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最近のアニメや声優、Magicに対する個人的な鬱憤を晴らすためのメモ程度のブログ。
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 ドラゴンにもデコピンは効く、第4話。そしてドラゴンのデコピンはもっと効く。それはしょうがないところだな。

 今回はAパートが良いエルマ回。ここまで単なるお菓子大好きな奴みたいな扱いだったが、久しぶりにちゃんと「トールに次ぐ第2のドラゴン」としての存在感を見せつけてくれたように思う。調和勢代表として、他の連中と微妙にずれてる感じも久しぶりに実感できて楽しい。調和勢は「良い奴」ではなくて、あくまで「現時点で都合のいいドラゴン」でしかないってのは注意が必要なのだよな。おかげでその逆も成り立ち、混沌勢がここまで異種間コミュニケーションを続けてもいるのだけど。今回のチンピラとの絡みはちょっと危なかった。まぁ、殺すところまでは絶対いかないだろうから今のトールなら安心して見てられるんだけどね。チンピラのボス役の「破滅の龍」さん、なんか御影様のすす能力みたいなの出してなかった?

 エルマの生真面目さとアホさ(かわいい)が発揮されたAパートに対し、改めてトールの自由さや才川の深刻さがわかる遊園地編がBパート。イルルが増えたおかげで小林一家が総出で出かけるだけでも結構な大所帯。幼女組の交流は才川にばっかりスポットが当たっていたが、よく見ればイルルもすっかり2人との交流になじんでおり、いつのまにやら仲良しの空気が出せるようになっているし、人間界のあれこれを楽しむ余裕も出てきている様子。このままモブっぽくフェードアウトされると勿体無いので、今期のうちにもう1回くらいイルルをメインに据えたお話が見たい気もするわね。

 そして、実際には遊園地の主人公は幼女たちでもトールでもなく、ジョージーだったんじゃないかという……ちょうど今「魔入りました入間くん」も遊園地でドタバタする話だったもんで、「もしかしてこの世界の黒幕はジョージーだったのでは?」と不安になった。あのスペックならドラゴン倒してもおかしくない気もするしなぁ……。ところで、ジョージーさんが働いてた「パルクールランド」、なんでそんな名前なんだろう。特定競技しか遊べない施設だと誤解されるやんけ。

 

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 才川の尿意がどこに行ったのかが気になる、第3話。いや、別にあの後普通に片付いた問題なのかもしれないが……イルルと2人して手ェつないで戻ってきたのが気になるんだよな。いっぺんイルルを追い出して用足して戻ってきたんだろうか。それとも、尿意ビームの効果は一時的なもので実際の排尿を促さないのだろうか。難しい問題だ(尿に対して真剣)。

 さて、イルル入居編が片付いたおかげで、いよいよキャラクターの数が増えて本格的に賑々しくなってきた。Aパートは前回もちょろっと登場してたけど、改めてがっつり才川登場。頭のおかしなキャラばかりのこの世界でも筆頭に位置するエッジの効いた小学生である。ぶっ壊れの方向が「カンナLOVE」に集中するのでその動きは分かりやすいのだが、今回イルルの腹を撫でてご満悦だったので、もしかしたら幼女(らしきもの)さえ愛でられればなんでもいいかもしれない。可愛い幼女好きの可愛い幼女、考えてみたらかなり危険な存在だよな。まぁ、相手がカンナだから大丈夫なんだけども。なんかこう、まっすぐに幼女ムーブで問題がないカンナを見ていると、本当にイルルの生い立ちとか色々と不憫だったんだろうなぁ、ということが相対的に浮き彫りになってなんだかかわいそう。最終的に二人が同じ家に住んでいるのだから結果オーライか。イルルもカンナ同様、人間界で何か生きる楽しみを見つけて欲しいもんである。

 Bパート、まずは「小林のメイド服会議」という謎の召集からスタート。ちゃんとみんなして来てくれるあたりが優しいな。特にファフニールはこんな要件では出てこないやつだと思っていたが……滝谷が連れ出したってことなんだろうな。そして才川が出てきたことで当然ついてくるジョージー。えっと、こいつそんな名前だったっけ……(すでにそんなことも忘れているわ)。その存在の懐かしさは、やはり中の人の声の存在も大きい気がする。後藤(強)さん、やっぱり唯一無二の最強声質には違いない。思い返せばゴットゥーザ様が一斉を風靡したのは京アニ作品のメイド服だったんだよなぁ……。そりゃメイドスピリットもひとしおよ。いや、本人にメイド服きて欲しいとは思わんが。どっちかっていうと、それこそ小林さんの中の人に着てみて欲しいわ。案外メイド服似合いそうじゃない、少年?

 そしてトールの「趣味」の話。ナチュラルになろう系主人公のような才能を爆裂させるトールだが、まぁ、そりゃ年の功だしパワーの功なのでどうしようもなし。そんなドラゴン連中がご陽気に暮らしているからこそこの街はすごいのである。そういや、Aパートの才川はそれと気づかずに「人間1:ドラゴン3」というわけのわからん状態で遊んでたんだよな。やっぱすげぇ環境だ。そして、ドラゴンと対峙するためには通常の手段では勝てないかもしれないが……ボドゲだったら翔太くんにだって勝てるかもしれない……あの変形版モノポリー、めっちゃ気になるな……マップの形状も独特なんだけど、何より家コマのクオリティが高すぎる(そしてサイズがでかすぎる)。コンポーネントだけでもかなりハイコストになる気がするんだが、あれで市場価格いくらくらいなんだろう(ボドゲのコスパ気にする勢)。

 

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 「使い道のない貞操」って言葉、すごいよな、第2話。使ってないからこその貞操なんだけどなぁ。

 よかった、やっぱ面白いわ。冷静に考えるとおっそろしく下世話な漫画なんだよなぁ。前回の引きで「エロ漫画で見たやつやんけ!」って思ってたら、そっから普通に「エロ漫画やんけ!」になるの、あまりに潔い。そりゃま、もともとトールってそういうやつだしな。そしてあんだけ下世話で「もう諦めてエロ漫画だと認めろよ」と思ってたら急にシリアスバトル展開になるという緩急。前回もバトル作画は盛り上がったが、今回は短い時間にギチッと詰まった超作画に相変わらず魅せられる。単に枚数を割くだけなら他のスタジオでも出来ることではあるのだが、京アニの良いところはきちんと考えて最大限の見せ方を提出してくれるところ。今回ならトールの登場シーン自体は非常に短いシーケンスなのだが、例えばジャンプした時に思い切り街灯がひしゃげる描写なんかはトールのぶっ壊れ性能を見せる効果的な演出だし、その後のメイド服くるくる着地も、今までありそうでなかったモーションである。なんでこんな格好いいシーンがメイド服の女の子で見せられるのか、なんとも珍妙。

 そして、そんなドラゴンの女の子の設定に甘んじて単なる萌えに留まっていればいいのに、イルルの場合は「上手いこと手が変化できないので何故かペタリハンド」とかいうよく分からない尖った設定になっている。いや、ペタリハンドはあんな気持ち悪い設定ではないが……。こうして所々に頭のおかしい設定が混ざり込んでると油断ならん。

 まぁ、結局やってることは小林ハーレムっていう結論になるわけだが……はい、ここでサブタイトルドン。

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 やっぱり懐かしさで見入ってしまう、第4話。もう思い出語りで記事書くのはやめた方がいいんだけど、どうしてもなぁ。ちなみにタイトルの「筈(はず)」は矢のお尻、弦をつがえる部分の名称。普通の競技矢の場合はプラスチック製で、欠けたらペンチで引っこ抜いて新しいやつを木槌でガンガン押し込む。

 今回の懐かしMAXポイントは七緒の腕打ち! いやぁ、いたな、腕真っ赤にしてたやつ……これも例によって私はそういう症状に一切悩まされなかったので実感は全然わかないのだが……ひどいやつだとドクターストップがかかってしばらく弓引かせてもらえなくなってたからな。腕打ちが起こってしまう理由は、主に手の内の不首尾にある。「手の内」については弓道の中でも一二を争うくらいに重要な要素なのでそのうち作中でも解説が出てくると思うが、ざっくりいうと左手(弓手)で弓を握り込む形式のことで、しっかりと模範的な手の内を作れば離れの際に弓がくるりと回転し、弦が直接腕を叩くことはまず無い。この回転こそが弓道の肝なので、手の内を安定させ、体に覚え込ませることが、数少ない(とか言ったら失礼だが)「技術的な」側面と言える。七緒の場合、この手の内が不完全なので何度も弦が腕の内側の同じ部分に当たってしまうのが問題。腕打ちも直すまでは色々大変みたいだけど、七緒も小野木もあんまり気にしてなかったな。

 あとは試合の五人立ちでのポジション決定なんてのも注目すべき要素である。うちの高校での呼び名は前から「大前」「中前」「中」「落ち前」「落ち」と称していたけど、もしかしたら地方によって呼び名が変わるのかしら。作中で言われていた通り、一応ポジションで重要度が異なっている。まぁ、どこまでいっても精神的なものなので、サッカーや野球のポジション、それに柔道剣道の登録順のような戦略性は無いのだが、それでも五人でつくる流れをどう形成していくかは一応大事な要素。大前はとにかく最初の一射がチームの士気を左右するので、これが重要なのは間違い無いだろう。あとは基本的に奇数番目(3、5)が重要と言われており、2、4番目は相対的に「つなぎ」のイメージになる。ちなみに私は現役時代、高校二年生でレギュラーに昇格した時から引退までずっと落ちを維持し続けていた(自慢)。良くも悪くも成績が安定していたので、安定感を求められる落ちは向いていたとは思う。まぁ、うちの部ではだいたい「安定感」にかこつけて身体のでかいやつ(デブの婉曲表現)が落ちを務めることが多かっただけという話もあるが……。ちなみに大前が部長、中が副部長でした。高校最後のIH予選、この中を務めていた副部長が乱調を起こしてしまって……(遠い目)。

 あとは通し矢のあの一連の動きが懐かしいなぁ、とか、的付けの時にやいやいウルセェやつ必ずいるよなぁ、とか、そんなところがもう懐かしい。「爺さんがプルプルしながら引くから中たらんやろと思ってたら何故か中たる」っていうのも弓道場あるあるだ。あとは団体戦の時に「どのタイミングでどの動作を行うか」なんていうのも、試合が近づいてくると覚えなきゃいけないのでドキドキするのよね。ちなみに、これも本当にどうでもいい思い出話だが、上述のようにずっと落ちを担当していた私は、前の人間の動作を見て動けばよかったので楽だったのだが、ある時、大会で半端に成績が良く、チームの中で個人戦の決勝に勝ち上がってしまったことがあった。個人戦は他の高校の生徒と一緒に立ちに入るのだが、何の因果か、その時は大前に入ってしまい、前に誰もいないせいでいつどういう風に動いたらいいかわからなくてテンパってしまったという苦い記憶がある(当然、負けた)。あの時、ポジションがもっと後ろだったらもしかしたら上の大会も狙えたかもしれないのに……。試合後にコーチに確認したら「お前、あれ遅すぎ」って蹴られたのである(よく蹴るコーチだった)。

 思い出話ばかりが加速するので、弓道経験者だけが「アァ、あるある」って思いながら観たり読んだりすればいいと思うよ。一応アニメとしての見どころもフォローしておくと、今回の試合シーン、見えていないところで射った人間の弦音が全て違う音で表現されていたことにお気づきだっただろうか。そりゃま、アニメのタイトルになってるんだから気を使うのは当然だが、それぞれの射の奏でる音響で性格が表現されるのは面白い。未だ早気の治らない湊の音がやたら軽くて情けないのは、多分経験者以外が聞いてもわかるんじゃないかな。あのペコンっていう頼りない音は、確かに周りの人間も気が抜けちゃうんだよね……。高校時代に1つ上の先輩にやたら重い弓を好んで使う人がいて、この人の射が凄まじい音を放ちながらゴォッと飛んでいくのは後輩達の憧れの的だった。まぁ、的中率はそこまでよくなかったんだけど、なんかね、男の子は憧れちゃうのよね。

 あ、シナリオの本筋には特に触れないけど……え〜〜と……猫かわいい。

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 やっぱり専門用語の出現数がえげつない、第3話。毎回書いてる気がするけど、これって一般の人はどれくらいついてこられてるんでしょうかね。

 前回「まだ見てないな」って思っていた弦張りのシーンも普通に登場。やはりあらゆる部分で「弓道場でありうるエトセトラ」が実現しているアニメ。今回個人的に「あっ、懐かし!」って思ったのは遼平と七緒の2人でやっていた安土(あずち)の整備。安土ってのは的を立てるために盛られた土の部分のことね。安土って、たくさんの矢が刺さるから練習後にほうきで掃いてならすんだけど、あんまり掃いちゃうとポロポロ土がこぼれてしまうので結構デリケートな作業なのよ。練習前は水をかけて湿らせてから、的をザクッとさして、串を使って的を立てる。この時にも、あんまり突っ込んじゃうと土が崩れやすくなるし、まっすぐ垂直に立てるのは結構コツがいる。年に何度か安土整備をするタイミングはあるのだが、できるだけ長いこと使えるように神経を使うのだ。わしはあれがなんか苦手でな……的かけせずにすむ上級生になった時にホッとしたもんである。

 そんな私の懐かし話は別に良いのだが、シナリオ展開の方はなんだかすごくあっさりしているので別に語りたいようなこともないんだよな。今のところ、悪い奴が1人も出てこず、全体的にいい子ちゃんばかりでキャラも薄味の印象。喧嘩はしてるんだろうけど、どっちも真面目だし噛み合ってないので、結末のわかっている茶番を見せられているような気分である(まぁ、そりゃスポ根アニメの結末なんて大体わかってるもんだが)。やっぱりこれも弓道というあんまり動きのないスポーツが題材になっているが故の現象だろう。弓道で喧嘩しようとしたら、結局こういうメンタル面での諍いにならざるを得ない。

 さらに極論してしまえば、競技自体も全部メンタル面でのお話である。野球やサッカーのようにフィジカルがものを言わず、飛び抜けたスキルなんてのも見せにくい競技。「正しい射形で、正しく射れば自ずから矢は的に中る」というのが弓道の基本理念なわけで、そこに漫画的なあれこれを入れ込む余地はない。だからこそ、今作では「早気」というテーマがあそこまでクローズアップされているのだろう。

 突き詰めれば弓道で当たらなくなる理由なんてメンタル面の不調以外にあるわけがなく、いわばイップスだけがテーマとして扱える野球漫画みたいなもんである。投手のイップス同様、不調に陥るメンタル面での要因は選手それぞれに考えられるだろうが、だからと言ってイップスオンリーの野球漫画はあまり読みたくないだろう。本作はそうした根本的な構造的難点をどのように攻略していくつもりなのだろうか。現時点では、別にそこはあまり気にしてない風なんだよな。「イップスアニメでいいじゃん、むしろ弓道競技の内容を描くんじゃなくて、青少年達の心の揺れ動きが結果として弓に現れるだけなのだ」と。うーむ、まぁ、それでも成立するだろうが……。

 ぼちぼち懐かしネタをあげてもしょうがないので、今週あたりが感想を書く最後の週になるかもしれません。

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 まさかの展開に?! 第2話。いや、最終的にはそうならずにホッとしたようながっかりしたような……まぁ、京アニっぽい展開ではないからね。そっちに行っちゃうとね。

 というわけで一瞬のサプライズはあったが、順当な進行を見せているシナリオ。やっぱり展開は地味地味&地味なのだが、さぁ、一般視聴者はどれくらいついてきているのだろうか。おっちゃんは弓道的ノスタルジーに浸りながら、なんとなく観てしまっていますよ。いちいち「あるあるwww」ってなってしまうのが小憎らしい。唯一「あれ?」って思ったのは、今のところ弓から弦が外されている描写がほとんどないこと。普通、使わないタイミングでは弓は弦を外した状態で保管するものだが、少なくとも高校の道場にある弓は全て弦が張られた状態で置かれていた。まぁ、練習中の風景ばかりなので、すでに張り終わった状態で置かれているのだろうが……どこかで弓張りのシーンは出てきますかね。

 逆に、今回のお話で一番「ウワァ、あるわぁ」って思ったのは、主人公・湊の中学校時代の回想シーンで、的前に立った湊が競技開始時に「なんか、当たる気がする」って思っていたこと。そうなのよ、調子のいい時って、よく分かんないけど「今なら適当に引いても多分当たるわー」っていうよくわからないゾーンみたいな状態になる時がある(ほんとはいかんのだけどね)。本当にメンタル勝負の競技なので、こればかりは説明がつかないのだが……ちなみに、高校時代の私の最大連続的中は二十射皆中。結構立派な記録ですよ、これ(21本目で外した時に響いた道場全体のため息が忘れられない)。

 逆に、本作で問題になっているのは当たらない側のメンタルゾーン・早気である。こればかりは作中でも言われた通りに「なったことがないとわからない」やつなのでどうにも困ってしまうが、湊が責任を感じているのも、そうした「よくわからないもの」が他人に迷惑をかけてしまったという意識によるものなのだろう。チーム内に早気の人間が混ざったりすると、単に延々外れ続ける(点数が下がる)というだけでなく、全体での射のリズムが崩れるという問題もある。弓道は基本的に団体戦。三人立ちと五人立ちがあるが、大体、「前の人間がこの動作に入ったら俺はこうする」っていうリズムがある。チーム内でこの統制を徹底し、どんな時でも同じような状態で引けるようにするのが理想なわけだが、目の前のやつの離れが早ければ、それだけでも後ろに与える影響はあるだろう。そのあたりも鑑みて、湊は自責の念に駆られているのである。

 まぁ、本当に精神的な問題になるので、どうやってかかるのかも分からなければ、どうやって治るのかも分からない。そんなもんでよくドラマを作ろうと考えたな、とは思うが、京アニらしい執拗な描写からの精神的な葛藤の描きかたがあるのかもしれない。細かいカット割にも色々と面白い要素が紛れ込んでいるのは注目してほしい部分で、例えば、滝川が最後の1射のために湊に弓を手渡すシーン、まっすぐに伸びた弓の向こうに的がちらりと見えるこの構図は、専門用語で「的付け」と言い、実際に狙いを定める時の視界である。的付けの正確さ、そして手の内の作り方、引き・離れの正確さが的中率に大きく影響する部分。まずは湊が「狙いを定める」ところからのスタートである。

 ところで、この作品の女の子は顔が薄い割に案外キャラが濃そうなので気になる。あんな喋り方のやつが高校にいたら怖いな。そこだけやたらラノベっぽいんだ。

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 ロリっ子を悲しませるのは許せない、第10話。……いいお話だったよ……。

 前回までの「ヴァイオレットが少佐の死を乗り越える話」は無事に終幕し、あとはヴァイオレットが人間的に成長し、自分だけの幸せを掴むまでのお話になるだろうか。すでに国を代表する自動人形にまで上り詰めたヴァイオレットだが、まだまだ彼女には情緒的な経験が不足している。失った幼少期、思春期を取り戻すかのように、彼女はたくさんの「想い」を受け取っていく。「大好きを知りたい」という彼女の願いは、そうして少しずつ果たされていくのだ。

 今回のお話は母娘の愛。そして私は、基本的にこうした「母親の愛情」「家族の物語」にすこぶる弱い。まぁ、男なんてものはおしなべてマザコンだと思っているが、母親の捧げる無償の愛というものは、いつの世にも涙腺にダイレクトアタックしてくるものである。そして、今回登場した娘のアンちゃんは、近頃のアニメに登場するこまっしゃくれたロリッ子とは一線を画する、「子供」のイデアがぎっしりと詰まった理想的なロリッ子である。わがままで意地っ張り、甘ったれで親を困らせる。それでもただ、親に対する愛情は本物だし、他人のことを考え、気遣える優しさも持っている。そんな素直なアンちゃんの感情の全てを受け止めることで、ヴァイオレットは失った「子供時代」を追体験するのだ。

 アンちゃんを取り巻く境遇は本当に情け容赦ないものだ。父親を失った家庭にあり、残る母親も病の床で余命幾ばく。本当に何故こんなにも過酷な運命を与えられたのかと神を呪わんばかりであるが、そんな中でも、彼女には本当に優しく、賢明な母親がいてくれた。自分の残りわずかな命を娘の将来のために捧げ、最後の気力を振り絞って紡いだ50通もの手紙。そこにはアンが生きていく上での指標があり、目的があり、夢や希望、思い出までもが詰まっていた。生きながらえているわずかな時を削ってでも用意する価値のあった素晴らしい手紙。ヴァイオレットは「届ける意味がない手紙なんて無い」と言っていたが、こと今回のお仕事に関しては、本当に特別な、感情のたくさんこもった素敵な手紙だった。

 こうした母親の愛情に触れ、さらにはアンの切実な愛情を突きつけられ、ヴァイオレットの人間としての感情はますます豊かになっていく。今回はすっかり自然な笑顔を浮かべられるようになったヴァイオレットの様子を何度も見ることができる。子守役として見るとまだまだお堅いのはしょうがないが、それでも、ヴァイオレットのような無骨で率直な人間だからこそ、アンはかえって懐くことができるのだろう。取っ付きにくさはあるものの、子供というのは得てして「いいもの」と「悪いもの」への嗅覚が敏感だったりするのである。ヴァイオレットは変な「お人形」ではあったものの、アンにとっては「悪いものじゃなかった」。そのことも、今回の物語を印象深いものにしてくれた一要因なのかもしれない。

 蛇足を承知で追記しておくと、やはり今回の物語を盛り上げてくれた立役者はアンちゃんを演じた諸星すみれの好演だろう。すみれちゃんのナチュラルなお芝居は、子供らしい悲喜こもごもを嫌味なく聞けるので本当に良い。二十歳を超える頃には、すみれちゃんは、恋を知るお年頃になるのかしら……。

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 人類はきっと傘で飛べる、第7話。誰しも夢見たメリーでポピンズな世界。きっとそのうち、人類はその夢を実現させるよ。それくらいに、この夢は人類普遍のものだ。きっと3歩くらいなら湖も渡れていたに違いない。

 ようやく「意味のある」話になったなぁ、という感慨のある1話。これまでの展開を貶める気もないが、どうしたって「いい話」のテンプレ感が拭えず、さらに何度もクサしてきたヴァイオレットのキャラの不安定さも災いしてなかなか作品に入るこむことができない状況が続いていたのが正直なところ。全体的に「もったいないなぁ」という印象だったわけだが、今回のお話でようやく、その「もったいなかった」部分が実質的な意味を持ち始めたかな、という感じがする。

 いくつかの要素を見ていくと、まず、基本線となる「いい話のテンプレ」は今回も同じといえば同じ。これまた人類普遍の話ではあるが、そりゃぁ死に別れた親子の話なんてものが出てくれば泣かせる話になるに決まっているのだ。しかもそれが呑んだくれてしまった親父と、その娘にそっくり(父親目線)なヴァイオレットという組み合わせなのだから、もうそこからの展開は決まったようなもの。そこに新規性は見いだせないが、これまで通りに「30分でお手軽ないい話」は作り出せるだろう。気になるのは序盤の自動人形の扱いで、ヴァイオレット本人も「メイドじゃありませんけど」みたいなこと言ってた割にしっかりメイドになっていたあたり。まぁ、コスチュームからしてメイドになる気満々にしか見えないのだが、「どこに呼び出しても綺麗なおねーさんが健気に出張してきて旦那様にサービスしてくれるよ」というのがなんだか下世話な設定に見えてしまってしょうがない。いや、こっちの心が汚れているせいなのだろうけども……。

 しかし、幸い今回はそうした阿漕さが「娘の虚像」というポジショニングのおかげで有意味なものになっている。無償の奉仕は親子関係に通じる幻想を見せるのでより娘の幻影に肉薄することになるし、メイド然としているのでなんでも出来そうに見えるヴァイオレットが実は卵すら割れず、塊となったカルボナーラも娘の思い出に繋がってしまうという展開。最近すっかり有能になってしまったヴァイオレットの急成長はここ数話でようやく飲み込めてきたので、彼女がちゃんと雇用主の希望を理解した上で動けるようになっていることに違和感がなくなっているのもプラスの要素だろうか。おそらく戯曲の類にこれまでほとんど触れてこなかったであろうヴァイオレットが、初めてのフィクションを読んで心踊らせている様子も年相応のあどけなさが見えて可愛らしい。

 そうして作り上げていった関係性は、作家先生の更生という役割とヴァイオレットの変化を促進する意味の両方を兼ね備えている。常々ヴァイオレットのことを「アスペ」と表現してきたわけだが、ここ数話で彼女のアスペぶりは大きく改善されている。これは彼女が「職業として」自動人形のノウハウをマスターする上で必要に迫られて人間の感情を学習しているおかげなのだが、どうしたって自学自習では時間がかかる。そこで手っ取り早いのは、優秀な先生に「感情の授業」をしてもらうことだ。人の発する言葉を記録することが使命である自動人形の彼女が最も影響を受けるのは、真に迫る言葉を紡ぐ者であろう。あの作家先生がどれほどの才能を持っているのかは定かでないが(ちゃんと冒頭にたくさんのファンがいることは明示されている)、なんらかの「感情を呼び起こすプロ」である彼の実感のこもった「愛情」が、ヴァイオレットの魂に直接働きかけ、「愛することの喜び」や「それゆえに生まれる別離の悲しみ」を伝えるというのは、非常にわかりやすい成長プロセスであると言える。

 今回をもってついにヴァイオレットは完全に「アスペ」を脱却して人間になった感がある。それは、ラストシーンで社長に自分の感情をぶちまけているシーンでも明らかで、シリーズを通して彼女がわがままや自分勝手な発言をしたのはこれが初めてのこと。「なぜ私だけ」などという身勝手な(そして身につまされる)感情がついに彼女の中に生まれたというのは、ひどい言い方ではあるが、実に新鮮なものであろう。また、その前のシーンで自分の戦争責任を振り返り自責を繰り返すシーンも印象的。少しずつ人間的な感情を覚え始めた彼女は、過去にどれだけ自分が「アスペ的な」行動を取っていたかが理解できるようになり、例えば最初にお世話になったエヴァーガーデンの奥さんに謝ることもできるようになったし、戦時に自分が壊してしまったであろうあらゆるものへの後悔を覚えるようになった。戦争兵器には必要のない感情が新たに芽生えることで産まれる救いようのない慚愧の念。それはあたかも、中二病が終わったあとにどうしようもなく恥ずかしい、そんな気持ちにも似ているかもしれない。燃えている、燃えている、そんな過去のアスペに対する感情が、なんとも痛ましく思える。

 さらに今回のお話で非常に良かったのは、これまでいまいち有効に使いきれていなかった京アニ作画がフル回転したことである。別に作画のクオリティが変わったわけではない。描く対象がドンピシャになったということだ。それは例えば湖畔の麗らかな風景であるし、そこで描かれるヴァイオレットの素直な憧れの感情だったりする。そして何と言っても、華美なエプロンドレス姿で彼女が全力疾走してひらりと湖を舞うダイナミックな跳躍シーン。ヒラヒラの衣装での大ジャンプというミスマッチと見栄えの良さ。この辺りに京アニ的なミラクルというのが実によく現れるわけで。話の内容もさることながら、ようやく「いいものが見られた」という実感が募る1話でございました。

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 京アニはツダケンを若返らせなきゃいけない使命でもあるのだろうか、第5話。まぁ、男子高校生役よりは幾分マシではあるが……微妙に高い音域のツダケンがちょっと面白い。

 今回は一応「手紙」のお話として成立していたかな? いや、「LINEでやれや」とは思うけども。前々回の感想で書いたとおりに、本作は「アスペの物語」なので見ていて辛い部分が多く、さらに設定面が物語に有効に働いている部分が乏しいので、正直いうと、あまり面白いとは思わない作品になってしまっている。前回の戸松一家里帰り物語に関しても、あれって別に「ドールの物語」である必要がなくて、手紙云々がこじつけレベルになってしまっていたのであんまり響かなかったんだ。あれだけヴァイオレットのことを忌避していたアイリスがいつの間にか態度を軟化させていたり、不可解な部分も多かったし。

 そういう意味では、今回の話は「手紙の物語」であることは間違いないので、きちんと狙い通りの文脈は成立している。お姫様と相手国王子の恋愛は至極真っ当なストーリーになっているし、それを影で支えてくれていた乳母の存在感もあまり押し出しが強すぎず、自然なバランスで見えるようになっていたのでわざとらしさが無い。そういう意味では、良いお話になった。

 ただ、それでもやっぱり違和感があるというか、物足りなさがあるというか……。違和感の方を先に片付けておくと、多分アスペが急速に回復しつつあることがなんだかもったいないように見えているのかもしれない。あれだけ「アスペ要素が嫌だなぁ」と思っていたのだから現金な話だが、ヴァイオレットがお姫様の話を割とすんなり理解して、初対面の相手(しかもお偉いさん)と1対1で対話してもそこまで問題が起こらないっていう状況が、「その程度のものか」っていう肩透かしにつながっている。まぁ、軍人上がりなので上役とのコミュニケーションにおいて失礼がない対話は心得ているのかもしれないけども。そもそも社内でトップであるカトレアさんが相手国へ出向してたからといって、こんな大事な国運をかけたプロジェクトにヴァイオレットが駆り出されるのもよくわからんのだよな。社長は「経験も積んでだいぶ良くなってきたから」っていってたけど、普通に考えてラブレターの代筆なんて一番ヴァイオレットに頼んだらあかんやつだったのでは……。

 とにかく、そうして大役を任されたヴァイオレットは、過去のラブロマンスやらなんやらを大量摂取して「文法」をマスターしていたのだろう。見事に大役を乗り切り、さらに人の心に寄り添う術までもを学び、最上級の答えを導き出すことに成功した。こうして「会社の任務を飛び越えた私情にのっとった行動」を起こせたというのは、破天荒な行動でも臆せず突っ込むヴァイオレットならではの功績だったということなのだろう。最後には綺麗な笑顔を浮かべることにも成功しているし、多分この5話目と4話目の間には、何か劇的な成長物語があったに違いない。

 でもまぁ、こうしてみると、物語自体もすごくベタな内容ではあるんだよね。それこそ道徳の教科書にでも載っていそうな……悪いこっちゃないのだが、わざわざこの世界観でやる必要があるのかな、という気もする。その辺りが「物足りなさ」につながっているんだ。「心のこもったお手紙はちゃんと自分で書きましょうね」って、小学生でもわかる話だしなぁ。まぁ、ラブレターのやり取りを全国民に晒し者にされるとかいう地獄みたいなチャレンジに乗っちゃったお姫様達もかわいそうなので、その辺りの「世間体との戦い」みたいなものも考えなきゃいけないのだろうけども。誰だよ、公開恋文なんて企画持ち込んだやつは。

 まぁ、「なんか見てて辛い」から「可もなく不可もなく」くらいの内容まで持ち上がってきたのは良しとみるべきだろう。今回はコンテの担当が山田尚子氏で、相変わらずちょっとお転婆な女の子の恥じらいみたいな部分の見せ方が小憎らしくて良い。それだけに、そのまま終わって良いお話のままでいて欲しかったものだが……やっぱり戦争の傷跡ってえぐられるよなぁ。そういう話になるんだよなぁ。

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