忍者ブログ
最近のアニメや声優、Magicに対する個人的な鬱憤を晴らすためのメモ程度のブログ。
[1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8] [9] [10]
スーパー声優ヒロインゲッター、第6話。なんじゃいこりゃ、ゲストでゆかちとかやのんが乱入してきたぞ。長井作品的にいうとあなるの恋路にめんまが乱入してきたぞ。ええい、つるこは出んのか。戸松・井口・茅野・阿澄・田村と並べるだけで、メインはって作品5本作れるレベルだ。

 「夏」「ラブコメ」ときたら、避けては通れないだろう水着回。そして、この作品が水着回をやるためには、やはり沖縄に行くしかない。みずほ先生たちも夏の夜の沖縄で一騒動あったからだ。どこまでも「おねティ」要素から逃れられない作品である。ついでに「戸松」+「宇宙人嫁」+「沖縄」なので「遊びにいく」感じもしなくもない。沖縄の風景描写ってアニメだと大体同じやな。

 さておき、前回柑菜の気持ちを哲朗が漏らしてしまうという事件が発生し、ここから野郎2人の思惑もドロドロし始める展開になっていくのかと思ったら、「哲朗が暴走した」という事実は華麗にスルーされ、まさかの全員そろっての嬉し恥ずかし沖縄旅行である。平然とあのメンバーで行ってしまうあたり、海人のメンタルは案外タフなんじゃねーかという気もするが、まずもっておかしいのは、総勢6人ものメンバー分の旅券が手配できたことである。哲朗のねーちゃんの旅行がキャンセルになった分のチケットらしいが、いったい何人で行く予定だったんだろう。まとめて5人もキャンセルするような事態って、もうそれだけでなんかの虫の知らせじゃないかって気がするな。

 実際、この旅行は一波乱二波乱。それぞれのメンバー(檸檬を除く)はターゲットとの距離を縮めることを目標に参加しているわけだが、そこに乱入した2人の闖入者。一人は海人の幼なじみってんだからこの作品のご都合バッドラックグッドラックは本当に業が深い。男2人に対して女5人が絡むという、何角関係だかさっぱり分からない状態になってしまった。そして、共通の敵が生まれたことにより、本来なら気まずくなっているはずの柑菜とイチカの関係性がなあなあになった。この辺の展開も、お約束っちゃぁお約束だよな。この作品の基本は「気持ちはマジなのにテイストはギャグ」ということなので、下手にぎすぎすされるよりも、こうしてどたばたしている方がありがたいですね。イチカ先輩のジト目がかわいいのですよ。柑菜はビーチバレーやってるときが一番かわいかった。美桜はケツがエロい……というか、今回やたら全員尻が強調されてたけど、スタッフの中にそっちフェチでもいたんでしょうか。

 こんだけ女の子が増えちゃうと、もうハーレムと言われても仕方ない状態で、水着回とも相まってものすごく安易な萌えへの擦り寄りに見えてしまいがちだが、本作の場合には男連中の気持ちの向かい先がはっきりしているので、そこまでひどい内容になっていない。海人は柑菜の気持ちをはっきり知ってしまった上で「まずい」と感じているということではっきりイチカ志向であるし、哲朗だって柑菜への思いはそうそう揺らぐもんじゃない。ひょっとしたら、前回哲朗に柑菜の事実をチクらせたのは、この「柑菜の気持ちをはっきり知っているけど、海人はイチカ目当てである」という事実をはっきりさせるためなのかもしれない。昨今の作品の主人公は惚れられてるのに「気づかない」がデフォルトの気持ち悪い連中が多いので、海人をそういう状態でふらふらさせておくより、「柑菜もそっちを見ているんだぞ」というのを意識させておく方がまっとうなのだ。今回登場したゲスト2名にしたってとにかく方向性がまっすぐで、気持ちもシンプルにわかりやすく。今作の目標は、関係性だけはややこしくても、恋愛模様をシンプルに描くことなのかもしれません。

 そう考えると、今回の水着回のまとまり方は手慣れたもの。新キャラまで出してさらにややこしくなっているはずなのに、一切煩わしさを感じさせずにサクサク進展するシナリオライン。わかりやすいキャラクターたち。時を超えてやってきた「おねティ」後継機としては、なかなか面白い方向性だとおもいませんか。

 ちなみに、個人的なツボは、やっぱり新登場のゲストキャラ。かやのんについては「もういいから少し休め」という言葉しか出てこないが、ゆかちキャラのインパクトには拍手喝采。「私肉食系なんです!」と襲いかかるゆかち。たやすく中の人でイメージ出来る絵面だな。ゆかちがアスミスキャラと三角関係なんて、なかなか魅力的なシチュエーションじゃないですか。最終的にゆかちと美桜がくっついて哲朗がハブられる、っていうのはどうだろう。

拍手

PR
やっぱりエグいところにくるな、第5話。もう少しゆっくり回してくれよ、とも思うのだが、やはり1クール作品のスピードだとこうなってしまうものか。「キュッ」ってなるね。

 始まった「あの夏」、始まった映画撮影。しかし、檸檬に任せたもんだからその進行はとんでもない方向に向かっている。ここまできたら、檸檬はイチカのすべてを知っていると考えた方が楽にこの作品が見られそうだ。そりゃもう、イチカの生い立ちから家族構成まで、何でもかんでも知ってますよ。イチカ先輩は女系家族。そうだね、みずほ先生も妹がいたものね。そして、最初は哲朗を挟んで適当に進めていた物語ではあったものの、檸檬の策略か哲朗の気遣いか。いつの間にか唯一動かしちゃいけない気がする海人のカメラマンの仕事までうやむやになってしまった。宇宙人ヒロインと地球の普通の男の子のお話は、朝の何気ない光景にも煩悩を戦わせる大変なものになっている。

 今回は2つの要素に触れよう。1つは、「檸檬が映画を撮る」というゆがんだ二重構造について。「檸檬はある種メタ視点からの観察者(しかもおもしろ半分の)」であると考えると、この作品の構造は実にご都合主義なものであるといえる。本来ならばもやもやとややこしい色恋沙汰の異星人コミュニケーションラブストーリーが、檸檬の投じる「本当設定」のおかげで、いやでも前進するのだ。イチカは「もしも」のお話で海人に本心を尋ねられるし、すれ違いはありながらも、一般的な地球人たちにもこのトンデモシチュエーションが受け入れられるようになっている。そう考えると檸檬はイチカの手助けをしているともいえるが、どちらかというと、「話を早く進め、視聴者の手助けをする」役といえる。ここまでダイレクトにメタレベルの介入を許している構成というのも珍しく、これを可能にしているのは、檸檬という危うい存在をぎりぎりレベルで認めている、本作と「おねティ」の関係性ということになる。10年がかりの、大きいんだか小さいんだか分からないネタだ。

 そして2つ目の要素は、なんといってもドロドロの恋愛関係。イチカと海人の間の初々しいいざこざについては、一応前回の騒動で片がついたことになっている。イチカがド天然であることが幸いして、あんだけ気まずい思いをしたはずなのに何となく片付いた空気になっており、それが不思議と違和感になっていない。冒頭の海人の「近い」なんてのも、これまでの経緯を考えれば本当にいろんな意味がこもっているはずなのだが、イチカは一切そんなことを気にしないのである。ずるい。

 しかし、イチカは気にせずとも周りはそうもいかない。初々しいはずなのにエラい所帯じみた会話も展開する熟年夫婦のようなカップルを見て、このままではまずいと勇気を振り絞って動き出す柑菜。雨の日でも負けずに通い妻を演じるも、あまりに自然に作られてしまった家庭の風景に心をぼっきりと折られてしまう。その結果、自分を卑下することになる行動に出てしまうわけだ。とはいえ、「先輩はいつ帰るんですか?」という質問は、確かに海人からすれば直接ダメージになる発言だったのかもしれないが、イチカに聞くのは別段おかしなことでもない。突然異国からきた留学生っていうだけでもおかしいんだから、帰国日程くらい聞いたっていいだろう。イチカも、単に「嘘をついている気まずさ」こそ感じていたが、その質問の持つ「とげとげしい意味」については気にした様子はない。

 ただ、やはり言った本人からしてみれば、その発言の「嫌らしさ」は見過ごせないようだ。とぼとぼと雨の中を歩くシーンでは、柑菜が自分の足下を見ながら歩く、ちょっと珍しいカットにそれがよく出ている。下を向きたくなる、前を向きたくない、そんな心境だ。そして、そんな柑菜の「前」には、「横」には、哲朗がいるのである。今回、哲朗の行動は一貫していない部分がある。柑菜を励まし、柑菜の恋路を応援するような動きというのは純粋な好意によるものであるから問題ないのだが、その前の段階で、彼は自ら映画から退場し、イチカと海人がくっつきやすいセッティングをしているのだ。これは、「柑菜の味方」という立ち位置から見れば裏切り行為ともとれる。ただ、この二方向のベクトルについても、哲朗のどうしようもなく自己犠牲的な、義侠心から自然に出てしまった行動であるとも考えられる。柑菜は女友達、海人は男友達。それが(表面上でも)本当ならば、彼はやはり、「そのための」行動をとってしまうに違いない。

 そして、だからこそ、最後の行動が彼のどうしようもない「本心」であることも否定できない。わざわざイチカを避けてまで海人の家に赴き、なし崩し的に柑菜との関係性を動かしにかかる。「変わってしまうから告白なんてできない」という柑菜の気持ちを考えれば、これは一種の裏切りでもある。哲朗は海人のイチカに対する思いは知っているわけで、そこに単に「事実」を投げつけるだけでは、柑菜のフォローとして不充分だろう。しかし、「動かさないこと」を受け入れるだけの余裕は哲朗には無かったのだろう。今の状態が続けば続くほど、哲朗は柑菜の苦しむ姿を見続けなければならない上に、どうあがいても自分が介入する余地が無いのだ。それならば、海人を信じ、柑菜を信じ、多少の荒療治でもことを進めなければならない。そこにあるのが、純粋な善意だとは決して言うまい。海人が柑菜に対してどのように動くのかは予想できないが、柑菜が幸せになれるか、それとも柑菜が傷ついて自分の介入する余地が生まれるか、どちらかしかない。打算の上でも、哲朗は動くべきだったのだ。果たしてどこまで考えての行動なのかは分からないが、これまでの舞台裏での行動に比べると思い切ったことは確かだ。そこに彼の強い思いがあるのは間違いないだろう。

 気まずい。これ、来週どうなるんだろう。あーあ、りのんがかわいいなぁ。

拍手

なんだこの似たもの夫婦、第4話。それにしてもこの宇宙人、庶民派過ぎるよな、登場序盤は色々と地球の常識を知らないそぶりも見せてたのに、今じゃすっかり単なる阿呆の子だよ。

 前回の衝撃のラストの続きは、なんと先輩の無言の電車移動だった。ちょっとおもろい。無言で遠方へと逃げるイチカを見送る海人の心境はどんなもんだったんだろう。そして、同じ方向に帰らなきゃいけないのに電車1本乗り過ごしちゃったがっかり感とか。この作品の舞台になっていると言われている長野県小諸市界隈の時刻表(しなの鉄道)を見てみたら、基本的に下校時刻近辺の時間帯でも1時間に2本くらいやぞ。とんだ待ちぼうけだよ。いや、でも仕方ない。あの別れ方をしちゃったら、もうまともに顔を合わせるのも恥ずかしいだろうしなぁ。翌朝に二人してテンパってたけど、当日の夜ご飯とかはどうやってやり過ごしたんだろうね。食事の支度のたびにりのんが殺されかけてたとしたら大変だ。のー。

 そんな海人×イチカの告白問題は、似たもの同士の2人の妄想トークの中で必死に解決をみる。周りの人間にも「神様ドォルズ講座」まがいの人形劇などで相談した結果、海人側は「気にしないでいいです」の一言で処理しようという案を思いつき、イチカもイチカで「しばらく気にしないで行こう」という解決でもなんでもない妥協案を思いついて満足した模様。そこへ、お前らそれでいいのか、という視聴者の声を代弁するかのように、哲朗の姉、真奈美が明らかに余計なちょっかいをかけてくる。あんだけナイスバディであけっぴろげなおねーさんキャラが身近にいると、かえって男なんて朴念仁になるもんなのかね。海人のイチカに対するぎくしゃくした対応と、真奈美に対する素っ気ない態度のギャップが凄いのである。あんな人妻に誘惑されたんだから二つ返事で風呂場に駆け込めばいいのに……いや、多分幼馴染みだから「それはアカンくらいの人間なんだ」ってことは知ってるんだろうけどさ。それにしてもC子ちゃんこと柑菜のライバル多いなー。ほとんどが巨乳だしなー。プールが外から丸見えの学校って、すごいサービスだよね。

 今回は終始ギャグのテンポでお話が進行し、海人の妄想、イチカの妄想、そしてイチカが自分でも処理しきれていない謎の嫉妬に駆られて暴走する様子なんかが、ニヤニヤしながら楽しめる。イチカは素性も分からない状態で地球に来たばかりの異星人のはずで、突然海人に対してジェラシーを感じるのはどう考えてもおかしいはずなのだが、あの素っ頓狂なキャラだとなんだかそんな行き当たりばったりな感情でも許せてしまうのが不思議だ。柑菜のせいでメインヒロインが2番手、なんて言われていたが、なかなかどうして、先輩も良いキャラじゃないですか。ぼかぁ先輩の方が好きですよ(今週から)。地球に来る宇宙人は平和な奴ばっかりで助かるわー。ザンギャックとかばっかだとすぐに滅びるからなー。

 とにかく、今回までのエピソードで1学期が修了。これでいよいよタイトルにも記された「あの夏」に突入する。一夏の想い出が気怠い田舎の日差しの中で描かれる青春絵巻って、やっぱり「おね2」だなぁ。

拍手

色々とややこしう、第3話。「青春真っ盛りの青臭い……」とは檸檬先輩のお言葉ですが、本当にどろどろしまくりやがってます。ちょっと間違えるだけでどうしようもなく暗い展開になるはずなのに、檸檬とりのんのおかげで絶妙なタイミングでギャグに切り替わるのがずるいね。

 ダイナミック空回りコンビ、海人とイチカ。2人してお揃いの妄想が膨らみ、加速するすれ違いである。馬鹿だなぁ、こいつら。Aパートなんて半分くらい妄想パートだったけど、個人的には海人の妄想の中のひでぇ先輩も割と好き。というか、模範的な戸松ボイスです。なじられてみたいキャラ。でも実際のイチカ先輩は、妄想の中でFBIとかCIAとかにつかまっちゃうような人。みずほ先生といいこの人といい、地球にやって来る宇宙人は天然ばっかである。そのせいで、「先輩が言っちゃう」わけなんですよ。無垢と残酷は紙一重とはよく言ったもんですね。次回、この2人はどうなるのでしょう。この気まずい状況は登校拒否くらいじゃすまねぇ気もする。

 そしてそんなメイン二人を喰っちゃう勢いでから回るのが柑菜である。どうやら世間的には一番人気のヒロインのようだが、確かに容赦無く、そして阿漕に愛らしい。どこまでも真っ直ぐでありつつも適度なツンデレっぷりはなかなかのバランス。田中将賀画の良い部分を集めたような外見もキャッチーである。でも、このポジションだとどう考えても海人とはくっつかないわけで、何とも不憫なキャラである。「おねティ」の小石の例を参照すれば、このまま脇の男とくっつくことになるわけだが、さて……

 そして、そんな脇の方でも色々とゴタゴタしているのは、全部のキャラが一方通行での恋路という、どっかで聞いたことがあるような救いの無いシチュエーション。海人はイチカが気になり、そんな海人に柑菜が熱視線を送る。その柑菜の動向をさりげなく気にし続ける哲朗がいて、そんな哲朗の気持ちに気づく美桜がやきもきするという。とんでもない友人関係があったもんだ。前回の酒盛り中で哲朗の気持ちについて仄めかされていたわけだが、今回はそんな哲朗に対する美桜の気持ちが強く押し出された。

 結果的にダブルデートの形になった謎の追跡劇のさなか、哲朗の背中に手を寄せる美桜のカットがなかなかに切ない。そして、引っ込み思案な彼女が頑張って絞り出した言葉が、「恋路を邪魔する人間は蹴られてしまう」という、何とも謎めいた一言である。「蹴られると、きっと痛い」と。表向きには「海人と柑菜のことは邪魔をするな」であるが、実際は、柑菜と海人をくっつけることで、何よりも哲朗自身の恋路を邪魔していることになると、美桜は訴えている。そんなことをして傷つき「痛い」のは、哲朗自身であると。哲朗はそれを理解しながらも、キャラに合わないとはぐらかして見せる。もちろん、美桜は更に、そんな哲朗の飄々とした態度が彼女自身の恋路にとっても障害になっていることも訴えたいわけだが……哲朗は、そのあたりのことには気づいているんだろうか。

 相変わらずやきもき印の30分。冷静に見ちゃうとこんなにやるせないお話もないだろう。りのんの愛らしさを一服の清涼剤としてごまかしつつも、早く次のエピソードが見たいのである。なーっ。

拍手

最優先事項で第2話。あ、やっぱり言ってはいけない台詞だったのか……いや、でもねぇ。

 なんだか見ている間ずっとニヤニヤしてしまうこの作品。テイストとしては「おねティ」よりも「おね2」の少しふざけてドタバタしてた頃の方に似ている気がする。まぁ、「おねティ」は主人公の桂の停滞のせいで、どこか重苦しい空気もあったからね。

 今作の場合、おそらく事態はあのときよりも深刻で、多分海人はいっぺんイチカに轢き殺されて死んでいる(もしくは致命傷を負っている)。それを無理矢理宇宙的な技術でもってつなぎ止めたから、ああして不完全な状態で生きながらえているんだろう。幸い作中ではあんまりそういうところに悲壮感が無くて、海人自身も気づいていないので平然としているが、これでもし「実は死んでいるので、無理矢理生体活動は続けてたけど、イチカが定期的に修復しないとそのうち死ぬ」とかいう設定だとしたら話は結構重い。出来ればそこまで行かずに、適度なギャグレベルの設定にとどめておいてほしいもんだけど。

 まとめると、「おねティ」の桂とみずほ先生は秘匿義務を含んだ婚姻関係で繋がっており、今作の海人とイチカは、殺人罪を秘匿せんがための一蓮托生モードで繋がっているということになる。そしてそれ以外の点では……まぁ、少しずつ違ってきた。違ってきたんだけど、やっぱり「おねティ」みてた方が楽しめる設定なのは間違い無いな。多分なんだかんだいいながらも映画作りが「青春ドラマ」の根幹になってくるだろうから、そのあたりの設定から少しずつ「おねティ」とは違うオリジナル要素が出てくるんだろうけど、やっぱり苺……じゃない、檸檬先輩が引っかき回すと、どうしても「おねティ」と被るんだよね。だってさ、檸檬先輩、まりえ……違う、りのんを見ても全然動揺しないし、映画の台本は構想20年で執筆5年だって。仮に山乃檸檬が森野苺の偽名だとするなら、当時21歳だった苺は現在31歳前後。ほら、つじつまが合う。いや、こじつけてるだけだけどさ。

 今回のエピソードですごくいいキャラで楽しかった海人のお姉ちゃんさんが旅立ってしまい、シナリオはいよいよもって高校生たちにスポットが搾られた。下準備がようやく整った状態なのだが、既に柑菜は海人とイチカの関係に突っ込むところまで行ってて、三角関係とか恋愛談義でも、意外とテンポが速いのである。このニヤニヤ感がどこまで続くのかを、楽しみに見守りたい。

 しかし、イチカの正体は一体何者なんでしょうかね。「行きたい場所がある」っていう漠然とした目的意識が、最後にどういう風に種明かしされるのかが楽しみ。私の勝手な願望では「母が世話になった木崎湖を見たい」なんだけどね。何が凄いって、みずほ先生(の中の人)と桂(の中の人)で子供を作ったとして、イチカ(の中の人)は年齢的に問題無いっていう。保志総一朗39歳、戸松遥21歳。井上喜久子17歳。あれ? おねーちゃんの娘さんって今いくつだっけ?

拍手

 言葉が出ないです、最終話。30分間ボロボロ泣き通しだったのは久し振り。

 もう、何を書いても野暮ってことになりそうだし、視聴直後の現時点ではまだ整理仕切れてない部分があるので書くことも出来ない。とりあえず現時点で言えるのは、1話まるまる感情が動きっぱなしのシナリオラインって、本当にすごい。それだけ。

拍手

 決戦の日に、第10話。何故こうも世界は痛々しいのか。

 この作品にしばしば現れ、その根源となるテーマ性は、「時間」だ。どんな人間にも平等に流れ、みな一様に同じであるはずの「時間」。しかし、それが実際は個人個人で全く別な意味を持っており、「共有」というテーマで揺さぶられつつ、「動く」か「止まる」かすら選択が可能である。今回はそのことを如実に表す演出が多く、クライマックスに向かって突き進んでいる本作のテーマ性が強く表れるエピソードとなった。

 「あの日」を過ごして以来、この作品に登場する全てのキャラクターが共有していたのは「めんまのいない時間」。それだけは不動のものであるが、当然、個々の人物において、「めんまがいないこと」の意味は違う。一番分かりやすかったのは本間家の面々で、「めんまのいない寂しさ」こそ共有出来ていたはずだが、それが「共に寂しく思う時間」ではなかったと、めんまの父親はイレーヌに説いて聞かせていた。聡の漏らした「俺、随分身長が伸びたんだ」という一言は、イレーヌに自らが閉ざした時間の存在を気づかせるのには充分なものだった。寂しい、やるせないという感情に閉じ込められたイレーヌは、あまりの孤独のために、目の前にいる息子の姿すらろくに見えていなかった。今回の騒動で、そんな本間家の停滞した時間に、ようやく変質が訪れた。

 他方、超平和バスターズの面々は、めんまの死を挟んでも、「それぞれの時間」を動き続けた。比較的動きが大きかったのは、知利子とぽっぽだろうか。しかし、この2人とて完全に「あの日」から決別出来たわけではない。当時のメンバーとしての立ち位置を回想するぽっぽは、情けなかった幼い自分を省みて、自分が常に仁太やゆきあつの後ろについていくだけの存在だったことを苦々しく思っている。そのために、めんまに対する好意など表しようも無かったし、他のメンバーの関係性に口出しすることもままならない。「あの日」の再現の際に心ならずも仁太を煽るような行動に出たのは、そんな満たされない積年の思いの表れだった。彼も彼なりに、「あの日」の束縛を振り払うのに必死だったのだ。

 知利子は、めんまの存在自体から受けた影響が最も小さい人物だろう。しかし、彼女にとって最も大きな存在であるゆきあつが歩みを止めてしまったことで、彼女もそれに歩調を合わせざるを得ない状態になってしまった。「あの日」に置き忘れたものを探し続けるゆきあつを何とか歩き出させようと頭を悩ませるも、一向に解決出来ないもどかしさ。絶対に振り向いてくれないと分かっている相手の背中を見続けるむなしさ。孤立し続けた彼女の時間は、今回ようやく鳴子との歩み寄りで快方の兆しにあるだろうか。ゆきあつがようやく鳴子のことを「あなる」と呼んだ今、未だ「安城さん」と呼び続ける知利子の距離感は、ひょっとしたら最も遠い存在なのかもしれない。彼女も、それを理解しているからこそ、髪を切ることによって無理矢理時間を動かそうと試みたのである。

 世界を動かす新たな火種を生み出すことに成功したのは、鳴子とゆきあつの2人。この2人の時間は非常に明確である。今回は2人がファーストフード店で会話するシーンが象徴的で、2人の会話の内容が、窓の外に映し出された信号機の色に対応するという演出がなされている。「あの日」で止まってしまった鳴子の思い、仁太との関係性は、めんまの「復活」を境に動き始める(青になる)ことに成功した。しかし、それは結局、鳴子の思い描いた通りの「進行」ではなかった。

 そして、電話越しに会話する知利子とゆきあつ。ゆきあつの顔には、ガラスに反射した信号機の「赤」がでかでかと移り込み、彼の時間が引き続き止まりっぱなしであることを暗示する。知利子にそれを指摘されたゆきあつは、無理矢理にでも時間を動かすために、花火の打ち上げに執心し、「あの日」を打ち砕くための荒療治としての再現劇を実行に移したのである。ゆきあつ・鳴子・知利子の3人は、立場は違えども、「あの日」に忘れてきた誰かの思いを動かしたいという動機は共通している。この3人の動きによって、花火は宙を舞った。

 そして、結局これだけの面々が動き、動かされたのは、全ては仁太による。めんまも含む全ての人間は、「利害の一致」という面を考えてもその思惑が共通している。「あの日」で留まり続けることを悔しく思うぽっぽ。時間を進めて固化した感情を打破したいゆきあつ。あの日に囚われた思い人を解き放たねばならない知利子と鳴子。そして「生まれ変わり」を目指すというめんま。たくさんの思いが、「次の時間」を目指すために花火を打ち上げた。しかし、そんな中で何度も何度も「止められる」と繰り返し続けたのが、仁太であった。

 みんなと共有出来ない「めんまのいる時間」を過ごしてきた仁太。めんまが具体的に他者とインタラクションするようになり、その差は埋まったものと思われたが、彼の時間だけは、結局止まり続けることを望んでいたのだ。結局、動かすべきはめんまの時間ではなかった。動かなかったのは仁太、動くべきは仁太だ。そろそろ、回りの人間もそのことには気づくのではなかろうか。

 もう間もなく、この物語も幕を引く。嫌でも、時間は動いていくのだ。

拍手

 この期に及んで大混戦の第9話。何をもって終わりとする物語なのかは未だ分からないが、解決の糸口はなく、問題ばかりが巻き起こり続けている。せっかくめんまが「正体を現す」というビッグイベントが終わったというのに、だ。

 何がすごいって、結局「バスターズ」の面々は6人が6人とも違った方向から悩みを抱えており、それらが「めんま」という一つのファクターに収束しながらも、単純に1対1対応していないために、連鎖的に問題が膨れあがっていく点だ。特に、知利子の悩みの場合、今回は本当に誘爆としか言いようのない害の被り方である。伊達に昼ドラ展開とは言われちゃいない。はたして、このアニメが終わるときに6人の関係性は一体どうなってしまっているのだろうか。

 1つ、大きなことに気づいたのは、ゆきあつがめんまの父親に土下座をしにいったシーンでのこと。妻が「止まってしまっている」と漏らす父親に対し、ゆきあつは「自分も止まってしまっているから」といって頭を下げた。なるほど、確かにそうだったのだ。以前イレーヌに関しては「時間が止まっている」と指摘することが出来たが、そもそもそれを取り巻く5人は「生きた時間」を過ごせていたのかどうか。改めて振り返ってみれば、一番分かりやすく「止まって」いたのは、イレーヌ同様に未だめんまの姿を探し求めていたゆきあつだろう。彼がやるせない空想と現実との差を見いだせたのは仁太との確執があったからだが、未だ見えないめんまを探し求め、その声にすがっているところを見ると、彼の時間はまだ「あの日」だったのだ。

 「あの日」に縛られた存在といえば鳴子も同じ。あの日の仁太の様子を「バレバレだよ」と指摘する鳴子は、結局仁太への思いを凍りつかせたまま、前に進めていなかった。いや、前に進もうにも、相手が既にこの世にいないのでは、戦うことすら出来なかった。戦えない土俵に勝手に迷い込んだのは鳴子の責任だが、それは今でも、めんまの見えない世界では勝負になっていない。そして、そんな「時の止まった2人」に歩調を合わせてしまっているせいで、同様に身動きが取れない知利子。我関せずを決め込んでいるが、時間の動かないゆきあつの背後にいては、一人だけ進み始めることなど夢の又夢だ。一人関係なさそうに見えていたぽっぽですらも、ついにめんまと会話出来るようになったと言われて、真っ先に出てきたのは「あの日」のことだった。結局、めんまを縛り、めんまに縛られているのは、イレーヌだけでなく、バスターズの全員だったのだ。

 それは仁太も例外ではない。唯一「めんまが見える」ことで動き出せたはずの仁太だったが、そこに隠された思いは、あの日言えなかった本当の気持ち。今回、ひょんなことから「その言葉」が口をつくが、それは時間を動かす役割を果たさず、「つなぎ止められたい」という後ろ向きな意識ばかりが現れるだけ。結局、仁太は「見えること」にかまけて、そこからの歩みを放棄してしまっていただけだった。

 仁太の後ろでは、鳴子やぽっぽは進めない。そして、仁太を出し抜こうとすればゆきあつも止まらざるを得ず、それなら知利子も八方ふさがり。関係性が深ければ深いほど、「めんま」という「止まった時間」に縛られる度合いは酷くなるばかり。「今を生きるめんま」は、はたしてこれらの時間を正常な状態に戻すことが出来るのだろうか。

 本当に今回もワンシーンワンシーンが重たくて疲れる。鳴子のやるせない感情や、ゆきあつの自虐を交えながらのごまかせない卑屈さ、そして知利子やぽっぽなどの分かりにくい感情の微妙な揺れなど、1つ1つのシーンがどれもこれも大事過ぎて、一瞬たりとも気が抜けないのだ。何はともあれ仁太が今回大きく揺れた。この動きが、何か「時間を取り戻す」一助になってくれればいいのだが。

拍手

 終始胸が締め付けられるよう、第8話。本当にこの脚本、いちいち踏み込みたくない、触れないで済ませたい部分を的確に突いてくる。意地の悪いことこの上ない。

 言ってしまえば、全てのリセット、全ての語り直しとも言えるエピソード。そのきっかけを作ったのはめんまの実母、イレーヌであった。彼女の中で、超平和バスターズの面々はめんまの直接の死因以外の何ものでもなかった。自分の娘だけが失われたというのに、他の子供達がのうのうと生きているという現実。そこに憎しみを抱くのは人としておかしいということは分かっているのだろうが、それでも、失ったものの代償を、どこかに求めなければ生きていけない。だからこそ、理不尽と分かりつつも、娘の旧友たちに対して、身も世もなく本心を吐露してしまうまでに至る。どうしようもない「親」の心理。誰にも正すことなど出来ない、哀しい歪み。

 そんな現実が存在していることを知らされ、超平和バスターズのメンバーも、浮かれて遊び半分で動いていた自分たちの行動を振り返らざるを得ない状態になってしまった。過去の出来事が原因として再浮上しただけに、「昔のよしみ」というだけで動くことが出来なくなった。

 これまでのエピソードで明示的に語られてきた「wonder」は、「めんまの存在」である。仁太が繰り返し主張するめんまの存在は、何故そこにあり、何がそこにあるのか、ということが焦点となり、その謎を解明すべく5人は動いていた。しかし、今回改めて浮かび上がった「wonder」は、「めんまの不在」の方である。自分たちはそれぞれに違う人生を歩み続けているというのに、めんまだけがそこにいない。「いること」の不思議ばかりを追究してきたシナリオが、突然「いないこと」の意味を問いただし始めたのだ。この転換はゆきあつに甚大なダメージを与え、彼は過去の出来事の罪悪感に、どうしようもなく膝をついた。鳴子も同じだ。「いないこと」を突きつけられてしまえば、自然に浮かび上がるのは過去の自分の罪。仁太と、自身を結ぶ罪の記憶だ。一気に膨れあがった積年の罪悪感と嫉妬心は、どうしようもないと分かりつつも、仁太に浴びせかける以外の解決法を持ち合わせていなかった。

 そして仁太である。彼の場合の「wonder」は、「いないこと」と「いること」の狭間に揺れ動きながらも、厳然たる事実としてめんまが「いる」ことについてだ。これまでは「自分だけの差異」という認識でしかなかった事象が、実は「いること」によって罪の意識を薄め、めんまを取り巻く事象をある程度フラットな視線でみることが出来るようになる、特権的な立ち位置であると気が付いた。何がどうあろうと、めんまの口から直接「許し」が与えられるのは仁太しかいないのだ。そして、同様に「いないこと」をある程度冷静に見られる立場であるめんまの弟聡志との会談では、「親」という絶対的存在と自分の関係が、めんまにもそのまま対応していることに気づかされる。どこまで行こうとも、めんまを助けられるのは、血縁でも友情でもない、厳然たる「接触」を持つ自分だけだということにも。

 「いる」から「いない」へ。大きく揺れためんまの存在は、「みんな」と言いつつも常に欠けていたという「バスターズ」の事実を浮き彫りにし、せっかく繋がりかけた関係を再び寸断するかに見えた。しかし、間一髪のところでそれを押しとどめたのは、領分を越え、「いること」に手を出してしまっためんま自身だった。これまで彼女は、どれだけ仁太に存在を主張しようとも、「見えない」他者に対してはそれを行わなかったのだ。しかし、今回初めて、めんまが他者に対してインタラクションを行った。それが良いことなのか悪いことなのか。ただ、めんまは自分の存在がイレギュラーであることは認識しており、「おかしい状態」であると知っていた。だからこそ、極力まわりの人間との接触を避け、「仁太のめんま」であり続けてきたはずなのだ。しかし、窮余の一策として、今回その自制をといてしまった。はたして、この大きなアクションは、一体どのような変化を産むことになるのだろうか。

 「いないこと」という事実を突きつけるのだから、自然にそのシナリオは辛いものになってしまう。今回は本当に、視聴中はずっと胸がギリギリと締め付けられる展開だった。母イレーヌが、「めんまの時間」について「終わっている」ではなく「止まっている」と表現したことが、本当に辛い。既に数年の時が経ったはずの「めんまのいない世界」でも、母親にとってはみとめられない事実であり、いまだ「終わり」ではないのである。もちろん、そうした発言をしている自分自身も「時を止めている」ことに、本人は気づいていないのだろう。子供を失った母親の心情というのは、個人的には他人事でないのである程度知っているつもりなのだが、他者から見た時に、これほど心苦しいものはない。

 ひょっとして、めんまの「願い」とは、イレーヌの解放なのではなかろうか。どうにかして、未だに囚われ続ける母親から、自分の呪縛を解いて欲しいと、それを頼める唯一の存在が、「バスターズ」のリーダーたる仁太だったのではないか。めんまの優しさを思えば、何とかしてこのミッション、成功して欲しいものである。

拍手



忍者ブログ [PR]
カレンダー
03 2024/04 05
S M T W T F S
26 27
28 29 30
ブログ内検索
カテゴリー
プロフィール
HN:
Thraxi
性別:
男性
趣味:
声優のこと全般
自己紹介:
関西在住の、アニメを見ることを生業にしてるニート。必死で好きな声優を12人まで絞ったら以下のようになった。
大原さやか 桑島法子
ーーーーーーーーーー
↑越えられない壁
沢城みゆき 斎藤千和 
中原麻衣  田中理恵  
渡辺明乃 能登麻美子
佐藤利奈  佐藤聡美
高垣彩陽   悠木碧
最新CM
[04/26 な]
[04/25 な]
[04/19 NONAME]
[04/17 NONAME]
[04/17 NONAME]
バーコード