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最近のアニメや声優、Magicに対する個人的な鬱憤を晴らすためのメモ程度のブログ。
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 おい、エンドカードおい、第5話。少しは作品に寄せる努力しろや。いや、わろたけども。

 エンドカードのせいで全部持っていかれそうになったが、今回は今回でなんだか切ないお話。今回の主役は間島翔子さんという敵対勢力にいた美人の(絶妙にエロい)お姉さんの方であった。翔子さんと樹里の間になんらかの因縁があることはずっと語られていたし、断片的な回想シーンも挟まれていたのであたかも過去に爺さんが止界入りした時に同席してたかのように見えていたのだが、そうではなく、トラブルで止界に巻き込まれ、挙句家族を止界に取り込まれてしまうという悲壮な過去を持っていた。なぜあの時、間島家の4人が止界に入ることを許されたのかは明確に説明されていないのだが、どうやら兄妹が持っていた石が本当に偶然発動したことで、佑河家が発動させた「御本尊」以外にも止界入りするトリガーが発動したようである。一体どんな奇跡だったんだよ、って話だが、まぁ、むしろ止界関係のギミックは世界中でもこの近所にしかないっていう方がまだ説得力はあるのかも。

 さらにもう1つの問題としては、「人間が止界に取り込まれてカヌリニになってしまう条件」というのもまだまだ手探りだ。一応翔子さんは「止界入りしてから、脱出を諦めて絶望すること」が取り込まれる条件だと提案していたが、これだって本当かどうかはまだわからない。あくまで間島家の3人はそのような状況下で連れていかれたというだけで、母体数が少なすぎるので条件が確定するには至っていないのだ。あの時、翔子だけが取り込まれずに脱出できたのは最終的には樹里のパージパンチを食らったせいだが、それまでの数分間、彼女だけがカヌリニ化しなかった原因はよくわかっていないのだし。

 分からないことだらけの世界なのだから、そりゃぁ調べてみるしかない。家族の無念を晴らすべく、翔子さんはずっとずっと、間島家で止界術が使われるのを待ち続けていた。佐河という怪しげな男の下についていたのも、彼の野望のサポートが目的ではなく、あくまでも個人的な目的を達成するためだった。おかげで現在は2人の間にも微妙な不和が生じており、現在の止界は三すくみの様相を呈し始めている。翔子さんの独立愚連隊ではさすがに頼りないかもしれないが、幸か不幸か、彼女の動機を理解し、なんとなく共感してしまった迫というチンピラ(CV:よっちん)も付いてきてくれるみたい。なんか、最初の印象よりもだいぶ良い人っぽくなってるのでちょっと微笑ましい。

 翔子さんの提供した情報が佐河にどのように使われるのかはまだ分からない。現時点では、結局カヌリニは存在がなくなるわけではなく、引き続き止者に手出しするのはNGであることは確認された。そして、そのついでに翔子さんの長年の目的だった家族の片鱗も垣間見えてしまった。さすがにあの状態になった家族を止界から引き摺り出そうなんて思わないだろうから、姿を確認した時点で彼女の目的はほぼ達成されたということになるのだろうが……。今後、彼女はどっちサイドにつくことになるんでしょうね。

 一方の佑河家の方はというと、爺さんの便利能力によってなんとか親父の救出に成功。親父の方は相変わらずの村八分だったせいで状況がいまいち飲み込めておらず、さらに爺さんへのイライラが募ってなんだか見当違いの行動にうつりそうでちょっと怖い。一応「家族が大事なんだ」っていう気持ちだけは本当なんだろうけども……。そして、不測の事態から止界入りしてしまった兄貴と真の2人は、なんだか危なっかしいチンピラとの突発バトル。無表情で包丁を構えるおっさんがかなりサイコっぽくて怖い。でもあの演出だと、包丁が刺さったのは逆におっさんの方な気もするな。

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 まーたちっぱいだのデカパイだの……第4話。そういう話はみかこしが出てる作品でやってくれませんかね? ちかぺは巻き込まれただけなのでそういう話題は関係ないんですよ!(グリムガルラジオ並みの感想)

 しかし、乳がでかかろうと小さかろうと、そこに宿したエネルギーは本物。樹里の持つ「クラゲ追い出しパンチ」はどうやら緊急時以外でもサクサク発動できる問答無用の主人公特権らしく、いざ反撃に転じればチンピラなど一撃だ。じいさんの瞬間移動と合わせて使うことで必殺のコンビネーションを生み出しているあたり、血の繋がりのなせる技というか、その割にこすっ辛いというか……少年漫画だったらむしろ主人公に打破されるタイプの攻撃パターンだよな。

じいさんは垂直軸方向のテレポートは雑にしか使えないのに、チンピラの背後に回るときはピンポイントで移動できたのはたまたまなんでしょうかね。

 デカパイ掌底という必殺技を手にして反撃に転じる樹里たち。しかし、にいちゃんたちの行方が分からないという新事実が判明したことで動くに動けなくなってしまった。このままだと一回止界から出てもう一度止めても、にいちゃん+真の場所が分からないとどうしようもない、という判断で脱出すらままならない。しかし、実際には状況はさらに面倒なことになっており、なんと2人はすでに止人では無くなっており、この世界で勝手気ままに活動している(樹里はよくあそこに残された手がかりだけでそのことが推理できたもんだ)。このままで樹里たちが止界を離れていたら、2人は完全にこの世界に放置されてしまうところだったのだから危機一髪だ。じいさんと樹里が思い出した回想シーンでは、こうして「止界を離れること」がどれだけリスキーで致命的なものであるかがよくわかるエピソードが挟まれている。あくまでも佑河家における止界への出入りは石を中心としたものであり、誰もが勝手にホイホイ出入りできるような簡単なものではない。一族がまとまって動かないことには、余計な混乱を招いてしまうことになるというわけだ。

 そして、別ルートからの止界入りを果たした「怪しげな新興宗教」チームの方もなかなかまとまって行動することができない。ほぼ全員が初めて止界に入ったおかげで手探り状態であり、万全の体制で動けているのはじいさんと相手側の親玉くらいのものだろう。さらに敵サイドは元々の目的意識も統制が取れておらず、金で雇われただけの連中やよくわかってない信者たちはすでに緊張も限界にきている。冷静な女性幹部(間島さんという)が着実に状況把握に努めてはいるが、これだけの事態の中で全員の平静を維持するまでには至っていない。というか、多分本人に統率する意志もあんまりない。結局、全員が初めての経験の中でどれだけ信念を貫けるかの勝負になっているようだ。

 ひょんなことから再び登場した砂の巨人「カヌリニ」だったが、事前に推測されていた通り、今回はかなり小さくなった上に、ついに活動限界を迎えて機能停止。まだ2号3号がいないとも限らないが、少なくとも「目の前でカヌリニが停止した」という情報を得た3人はなんらかのアドバンテージを得たと考えていいだろう。今後もう1度実験して安全が確認できれば、止人への関与が可能になるのだから。次週でこのカヌリニがらみの謎が明かされると予告されたが……現時点だとどっからどこまでが「謎」なのかもよく分からんなぁ。緊張感が収まらぬアニメである。途中のおっぱいがなかったらヘトヘトだな(あっても疲れます)。

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 もう、本当にこういうアホみたいなの大好き、第17話。つまり、今作は毎回もれなくアホみたいだから大体好き。前後関係とか完全無視してバカができる作品っていいよね。

 ぶっちゃけ、今回の内容って各々の作曲家いじりについては過去に何度もやって来ていることの繰り返しでしかないのだが、こういう天丼芸もすっかり味わい。なんだか吉本新喜劇みたいな安心感がありますね。特に今回ひどかったのはバダきゅんの「一発屋」いじりだろうか。普段ならせいぜいチャイコにだけいじられているネタだったはずなのに、今回はベトモツ揃っての袋叩き。なんかもう、本当にかわいそうで可愛い。

 さらにギリギリまで盛り上げてラスボスに立ちはだかるのがチョッちゃんなあたり、リッちゃんのムジークだったことを考えればなんとなくわかるのだがやっぱりおかしい。普段あんな様子のショパンだが、こうして気が狂った立ち位置になるとCV鳥海の重みが聞いて単発で充分な破壊力を持つのである。まぁ、今作は本当にキャスト陣が楽しそうにやっているので、何を聞いても面白いのだが。リストさんが自由すぎるのって、こうしてみると実はクラシカロイド勢の中でも一番タチが悪いんだよな……。

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 時間停止AVは不思議なニーズがあるよね、第3話。俺、あれ見たときは完全に女優の方の「私何してんだろ……」みたいな方向性にばっかり感情移入して全然駄目だった。いや、我慢のレベルとかに個人差があるのが結構面白いんだけどさ。ガチで表情一つ動かさないようにしてる子もいれば、なんか雑で割と笑っちゃってるような奴もいる(結構しっかり見てますやん)。

 さておきそんな時間停止アニメの3話目。本作は本当に色々な部分が刺激的で、展開は割とやんわり進んでいる気がするのだが、1つ1つのシーンでどんな手がかりが拾えるかわからないので気が抜けない。「止界」という現象について、味方サイドも爺さんだけが何となくその中身を知っているだけだし、情報量でリードしていると思われた敵サイドも実はまだ色々と謎を残しており、リアルタイムで実地検証して1つずつ「理屈」を作っていく過程が興味深い。どうやら敵サイドは「止める力」があるわけではなく、「止界で動く力を付与する力」だけを持っているようだね。おかげで、実際に止界に入ったことはなかったからあらゆる事象が行き当たりばったりになっていると。こうして主人公の樹里を筆頭に、残りの面々の経験も全て視聴者と同様の「初めて」視点なので見やすい。

 1話目を見た時点では「単にタイムストップものっていうだけでどれだけ回せるもんだろうか」と訝しんでいたのだが、いざ始まってみれば、なんと一度止界に入ってからは一度たりとも解除しないという、完全ストップワールドものになっている。普通「時間停止」と言えば「動く世界」と対比して初めて意味があるもので、動かしたり止めたりを繰り返すものだが、本作はそうした既存の「時間停止」の概念からは一歩飛び出し、「完全に止まった世界だけで話が進む」という部分が新しい。色々と例外はありそうだが、基本的には「動→静」の一方通行なので放っておくと事物は全て停止してしまうため、銃火器の使用は意味がないし、殺すにしても色々と制限があるというのも面白いところ。本当はこんな不可思議なストップワールドがあると「これって空気の流れも止まってたら音とか聞こえないし、そもそも呼吸できないし、身動きできるかどうかもわからないし……」みたいなマジのサイエンスな部分が気になったりもするのだが、今作の場合、1話で爺さんが言った「知らん、そんなもん」というのが全ての答えであり、「何が止まったのか」というところも全て実体験から情報を入れていくしかない。こうして探索していく過程が、アニメの進行の中で興味を引っ張る部分だろう。

 また、「止界」という独特の存在が、アニメーションという媒体に入ってくることで改めてアニメという表現技法の特殊性を浮き彫りにするのも興味深いところ。そう、アニメってのは、わざわざ人が動かさなければ何も動かない、いわばナチュラルに「止まった世界」なのだ。普通はそんな「止め絵」から「いかに動かすか」に腐心するのがアニメーション制作なのだが、本作の場合、そうして普通に「動かす」前提と一緒に、「動いていないもの」を描写して止まる世界のオリジナリティを出す必要がある。手っ取り早い描き方は「止まって動けない人」や、「不自然に固まったオブジェクト」を画面に混ぜ込むことだが、それだけではマンネリになってしまうし、構図に工夫も求められる。「いかにして動くかで苦心してたのに、いかにして止めるかを考えるなんて皮肉なもんだぜ」ってのはDIO戦で承太郎が言ってた台詞だが、今作はまさにそのあたりの描写が見どころである。

 わかりやすい例だと梅津泰臣の手によるエンディング映像なんかに現れていて、水が飛んだり、湯気が出たりしている映像も、我々は「絵が止まっている」ことになんら違和感を抱かない。現実と違って、それらは止まっているからだ。しかし、そこに一つだけ「動くもの」を混ぜ込むことによって、「止まっていることの異質さ」が引き立つのだ。今後の映像世界では、そうした「際立ち」の表現について注目して見ると面白いかもしれません。まぁ、通常の背景も何もかもが完全に静止画でいいってのはぶっちゃけ楽そうではあるんだけどね。

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 羊たちの無駄キャストは一体なんなんだ、最終話。金朋・画伯の2大人外声優はまだ分かるとして、なぜか荒鷲先生が参戦していたり、松田姉妹の片方がいたり、全くもって謎のキャスティングである。羊(迫真)。

 一応の最終話ということで、これまでとはまた違った毛色の作品が幕引きに選ばれた。なんと最後は国じゃなくて草原。しかもキノとエルメスがはっきりと別行動をとったり、かつてない大ピンチに見舞われたりと、普段では見られない光景が目白押し。だからこそ少しでも「最終回っぽさ」を醸し出すために選ばれたってことなのかな? 最後はやっぱりピンチからの大逆転で、みたいな。

 1本目がサブタイトルの「羊たちの草原/Stray Army」。この英訳もなかなか皮肉なもんで、普通に考えたら羊なんだから「Stray Sheep」になりそうなものだが、奴らはとても「迷える羊」なんてもんじゃない。いっぱしの軍隊として、キノの行く手を阻む史上最強の敵キャラである。キノはこれまでも幾度となく命の危機に晒されてきたはずなのだが、命がけのコロシアムですら眉一つ動かさない余裕の表情で乗り越えてきた剛の者。そんなキノが初めて命の危機を感じた羊とのバトル。一時はエルメスを置いての緊急避難までしてしまったのだから、事実上の敗北といっても過言ではない。なんだかんだ言っても、キノもただの人間には違いないのだ。多勢に無勢はどうしようもない。そして、この羊たちも実に勇猛果敢。そこまでして人間を執拗に追いかける理由もよくわからんかったのだが、とにかく寝ても覚めても見つけた人間はぶっ殺すの精神。日がな一日見張られては、キノもなかなか突破口を見出せない。

 結局、そんな強敵たちを叩き潰すためにキノが取った手段はおよそ主人公とも思えないような凄まじいもの。いや、こいつならやりかねない内容ではあるのだが……。最初の段階で「数が多すぎて弾が足りないよ!」って言ってた割に、放火炎上後は割とガシガシ撃ちまくるのが草。まぁ、追加の銃も手に入れていたし、死者の無念を晴らすためにも、銃弾でのダイレクトアタックはやっぱり欠かせなかったのかな。ダイナミックひき逃げアタック、ダイナミック死体焼却火炎放射、そしてダイナミック一斉狙撃などなど、本当に一度決めたら後ろを振り向かないやつなのよね……アニメですらなかなか見られないようなエグい動物虐待っぷりは実にお見事であった。まぁ、本人だって命がけなのだし、多少はね。あれだけ大量の羊肉が焼けてたらさぞかし栄養豊富だったでしょうなぁ。あぁ、でもラムじゃなくてマトンだったかなぁ。

 2本目、時間あたりの動画の使用枚数では史上最低を更新できるのではないかと思われる、圧倒的省エネ作画での「最終話」。これを平然とやれてしまうあたり、この作品の骨子に対する製作スタッフの信頼感はかなりのものだろう。実際、遠巻きにキノとエルメスの会話を見守っているだけで過ぎていく時間も、なるほど無駄とは感じない。「昼寝しないわけにはいかない」キノの気持ちも充分理解できるし、長い旅の中にはそんな一面だってきっとあるだろう。心に決めたその日こそ、「旅の終わり」を告げる時なのである。命を賭けて圧倒的な「動き」を見せ続けた一本目との落差があまりにも大きく、こののんべんだらりとした「静止」の世界も、製作サイドからすればより大きな「冒険」だったのかなぁ、という気もする。そういえば「サムデイインザレイン」も似たような構図だったかもしれないな。冒険でしょでしょ。

 何はともあれ、こうして旅を終えたり、始めたりと勝手気儘な放浪人生を続けているキノのこと。ふと、旅を終えることがあるのだったら、やっぱり気まぐれに旅が始まることもある。それすなわち、このアニメの終わりだって、ふとまたどこかで紡がれる新たな旅の「始まり」と言えるものかもしれない。飄々と、のんびりと、そして何よりも楽しく。そうした旅の第一歩を、我々は昼寝でもしながら待つことにしましょうかね。

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 正直意外、第11話。今作は徹底したオムニバスの形式だからてっきりキノってこういうオリジンが全く明かされてない人物だと思ってたよ。Wikiで確認したら原作1巻が出典って書いてあるし、原作読者は「このキノ」を前提にしてそれ以降の物語を読み進めているわけか。だとしたら私がこれまで受けてきた印象とはずいぶん違ったものになりそうだなぁ。

 まぁ、オリジンとは言っても「あのキノ」から「今のキノ」への経過部分はまだまだよく分からないし(そっちも原作では明かされているのかもしれないが)、「旅人」としてのキノの存在が揺らぐような話でもないのだが、ちゃんと「木の股から生まれたわけじゃない人間のキノ」がしっかり規定されているのはなんとも新鮮である。まぁ、最初に持った印象は「こんだけ声変わりするって、男の子やんけ」だったが。悠木碧のメインテリトリーである幼女はすんなり入ってきますね。虚無感を抱えた「大人の街の子供」としての幼女テイストもどこか後ろ暗いところが良い塩梅だ。

 そしてAパート、「旅人」の対話シーンは……なんかもう、個人的に色々と打ちのめされるような発言が多すぎてな……いや、あれだけ特殊な国での特殊な会話なんだから現実の自分に引き寄せて考える必要はないのだが……。「楽しいんだったら仕事じゃないよ」に始まり、「大人は仕事をしなきゃいけないんだよ」とか、「子供でも大人でもないなら何?」とかさ。そんなことは……そんなことは知らないよ……。いや、正直いうと「イヤなことでもきちんとやれるのが大人だよ」っていうあの街の指導方針は正しいんだけどね。「大人はイヤなことをやる」は真ではないかもしれないけど、「イヤなことから逃げるだけの人間は大人ではない」は真だと思う。つまり、俺は……。……すみません、どこかに手術を受けるだけで大人になれる素敵な国をご存知の方はいらっしゃいませんか?(俺なんかが行ったら真っ先に包丁持ち出されそう)

 まー、そんな悩ましい大人・子供論争や労働の意味を考えさせられる街だったわけだが、キノの生まれ故郷にして第1のトラウマ体験ということで設定はかなりエグいものに。父親のCVが岩田光央っていう時点で「正しい大人……なぁ」って考えさせられる設定なのだが、ある意味毒電波の国をも上回る完全な思想統制は、多分国の中の人間にとっては幸せなものなのだろうことをうかがわせる。手術なんて言われるからおっかないイメージはあるが、何らかの元服の儀みたいなイニシエーションだと思えば、現実的にもそこまでおかしなことではないだろう。キノの一件だって、旅人がやってこなければ、そして余計なことを考えさせなければ幼女は立派な「大人」になって人生を全うできたのだろうしねぇ。「国のルールによそ者が口を出すな」っていうのはそりゃそうなんだ。

 でもね、残念ながら幼女は知ってしまった。「外」のことを知って、「別な大人」を知ってしまった。数奇なモトラドとの出会いもあり、彼女は壁を飛び出して色のついた世界に出会う。その鮮烈な色彩から現在の「紅」へと繋ぐ時系列の結び方もドラマティックで見事な構成。頬の返り血を花びらで代用する趣味の悪さもウィットである。冷静に考えれば、幼女はあのシーンで自分の命を守ってくれた旅人を見捨てて、一切顧みることなく突っ走っているのだからとんでもない薄情者ではあるのだが、成り行きで彼女が「キノ」を名乗るようになり、旅人の人生をトレースするように新しい人生を始めることで、まるでそれが供養であるかのように見えるのである。結局、幼女が旅人にどれくらい感謝しているのかもよく分からないままで時代は進んでいくわけだが、キノが今でも旅人の流儀を守って旅を続けているってのは、まぁ、そういうことなんだろうさ。彼女も確かに、子供じゃないが、大人じゃない。誰かに尋ねられたら、きっと「僕はキノさ」と応えるのだろう。

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 なんかもう、なんか、こう……第10話。言葉を失いますわ。

 導入があったおかげで「さて、どんなオチになるものやら」って色々と悪いことを考えながら見ることになるお話。キノが実際に国内で受けている「どう見ても親切にしか見えない待遇」が、最終的に前評判のように「絶対に行きたくない」「最悪の国民性」っていう形になるためには一体どんなどんでん返しが必要なのか。それをずっと考えながら視聴しなきゃいけない。しかし、純真そうな子供がおり、欺瞞があるようにも見えないし、どこまでいっても「タネ」は明かされない。最後に「充分町から離れてからこの袋を開けるんやで」って言われたところで「さぁ、いよいよ翌日にネタバラシか」と思っていたら……エェェェェ。

 これまたなんとも言えない舞台設定だったなぁ。ものすごくざっくりまとめると、今回の国は「これまでどれだけ悪行三昧だった人が最期を悟り、かりそめの善行を重ねただけだとしても、そこだけしか見ていない第三者には善人に見える」という不可思議な設定だ。いわゆる「不良が雨の日に子犬を助けていたら」ともちょっと違う。あの国の人たちは、「もう明日がない」と言う極限状態になったおかげで「善人」になったわけで、結局のところそれが本当の意味での「善」なのかどうかはわからないからだ。キノが聞いていた噂が本当なのだとしたら、今回の顛末の前には本当に辟易した旅人たちが山ほどおり、そのたびに、国民は意地悪でひどい扱いをしてきたと言うことになる。トータルで見れば、あんまりいい奴らではないはずなのだ。

 しかし、我々視聴者はキノと同様にこの国の人たちの「善」(偽善?)の部分しか見ておらず、「こんな人たちが無情に殺されてしまうなんて」というどうしようもない儚さを感じてしまう。ただ純粋に「優しい国」が消えてしまったと言う情報だけが残っている。はてさて、この国は一体どんな国だったと、後世に語り継がれることになるのだろうか。

 また、この国の大人たちが下した判断にも賛否は分かれるところで、例えば子供を黙って巻き込んだことなどは身勝手さとも映るわけだし、死をただ受け入れて何もしようとしなかった姿勢が怠惰に映ることもあるだろう。しかし、そうした「この国はそんなんでよかったのか?」という疑問に対し、作者はちゃんと周到な予防線を張っており、最後にさくらちゃんが残していた手紙には、「子供だって自分の意思でこの国と運命を共にすることを選んだのだし、この国ではそれが幸せなのだ」という根拠をはっきり示す形になっている。そう言われてしまえば、もうこの国のあり方に文句を言うわけにもいかない。挙句、キノに至っては国の人たちの善悪を問題にする以前に、「自分は一瞬でもことの顛末でホッとしているから悪だ、エゴイズムの塊だ」と内省を始めてしまい、完全に国の選択が清く尊いものであるように祭り上げられているのだ。冷静に考えれば勝手にわがまま言って勝手に死んだだけの連中のはずなのに。この辺りの倒錯した死生観、言うに言われぬもやっとした印象こそが、今回の話で作者が見せたかった焦点だったのではなかろうか。えぇ、もやっとしていますよ。やるせねぇよ。後になって見返すと、結婚式をあげた人達が「こんなに早く結婚するの?」って聞かれて「今やっておきたかったんです」って言ってたこととか、そこに群がっている「次の幸せを狙いたかった女性たち」がいたこととか、なんかもう、色々ずるい。拳銃売ってたおっちゃんとかもなぁ。結局、師匠は何をしでかしてたんでしょうかね。

 火砕流の設定とか、冷静に考えれば「そんな無茶な」と言う部分は多いのだが、そのあたりは全部「舞台設定」として処理されるのは便利なところ。まぁ、星新一作品に「そんな適当な宇宙人とかいないだろ」ってツッコミ入れるのとおんなじだからね。そう言う意味では、やっぱりこの作品のエピソードのまとめ方はうまいなぁ、と思うのである。個人的には、ずっとオチを考えながら観ていて思いついた「実は全員が完全な演技をしている国で、後になってからたっぷり録画した『旅人と作る嘘だらけの我が国』っていう番組を放送して馬鹿笑いする国」っていうのが一番いやらしいと思うので、本当に俺ってやつぁ最低である。

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 オムニバスがオムニバス、第9話。もう、なんでもありやんけ。

 まさかの短編集構成。そしてアニメ独自のよくわからない演出という大サービス(?)まで。いやぁ、確かに「わざわざ他の媒体をアニメ化する意義」というのはちょいちょい出てくる議題ではあるのだが……多分そういうことじゃないな。いや、笑ったけども。

 1本目「山賊達の話」。英語タイトルは「Can You Imagine!」。イメージするのだ! と言いながらなんとなくいつもの愉快な御一行を外部から観察する超短いお話。人を襲撃する前提の山賊さんを主軸に据えてる時点でちょっと面白いが、結論として「旅人って大体おかしい」っていう話になっているので、果たしてあの山賊さん達は今後ターゲットを襲うことができるのかどうか……。「幼女と犬ととっぽい男、チョロいですね!」→「いや、よく見ろ」→「ゲェー、幼女に手榴弾!」っていう流れはちょっと笑った。じいちゃん、ちゃんとよく見てるやんけ。ゲェー、幼女に手榴弾!

 2本目、今回一番寓話的な色彩が強いメイン(?)コンテンツ、「徳を積む国」。英語タイトルは「Serious Killer」。当然「シリアルキラー」のもじりだろうが、今回のお話の場合、むしろ実際には「Killer」になれなかったという問題の方が深刻(Serious)である。「善行をポイント制にしよう」という、いかにもディストピア的な発想が生み出された街。これだけでもSF短編が書けるし、実際にそういう設定のお話も多い気がするが、今回の肝はこのポイントのおかげで、「ポイントで!」という気軽な人殺しができるようになってしまった、というどこかねじれた倫理観を皮肉るお話になっている。もともとこの国だって「善い行いを励行しよう」という目的でこのシステムが設定されたはずなのだが、外部から「数字」として規定されてしまった時点でそれが本当の意味で人の心に寄り添えなくなってしまうというのはよくあるお話。もちろん、そうそう簡単に人殺しなど容認されるはずもないのだが、今回はただそのためだけに人生を費やし、ついに「人殺しポイント」まで貯めてしまったという不幸な男にスポットが当たっている。「徳を積めばなんでもできるのだ」ということを物心ついてすぐに理解した男は、必死に徳を積み、ポイントを重ね、あらゆることを可能にする力を手に入れた。しかし、手段は目的に先行してはならない。特に使い道のないポイントは、ただ男に名誉を与えたのみで、実質的な得など何もない。今までの自分の人生は一体なんだったのか、この手元のポイントになんの意味があるのか。手段を手に入れてしまった男は、なんとか自分の目的を探そうと躍起になり、「人を殺しても良い」を「人を殺さなければ」に転化してしまうのである。

 まぁ、ことの大小に差はあれど、こういうのってよくあることよね。「ポイントがつきます」って言われてなんとなくポイントカードに貯める。日常的にちょいちょい使っていけばいいものを、なんか特別な感じがしてポイントを貯めてしまい、結局よくわからない目的に使うことになる。大抵期限切れになったり、店が潰れたりして損することの方が多いんだけどね。なんか、そういう貧乏性というか、ポイント制度の特別感みたいなものって、不思議な力があるんだ。そして、それが国民全員に見える形で明示されるとしたらなおさら。ポイント制度に加えてソシャゲのランキング制度みたいな影響力もありそう。別に1位になったからって生活が潤うわけでもないのに、なんとなく見えてるからには上に行きたいという不可解な自己顕示欲。そういう「形のないもの」に囚われてしまった哀れな男の末路。赤ん坊に対して「俺のようになるな」という悲痛な彼の叫びは、全国のソシャゲに色々注ぎ込み過ぎたおじさん達には寂しく響くのではなかろうか。

 意味不明度合いではなかなかの3本目「料理の国」。英語タイトルは「Original」。これは「外から来たわけのわからないものをありがたがるのは滑稽だ」という寓話……でもねぇなぁ。単にキノが圧倒的メシマズであるというのを国家規模で見せつける話? 結局あの後でシズたちはオリジナルとマイルドのどっちを頼んだんでしょうね。こんだけ色んなところを渡り歩いているはずなのになぜかそこかしこでまじわるキノとシズ達のルートどりがよくわからんよな。

 そしてそんなシズさん達御一行の旅の姿を垣間見せる4本目「ティーの願い」。英語タイトルは「Get Real!」。いい子に育ってるんじゃないでしょうか。手榴弾さえ持ってなければ。

 なんとでもなるやろ、という投げやりな5本目「美しい記憶の国」。英語タイトルはなんとも皮肉な「Beautiful Memories」。本当にこの世界の科学技術の水準がよくわからないのだが、まぁ、以前の「迷惑な国」がOKならピンポイントで3日分の記憶だけをかき消す薬だって問題なく存在するのです。「何故この国はよそ者の記憶を消そうとするのか」とか、「それだけ徹底してる割にエルメスが記憶を持ち出すのを許したのは何故か」とか疑問はあるのだが、そこを深掘りしてもしょうがない話。「旅というのは旅先での思い出を得るための行為なのに、それ無しでただ時間だけが経過したキノは旅をしたと言えるのか?」というなんともメタなレベルでの「旅」の意義を問うお話ともいえるかもしれない。ちなみに、エルメスは「分解されても喋らない」と言っていることから、やっぱりモトラドって人工物には違いないんだよな。でも、「タイヤも新品」ってことはタイヤは付属品なんだよ(少なくとも「宝石の国」のフォスみたいに体の一部を失ったからって記憶がなくなるわけではない)……一体どんな生命なのだろう……。

 そしてラスト、ある意味今回のメインコンテンツ、「アニメなあとがきの国」。なんやそれ。今作の原作者ってこういうことやる人だったのか……。マジであとがきってこういうノリだよなぁ……。これが許される世の中になったのだから、野崎まどあたりはもっと斜め上の「アニメでしかできないこと」をやってくれそう。そういや「グッドルーザー球磨川」もアニメオリジナルのネタを仕込んでくれてたしなぁ。アニメ媒体も気づけばラノベ作家の遊び場になってますね。面白いからどんどんやれ。

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 爆殺幼女と大型犬、第8話。いよいよもって、メインヒロインはワンカットたりとも登場しなくなりましたが、こちらはこちらで充分可愛いので良しとしましょう。体拭いてもらってる時のリクの笑顔がとても素敵。大型犬って割とはっきりした笑顔を作るよね。

 「もうひと組の主人公」であるシズ御一行。以前の船の国騒動で仲間にした幼女・ティーとの三人組となり、キノたちの気楽な二人旅ともまた違った珍道中である。シズさんは刺された傷も大方治っており、刺した側と刺された側のパーティという変な構成ながら、その辺りにあんまりわだかまりはない様子。普通は刺した方に後ろめたさがあるはずなのだが、もともと善悪の判断基準に乏しいティーはあんまり気にしている様子がない。まぁ、気にされたらされたでシズの方も気まずかろうし、これはこれで良いパーティなのだろう。これからゆっくり情操教育を施していけばいい。相棒のリクも、そんな幼女の面倒を見る役割はぴったりの穏やかな性格である。率先して危険なことをやらないタイプのシズに刺激物のティーが加わるバランスは、案外ベストなのかもしれない。ただひたすら幼女がテクテク歩くだけのお話でも、色々と感情の漏れが見え隠れして面白い。

 そして今回本編となったのが、タイトルだけでもなかなか刺激的な「電波の国」。今回も実に道徳的な内容で、なんともアイロニカルな寓話となっている。「すでに失われた毒電波」という設定に、サブタイトルの「Not guilty」。今回のテーマは「犯罪の責任はどこに帰着するか」という問題。今回のお話を見て大概の人間なら「なんて愚かな国なのだろう」と笑って済まされるところではあるのだが、はてさて今の日本人がこの国を笑っていられるのかどうか。もちろん罪の責任がしっかりと個人に帰着する司法体系は形成されているはずなのだが、極端なところでは精神疾患の責任能力の話がわかりやすい。病気だからしょうがないという罪の軽減・放免は、なかなか簡単には成否を語ることができない問題であるが、そうした明確な「罪の軽重」以外にも、「何が原因で罪を犯すことになったのか」という話題は一筋縄ではいかない問題だ。

 我々アニメオタクがよく引き合いに出してくるのは、異常犯罪者が捕まった時のアニメ報道。「被害者はアニメを見ていた」「アニメに影響されてこんな犯罪に走った」などという報道に、「なんでそんなこと言われにゃならんのだ」とか、「関係ないやんけ」とかいう義憤を抱いたことがある人も多いだろう。もちろん、社会全体のことを考えれば、「犯罪が起こった原因」を突き止め、それを抑止して未然に犯罪を防止するという方向の運動は大事だろう。しかし、安全策を求めるばかりに、安易な方向に原因を求めてはいないだろうか。何かに「罪の責任」をなすりつけようとはしていないだろうか。今回の「電波の国」の場合、そうした「罪の責任」を一切合切「電波」に委ねることで、完全なる性善説を敷き、あらゆる罪の原因を丸投げすることで「楽」をすることを望んだのである。

 「自分は悪くない」は人の心に安寧を与え、「みんなが悪くない」は生活に平穏をもたらす。仮に不幸な出来事があっても人を裁かないということは、自分が悪いことをしても裁かれないということ。悪い人はいないのだからネガティブなことは考えず、起こってしまったら諦めればいい。なるほど確かに簡単にはなるだろうが、それはつまり「犯罪の発生を未然に防止する」という方向性の努力を放棄するという意味でもある。完全な思考の放棄と、「起こってしまった犯罪はしょうがない」という怠惰の思考。今の日本にも多かれ少なかれそうした安易さみたいなものは息づいており、今回のお話はそんな「原因至上主義」へのやんわりとした皮肉に見えるのである。もちろん、そうした怠慢への代価はしっかりと払わねばならないわけで、ラストでシズはなかなか刺激的な問題を提示してからかの国を立ち去った。あの警察のおっちゃんは、これから自国がどうなっていけば納得できるだろう。犯罪が起こらなければ電波の存在が否定される。自分に変化がなければ今後の「罪」は全て自身のもの。これまで放り投げていた「責任」を突きつけられて、果たして対抗できるものかどうか。まぁ、「シズが嘘ついてたんだな」って思えばそれで済むわけだが……。一度疑問が生じてしまった以上、あの国の安寧も長くはないのかもしれない。そもそもあんな猟奇事件が起こっている時点で割と末期だけどな。

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声優のこと全般
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関西在住の、アニメを見ることを生業にしてるニート。必死で好きな声優を12人まで絞ったら以下のようになった。
大原さやか 桑島法子
ーーーーーーーーーー
↑越えられない壁
沢城みゆき 斎藤千和 
中原麻衣  田中理恵  
渡辺明乃 能登麻美子
佐藤利奈  佐藤聡美
高垣彩陽   悠木碧
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