回のキャストは、主人公の和也役には「超かっこいい」(by小清水)、「ぺ」こと三瓶由布子。相変わらず安定した少年っぷり。くまいもとこのおかげですっかり業界にも定着した感があります。流された悪徳サラリーマン斎藤役には川田紳司。この人も色んなところで名前見るけど、代表役が決まらないせいか印象無いよな。この時点でスクラン的には播磨も花井も流されましたな。そしてぼんやりかぁさん君枝さん役には、もう、この人なら仕方がない、高田由美。なんでこんなにエロく聞こえるんだろう。

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