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最近のアニメや声優、Magicに対する個人的な鬱憤を晴らすためのメモ程度のブログ。
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 「絵なんて描いたことないし」って言ってる人間があんな絵描くなよ、第3話。あのな、本当に絵心がない人間ってのはな、いきなりデッサンなんてできるわけがないんや。目の前の事物をそのまま描き出すことがどれほど難しいか……(別に熱望もしないけど、時たま絵心が欲しくなる人間並みの感想)。

 戯言はさておき、今作は「絵」がテーマではなくて「色」がテーマである。3話まで見てきて感じたことは、正直筋立てだけでいうと今のところそこまで注目するようなこともなく、人間関係の構築もシンプルだし、画面構成にしてもそこまで野心的なことをやるでもなし、本当にただ「なんとなく甘酸っぱい青春小説を紡いでいこう」くらいの印象しか受けない。まぁ、どうしても比べてしまうものが「凪のあすから」になってしまい、あちらは鬼才・岡田麿里が常に刺激をぶん投げ続ける脚本になっていたので、それと比べて「おとなしい」と感じるのは至極当たり前のことなのだが。

 そうして割と「普通」っぽい作品なのでシナリオ部分について語りたいことは特にないのだが、その分、徹底してこだわりぬいた画面の色彩構成には嫌でも目がいってしまう。これまで数多くの佳作を世に送り出してきたP.A.WORKSの制作スタッフが、今作ではとにかく「色」の描画に全力を注いでいる。タイトルにもそのことがよく表れており、画面が切り替わるごとに鮮やかに飛び出してくる色合いの変化を見ているだけでも退屈しない作品だ。特にオープニング映像におけるモノクロとカラーの変化・対比の展開は自身の目を疑ってしまうような幻想的な変容を投影しており、普段からどれだけ「色」という曖昧なものをいい加減に享受してきたかを思い知らされる。色の演出とは突き詰めれば光の演出でもあるわけだが、「凪あす」でも鮮烈に描かれていた「光」の世界が、今作ではより一層の存在感を持って飛び出してくるのである。

 主人公・瞳美の「色が分からない」という設定は、そういう意味では非常に挑戦的な設定である。作中では「色盲」という言葉が一度も使われていないのはポリコレ的な配慮もあるんだろうが(いま調べたら、Wikiには近年から「色覚多様性」という呼称も現れたと書かれていた)、まぁ、旧来の考え方で言えば間違いなく「欠損」と認識されていた特徴を主人公が持ち合わせているのだ。そのことがコンプレックスで、引っ込み思案な性格になってしまっている状況も設定としてはかなり重要で、彼女の「他人よりも足りない」「世界はつまらない」という自己意識が物語を構成する大きな要因になっている。

 この「色盲」がいわゆる先天的な体質なのかどうか、実は2話目まででは判断がつかなかった。再三「モノクロの世界」が描かれており、それが瞳美の視界であることは自明だったが、その「色の無さ」が実質的(生理学的)な色の欠損なのか、それとも彼女の心象風景としての抽象的(精神的)な色の「褪せ方」なのか、その辺りが判断できなかったのだ。しかし、今回改めて彼女の口から「色が分からない」という事実が明かされ、それが絵を描く際の絵の具の選択という端的な情報から明示された。現時点では彼女の「盲」を認識しているのは本人と葵の2人のみ。今後は間違いなく色を獲得するお話になっていくと思われるが、世界における「色」の実質的な意味合いと、瞳美の中での主観的な意味合いを、どのように画面の「見え」で紡いでいくのかが今から楽しみである。

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